映画「否定と肯定」(原題 denial)を見て感想をつれづれに(2)
- 2017/12/16
- 18:00
前のエントリーの続きです。
この映画を見て、一番に思ったことは、
「レイシストが過去の国家犯罪を正当化するために歴史的事実を歪曲するのは許さない、という実に当たり前な常識が、当たり前のように社会に共有されてるって、本当にうらやましいな」
ということでした
映画の最後のシーンで、判決後テレビ出演したアーヴィングは、判決をよく読めば私の説は認められているなどと色々往生際の悪い御託をまくし立てますが、司会者はそれには全く触れず、こう聞き返します
「あなたは今後、否定論者であることをやめますか?」
つまり、欧米のメディアは、もう歴史修正主義者の主張は聞くに値する見解として取り扱わないと表明したのです。
今では、「歴史修正主義は許されない。彼らとの議論の余地はない」というのは、国際社会の常識です。
但し日本を除いて。
まるで80年前に国際連合を脱退したときの大日本帝国のように、日本は国際社会からの非難が高まれば高まるほど、意固地になって歴史修正主義と反人権的態度を強化していっています。とうとう慰安婦問題だけでは飽きたらず、南京大虐殺でも否定論を世界に向けて発信強化したいみたいですね
●「南京戦の真実を追求する会」が集会 稲田朋美元防衛相らが講演「いわれなき非難に断固反論する」
http://www.sankei.com/politics/news/171214/plt1712140010-n1.html
80年前に旧日本軍が当時の中国の首都・南京を攻略した13日、「南京戦の真実を追求する会」(阿羅健一会長)が東京都内で南京攻略戦をテーマに集会を開き、日本をおとしめる中国の政治宣伝に対抗していく上で「外務省による南京事件既成事実化は看過できない」と訴えた。
集会では自民党の稲田朋美元防衛相、山田宏参院議員、希望の党の松原仁元拉致問題担当相が講演し、それぞれ政府による対外発信の強化を提唱した。
稲田氏は「日本の名誉を守るとは、いわれなき非難や事実と違うことに断固として反論することだ」と述べ、「国益を守ることに政治家としての軸足を置いていきたい」と語った。山田氏は「内閣に歴史情報室を作って、(中国が南京事件の証拠だとする)資料の一つ一つに反証すべきだ」と主張した。
松原氏も中国との情報戦に打ち勝つため、政府が相応の資金と人材を投じるべきだと訴えた。
はぁぁ・・・。
いくらこんな事をしても無駄。同調してくれる国など一つもなく、逆効果でしかありません。。
この調子だと、日本の歴史修正主義、反人権的態度に反発して慰安婦像が海外のあちこちで建てられたように、「南京大虐殺記念日」が広まるかもしれませんね。既にカナダではそう言う法案が出ています。
最初から100%負け戦だとわかってるのに、それでもこういう「歴史戦」(と彼らは称しています)をしかけるのは、国内の一定の層にウケがよいので彼らに向けてアピールするためではないかと以前書きました
つまり、残念なことに、レイシズムや歴史修正主義は国内においては一定の潜在的なニーズがある、ということです。歴史修正主義はもはや海外では一切相手にされませんが、日本国内でならまだ快適に生息できるのです
●「差別マーケティング」あるいは「歴史改ざんマーケティング」(ブログ・みんなどこか変わってるから大丈夫)
http://d.hatena.ne.jp/mzponta/20171214/p1
(引用開始)
みなさんは、政治家が差別発言(や歴史改ざん発言)をするのはなぜか? …って考えたことあります?
「そら、もともとそういう人やったからやろ」って?
はい、もちろん、そういう場合がほとんどだと、ぼくも思ってます
(略)
ところが、日本では…と言いつつ、それは他の国でもチラホラいるようですけど
差別心とか歴史改ざんを有権者に対するウリにしてる政治家がいてまして
そういう人は差別や歴史改ざん発言でがウケて政治家という地位を手に入れたと思ってるので
そういう発言をいつまでたってもやめない…どころか
定期的かつ積極的に差別発言や歴史改ざん発言を繰り返すもんです
なぜなら、これは一種の(政治家としての)「マーケティング」のようなもので
自分の発言に対して批判があっても、それは自分を支持してくれてる人からの批判じゃない…し
かえって、今まで自分を支持してくれてた人は差別発言や歴史改ざん発言に共感してくれて
よりいっそう自分を支持してくれるはず…という「計算」のもとで
批判なんて痛くもかゆくもない…と高をくくってるんですね
(例えば、かつての石原慎太郎くんなんかが、その典型ね…)
こういうマーケティングがそれなりに成功するのは、言うまでもなく
「自分の言いたいことを政治家が代弁してくれた」…と、
差別発言や歴史改ざん発言に共感する人が少なからずいるから…でありまして
これは「そういう政治家」だけが悪い…でお終いにできる話ではないのが
悲しく、かつ、腹立たしいところです
(略)
差別マーケティング」や「歴史改ざんマーケティング」をしてる政治家をはじめ
そうではない「無意識差別派」の政治家も、
いずれも、その差別発言で政治家として「実害」(=票の減少)を被ることは(ほとんど)ないわけでありまして
こういう社会的状況こそが彼らを生んでる…ということになってるので
日本もええ加減に「(政治家の)差別に寛容な社会」から脱皮して
政治家に限らず、差別(発言)をするような人に対しては
きっちりとその代償を支払わせるべきであると強く思います
(引用ここまで)
「国民は、その国民と同じレベルの政治家しか持てない」という言葉が思い浮かびます。
そういえば、東京MXテレビのバラエティー番組「ニュース女子」が、今年1月に沖縄ヘリパッド建設に抗議する活動について、日当をもらっているだとか、救急車の到着を邪魔したとかデマと誹謗中傷満載の沖縄ヘイト番組を放送をしたことにつき、BPOが「重大な倫理違反だ」との意見を表明しました。
ところが驚くべき事に「ニュース女子」制作会社である化粧品大手DHCグループ傘下「DHCシアター(現・DHCテレビジョン)」は「今後も誹謗(ひぼう)中傷に屈しない、日本の自由な言論空間を守るため、良質な番組を製作する」と開き直って反省の色など全くありません。
こんな放送をしたうえに強気でBPOもはねつけるのは、やはりこの手の差別的なヘイト番組は数字が採れるからでしょう。
こういう末期的な状況を一体どうすればよいのでしょうか
木村教授はレビューで差別、ヘイト、歴史改竄のトンデモ主張を「ネッシー学説」に例えて、
ネッシー学説を喝采する聴衆がいる限り、販売部数や視聴率あるいは広告収入を追い求めるメディアは、ネッシー学説を言論空間から追い出さないだろう。こうした現象をとめられるのは、一般の人々だけだ。一般の人々の知的誠実さが、ネッシー学説に敢然とNOを突きつけられるか。社会の未来は一般の人々にかかっている
と締めくくっています。その通り。
差別や歴史修正主義を繰り返す番組は、たくさんの視聴者が抗議を行い視聴率を下げることで取りやめさせ、憲法違反を繰り返す政権も最後は国民が投票行動で追い出すしか方法はありません。そのためには一般の人々に高い知的誠実さが必要です。
その知的誠実さは民主主義の歴史と、質の高いリテラシー教育、人権教育の積み重ねによって得られるものだと思います。
そこがヨーロッパと日本の違いではないでしょうか。
もちろんヨーロッパでも、ホロコースト否定論もネオナチも完全に消滅することは難しいでしょう。しかし、歴史修正主義は断固拒否する、という「常識」はもう覆ることはありません。
うらやましい話です。日本の「常識」はこれと正反対なのですから
日本は、トップからしては歴史修正主義と反人権的な態度に染まっているし、メディアだって歴史修正主義とこんなにも馴染んでいる有様。
何故この国はこうも進歩というものから遠ざかって逆行、後退ばかりしているのでしょうか
過去の歴史を都合良くねじ曲げてはいけない、差別はいけない、ヘイトスピーチはいけない、国は憲法を守らねばいけない。
今の日本はそんな当たり前すぎる常識が常識として通用しない国になっています。私たちがこれまで社会全体で共有していた人間として倫理規範と、知性を重んじる態度が崩壊しかけており、反知性主義がはびこっているのです。
一体どうすれば「ネッシー学説に敢然とNOを突きつけられ、常識が常識として通用する程度までに一般の人々の知的誠実さが成熟するのでしょうか・・・
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