戦争末期、いよいよ勝ち目がなくなってくると、軍は自暴自棄とも言える特攻作戦を開始した。
その特攻隊の生還者の数人の方々の話を伺う番組だった。
「切羽詰まってきたらそういうことやるでしょ。彼らだけで考えて生身の人間を爆弾と一緒に突っ込めなんて
お前ら何月何日に死ねという命令ですね。もう二度とあんなことはごめんだな」
特攻の成果は天皇にも告げられる。
「御上にはご満足あらせられ御嘉賞のお言葉を賜れり」
特攻は最初の奇襲こそ効果をあげたものの、すぐに有効な打開策とはならなくなった。
しかし陸軍は若者の犠牲的精神を大々的に賛美して自己陶酔的に特攻に傾倒していく。
意外なことだが、特攻隊の約半数の兵は生還している。
整備もままならず飛ぶのがやっとのボロ飛行機では、敵鑑に体当たりするに至らないものが多かったのだ。
せっかく生還できた特攻隊員を待っていたのは隔離所だった。
華々しく散った軍神と礼賛された特攻隊員が生きて戻ってきたとなると志気に影響するし、戦況について大本営発表の嘘がバレるからだ。
生還した特攻隊員を上官が睨みつける。
「貴様等なぜ死んでこなかった!」
飛行機が飛ばなかったと言っても聞き入れられず国賊扱いだった。
生還者は再び特攻隊員として死にに行くよう教育を受ける。連日罵倒され暴力も受けた。それに耐えきれず自殺した者もでた。
隔離所を出た後も特攻隊員として派遣された。特攻隊員という身分は死ぬまで解除されない。
勝算のない作戦は若い隊員達に帰還を許さず軍神として死ぬことを強いた。
俺も必ず後から行くからと若い隊員を次々送り出していた指揮官は、自決することなく天寿を全うした。
生還者のひとりは今でも出撃前、帰らぬ人となった親友との最後の語らいが忘れられない。
「もし今度生まれ変わることがあったら、戦争のない国に生まれてなんとか俺は教壇に立ちたい。いい先生になりたかったと言っていた。
彼らがどんな気持ちで死んで行ったかと思うと万感言葉もない。」
番組を見終わってふと財界人の品川正治さんの話を思い出した。
品川さんは終戦後中国から引き上げてきて下船した時に他の兵隊とともに配られた新憲法の条文を読んだ。
それを読んだ兵隊達は皆泣いたそうだ。
もう自分達は戦争しないで生きていくしかないと思っていた。
今度の憲法は前文でも9条でも戦争を放棄していてくれている。これで死んだ戦友を弔うことができる、と。
新憲法と9条は喜びを持って迎え入れられたのがよくわかる。
今私達の社会はこの人達の思いに胸をはれる方向に向かって進んでいるのだろうか。
(2007/10/22)
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