足利事件と飯塚事件
- 2009/06/13
- 18:48
足利事件ではDNA鑑定というものが注目を集め、また、検察の潔い(?)態度が目を引いているようです。この二つのことについて少し述べたいと思います。
Ⅰ. まず、検察が、新しいDNA鑑定の結果を受け売れ、異例の早期釈放したことにつき、高い評価をする向きもあるようですが、私は殊更これを評価するのは、マッチポンプのポンプの部分だけ評価しているようなものだと思います。
もし北朝鮮が拉致被害者を解放したら、それを英断として褒め称えるでしょうか?それと似たようなものです。
冤罪事件を見ていけば見ていくほど、冤罪は検察や裁判官の「ミス」という生ぬるいものではなく、むしろ確信犯的犯罪に等しいのではないかという気持ちが強くなります。
検察は菅谷さんを17年間地獄のような状態に陥れた犯人なのですから、早期釈放は当たり前、むしろ、こういう自体におとしいれた罪がいささかでも薄まることがあってはなりません。
うがった見方かもしれませんが、裁判員裁判を意識して、検察の点数アップのパフォーマンスの側面もあるのではないでしょうか。
そして最大の責任はDNA鑑定を命じなかった裁判所にあること、また、足利においてもやはり問題の一番の本質は、「警察の自白強要と裁判所の自白偏重」であることを確認しておきたいと思います。
今回の事実上の再審開始が今後の刑事裁判、特に裁判員裁判にどのような影響を与えることになるのでしょう。
'80年代に立て続けに4件死刑再審無罪が出たとき、検察では「何故このように再審が頻発したのか」の総括がなされたそうです。
そこででてきたのは「証拠開示に応じすぎてたくさん証拠を出しすぎてしまったのがいけなかった」という驚くべき「反省」でした!
そしてその後再審は冬の時代を迎えるのです。
足利事件が日本の冤罪構造を崩す一端となるのか、あるいは、司法の威厳を保とうと検察の巻き返し、裁判所の引き締めと繋がっていくのかどうか。
そして裁判員制度が再審の扉にどのように作用するのか・・(どちらかと言えば不安要素の方がたくさんあります。)
Ⅱ. 次に、足利事件で注目を集めたDNA鑑定についてですが、最初の鑑定はMCT118という鑑定方法で、今回の再審開始(は間違いないでしょう)のきっかけとなる再鑑定はそれよりも進んだ新しい鑑定方法です。
検察は自らが申請した鑑定でDNA不一致の結果が出たので受け入れざるをえませんでしたが、弁護側は新鑑定のみならず、最初のMCT118でも実験した結果、DNAが一致しなかったという主張を行っています。
果たして検察は弁護側のこの主張を受け入れるでしょうか?
これを受け入れると言うことは、かつてDNA鑑定で有罪とされ、冤罪を叫ぶ事件について少なからず影響を及ぼすでしょう。
弁護団長の佐藤弁護士の長いインタビュー記事がありますのでリンクを貼っておきます。是非お読み下さい。
http://allatanys.jp/B001/UGC020006020090508COK00288.html
ここから一部を抜粋したいと思います。
現在科警研の鑑定は証拠を全量消費してしまうことが多いそうです。これは後の再鑑定を不可能にしてしまうもので、大変問題です。
DNA鑑定はごく少量で行うことが可能であるにかかわらず、飯塚事件では全量消費された、という話を聞いたことがあります。
もし何らかの方法で飯塚事件が冤罪であることが証明されたら、一体誰がどう償えばよいのでしょうか。
死刑執行の判を押した当時の森法相はどう責任を取るのでしょうか。
死刑を廃止すべきと主張する私達が最も恐れるべき事がおこった可能性が高いです。
足利事件と飯塚事件の弁護団には是非とも協力し合って、飯塚事件の真相を今一度明らかにしてくださることを望んでいます。
それは必ず死刑廃止を実現する決定的な一歩になるはずです。
Ⅰ. まず、検察が、新しいDNA鑑定の結果を受け売れ、異例の早期釈放したことにつき、高い評価をする向きもあるようですが、私は殊更これを評価するのは、マッチポンプのポンプの部分だけ評価しているようなものだと思います。
もし北朝鮮が拉致被害者を解放したら、それを英断として褒め称えるでしょうか?それと似たようなものです。
冤罪事件を見ていけば見ていくほど、冤罪は検察や裁判官の「ミス」という生ぬるいものではなく、むしろ確信犯的犯罪に等しいのではないかという気持ちが強くなります。
検察は菅谷さんを17年間地獄のような状態に陥れた犯人なのですから、早期釈放は当たり前、むしろ、こういう自体におとしいれた罪がいささかでも薄まることがあってはなりません。
うがった見方かもしれませんが、裁判員裁判を意識して、検察の点数アップのパフォーマンスの側面もあるのではないでしょうか。
そして最大の責任はDNA鑑定を命じなかった裁判所にあること、また、足利においてもやはり問題の一番の本質は、「警察の自白強要と裁判所の自白偏重」であることを確認しておきたいと思います。
今回の事実上の再審開始が今後の刑事裁判、特に裁判員裁判にどのような影響を与えることになるのでしょう。
'80年代に立て続けに4件死刑再審無罪が出たとき、検察では「何故このように再審が頻発したのか」の総括がなされたそうです。
そこででてきたのは「証拠開示に応じすぎてたくさん証拠を出しすぎてしまったのがいけなかった」という驚くべき「反省」でした!
そしてその後再審は冬の時代を迎えるのです。
足利事件が日本の冤罪構造を崩す一端となるのか、あるいは、司法の威厳を保とうと検察の巻き返し、裁判所の引き締めと繋がっていくのかどうか。
そして裁判員制度が再審の扉にどのように作用するのか・・(どちらかと言えば不安要素の方がたくさんあります。)
Ⅱ. 次に、足利事件で注目を集めたDNA鑑定についてですが、最初の鑑定はMCT118という鑑定方法で、今回の再審開始(は間違いないでしょう)のきっかけとなる再鑑定はそれよりも進んだ新しい鑑定方法です。
検察は自らが申請した鑑定でDNA不一致の結果が出たので受け入れざるをえませんでしたが、弁護側は新鑑定のみならず、最初のMCT118でも実験した結果、DNAが一致しなかったという主張を行っています。
果たして検察は弁護側のこの主張を受け入れるでしょうか?
これを受け入れると言うことは、かつてDNA鑑定で有罪とされ、冤罪を叫ぶ事件について少なからず影響を及ぼすでしょう。
弁護団長の佐藤弁護士の長いインタビュー記事がありますのでリンクを貼っておきます。是非お読み下さい。
http://allatanys.jp/B001/UGC020006020090508COK00288.html
ここから一部を抜粋したいと思います。
(引用開始)
たとえば、足利事件と並んでDNA鑑定が重要な証拠になった事件として「飯塚事件」があります。私は弁護人ではありませんので、詳しくは知りませんが、同じDNA鑑定が問題になったこと、しかも飯塚事件のDNA鑑定も足利と同じMCT118法で、同じ16-26と鑑定されたことから、私たちは「東の足利、西の飯塚」と呼んで、協力しながら弁護活動に従事してきました。
飯塚事件は被害幼女が2名だったこともあって、有罪とされた久間三千年さんに言い渡された判決は死刑でした。私が衝撃を受けたのは、久間さんが2008年10月28日、死刑を執行されたことです。飯塚事件の死刑確定は06年9月で、その2年前のことです。死刑の執行が判決確定後どのくらいでなされるものなのか分かりませんが、明らかに早い執行だったことは疑う余地がありません。再審請求の準備をしていた弁護団は、実際に再審請求しなかったために執行されてしまったと落胆していると聞きます。もしも飯塚事件のDNA鑑定も間違っていて、久間さんが無実だったとしたら、一体どうするのでしょうか。
また、久間さんの死刑執行が、足利事件で検察官の意見書が提出された2008年10月だったことをどのように考えたらいいのでしょうか。飯塚事件で死刑執行の書面を書いている検察官と、足利事件でDNA再鑑定の書面を書いている検察官が、ほぼ同じ時期に霞ヶ関の法務省と検察庁の2つの建物の中にいたのです(引用ここまで、下線は私)
現在科警研の鑑定は証拠を全量消費してしまうことが多いそうです。これは後の再鑑定を不可能にしてしまうもので、大変問題です。
DNA鑑定はごく少量で行うことが可能であるにかかわらず、飯塚事件では全量消費された、という話を聞いたことがあります。
もし何らかの方法で飯塚事件が冤罪であることが証明されたら、一体誰がどう償えばよいのでしょうか。
死刑執行の判を押した当時の森法相はどう責任を取るのでしょうか。
死刑を廃止すべきと主張する私達が最も恐れるべき事がおこった可能性が高いです。
足利事件と飯塚事件の弁護団には是非とも協力し合って、飯塚事件の真相を今一度明らかにしてくださることを望んでいます。
それは必ず死刑廃止を実現する決定的な一歩になるはずです。
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