選挙は国民が主人公。自由な選挙活動、自由な意見発信を拒む公職選挙法は見直されるべき。
- 2009/08/26
- 04:00
選挙は私達国民が主権者として参政権を行使できる数少ない場ですから、立候補者が自由に主張をアピールでき、また、わたしたちも自由に様々な情報に接することが出来、意見交換できる機会にも恵まれた上での投票でなくてはなりません。
しかし現在の公職選挙法のもとではそれが保障されてるとは言い難い状態です。
特に最近ではブログなどで個人が特定の政党や政治家に投票するまたは投票しないように呼びかけたりすることが公選法違反になるのではないかが問題になっています。
ネットのブログやSNS、HPなどの書き込みが142条の「文書図画の頒布」のあたり、ネットで特定の政党や政治家に投票するまたは投票しないように呼びかけたりすることが146条に違反するのではないか、というのです。
これについて総務省の見解はこうです。
公職選挙法の「文書図画」とは、文字若しくはこれに代わるべき符号又は象形を用いて物体の上に多少永続的に記載された意識の表示をいい、スライド、映画、ネオンサイン等もすべて含まれます。したがって、パソコンのディスプレーに表示された文字等は、公職選挙法の「文書図画」に当たります。
パソコンのディスプレーに表示された文字等を一定の場所に掲げ、人に見えるようにすることは「掲示」に、不特定又は多数の方の利用を期待してインターネットのホームページを開設することは「頒布」にあたると解しております。
(新党さきがけの問いかけに対する自治省(総務省)からの回答http://www.jsdi.or.jp/~y_ide/9610saki_qa.htmより)
従って、当然個人がブログやSNS、HPなどで特定の政治家に投票するまたは投票しないように呼びかけたりすることなどは公選法142条、143条、146条違反に問われるおそれがあります。
しかしこれは以下のような問題点があり、是認できないものです。
Ⅰ.ネット上のブログ等の書き込みが文書図画の頒布に当たるとするのは無理があります。
これは次の例えが分かりやすかったので引用させていただきます。
● インターネット選挙は公職選挙法違反か
--「馬」は「自動車」
ホームページの公開と「文書図画」の「頒布」とは、どう違うのか。ビ
ラは読みたくなくても、新聞に折り込まれている。葉書も読みたくなくて
も、ポストに届いている。しかし、ホームページは、本人が望まなくては
見ることはない。ホームページを見た人は、アドレスを自分で打ち込んだ
のである。または、リンクを自分でクリックしたのである。ホームページ
は、自発的に行動しなくては見ることが出来ない。
だから、「ホームページの頒布を受ける」という文言には、違和感があ
るのである。「頒布を受ける」のではなく、「ホームページにアクセスし
た」のである。「ホームページを見た」のである。
次のような比喩が正しい。
〈ホームページの公開は、選挙事務所内の資料室の公開である。〉
選挙事務所内に資料室ある。さまざまな政策の資料がある。その資料室
は、一般に公開されている。そこに、自発的に閲覧希望者が来る。いろい
ろな資料を閲覧して、帰っていく。
おこなわれているのは、〈資料室の公開〉である。「文書図画」の「頒
布」ではない。これは、公職選挙法に違反していない。
〔「インターネット選挙になるべきだった選挙」2000年7月6日〕
私もその通り、ネット上での書き込みを文書図画の「頒布」とするのは文言上無理な拡大解釈だと思います。
Ⅱ.そもそも何故公選法142条は規定以外の文書図画の頒布を禁じているかというと、もし文書図画の頒布を自由に放任すれば資金に乏しい政党に不利になるので、公平を期し、「金のかからない選挙」を目指すため、と言われています。
しかしインターネットはほとんどお金がかからないので、これを禁止するのは142条の趣旨からおよそ外れています。むしろ、142条の趣旨からすれば、「金のかかる選挙」改善のため奨励されてもいいくらいです。142条でネット上の書き込みを制限するのは全く合理性がありません。
だいたい142条自体がどうかと思います。金がかからぬ選挙を目指すなら、後述のように欧米を見習って選挙資金の総量を規制すればいいのであって、自由な選挙活動(文書図画の頒布)の方を規制するのは本末転倒でしょう。
Ⅲ,では、特定政党自民党が連日ネットで行っているネガティブキャンペーンは何なのか、公選法に触れないのか、私達はダメだが自民党はいいのか、という疑問は当然沸いてきます。
公然とネット選挙運動…自民・民主、公示後も更新(8月24日14時51分配信 読売新聞)
公職選挙法142条では、選挙運動でのインターネット活用は、公示後には認められていない「文書図画の配布」にあたるとして、事実上、禁止している。
ところが、今回の衆院選で劣勢が伝えられる自民党は、民主党を痛烈に批判するいわゆる「ネガティブ・キャンペーン」をホームページ上で展開、18日の公示後も更新を続けている。
ホームページで見られるのは、「みなさん、知っていますか―十人十色の民主党」「民主党さん本当に大丈夫?」「民主党=日教組に日本は任せられない」などのタイトルが付き、民主党を厳しく批判する資料だ。これらの資料は、党公認候補の事務所や、演説会で配布したりしている。
ネット上では、新しい動画CMも公示後に流している。
自民党の広報担当者は「民主党の政策は突っ込みどころ満載だ。こうした問題点をそのままにしておくわけにはいかない」と強調する。公職選挙法との関係については、「政党の通常の政策、政治活動で、問題ない。候補者の名前は出さないよう、十分気を付けている」と話す。
一方、民主党も今回の衆院選から初めて、全国を遊説する党三役の動きを写真とともに連日ホームページで「ニュース」として更新し、演説の内容も載せている。同党広報担当は、「党の政治活動の一環で、問題ない」と話す。自民、民主両党とも、特定候補者を取り上げなければ選挙運動にあたらないとの解釈で、積極的なネット活用が目立つ。
つまり特定候補者の名を出さないようにして「選挙活動ではなく政治活動であるから、公職選挙法に触れない」と言うわけです。(選挙活動と政治的主張を行う政治活動は密接不可分の関係だと思うんですが・・)事前選挙運動の禁止の抜け道もこれです。これは選挙活動ではなく、政治活動である、とするのです。
このようなザル法は、一方ではやろうと思えば恣意的な厳しい規制も可能なのですから、有害でさえあります。
具体的にどういうことをネットで書けば公選法違反になるのかに関して、総務省も警察庁も、きちんと線引きできず曖昧なままです。
何がよくて何が違反行為なのか、線引きがクリアでなければ、どうして良いのか判断がつきません。自民と似たようなネガキャンを書くとしても、私達個人個人は政党という団体に比べれば吹けば飛ぶような存在ですから、警察や総務省の恣意的判断で公選法違反にされてしまうおそれがあります。
その結果萎縮効果をもたらし、私達国民個人個人は、自由闊達な情報発信が出来なくなります。
Ⅳ.海外の民主主義国ではこんなに細かい制限などありません。国民の知る権利を保障しています。ネット選挙は当たり前で、オバマ大統領がネットを上手に活用したのは有名です。
イギリスやアメリカでは選挙資金の総量の規制のほかは、選挙運動そのものに対する制限はほとんどありません。ドイツやフランスもそうです。
(yahoo!みんなの政治ーマニフェスト講座ーVol.11 マニフェスト選挙―諸外国の選挙運動-参考)
選挙の主人公は国民です。
私達は政治家の所信や人柄、政党の政策、それらに関する様々な意見などの情報に自由にアクセスし、また自分でも意見を発信することで、貴重な一票をどう使うかを決める権利があります。
それが民主主義の基盤だし、国民主権の体現です。
選挙期間中にネットで政党や候補者について意見を表現する自由を制限すべき合理的な理由は何も存在しないのですから、これを制限するのは憲法で保障されている表現の自由の侵害です。
総務省がインターネットで選挙運動が禁止されているという誤った解釈を広めたことにより、選挙の公正が害されたとして、衆議院比例代表北関東ブロックの選挙人が、平成17年9月11日に行われた衆議院比例北関東ブロックの選挙の無効を求めて中央選挙管理会を被告におこした訴訟があります。
その上告理由書を見てみましょう。
仮にホームページによる選挙運動が公職選挙法142条,143条,146条に違反するとしても,上記規制は表現の自由を定めた憲法21条1項に違反し,公務員選定権を定めた憲法15条1項にも違反し,ひいては表現の自由及び公務員選定権という憲法上の要請に反してこれに違反する公職選挙法を定めたことから,憲法47条に規定する国会の裁量権を逸脱して上記規定を定めたことから同条に違反するものである。
憲法は,選挙について前文において「日本国民は,正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し,…」と定め,15条1項において「公務員を選定し,及びこれを罷免することは,国民固有の権利である。」とし,43条1項で「両議院は,全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」とし,47条で「選挙区,投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は,法律でこれを定める。」としている。そして,民主主義社会において自由に自己の政治的意見が表明できることはその前提であることから,21条1項で「集会,結社及び言論,出版その他一切の表現の自由は,これを保障する。」と規定している。
代表民主制をとるわが憲法において,選挙というのは国民が直接国政に参加することができる重要な機会であって,選挙においては,候補者は自らの政見を自由に表明し,有権者が自由に候補者の意見を収集する機会が与えられ,かつ,自らの意見を自由に表明する機会が与えられなければならず,それが欠けた「選挙」は,「選挙」という名に値しないことはいうまでもない。
個人がネットで特定政党や政治家の支持や反対を自由に述べるのを制限するのは、表現の自由を保障した憲法21条違反、公務員選定権(憲法15条)の侵害、憲法47条違反であるとの意見に賛成です。
現在の公選法は、選挙期間に入った途端様々な規制にがんじがらめにし、政党や候補者からの声を国民に届かなくさせるものです。これでは「選挙期間」というより「選挙運動禁止期間」です。
国民は受動的に与えられた限られた情報で投票をきめろ、なんて国民主権を軽視していると思います。
また、公選法は少数政党や新しい候補者に不利になるように出来ています。ネット選挙を含め改正案が提出されるもなかなか改正されないのは、それにより利益を受けている現役保守議員がいるからでしょう。(余談ですが、小選挙区制、比例国会議員削減も少数政党を締め出し既存の大政党の利益のためのもので、日本の大政党は少数政党をよほど恐れているのでしょう)
国民主権を実のあるものにするために、ネット選挙も含めて公選法自体を見直すべきだと私は思います。
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