マスコミの凋落
- 2009/05/17
- 16:59
と、ある弁護士が嘆いていたのを聞いたことがあります。
裁判員制度は既に今月21日に迫ってるにもかかわらず、全く制度について勉強しないまま取材に来る記者がいて話にならないそうです。
先日の小沢さんの辞任記者会見でも、「説明責任は果たしたのか」と判で押したようなくだらない質問を繰り返す記者がいました。
新型インフルエンザの過剰報道を見てもマスコミ質の低下が伺えます。
これについて痛快に切ってるエントリーがありましたのでお持ち帰り。とてもわかりやすく書いていらっしゃるので是非リンク先をお読み下さい。
sagures1さんのブログ<ココに地果て、海始まる >より
◆おい!!マスコミ!!しっかりしろよ!!新型インフルエンザの報道は独自にでも出来るだろ!!それに疑問点も提示してこそ、社会の公器であるといえるのだろうか!?(Part1)
◆おい!!マスコミ!!しっかりしろよ!!新型インフルエンザの報道は独自にでも出来るだろ!!それに疑問点も提示してこそ、社会の公器であるといえるのだろうか!?(Part2)
(引用開始)
新型インフルエンザの致死率は0.4%なんだぞ~~~!!】というのは、間違い。メキシコでは、【0.4%】だが、アメリカでいえば、【0.1%】にとどまっている。つまり、医療機関の充実度と、薬の購入が容易であるかどうかという事がこの差に出てくる。
また、国内感染者が出る事は、初めから分かっていた事。それは、大航海時代でもあるまいし、航空機が飛び交い、人がこれだけ移動するのであるから、【水際】で防ぐ事等不可能であるという事。
これは、新聞社でも認めている事である。
(中略)
つまり、新聞各紙は【水際対策】では万全で無い事を知っていた事、あるいは、疑問があった事、ある事という事。
しかし、厚生労働省の行う、【水際対策】に関して、全ての報道が、新型インフルエンザの危険性を報道し、【水際対策】で日本は対抗しているという事のみを報道していた。
また、【水際対策】での検疫を行う中で、【A型の陽性反応】という事で、大袈裟に報道し、結果としては、【A香港型】・【Aソ連型】という事なのに、まるで、犯人扱いのような報道を行っていた。さらに、大阪の府立高校の生徒と教師が【新型インフルエンザ】に感染という報道を行い、【マスクの徹底がなされていなかった】という報道に至り、ネット上や、実際に大阪府・寝屋川市・教育委員会・学校に脅迫まがいの【責任をとれ】というような実行にも至ると言う馬鹿らしい事が行われ、かつてのHIVの感染者に対する偏見や差別が助長されたという事実から何もメディアは学んでいないとしか考えられない状況に至っている。
それなのに、【やはり(水際対策には)限界があった。】という事を今になっているのは、メディアの【社会の公器】としての自覚はあるのか???という疑念を持たざるを得ない。
(中略)
つまり、【水際対策】で出来ない事があるという事を国民に知らせる役割を厚生労働省・マスコミは持ちながら、行使していなかったという事。これに関しては、厚生労働省は、不手際であると言えるし、マスコミに関しては、【水際対策】への疑問を呈した上で、冷静に対処する事が重要であるという安心対策までを含んだ記事を掲載すべきであったと考える。
(中略)
このような事態になるのは、初めから分かっていた事。それを大袈裟に報道し、考える必要は無い。
(引用終了)
マスコミはどのような視点に立った報道をすべきだっのか、的確な指摘になるほど、と思いました。
sagures1さんありがとうございました。
大阪の府立高校の生徒と教師が【新型インフルエンザ】に感染という報道を行い、【マスクの徹底がなされていなかった】という報道に至り、ネット上や、実際に大阪府・寝屋川市・教育委員会・学校に脅迫まがいの【責任をとれ】というような実行にも至ると言う馬鹿らしい事が行われ、かつてのHIVの感染者に対する偏見や差別が助長されたという事実から何もメディアは学んでいないとしか考えられない状況に至っている。
という通り、マスコミは何をどう報道すべきなのか、マスコミの社会的使命の自覚に欠けていると感じます。
例えば政治に関してマスコミに求められる役目は「権力の監視、批判」ですが、一応批判めいたことはするものの、権力側に不都合な事は要所要所で素知らぬ顔したりツッコミが非常に甘かったりします。
また、現場に行くより、権力との癒着の温床と批判の多い記者クラブからの情報を垂れ流すことが多くなったと聞きます。
(かつてイラク人質事件の時、マスコミは人質になったジャーナリストの郡山さんを擁護するどころか「危険なところに出かけていった自分が悪い」という自己責任論にのっかった形でした。
危険を冒しても現場に出かけて直接取材することは報道にとって生命といえるのに、気骨ある同胞を庇わなかったのです。)
今回の新型ウィルス流行のような事態に関しては、ただでさえパニックに陥りやすいから国民が冷静にベストな対処が出来るように正確な情報を届けることがマスコミの役目かと思います。
しかし情報は無数に存在しますから、実際には取捨選択しなくてはなりません。どんな情報をどう選んで伝えるか、それが肝心、マスコミの腕の見せ所です。
ところがマスコミは、結果的に陰性だった人々もまるで犯人扱いのような報道をし、大阪の高校の生徒と教師についてはマスクをしてなかったことをことさら取り上げ、それが原因であるかのような印象を与えました。それが先日の記事のようなバッシングの一因となったのは間違いないでしょう。
エイズの時もこうした誤解と偏見を助長するような報道を行ったのに、反省がまるでありません。
こうしてエントリーを書いてる間にも「感染者は○○人になった」という報道が流れています。
果たして、何人発症したということばかりニュース速報のテロップで流し続けることが、国民の冷静な対処を促すのにふさわしい報道かどうか。
新型でなくてもインフルエンザは感染者が増えてくるのはわかりきったことなのに、それをセンセーショナルに強調することは不安を煽ってるだけということに気付かないようです。
なんにつけセンセーショナルなほうが大衆にはウケがいい。その商業主義が身に染みついてしまったのでしょうか。
推定無罪の原則をフル無視して被疑者を真犯人扱いする相変わらずの犯罪報道を見ても、マスコミは失敗から学ばない、学ぶ気がないとしか思えないのです。
何故マスコミがこう堕落してしまったのか、構造的な原因は何なのか、また別の機会にじっくり取り組んでみたいと考えています。
ちなみに、イギリス在住の私の友人に聞いてみたところ、「こちらでは各学校へビデオ配布して予防策を呼びかけるなどかなり冷静、大騒ぎにはなっていない」とのことでした。
大騒ぎしてバッシングすることと、注意を喚起し予防を心掛けるよう働きかけることとは違います。
世界の中でも先進医療を誇る日本ですが、冷静な対処が出来ないというのはそれだけ非科学的な人間が多い、ということが言えると思います。
(なるほど、似非科学の歴史修正主義が流行るわけですね・・)
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