鳩山さんの憲法9条観を見てみる(2)
- 2009/09/06
- 22:00
<参照>>
鳩山氏憲法試案
Ⅱ.自衛権、国際協調をどのようにとらえ、自衛隊はどうあるべきとかんがえているのでしょうか
マガジン9条のアンケートでは
自衛の範囲を超えた武力行使や、国連決議によらない海外での武力行使を結果的に認めるような改憲には反対、といっています。
これは言い換えれば
自衛隊は、自衛の範囲を超えない武力行使や、国連決議があれば海外で武力行使できるように名文で認めましょう、ということです。
独立した一つの章として「安全保障」を設け、自衛軍の保持を明記することとした。現行憲法のもっとも欺瞞的な部分を削除し、誰が読んでも同じ理解ができるものにすることが重要なのだ。この章がある以上、日本が国家の自然権としての個別的、集団的自衛権を保有していることについて議論の余地はなくなる
としていることから、自衛隊は自衛軍として明記されるべきであり、自衛権には今まで認められなかった集団的自衛権も含まれるとしています。
また「国際協調主義」を
単に日本が平和愛好国家であれば良いという今までの姿勢から、国際社会からさまざまな戦争要因を取り除く活動に積極的に取り組むこと
と再定義する、としています。
つまり、国際社会から様々な戦争要因を取り除く取り組みに於いて、海外で自衛隊の武力行使もあり得るのが国際協力、国際協調ととらえています。
具体的な条文を見てみます。
前 文 (部分)
「この憲法は、明治二十二年憲法によって創始された議会主義と政党政治の伝統を受け継ぎ、昭和二十二年憲法によって確立された国際協調と平和主義の理念をさらに発展的に継承するものである。」
「日本国民は、平和と自由と民主主義の恵沢を全世界の人々とともに享受することを希求し、世界、とりわけアジア太平洋地域に恒久的で普遍的な経済社会協力および集団的安全保障の制度が確立されることを念願し、不断の努力を続ける。」
第○章 平和主義及び国際協調
第○条(侵略戦争の否認)
日本国民は、国際社会における正義と秩序を重んじ、恒久的な世界平和の確立を希求し、あらゆる侵略行為と平和への破壊行為を否認する。
2 前項の精神に基づき、日本国は、国際紛争を解決する手段としての戦争および武力による威嚇又は武力の行使は永久に放棄する。
第○条(国際活動への参加)
日本国は、国際連合その他の確立された国際的機構が行う平和の維持と創造のための活動に積極的に協力する。
第○章 安全保障
第○条(自衛権)
日本国は、自らの独立と安全を確保するため、陸海空その他の組織からなる自衛軍を保持する。
2 自衛軍の組織及び行動に関する事項については、法律で定める。
第○条(内閣総理大臣の指揮統制権限)
自衛軍の最高の指揮監督権限は内閣総理大臣に属する。
第○条(国会の承認)
内閣総理大臣が、自衛軍の出動を命ずるときは、国会の承認を必要とする。
第○条(大量破壊兵器の不保持)
核兵器、生物化学兵器をはじめとする大量破壊兵器は、開発、製造、保有することを禁ずる。
第○条(徴兵制の否定)
日本国民は、自衛軍への参加を強制されない。
現憲法
前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
(略)
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する
9条
1日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない
鳩山試案の
第○条(侵略戦争の否認)
日本国民は、国際社会における正義と秩序を重んじ、恒久的な世界平和の確立を希求し、あらゆる侵略行為と平和への破壊行為を否認する。
2 前項の精神に基づき、日本国は、国際紛争を解決する手段としての戦争および武力による威嚇又は武力の行使は永久に放棄する。
は9条1項と似ています。
しかし9条2項の陸海空軍その他の戦力保持の禁止と国の交戦権の否定の規定を排除し、安全保障の章で自衛軍を保持を明示しました。
9条はわが国が主権国家としてもつ固有の自衛権までも否定しておらず、この自衛権の行使を裏付ける自衛のための必要最小限の防衛力(=自衛隊)を保持できる。よって自衛隊はは9条2項が禁ずる戦力にはあたらない
という従来の苦しい政府解釈をやめ、正面から自衛隊を自衛軍として憲法で認めようという条文です。
そして9条2項を排除したことにより、「自衛」に当然集団的自衛も含まれると解しているようです。
(ところで鳩山さんは、9条2項について「現行憲法でもっとも欺瞞的」という評価をしているのも注目です。あくまで9条2項が欺瞞的だと批判し、9条2項を無視して平気な今の在り方を批判してはいないのです。)
また、
第○条(国際活動への参加)
日本国は、国際連合その他の確立された国際的機構が行う平和の維持と創造のための活動に積極的に協力する。
という条文から、海外で「自衛のためでなくても」武力行使ができると解釈されます。
自衛隊を自衛軍として名文で承認する
集団的自衛権を認める
国際貢献ならば海外で武力行使も」出来る
これらが現憲法と明確に異なります。もうこれは現憲法の理念である積極的な非武装平和主義から大きく外れています。
・では、鳩山試案では保持できる自衛力の限度はどこまでと解せられるでしょうか?自衛隊の出来ないことの限界は明確にされてるのでしょうか
今の政府見解は
個々の兵器のうちでも、性能上専ら相手国の国土の壊滅的破壊のためにのみ用いられる、いわゆる攻撃的兵器を保有することは、これにより直ちに自衛のための必要最小限度の範囲を超えることとなるため、いかなる場合にも許されない。
というものですが、
東アジア共同体での集団安全保障、及び、日米安保体制は、今後も日本外交の基軸であり続ける、
としていることからも、日米関係は今のままとうとう集団的自衛を行使して海外でアメリカとともに武力行使する道を開き、現憲法で保持できないとされてるICBM、長距離戦略爆撃機、あるいは攻撃型空母はもてるようになる可能性が大きいです。
鳩山試案でも9条1項と似た規定により「自衛のための必要最小限度の防衛力」の保持が言われるかと思います。
しかしこの「自衛のための必要最小限度の防衛力」というシロモノは、限度などあってないようなものです。
今までだって自衛のためならあんな武器もこんな武器も必要だとアメリカからドンドン武器を輸入し、クラスター爆弾禁止条約にもなかなかサインもしませんでした。
やられる前に先制攻撃するのだって「自衛」だとブッシュドクトリンは平然と言い放ってましたし、麻生さんも北朝鮮のミサイル発射基地への先制攻撃を想定した敵基地攻撃能力について「一定の枠組みを決めた上で、法理上は攻撃できる」とブッシュドクトリンを踏襲する様なことを言ってました。
相手が核をもってるならこっちも核を持って抑止するのだって自衛だ、という極論も出てくるし、ようはどんな戦争も必ず「自衛」を大義名分にしますから、いくらでも拡大解釈が可能なわけです。
それは鳩山試案においても変わりません。
今の憲法下ではまだ、軍事力を拡大することに抑制的、慎重であろうとする態度を求めることができます。でも正面から自衛軍の正面から存在を肯定したら、ますます抑止的な方向の力が働かなくなるでしょう。
今の権力は、9条違反などへっちゃらで、神経が麻痺しています。明らかに違憲といえるソマリア派遣に賛成した民主党も、基本的には、9条遵守に関して鈍感になってるといえます。
そういう政府がより規制が緩くなった改正憲法の下でどうして抑制的になどなれるでしょうか。
確かに、大量破壊兵器の不保持と徴兵制の否定は「自衛隊ができないことを明記したもの」であるかのように見えますが、特に積極的評価に値しないシロモノです。
試案では非核2原則で「持ち込ませない」が無いから不十分。
それから、アメリカは志願兵であり貧困層を軍隊に送り込む社会的システムが出来ていることを見れば、徴兵制否定も決して評価できるというものでもありません。
非核と徴兵制否定は現憲法でだってたとえ名文はなくても解釈上みとめられないことに争いはないのです。
つまり、鳩山試案は鳩山さんがいうような、現憲法よりも「自衛隊の出来ないこと」をより明確に規定したものでは決してありません。
よく、今の憲法は解釈によってどうとでもなるような曖昧模糊としてるのがいけないのだ、という言い方がされます。
しかしそれは本当でしょうか?
学説は「自衛のための武力も保持できない」というのが通説です。
9条は自由に解釈改憲を許すような曖昧な規定ではなく、実は解釈の余地無くハッキリと明確に全ての武力保持を禁じた規定だからこそ、「自衛のための武力も保持できない」というのが通説になっているのです。
政府は憲法解釈としてかなり無理筋な解釈をごり押しし続けたのであり、道理を破壊し続けたのです。
鳩山試案は「軍隊を持つ国家」に復帰することにほかなりません。
完全に今の平和主義を放棄しており、とても認めることはできません。
鳩山改憲試案は自民党新憲法草案と変わらない大変危険なものです
自民草案同様、今の憲法の三本柱(国民主権、平和主義、基本的人権の尊重)のうちのひとつ、平和主義を折って捨てているのです。それはもはや改憲の範囲を超えているといわざるをえません。
・そしてもうひとつ特徴的なのが、わざわざ、
この憲法は、明治二十二年憲法によって創始された議会主義と政党政治の伝統を受け継ぎ、
と、既に断絶したはずの明治憲法を肯定し連続性があるような記述を前文に盛り込んでるように、明治憲法への懐古が見て取れることです。
そして
第一条 2 日本国は、国民統合の象徴である天皇を元首とする民主主義国家である。
と規定した理由として
天皇の地位については現行憲法の象徴天皇制の規定を踏襲するとともに、この際、「天皇は日本の元首か否か」といった戦後憲法的な不毛な議論に終止符を打つため、「元首」と明記することとした。
私は国民主権と天皇を象徴的元首とする規定の並存が矛盾するものだとは思わない。例えばスウェーデン憲法は「国王又は女王は元首である」と規定するが、このことを以って、スウェーデンは国民主権でないとか、スウェーデンは民主主義国家ではないなどと言う人はいないだろう
と述べています。
しかし、ほんの一代前の天皇は軍国主義ファシズムの頂点に立っていた歴史があり、スウェーデンと同様に見ることはできないと思います。
天皇が政治的権力を握ることはもうないとは思いますが、何故わざわざ国民主権に逆行するような文言を入れる必要があるのでしょうか。
民主主義の成熟は政治的機構ばかりでなく、多分に精神的成熟にかかっています。
日本は新しい革袋に古いワインが入ってるような状態です。
だからずっと自民の一党独裁を許し、弱い者イジメの構造改革に大きな抗議の声を上げることもしない羊でしたし、ネットや靖国ではあんな恥ずかしい国粋右翼が幅をきかせるし、田母神が大きな顔をして満場の講演会を開くことが出来るのです。
天皇の地位を元首だとわざわざ規定したら、喜ぶのはこういう連中でしょう。
・鳩山さんは9条が国際的に高い評価を受けていることをどう思っているのでしょうか。
今日本は、人権大国だとは思われていません。その上世界がたたえた9条まで放棄したら、日本の国際的評価は益々下がるでしょう。歓迎するのは自国の軍事行動をと軍事費を肩代わりて貰えてらくできるアメリカだけでしょう。
またもし将来的に自衛隊を縮小して国境警備隊のような形に変えようと思っても、今の憲法ならむしろマッチしますが、この試案ではその道を閉ざすことになります。
最初、民主党は自民ほど危険ではないかもしれないと書きましたが、党首がこれでは大変危険です
さすが安倍晋三も名前を連ねる「新憲法制定議員同盟」に入ってるだけのことはあります。
鳩山さんにはまずここから抜けていただかないことには気が気ではありません。
安全保障は「国家の安全保障」ではなく、国民一人一人の「人の安全保障」でなければなりません。
それに役立つのは軍備ではなく、平和的外交を推し進めよと言う9条だというのが歴史の教訓だと思います。
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