誰のための何のための裁判員制度かを常に考えていくべき
- 2009/08/05
- 12:06
初めての裁判員裁判が東京地裁で行われました。
過去のエントリーと内容が被ると思いますが、報道を見ての感想を徒然に書いてみたいと思います。
●最終的に裁判員から外れた人達が記者会見を受けていましたが、裁判員に選ばれた人の表情を聞かれて「ああ、まいった、という感じだった」と答えていました。
「召集令状」が届いた人達は一様にとまどいを感じており、とても裁判員制度という新制度の主体的な主人公には見えない、お上の命令で嫌々召集された客体にしか見えない、そんなスタートでした。
国民が全然望んでないのに何の議論も尽くされず知らないうちに作られた制度ですから、そうなるのは当然と言えば当然ですが。
森法相は、選任手続きに呼び出された候補者49人のうち47人が出席した点に触れ「高い割合で候補者にお越しいただき、国民の制度への理解が大変進んでいると考えられる」と評価したそうですが、これはむしろ、決まったことには従わなければというきまじめな国民性からだと思います。
●裁判にいかに一般常識的な市民感覚を持ち込めるか、言い換えれば、いかに偏見にとらわれない公平な見方を裁判に持ち込めるか、というのが裁判員裁判で一番注目される所だと思います。
昨日の「被害者遺族の供述が調書と違うのでは?調書をちゃんと読んでからサインしたのか」との裁判員の質問はなかなか的を得ていたと思います。
被害者遺族はその時のことはほとんど覚えていない、と答えており、調書は万能ではないことが一般市民である裁判員にも伝わったでしょう。
しかしとにかく「わかりやすく」そして「裁判員の負担にならないように」ということを最重要視しなくてはならない法廷には疑問を感じます。
「わかりやすく」の問題点は、たとえば専門用語の正確な意味は専門家である検察官、弁護士、裁判官の間では間違いなく通じ会えますが、それを素人でもわかるよう置き換えるのには限界がありますから、正確性に欠けてしまうおそれがあります。
また、裁判員の負担とならぬよう審理時間を短くするのにあらかじめ密室(裁判員不参加)で争点を整理する公判前整理手続は、法廷で調べる証拠を裁判員が審理する前に限定してしまうわけですから、被告人に不利な手抜き審理になるおそれがあることは以前書きました。どんどん争点が削られ証拠調べを簡素化し、粗雑な審理になってしまうのです。
裁判員の長期拘束を避けるため、審理は三日です。
今回は争点の少ない事件だからまだいいようなものの、それでも今日結審明日には判決なんて、これでいいのだろうかと不安になるスピードです。
否認事件や死刑事件をこのペースでおこなったら、審理が全然つくされないのは目に見えています。
裁判員ばかりに気を遣い真実の解明がおろそかになるなら、一体誰のため何のための裁判員制度なのか、裁判員のための裁判員制度なのか、という疑問はやはり消化できないまま残りました。
●裁判員裁判にあわせて、法廷にモニターが導入されました。
これは傍聴人も証拠を見ることができるという利点がありますが、二つばかり問題があるように感じました。
一つは裁判員が残酷な映像にショックを受けて、酷い場合はトラウマになってしまうかもしれない、ということです。
もう一つは、視覚的なショックが大きいと動揺して、その後冷静な判断ができなくなってしまうかもしれないと言うこと。
ショッキングな遺体の写真などは検察官が出してきますから、検察有利になるでしょう。
冷静になってじっくり考える時間がなければ、もしかしたら傷跡が供述の殺害方法とは矛盾するかもしれないことに気付かないかもしれません。でも繰り返しますが判決を書くまで3日しかないのです。
●被害者参加制度もあわせて行われました。
この制度と裁判員制度をセットにすることで、同情から感情的になり厳罰化が進むのでは、との危惧があることはもう一度指摘しておきたいと思います。
そして、やはりこの制度に強く違和感を感じるのは、検察側の席に被害者代理人として弁護士が座ることです。
刑事手続に於いて弁護士は被告人側に立ち訴追権力側と対峙する存在です。
それが被害者遺族とともに検察官側に座り求刑まで行う。弁護士が訴追権力側にも立つのが常態化されるのです。これは非常に混乱するし、「在野であるはずの弁護士が国家側(統治主体)に取り込まれる」の図式が思い浮かびます。
やはりこの被害者参加制度の在り方は見直されるべきでしょう。
●ところで、裁判員制度に対応するのに、上から目線にならないようこれまでの裁判官席を10センチも下げ、モニターを設置し、裁判員専用の特別な入り口まで作りました。
これを全国の地裁で行ったのだから、相当お金かかってます。制度のPRや裁判員の旅費や日当なども含むとかなりのものでしょう。
もともとアメリカからの要請でコイズミ構造改革の一環だったこの裁判員制度、3年たったら見直しだそうですが、あっさり取りやめになったら、税金、もったいなかったですね。
(でも今ある現状に逆らわない日本人ですから、3年もたって慣れてきたら、何の問題点も改良されないまま続いたりして・・・(汗)
過去のエントリーと内容が被ると思いますが、報道を見ての感想を徒然に書いてみたいと思います。
●最終的に裁判員から外れた人達が記者会見を受けていましたが、裁判員に選ばれた人の表情を聞かれて「ああ、まいった、という感じだった」と答えていました。
「召集令状」が届いた人達は一様にとまどいを感じており、とても裁判員制度という新制度の主体的な主人公には見えない、お上の命令で嫌々召集された客体にしか見えない、そんなスタートでした。
国民が全然望んでないのに何の議論も尽くされず知らないうちに作られた制度ですから、そうなるのは当然と言えば当然ですが。
森法相は、選任手続きに呼び出された候補者49人のうち47人が出席した点に触れ「高い割合で候補者にお越しいただき、国民の制度への理解が大変進んでいると考えられる」と評価したそうですが、これはむしろ、決まったことには従わなければというきまじめな国民性からだと思います。
●裁判にいかに一般常識的な市民感覚を持ち込めるか、言い換えれば、いかに偏見にとらわれない公平な見方を裁判に持ち込めるか、というのが裁判員裁判で一番注目される所だと思います。
昨日の「被害者遺族の供述が調書と違うのでは?調書をちゃんと読んでからサインしたのか」との裁判員の質問はなかなか的を得ていたと思います。
被害者遺族はその時のことはほとんど覚えていない、と答えており、調書は万能ではないことが一般市民である裁判員にも伝わったでしょう。
しかしとにかく「わかりやすく」そして「裁判員の負担にならないように」ということを最重要視しなくてはならない法廷には疑問を感じます。
「わかりやすく」の問題点は、たとえば専門用語の正確な意味は専門家である検察官、弁護士、裁判官の間では間違いなく通じ会えますが、それを素人でもわかるよう置き換えるのには限界がありますから、正確性に欠けてしまうおそれがあります。
また、裁判員の負担とならぬよう審理時間を短くするのにあらかじめ密室(裁判員不参加)で争点を整理する公判前整理手続は、法廷で調べる証拠を裁判員が審理する前に限定してしまうわけですから、被告人に不利な手抜き審理になるおそれがあることは以前書きました。どんどん争点が削られ証拠調べを簡素化し、粗雑な審理になってしまうのです。
裁判員の長期拘束を避けるため、審理は三日です。
今回は争点の少ない事件だからまだいいようなものの、それでも今日結審明日には判決なんて、これでいいのだろうかと不安になるスピードです。
否認事件や死刑事件をこのペースでおこなったら、審理が全然つくされないのは目に見えています。
裁判員ばかりに気を遣い真実の解明がおろそかになるなら、一体誰のため何のための裁判員制度なのか、裁判員のための裁判員制度なのか、という疑問はやはり消化できないまま残りました。
●裁判員裁判にあわせて、法廷にモニターが導入されました。
これは傍聴人も証拠を見ることができるという利点がありますが、二つばかり問題があるように感じました。
一つは裁判員が残酷な映像にショックを受けて、酷い場合はトラウマになってしまうかもしれない、ということです。
もう一つは、視覚的なショックが大きいと動揺して、その後冷静な判断ができなくなってしまうかもしれないと言うこと。
ショッキングな遺体の写真などは検察官が出してきますから、検察有利になるでしょう。
冷静になってじっくり考える時間がなければ、もしかしたら傷跡が供述の殺害方法とは矛盾するかもしれないことに気付かないかもしれません。でも繰り返しますが判決を書くまで3日しかないのです。
●被害者参加制度もあわせて行われました。
この制度と裁判員制度をセットにすることで、同情から感情的になり厳罰化が進むのでは、との危惧があることはもう一度指摘しておきたいと思います。
そして、やはりこの制度に強く違和感を感じるのは、検察側の席に被害者代理人として弁護士が座ることです。
刑事手続に於いて弁護士は被告人側に立ち訴追権力側と対峙する存在です。
それが被害者遺族とともに検察官側に座り求刑まで行う。弁護士が訴追権力側にも立つのが常態化されるのです。これは非常に混乱するし、「在野であるはずの弁護士が国家側(統治主体)に取り込まれる」の図式が思い浮かびます。
やはりこの被害者参加制度の在り方は見直されるべきでしょう。
●ところで、裁判員制度に対応するのに、上から目線にならないようこれまでの裁判官席を10センチも下げ、モニターを設置し、裁判員専用の特別な入り口まで作りました。
これを全国の地裁で行ったのだから、相当お金かかってます。制度のPRや裁判員の旅費や日当なども含むとかなりのものでしょう。
もともとアメリカからの要請でコイズミ構造改革の一環だったこの裁判員制度、3年たったら見直しだそうですが、あっさり取りやめになったら、税金、もったいなかったですね。
(でも今ある現状に逆らわない日本人ですから、3年もたって慣れてきたら、何の問題点も改良されないまま続いたりして・・・(汗)
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