「自民か民主かどちらかしかないんだから・・・」
これも「一度民主党にやらせてみたらいい」、と並んでマスコミでよく聞かれる言葉です。
いつから日本は二大政党制になったのでしょう?
自民、民主の他にも、社民、共産、国民新党、新党日本など選択肢はあるのに、それを無視して二大政党制を既成事実にしたがっているようにみえます。
何故でしょう?
まず、二大政党制と多党制について、
二大政党制に未来はあるかに分かりやすく書かれていましたので、引用させていただきながら考えてみたいと思います。
二大政党制のもとでは、政党の特色が異なっていないと国民の多種多様な声を国政に反映することは出来ません。例えば、一方が資本家や中産階級の比較的豊かな層を代表するのなら、もう一方は貧しい労働者層やマイノリティを代表する、というように。
でもいかんせん、二大政党は非常に似通ってくるものです。
人々の中には二党間で整然と政権の交代が行われそれぞれが特色のある政治を行うのではないかと淡い期待を抱いている者もいるようだが、これがまったくの幻想にすぎない。
一方の政党がある特定の利益団体に肩入れすれば当然それ以外の団体から反発を食らう。そうなれば政党は「誰でもを喜ばせる政策」を取らざるを得ない。となれば政党同士の政策が似通ってくるのはごく自然なことだ。(略)
勢い大政党はどんな方面の人々も満足させるような玉虫色の政策を打ち出さざるを得ない。(略)
大政党の弱みはここにつきる。独自色を出すことができないのだ。
非国民通信さんにいただいたトラバ
「野党時代の政策は撤回するとのことです」は、
(引用開始)さら民主党が何をやろうとも、中道、左派の大部分は自民党政権打倒のために「目を瞑って」民主党に投票してくれる――ならば次なる票の開拓先はどこでしょうか? 自称中道、右派の支持を自民党から奪うことです。そのためには? 右派に嫌われるような政策はマニフェストから外し、右派にも歓迎されるような政策を前面に押し立てることですね。(引用ここまで)
と、
今の民主党の右傾化が二大政党制の教科書通りの宿命であることを分析されています。(付け足し:もともと自民出身なら右に舵を切るのも躊躇ないでしょうし)
さらに大政党を維持していくためには、多額の金がいるが、これは一般の個人の党費ぐらいでまかなえる額ではない。そうでなければとても総選挙を戦えない。スポンサーの付いた政党はテレビ局と同じで独自性を維持し続けることが難しくなる。
(略)
このように特色のない政策、だが現実社会に妥協していく政策を追求していくと、結局のところ二大政党制といってもほとんど差がないものになるのだ。
このようにみていくと、二大政党によるメリットはほとんどない。巨額の選挙費用がむなしく費やされるだけである
欠点を考えれば、二つの大きな政党では錯綜する国民の置かれている問題を解決する力はとうてい得られない。
大政党制は、資本家と労働者のように社会がかなり明確な境界線によって別れている場合には機能するが、現代のあまりに複雑な政治関係の中ではとても流動的な情勢に対応できなくなっているのである(略)
実際にはイギリスにしても、アメリカ合衆国にしても、そしていよいよ日本にしても対立の図式は「保守 vs 保守」になってしまっている
一方、多党制のメリットについては
小党乱立では、腐敗が起こりにくい。官僚と政治家がゆっくり話をつける暇もないからだ
国民の間にますます多様化するさまざまな主張は政党が多い方が、取り込みやすい。。しかも一つの政党が力を握っていないので、議論不在の一方的審議は起こりにくい。(略)
いわばぐらつきながらゆっくり走る自転車であるが、倒れないように各自が最善の努力を払い、これが政治的議論を盛んにするもとになり、国民ももし自分の好みにあう政党があれば政治に対する関心も上がり、投票率の低下も防げるだろう。今一番問題になっているのは「無党派層」なのだ。彼らが気に入る政党が見つかれが、それに越したことはない。(略)
今必要なのは強力な行政能力などではなく、すでにグローバリズムや自由競争によって生じた貧富の格差の拡大、機会均等の崩壊という現象における被害者をできるだけカバーできるようなシステムなのである(略)
2大政党がそのような多様な問題を画一的に吸い上げてまとめ上げることはとてもできない相談だ。例えばイラク戦争には反対だが、政府のすすめる税制改革には賛成というような場合、その議員は、結局の所、自分を殺してイエスマンになるしかないのだ。それに逆らうことは党内での相対的地位を失うどころか、執拗な党議拘束というものが待ち受けている。
この点、少数党の場合は、イエスマンというよりは、同じ志を持った「同志」という面が強いから、党員間にさほど大きな意見の食い違いは生まれないし、派閥も大政党の場合ほど深刻ではない。
私は新自由主義の先頭走者アメリカでは、格差最下層の人々の意見は一体どこがすいあげているのか不思議だったのですが、答えは「誰もいない」だったようです。
しかしイギリスやアメリカはまだ保守のなかでも能力資質のある政治家を排出できる政治的成熟があります。
ところが日本は
(引用開始)彼らは現行制度の大きな変化を好まず、少々の不便は我慢してしまう傾向があるから、多くの場合保守的政党に取り込まれてしまうのだ。例えば、正社員の労働強化、派遣社員の悲惨、サービス残業の黙認など、彼らは問題が山積しているのに無気力なのか、少しも怒りの声を挙げない。(引用ここまで)
という国民性で、悲しいかな、資質がない世襲議員か石原、橋下、東国原といったポピュリストが幅をきかしています
プラス日本は、対米追従という特殊な事情があります。
「大政党はどんな方面の人々も満足させるような玉虫色の政策を打ち出さざるを得ない」というよりは、保守層とその上にいるアメリカに笑顔を振りまかざるを得ないのです。
ここで最初の疑問に戻りますが、
何故二大政党制の規制路線を引きたがるのか、
答えは「アメリカと日本の保守層が得をするから」であることがはっきりします。
邪魔な社民共産などを排除して、今以上に安定した保守政権の永続が欲しい。
アメリカと保守層は、自民と民主両方保守ならどちらを選んでもさして困らない。せいぜいステーキにしようかビーフシチューにしようか迷う程度のことです。
逆に言えば庶民は有無を言わさず、ちっとも口に出来ないステーキかビーフシチューのどちらかしか選択させて貰えない、ということになります。
完全な二大政党制になってしまったら、切り捨てられてしまうような層の声をきめ細かく吸い上げることはもう不可能になるでしょう。
こういう側面からも、次の総選挙では第三極の議席をへらさないことは非常に大事と思います。
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