今こそメディアリテラシーを身につけたいと思います。
- 2009/08/17
- 11:04
前記事にtontonさんからいただいたコメントに返信していて、ふと、「メディアリテラシー」という言葉が頭に浮かびました。
犯罪報道に関しては前々から、リテラシーがないと印象報道を頭から信じてしまい、逮捕者や被告人は報道されるとおりの悪いヤツと思いこむ危険性を強く感じてきましたが、これはもちろん政治報道でも同じです。
自公政権の積極的又は消極的ヨイショ報道には今まで随分お目にかかってきましたし、つい先日も、日本会議主催のあからさまな麻生びいきの党首会談が放映されました。
また、今、総選挙告示目前だというのに、メディアは起訴されるかどうかも微妙な酒井法子さん報道に明け暮れているのもなんだかな状態だと思います。
政治報道が粗悪品なのは、マスメディアが政府(総務省)に首根っこを押さえられているシステムであることの他に、日本ではメディアリテラシー教育がほとんどなされていないことも原因ではないでしょうか。
メディアリテラシーとは、メディアが形作る「現実」を批判的(クリティカル)に読み取るとともに、メディアを使って表現していく能力のことです(菅谷明子著「メディアリテラシー」より)
イギリス、カナダ、アメリカではメディアリテラシーがかなり前から国語の一環として学校授業に取り入れられています。イギリスでは大学入試資格試験の選択科目にもなっており、学問としての地位を確立しています。
子供達は、商品の広告やCMを見て、優しいお父さんお母さんかわいい子供といったステレオタイプな家族像や、テレビゲームのCMには男の子しか出てこないことなどから、メディアが映す「現実」と、実際の「現実」の違いを認識していったり、自分たちがCMやニュース番組等を作ることによって送り手としての立場を学びます。メディアを作る側に立ってみて、どうすれば視聴者やスポンサーに受け入れられるのかなどを知るのです。
そうして、報道とは実は客観的真実というより、メディア側の様々な事情により事実がふるい分けられた「主観的なもの」であることを知り、そうすることによってメディアを理解するようになります。
こうして全ての情報を鵜呑みにするのではなく、情報について主体的に考え、批判的な目をもって様々な情報に接していく事を小学生のうちから学ぶのです。
あるカナダの中学校の生徒は「どんな時でも、メディアを懐疑的に見ることは大事だと思っています。自分がその出来事を直接見たり経験したりしない限り、メディアの情報は全て二次的な者だから」と述べており、リテラシーの高さがうかがえました。
かたや、日本ではメディアリテラシー教育は注目を集め始めたものの、学校教育に於いては全くと言っていいほどありません。
日本人はマスコミの報道を批判的に見る姿勢は、イギリスなどに比べ育っていないのではないかと推測します。
(菅谷明子著「メディアリテラシー」の感想も参考になりますのでどうぞhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~ishitobi/shinsyo/shinsyo03/sugatani.html)
もし今の政治報道を無批判に受け身で見ていると結局どうなるか、想像してみました。
メディア(特にテレビ)の政治報道を無批判に受け身で見ていると、今までエントリーでも触れてきたように、自民か民主かの二者択一しかないような気にさせられます。
マニフェストについても自民党や民主党のばかりでなく、社民党や共産党、国民新党のももっと時間を割いてとりあげてないと、既に二大政党制であるような印象をインプリントされてしまいます。
これは、比例議員の定数削減という悪政策にも無関心、無批判に繋がるでしょう。
財源ばかり話題にし、そこで消費税に手をつけるかつけないかの選択ばかりで議論すると、大企業優遇税制、法人税見直しによる不公平税制から抜本的にメスを入れなければならないのではないか、という視点が抜け落ちたことに気付かなくなるのではないでしょうか。
消費税アップは実質大企業が減税されてる分を、いわば貧乏人に肩代わりしてもらおうという財界の要望であり、消費税アップばかり話題にするのは財界の方しか見ていない政治であるという本質を見落としてしまうのです。(追記:共産党のこの主張を意図的に?大手メディアが流してないのは気をつけて見ている人ならすぐ気付きます。財界はマスコミのスポンサーですし)
先日ある有名な新聞論説委員は、総選挙の目玉として
政権交代。これが当たり前の社会になるか。
中央集権から地方分権へ。
日米同盟重視からアジア重視へ。
をあげていました。
これを見てもわかるように、今のマスコミの論調はいつの間にか派遣村に象徴されるような貧困問題を避けている気がします。
貧困をもたらした最大の原因、新自由主義、コイズミ構造改革の総括がなくなってる。
今や貧困問題はあのときよりもさらに悪化してると言われていて、これが一番大きい問題のはずなのに。
受け身のままでいたら、こういうことも見落としがちになるかもしれません。貧困問題に世論の関心が行かなくなったら結局景気も暮らしも決して好転は望めません。
メディアを批判的に見ていかないと、結局次の総選挙で自公、民主、どちらが政権とっても、やがては「自民であろうが民主であろうがどこに投票しても、どうせ政治は何も変わらないものなんだ、自分たちはひたすら我慢するしかないんだ」という「学習性無力感」に行き着く事態を招くわけですね(村野瀬玲奈さんの「学習性無力感」と日本人のメンタリティを是非お読み下さい)
メディアを批判的に見ないと、国民自身が同じ失敗を繰り返すのを助長するだけ。粗悪な政治報道に誘導され、粗悪な世論が形成される悪循環が続くのは為政者の思うつぼ。だからメディアリテラシーを身につけるのはとても大切だと思うのです。
そういえば、エロゲが子供に対する性犯罪を誘発するとモラルパニックになった児童ポルノ禁止法の問題も、ゲーム、CDというメディアについてのリテラシーがなかったことも原因かも・・
ネット上の怪しげな情報をうのみにして民主党が政権取ったら中国に主権が委譲されると大まじめに嘆いているイナゴの群れも、メディアリテラシーがないんだろうなあ・・^^;
犯罪報道に関しては前々から、リテラシーがないと印象報道を頭から信じてしまい、逮捕者や被告人は報道されるとおりの悪いヤツと思いこむ危険性を強く感じてきましたが、これはもちろん政治報道でも同じです。
自公政権の積極的又は消極的ヨイショ報道には今まで随分お目にかかってきましたし、つい先日も、日本会議主催のあからさまな麻生びいきの党首会談が放映されました。
また、今、総選挙告示目前だというのに、メディアは起訴されるかどうかも微妙な酒井法子さん報道に明け暮れているのもなんだかな状態だと思います。
政治報道が粗悪品なのは、マスメディアが政府(総務省)に首根っこを押さえられているシステムであることの他に、日本ではメディアリテラシー教育がほとんどなされていないことも原因ではないでしょうか。
メディアリテラシーとは、メディアが形作る「現実」を批判的(クリティカル)に読み取るとともに、メディアを使って表現していく能力のことです(菅谷明子著「メディアリテラシー」より)
イギリス、カナダ、アメリカではメディアリテラシーがかなり前から国語の一環として学校授業に取り入れられています。イギリスでは大学入試資格試験の選択科目にもなっており、学問としての地位を確立しています。
子供達は、商品の広告やCMを見て、優しいお父さんお母さんかわいい子供といったステレオタイプな家族像や、テレビゲームのCMには男の子しか出てこないことなどから、メディアが映す「現実」と、実際の「現実」の違いを認識していったり、自分たちがCMやニュース番組等を作ることによって送り手としての立場を学びます。メディアを作る側に立ってみて、どうすれば視聴者やスポンサーに受け入れられるのかなどを知るのです。
そうして、報道とは実は客観的真実というより、メディア側の様々な事情により事実がふるい分けられた「主観的なもの」であることを知り、そうすることによってメディアを理解するようになります。
こうして全ての情報を鵜呑みにするのではなく、情報について主体的に考え、批判的な目をもって様々な情報に接していく事を小学生のうちから学ぶのです。
あるカナダの中学校の生徒は「どんな時でも、メディアを懐疑的に見ることは大事だと思っています。自分がその出来事を直接見たり経験したりしない限り、メディアの情報は全て二次的な者だから」と述べており、リテラシーの高さがうかがえました。
かたや、日本ではメディアリテラシー教育は注目を集め始めたものの、学校教育に於いては全くと言っていいほどありません。
日本人はマスコミの報道を批判的に見る姿勢は、イギリスなどに比べ育っていないのではないかと推測します。
(菅谷明子著「メディアリテラシー」の感想も参考になりますのでどうぞhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~ishitobi/shinsyo/shinsyo03/sugatani.html)
もし今の政治報道を無批判に受け身で見ていると結局どうなるか、想像してみました。
メディア(特にテレビ)の政治報道を無批判に受け身で見ていると、今までエントリーでも触れてきたように、自民か民主かの二者択一しかないような気にさせられます。
マニフェストについても自民党や民主党のばかりでなく、社民党や共産党、国民新党のももっと時間を割いてとりあげてないと、既に二大政党制であるような印象をインプリントされてしまいます。
これは、比例議員の定数削減という悪政策にも無関心、無批判に繋がるでしょう。
財源ばかり話題にし、そこで消費税に手をつけるかつけないかの選択ばかりで議論すると、大企業優遇税制、法人税見直しによる不公平税制から抜本的にメスを入れなければならないのではないか、という視点が抜け落ちたことに気付かなくなるのではないでしょうか。
消費税アップは実質大企業が減税されてる分を、いわば貧乏人に肩代わりしてもらおうという財界の要望であり、消費税アップばかり話題にするのは財界の方しか見ていない政治であるという本質を見落としてしまうのです。(追記:共産党のこの主張を意図的に?大手メディアが流してないのは気をつけて見ている人ならすぐ気付きます。財界はマスコミのスポンサーですし)
先日ある有名な新聞論説委員は、総選挙の目玉として
政権交代。これが当たり前の社会になるか。
中央集権から地方分権へ。
日米同盟重視からアジア重視へ。
をあげていました。
これを見てもわかるように、今のマスコミの論調はいつの間にか派遣村に象徴されるような貧困問題を避けている気がします。
貧困をもたらした最大の原因、新自由主義、コイズミ構造改革の総括がなくなってる。
今や貧困問題はあのときよりもさらに悪化してると言われていて、これが一番大きい問題のはずなのに。
受け身のままでいたら、こういうことも見落としがちになるかもしれません。貧困問題に世論の関心が行かなくなったら結局景気も暮らしも決して好転は望めません。
メディアを批判的に見ていかないと、結局次の総選挙で自公、民主、どちらが政権とっても、やがては「自民であろうが民主であろうがどこに投票しても、どうせ政治は何も変わらないものなんだ、自分たちはひたすら我慢するしかないんだ」という「学習性無力感」に行き着く事態を招くわけですね(村野瀬玲奈さんの「学習性無力感」と日本人のメンタリティを是非お読み下さい)
メディアを批判的に見ないと、国民自身が同じ失敗を繰り返すのを助長するだけ。粗悪な政治報道に誘導され、粗悪な世論が形成される悪循環が続くのは為政者の思うつぼ。だからメディアリテラシーを身につけるのはとても大切だと思うのです。
そういえば、エロゲが子供に対する性犯罪を誘発するとモラルパニックになった児童ポルノ禁止法の問題も、ゲーム、CDというメディアについてのリテラシーがなかったことも原因かも・・
ネット上の怪しげな情報をうのみにして民主党が政権取ったら中国に主権が委譲されると大まじめに嘆いているイナゴの群れも、メディアリテラシーがないんだろうなあ・・^^;
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