コメント
同時に、アメリカ人は知ろうとしない
場所はURLリンクのとおりです。
アメリカ市民であっても1950年代にアメリカ合衆国に住んでいたとは限らない、こういう事だそうです。
何が「真の謝罪なのか」を語る以前の問題として
1.当時の日本はナチスのドイツと同じ侵略国家であり、倒すべき相手だった。
2.米国は正しい戦争をして、日本に勝ったのだから、何も反省したり謝罪したりする必要はない。
3.広島・長崎の原爆投下について米国人に意見する前に、まず真珠湾攻撃を謝罪せよ。
4.原爆の被害者には気の毒だが、原爆投下によって戦争が早期終結して日米双方で多くの生命が救われたのだから、原爆投下は正しかった。
また、韓国人・中国人の多くの人たちも原爆の惨事を「天罰、当然の報い」と考えていますし、(個人的にも)欧州で英国人・オランダ人の年配者に「第二次大戦中に捕虜を虐待したことに対して謝罪するべき」と言われたことがあります。 彼らの主張の是非はともかくとして、原爆投下を考える前提として、まずアジア諸国の侵略・占領・植民地化、および、真珠湾攻撃、さらに日本の敗戦が決定的になった後でも日本国民に多くの犠牲を強いた当時の軍国主義体制を、思想的に清算することが先決であると考えます。 そうでなければ、他国の人たちは日本の意見を真摯に聞こうとしないと思います。
“もえおじ”さんへ
広島の原爆資料館には感想を書くノートが常備されているのですが、シンガポールの華僑と見られる来館者が「該死!」(ガイスー。“当然の報いだ”位の意味か)と書き残していた、という話を聞いています。
互いに責任を問い、且つ赦す事が必要なのでしょうね。
> 「該死!」(ガイスー。“当然の報いだ”位の意味か)
結局戦争で被害を一番受けるのは、互いの国の、ひとりひとりの個人、名もない人たちってことですよね。言い古されてるかもしれないですけども。
わたしたちのしなければいけないことは、被害者(もちろん侵略をした国の人たちには一定の責任と加害者としての側面はありますし、侵略を受けた側も、原爆や無差別爆撃といった戦争犯罪はもちろんのこと、個々の戦場でも敵兵士を殺している。彼らの抵抗の権利は当然としても、旧日本軍の遺族から見れば、やはり”仇”には違いないのです)同士罵りあうことではなくて、二度と戦争を起こさないために、連帯を広げていくことなんでしょうね。
>皆さんコメントありがとうございました
本多勝一氏の「殺される側の論理」に以下のようなことが書いてあります。
「いったいどうして、沖縄と真珠湾が対立する命題になるのでしょうか。『原爆を忘れるな』と日本人が叫ぶと、やはり一般的なアメリカ人は『真珠湾を忘れるな』と、これも対抗して叫ぶでしょう。…互いに際限なく懺悔を繰り返すことになる。また、この場合『総懺悔』したところで少しも解決にはなりません。問題は『今後こういうことをやらせぬ』ことにある。…対立すべきは、国民対国民、あるいは民族対民族、人種対人種ではないのだ。戦争によってトクをした奴と、犠牲になった側。これこそが対立するのでなければならない。」
「靖国神社法案や、それに続く同じような反動政策を阻止する最も大きな力は何か。それは犠牲にされてきた階級、殺される側同士が、国の内外を問わず、かたく連帯し、団結して、共通の敵、真の敵に当たることだと思います。ホーチミンがよく歌ったという『団結の歌』は『団結が固ければ固いほど勝利は大きい。分裂がひどいほど敗北も大きい』とうたっています。」
よくよく物事の本質を見てみれば、日本軍に虐殺された側の中国人と原爆で虐殺された市民は対立する関係どころか本来なら手を結び連帯しあえる仲なのです。
一般の貧しい日本国民もまた、軍国主義に脅され騙され、貧しい生活を余儀なくされ、愛する家族を赤紙で取られてきたのですから。
激しい格差の進む中国でも、搾取される側にいる中国国民と中国に虐げられるチベットやウィグルは、ともに中国の支配勢力に虐げられる側として連帯できる仲です。
でも歴史上、同じ「殺される側」は、互いをスケープゴートとして憎しみ合うようし向けられてきました。
今でも韓国の‘ネトウヨ’と日本の‘ネトウヨ’はいがみ合ってますよね(笑)この手の人達は権力側からすれば騙しやすく操りやすい実に都合のいい国民です。
対立すべきは、国民対国民、あるいは民族対民族、人種対人種ではないのだ。戦争によってトクをした奴と、犠牲になった側。これこそが対立するのでなければならない
これは心に留めておかなくてはならない真理だと思います。