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ぞっとする「正義の鉄槌」
ぞっとする「正義の鉄槌」
上記のタイトルで記事を転載させてもらいました。
ちなみに私は、死刑制度存置派です。
上記のタイトルで記事を転載させてもらいました。
ちなみに私は、死刑制度存置派です。
記事の転載について
ぞっとする「正義の鉄槌」
上記のタイトルで記事を転載させてもらいました。
私は、死刑についての論議を高める必要があると思い、ブログでそれを試行しています。私は、死刑制度に賛成です。
ブログ⇒人道外れる死刑制度 - 人の痛み、我が身重ねよ・・・
http://tokinokaze-nishimizu.blog.so-net.ne.jp/
上記のタイトルで記事を転載させてもらいました。
私は、死刑についての論議を高める必要があると思い、ブログでそれを試行しています。私は、死刑制度に賛成です。
ブログ⇒人道外れる死刑制度 - 人の痛み、我が身重ねよ・・・
http://tokinokaze-nishimizu.blog.so-net.ne.jp/
日本において、死刑制度の廃止は
「国民には、恣に人を殺す権利がある」という宣言に他ならない。
死刑に犯罪抑止効果は無いが、死刑廃止には犯罪奨励効果がある。
「国民には、恣に人を殺す権利がある」という宣言に他ならない。
死刑に犯罪抑止効果は無いが、死刑廃止には犯罪奨励効果がある。
反論
私は、戦争も死刑も『野蛮な国家の殺人行為』である、と捉えていました。いかなる理由があっても『殺人』という行為は到底、許容できませんでした。
しかし、20代後半、家族を養うために司法の現場に携わり、塀の中の住人を目の当たりにしたとき、世の中には2種類の人間が存在することを知りました。我々の『尺度』で彼らを捉えることは大きな間違いであると気付いたのです。
彼らは、私や貴殿など一般社会の人々と著しく乖離した思考の持ち主です。
貴殿の言う通り、たとえ、刑法を厳罰化し、死刑制度を強化したところで、彼らの犯罪の抑止力としてはあまり効果が期待できないと思います。(多少の効果がありますが)
私が『死刑制度存置派』に変節しました理由を述べます。
貴殿は、犯罪被害者や遺族の心境をまったく理解されていません。私は現在、ある本の執筆のため、数人の犯罪被害者や遺族の方々の取材をしていますが、殆どの被害者遺族の方々は、同害応報感情として犯人の死刑早期執行執行を強く求めています。また、犯罪被害者や遺族に限らず、凶悪犯罪の態様、残忍な犯行の手口を知れば、正常の思考を持っている人間だったならば、『感情的』な意見を述べることは当然の行為であり説得力があります。身内や恋人・友人などかけがえのない人が、無残に殺されても冷静沈着にいられるでしょうか?
また、私どもの職業に就いている者も、その犯行の残虐性に犯人に対し、どうしょうもない怒りで頭が真っ白になり、とても貴殿のような綺麗事など考えることはできません。同じ人間として、冷酷無慈悲な犯人を到底、許せません。
このことは、実際に経験した者でなければわからないので、貴殿にいくら説明しても仕方ありませんが。
むしろ、『凶悪事件が発生してナンボ』の悪徳人権弁護士たちの理路整然としたブログ記事に『商売』根性が滲み出ています。
話はやや横道に反れましたが、死刑制度は抑止力よりも、むしろ、更生不可能な凶悪殺人犯を再び社会に釈放することは、また、理不尽にも新たな犯罪被害者を出してしまうため、社会正義上、その予防措置としての存在意義があります。
一般市民の生命・財産を守るという観点から死刑制度も必要であるのです。
強盗・強姦殺人事件で服役中の無期懲役の受刑者が仮釈放中に再度、同様な事件を犯して収監されるケースを、度々、私は見聞してきました。
それでも、貴殿はあくまでも『死刑制度廃止』に賛成であり、凶悪犯罪者の更生・社会復帰を選択されるのでしたら、お願いがあります。
私の知人に矯正業務に携わる者がおります。彼は、無期懲役などの凶悪犯罪者たちの仮釈放に関わる業務に就いていますが、現在、凶悪犯罪者たちの仮釈放に許可が必要な身元引受人を捜すのに苦労しています。
そこで是非、死刑制度反対の人権派の貴殿に『仮釈放者の身元引き受け人』になっていただき、貴殿の理論が正しいことを実践で証明してほしいのです。
崇高な理論を実践で証明してください。実践がなければ証明できません。証明できなければ貴殿の意見は信用されません。是非、お願いいたします。連絡をお待ちしています。
しかし、20代後半、家族を養うために司法の現場に携わり、塀の中の住人を目の当たりにしたとき、世の中には2種類の人間が存在することを知りました。我々の『尺度』で彼らを捉えることは大きな間違いであると気付いたのです。
彼らは、私や貴殿など一般社会の人々と著しく乖離した思考の持ち主です。
貴殿の言う通り、たとえ、刑法を厳罰化し、死刑制度を強化したところで、彼らの犯罪の抑止力としてはあまり効果が期待できないと思います。(多少の効果がありますが)
私が『死刑制度存置派』に変節しました理由を述べます。
貴殿は、犯罪被害者や遺族の心境をまったく理解されていません。私は現在、ある本の執筆のため、数人の犯罪被害者や遺族の方々の取材をしていますが、殆どの被害者遺族の方々は、同害応報感情として犯人の死刑早期執行執行を強く求めています。また、犯罪被害者や遺族に限らず、凶悪犯罪の態様、残忍な犯行の手口を知れば、正常の思考を持っている人間だったならば、『感情的』な意見を述べることは当然の行為であり説得力があります。身内や恋人・友人などかけがえのない人が、無残に殺されても冷静沈着にいられるでしょうか?
また、私どもの職業に就いている者も、その犯行の残虐性に犯人に対し、どうしょうもない怒りで頭が真っ白になり、とても貴殿のような綺麗事など考えることはできません。同じ人間として、冷酷無慈悲な犯人を到底、許せません。
このことは、実際に経験した者でなければわからないので、貴殿にいくら説明しても仕方ありませんが。
むしろ、『凶悪事件が発生してナンボ』の悪徳人権弁護士たちの理路整然としたブログ記事に『商売』根性が滲み出ています。
話はやや横道に反れましたが、死刑制度は抑止力よりも、むしろ、更生不可能な凶悪殺人犯を再び社会に釈放することは、また、理不尽にも新たな犯罪被害者を出してしまうため、社会正義上、その予防措置としての存在意義があります。
一般市民の生命・財産を守るという観点から死刑制度も必要であるのです。
強盗・強姦殺人事件で服役中の無期懲役の受刑者が仮釈放中に再度、同様な事件を犯して収監されるケースを、度々、私は見聞してきました。
それでも、貴殿はあくまでも『死刑制度廃止』に賛成であり、凶悪犯罪者の更生・社会復帰を選択されるのでしたら、お願いがあります。
私の知人に矯正業務に携わる者がおります。彼は、無期懲役などの凶悪犯罪者たちの仮釈放に関わる業務に就いていますが、現在、凶悪犯罪者たちの仮釈放に許可が必要な身元引受人を捜すのに苦労しています。
そこで是非、死刑制度反対の人権派の貴殿に『仮釈放者の身元引き受け人』になっていただき、貴殿の理論が正しいことを実践で証明してほしいのです。
崇高な理論を実践で証明してください。実践がなければ証明できません。証明できなければ貴殿の意見は信用されません。是非、お願いいたします。連絡をお待ちしています。
>さすらいの口笛 様
はじめまして、青い鳥と言います。 わたしも、貴殿のお気持ちはよく理解できます。犯罪被害者ご本人や、ご遺族の無念や怒りの感情は察するに余りあります。 当エントリーの名古屋での殺人事件の署名にわたし自身、名を連ねましたし、もしわたし自身の娘が同様な悲惨な殺され方をされたのであったなら、わたしは犯人を許すことは出来ず、自らの手で復讐に向かうでしょう。すなわち、わたしの大嫌いな日本という国家に殺人を代行されたくないからです。娘が味わった恐怖と激痛を憎き犯人に同じく味あわせるべく、わたしの手で殺すでしょう。 わたしは民主国家が死刑制度を持つべきではないとの考えに最近、ようやく思いに至ったようですけど、正直、峻巡しています。ただ、これだけは言えます。 司法に感情を持ち込んではならないと強く思うのです。 あと大切なのは、いくら凶悪な犯罪者であっても弁護される権利はあります。 貴殿は“人権弁護士”と揶揄を込めて表現されましたが、わたしはこれには組みできません。貴殿が具体的にどの様な形で司法にお関わりであるかは存じ上げませんが、やはり司法に感情は持ち込んではならないと思います。 犯罪を未然に防ぐ努力を社会が怠ってはならないという視座も大切でしょうね。 14年連続で自殺者数が三万人を超える現在の日本社会は、とてもではありませんが、正常とは言えません。と同時に、凶悪犯罪の温床になっているとも言えますね。 冤罪の問題や、犯罪時点での犯罪者の精神状態等に関する精緻な検証なども充分に斟酌する必要がありますね。
あとひとつ、貴殿のご意見で気にかかった点があります。
>死刑制度反対の人権派の貴殿に『仮釈放者の身元引き受け人』になっていただき、貴殿の理論が正しいことを実践で証明してほしいのです。
これは、死刑制度存続の是非を論じる議論とは、次元が違うでしょう。 貴殿の論法は、故丸山真男氏が、『現実に、戦争に反対していても戦争を阻止できなかった日本共産党にも戦争責任は在る。』 とした論に似ている、言いがかりみたいなものの様に、わたしには思えてなりません。
先般、フランスの方々が“死刑制度廃止”の国際世論喚起のために日本へも行脚なされたと伺いましたが、死刑制度廃止は国際的潮流ではなかろうかと思います。民主国家が未だに死刑制度を存続していることは、国家による殺人を認めている様で前近代的で野蛮であると感じます。先に述べましたが、わたしの愛娘が理不尽な殺され方をされたならば、わたし自身の手で復讐しますが、国家権力による死刑は、断固、拒否します。 特に日本国によるものは…。
あとひとつ、貴殿のご意見で気にかかった点があります。
>死刑制度反対の人権派の貴殿に『仮釈放者の身元引き受け人』になっていただき、貴殿の理論が正しいことを実践で証明してほしいのです。
これは、死刑制度存続の是非を論じる議論とは、次元が違うでしょう。 貴殿の論法は、故丸山真男氏が、『現実に、戦争に反対していても戦争を阻止できなかった日本共産党にも戦争責任は在る。』 とした論に似ている、言いがかりみたいなものの様に、わたしには思えてなりません。
先般、フランスの方々が“死刑制度廃止”の国際世論喚起のために日本へも行脚なされたと伺いましたが、死刑制度廃止は国際的潮流ではなかろうかと思います。民主国家が未だに死刑制度を存続していることは、国家による殺人を認めている様で前近代的で野蛮であると感じます。先に述べましたが、わたしの愛娘が理不尽な殺され方をされたならば、わたし自身の手で復讐しますが、国家権力による死刑は、断固、拒否します。 特に日本国によるものは…。
終身刑なら?
さすらいの口笛さま
秋原さんのエントリーには,時々死刑に関するものがあり,今までいろいろ拝読し,その度に私も青い鳥さんと同じように悩み考えました。
今のところ,私に言えることは3つくらいあります。
*国家が,殺人という犯罪を犯してはならない
*個々の事件を1つ1つ取り上げて死刑の是非を考えると,死刑廃止に関して,とても悩むしとても迷うことになる
*死刑廃止の根拠として,古くから言われている大きなものには2つあり,
1. 死刑は,犯罪抑止力にならない。
2. 人間は過ちを犯すものであるから,冤罪の発生(裁判官の判断ミス)は決してゼロにはならないと言える。
このうち,2.だけでも, やはり死刑は止めた方がいいのではないかと言えるのではないかということです。
最近は,冤罪なのに死刑に至ったと思えるようなことが,後でわかったようですし
(→http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1069.html),
また警察の取り調べには冤罪を生む土壌があることを否定できないような事件も起こっています(脅迫状をPCで送ったと疑われて取り調べを受けた人たちが,実は冤罪なのになぜか自白し,その後真犯人が声明文を出した事件)。
冤罪なのに死刑にした場合,取り返しがつきません。その発生を完全に否定できないなら,やっぱり人の命を奪う刑罰は,まずいのではないかと言えると思います。
ただ,あなたが経験されているようなことはほとんどの人は経験しておらず,経験に基づく納得は重く,それはそれだけで「真」なので,そこについては,それと逆の経験をしたわけではない私には,何も申せません。でも
>更生不可能な凶悪殺人犯を再び社会に釈放することは、また、理不尽にも新たな犯罪被害者を出してしまうため、社会正義上、
>その予防措置としての存在意義があります。
この部分のご意見については,もし最高刑が「無期懲役」ではなく「終身刑」であれば,あなたの言われる『再生不可能な,二種類ある人間のうちのどうしようもない側の人間(=死刑に値するような凶悪犯罪を犯した人間)』の釈放は一生ないわけですから,死刑を存続しなくてもよくなるのではないですか?
私は(他国で見られるような)終身刑のほか、例えば「懲役120年」のような,とても犯人が生きられる長さではない時間を懲役に費やすのが適正であるとの判決を出すことも,例えば被害者遺族の感情面にとっては無駄ではなく,荒唐無稽でもないのではないかと思ったりもするのですが…。
秋原さんのエントリーには,時々死刑に関するものがあり,今までいろいろ拝読し,その度に私も青い鳥さんと同じように悩み考えました。
今のところ,私に言えることは3つくらいあります。
*国家が,殺人という犯罪を犯してはならない
*個々の事件を1つ1つ取り上げて死刑の是非を考えると,死刑廃止に関して,とても悩むしとても迷うことになる
*死刑廃止の根拠として,古くから言われている大きなものには2つあり,
1. 死刑は,犯罪抑止力にならない。
2. 人間は過ちを犯すものであるから,冤罪の発生(裁判官の判断ミス)は決してゼロにはならないと言える。
このうち,2.だけでも, やはり死刑は止めた方がいいのではないかと言えるのではないかということです。
最近は,冤罪なのに死刑に至ったと思えるようなことが,後でわかったようですし
(→http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1069.html),
また警察の取り調べには冤罪を生む土壌があることを否定できないような事件も起こっています(脅迫状をPCで送ったと疑われて取り調べを受けた人たちが,実は冤罪なのになぜか自白し,その後真犯人が声明文を出した事件)。
冤罪なのに死刑にした場合,取り返しがつきません。その発生を完全に否定できないなら,やっぱり人の命を奪う刑罰は,まずいのではないかと言えると思います。
ただ,あなたが経験されているようなことはほとんどの人は経験しておらず,経験に基づく納得は重く,それはそれだけで「真」なので,そこについては,それと逆の経験をしたわけではない私には,何も申せません。でも
>更生不可能な凶悪殺人犯を再び社会に釈放することは、また、理不尽にも新たな犯罪被害者を出してしまうため、社会正義上、
>その予防措置としての存在意義があります。
この部分のご意見については,もし最高刑が「無期懲役」ではなく「終身刑」であれば,あなたの言われる『再生不可能な,二種類ある人間のうちのどうしようもない側の人間(=死刑に値するような凶悪犯罪を犯した人間)』の釈放は一生ないわけですから,死刑を存続しなくてもよくなるのではないですか?
私は(他国で見られるような)終身刑のほか、例えば「懲役120年」のような,とても犯人が生きられる長さではない時間を懲役に費やすのが適正であるとの判決を出すことも,例えば被害者遺族の感情面にとっては無駄ではなく,荒唐無稽でもないのではないかと思ったりもするのですが…。
死刑制度存廃問題に思う
“死刑制度廃止”には、相当に重い覚悟が要る様に思われます。自分の周りの大切な人間が、理不尽極まる殺され方をした場合に、自分の手で復讐すると、先のコメントに記しましたが、法治国家である以上、“仇討ち”なる前近代的犯罪は許される筈なきことなぞ百も承知です。が、しかし、わたしの全き個人的な感情のコントロール・抑制が出来るか否かを想像すれば、犯人を許す程には、わたし自身、人間が出来てない凡夫に過ぎません。 人間の命の重さや尊厳などを考えた場合、犯罪被害者も犯罪者も等しくあるということも事実でしょう。秋原葉月さんや村野瀬玲奈さん・小野哲さんのブログで、死刑制度を取り巻くことについて色々と勉強させて頂き、死刑制度の非民主性や野蛮な制度であることや、民主国家には相応しくないものであること、日本国が国際的人権関連機関から諸々の勧告を受けている事実をお教え頂きますと、死刑制度は廃止すべきと考えます。また一方で、>さすらいの口笛さんからの様なご指摘(被害者感情)に触れると、揺らいでしまう自分が存在するのも事実です。正直、死刑制度廃止しなければならないという確固たる信念にまでは至っていません。 死刑制度廃止には、自分の感情を抑制或いはコントロールする覚悟といいますか、克己が必要だと思います。 法治国家である以上、司法に感情は持ち込んではならないと思います。また、弁護士の職務は、どんなに極悪非道な被告人であろうが、精緻な証拠や科学的見地に拠る精神鑑定等に基づき裁判で適切な量刑を受けさせる任務があることも忘れてはなりません。人権弁護士の金儲け・売名行為という表現は避けたいものです。 死刑制度存廃問題を総選挙の争点にし、国民的議論を重ねる必要性がありはしないかと思うのです。
聞いた事がありません
>死刑廃止には犯罪奨励効果がある。
聞いた事がありません。逆に「死刑になりたかった」といって殺人を犯した犯罪者なら日本で何度か見ましたが…その点から考えるとむしろ「死刑」が犯罪を奨励しているのでは?
以下の点を考えて頂きたいのです。
●人間にとって「死」が一番苦しい事ではない。「死」が最も苦しい事なら「自死」する人はいない筈
●「死刑」は「罰」であり「罰」は悲しみも苦しみも生まれてしまった後の「後処理」にすぎない。決して悲しみと苦しみを消す魔法ではない。
●「罰」の目的は「加害者の心からの反省と謝罪」の為のもの。「罰を与える事」が目的になってはならない
私は「死刑廃止派」の方がある意味で残酷かもしれない、と思うのです。
「死という救いを与えてどうする!」と言っている側面もあるからです。
元死刑執行人の方で「死刑廃止派」の方がおっしゃっていたのです。
「死刑の瞬間にその犯罪者のすべてが許されるかのようになるのが許せない」と。
聞いた事がありません。逆に「死刑になりたかった」といって殺人を犯した犯罪者なら日本で何度か見ましたが…その点から考えるとむしろ「死刑」が犯罪を奨励しているのでは?
以下の点を考えて頂きたいのです。
●人間にとって「死」が一番苦しい事ではない。「死」が最も苦しい事なら「自死」する人はいない筈
●「死刑」は「罰」であり「罰」は悲しみも苦しみも生まれてしまった後の「後処理」にすぎない。決して悲しみと苦しみを消す魔法ではない。
●「罰」の目的は「加害者の心からの反省と謝罪」の為のもの。「罰を与える事」が目的になってはならない
私は「死刑廃止派」の方がある意味で残酷かもしれない、と思うのです。
「死という救いを与えてどうする!」と言っている側面もあるからです。
元死刑執行人の方で「死刑廃止派」の方がおっしゃっていたのです。
「死刑の瞬間にその犯罪者のすべてが許されるかのようになるのが許せない」と。