フランスの死刑廃止に関し、DUOでも死刑について論じている記事をいくつかみかけた。
予想通り、死刑賛成という意見が多かった。
今の刑罰は、死刑と無期懲役の落差がありすぎる。それが死刑賛成の理由の一つにもなっている。
そこで、終身刑を設ける等、刑罰を色々見直したとして、更にその上で尚、死刑を認めるか、という前提で考えていきたい。
結論から言えば、私は国家が死刑という制度を設けることには反対だ。
そもそも死刑が肯定されている理由はなんだろう?
死刑賛成の立場からは、人の命を奪った者は自分の命を奪われて当然だとの主張がなされる。
しかし法というものは、世の中にあるべき規範を示すものである。
国家が人を殺すなかれという規範を示しておきながら自ら人命を奪う(死刑)のは、国が自ら規範を破っていることになる。
これは大きな矛盾ではないのか。
また、賛成の立場からは、死刑という極刑には犯罪を犯すのを思い止まらせる威嚇効果があるから、犯罪予防の為にも必要だとの主張もある。が、本当にそうだろうか?
我が国は一貫して死刑制度を維持しているのに凶悪犯罪はいっこうに減らないではないか。
そもそも、死刑に他の刑罰にはない強い威嚇効果があるのか甚だ疑問だ。
犯人がまさに殺人を実行するときの心理を考えた場合、死刑になるかも、と思い出して実行を思い止まるなどむしろ滅多にないことだろう。
現在では死刑になりたくて犯罪を犯すのもいる位だ。
また、統計的に見ても、死刑の存在が犯罪の発生を抑止できたと証明できるものは、残念ながら何もない。
加えて死刑制度は大きな問題をはらんでいる。
それは誤判だ。
誤判により誤って死刑にした場合、取り返しがつかないのだ。
75年に白鳥決定が出て以降、立て続けに4つの死刑事件が誤判だったとして無罪となった。
これは白鳥決定が再審の門を大きく広げた為で、もしこの決定がでなかったら、この4人は人知れず絞首台に消え、永久に闇に葬られる危険があったのだ。
神ならぬ不完全な人間の身、これからは間違いを100%犯さぬとは決して断言できない。
もし万が一無実の人間を処刑するなどということがあったら、それは言語道断の不正義だ。
殺人の真犯人の処刑は正義だから、無実の者が処刑されることがあっても仕方ない、などとはとても言えないではないか。
今、我が国で死刑に賛成する最も大きな理由は被害者遺族の応報感情の様に思う。
もちろんこれは決して軽視されるべきではない。人間は理性だけではない、感情の動物だ。
私だって身内が殺されれば犯人を殺してやりたいと思うだろうし、松本智津夫や奈良女児殺害の小林薫等、あんなヤツ死んで当然だとの感情が沸いてくる。
それでも尚、国家と法は理性に従って動くべきだど思う。
法は一段高みにたたねばならないのだ。
刑罰とは単なる私的な復讐の代行ではない。
刑罰は犯罪という不正に対し、正をもって成すものである。(刑罰は応報面だけでなく、教育刑としての人格の矯正や社会復帰のー面を兼ね備えるのも正をもって処することの現れだ)
しかし、前述した通り、国家が人を殺すなかれという規範を自ら破ってしまうのは正と言えるだろうか。
被害者感情を尊重する余り「あいつは人を殺したのだから、殺し返せ」レベルになっては法の正義と権威を落としてしまわないだろうか。
太古の昔は刑罰が残虐な時代もあった。左手を切り落とした者はまた自分の左手を切り落とされる、原始的な応報だ。
しかし現代はこの様な残虐さは身を潜め、通常の刑罰は懲役、禁固、罰金となっている。
残虐な刑罰を禁止して来たのは、ひとえにヒューマニズムに根差す人権尊重の理念に基づくものだ。
人権の尊重とは単なる法理論ではなく、人間の尊厳という哲学に基づくものだ。
人権の出発点はこの人間の尊厳にある。
そして、人間の生命の尊重は、いわば人間の尊厳の究極の核だ。
今、生命に対する尊厳から、死刑を廃止しようというのが世界の潮流である。
こういうと
「`優れた'欧州が廃止してるんだから`遅れた'日本は追随しろというのか。日本は独自の道を行けばいいのだ」
という反論がある。
しかし、単なる盲目的追従との批判はお門違いだ。
何故世界の流れとなっているのかを考えて貰いたい。
歴史は人間の尊厳を勝ち取る歩みだったともいえる。そして、世界は人間の尊厳を更に深め、確固たるものにしようと日々前進しているのだ。
死刑廃止の世界的な流れはまさにそうした人間の尊厳という普遍的な価値を高めて行く流れに他ならない。
だから廃止を主張するのだ。
これを単なるヨーロッパへの盲目的な追随と勘違いしないでもらいたい。
そういう考えは、申し訳ないが、歴史的に人間の尊厳という哲学に基づく人権尊重が、いかに発展してきたかに対する無知を自ら暴露しているようなものだ。
独自の道を行くのも結構だが、人権の歩みや進歩から目を背けたものであってはならないのだ。
命というものを尊重する。
例えそれがどんな命であっても。
反省や更生などとてもしそうもない、生きる価値のないクズの様な凶悪犯の命でも。
一つの例外もなく。
国家にはそういう人間の生命に対する尊厳、高い倫理姿勢を貫いて貰いたい。
私はそう思う。
(2007/2/26)
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