(※ このエントリーは結構な長文だったため、昨日アップする前に一部文章を削除したのですが、やはりもとに戻して再アップすることにしました)
自民の9条改憲に対して、憲法を変える方向での「対案」が出ることを懸念していましたが、やっぱりこういう筋悪論がでてきました。
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山尾志桜里議員「自衛権に歯止めかける改憲を」
立憲的手法で“透明人間”を縛るhttp://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/071000146/112100013/大雑把にまとめると、山尾さんの言い分は次のようになります
日本は自衛権を、憲法に明文化されていない様々な解釈・不文律・規範を通じて統制してきた。明文化されていないからそのスキを安倍政権に突かれてしまった。従って、自衛権とそれを統制する手段を明文化する必要がある。明文化することで政権をコントロールが可能となる
具体案としては、いわゆる旧三要件に基づいて個別的自衛権に限定することを明示的にする。
【旧3要件】
わが国に対する急迫不正の侵害があること
この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと
必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
安倍自民党の改憲を阻止し、これ以上政府が暴走しないよう歯止めを掛け、専守防衛に徹させるための改憲をした方がいい。こういう考えを「新9条論」と言うのだそうです。
新9条論の目的は、9条が指し示す規範と現実があまりにも乖離してしまった現状に於いて、9条を「現実」のほうに歩み寄った形に変える(自衛隊の存在を暗に認める)代わりに、明確な制限(旧3要件など)を明文化することによって縛りをかけ、自衛権に歯止めをかけようというものです。
その意図は分かるのですが、これは、立憲主義など虫けら同然だと思ってるような勢力に対してはなんの縛りにもならないだけでなく、かえって敵に塩を送ることになりかねません。
山尾さんは次の二点で誤りを犯していると思います。
一点目。
山尾さんはこのような「対案」を国会でぶつけることによって、自民党のとんでもない改憲案を止められるとでも思っているのでしょうか。
逆です。
止めるどころか、結果的に自民党の改憲をアシストする作用しか果たしません。
自民勢力はもうすでに三分の二を占めているのですから山尾案など全く無視してもかまわないのですが、こういう対案には利用価値があります。山尾案の文言を多少なりとも取り込む修正と妥協を行うのです。それによって山尾案に賛成した人々を懐柔し、賛成を取り付けることも可能になるでしょう。
また、9条改憲に際してちゃんと反対意見も取り入れた、決して自民党案を強行しようとしたのではない、という体裁を取り繕うことだってできます。
もし自民党が山尾案を取り入れていくらか自民案を修正したところで、実際は政府に対して何の縛りにもならず(理由は次で述べます)、安保法制は晴れて合憲のお墨付きをもらうことになるでしょう。自民の目論見通りの結果になるのは目に見えています。
ですから自民党にとっては、山尾案のような「対案」が出てくることは、渡りに船なのです。
二点目。
山尾さんは今のように立憲主義が破壊された異常事態を招いた原因について、大きな勘違いをしていると思います。
それは、こうなった原因は現行憲法の文言のせいだ、だから文言を変えるか付け加えることによって政府にコントロールを効かせることができる、という前提に立っていることです。
(追記ここから)
たとえば山尾さんは次のように仰っています。
例えば、我が国は戦後70年間を通じて、専守防衛に徹し、集団的自衛権は行使できない、という憲法9条の解釈を国家も国民も共有していました。安倍首相はこれを「集団的自衛権は行使できない」とは書かれていないとして突き崩してしまいました。
あたかも「集団的自衛権は行使できない」と明文化されてなかったから安保法制は成立してしまったかのようですね。
しかしそれはどうでしょうか。もしも9条にそのような明文規定あったら、安倍政権は安保法制をあきらめたでしょうか?
いいえ、そういう規定があったらあったで今度は「これは憲法が禁じる集団的自衛権にはあたらない、何の問題もない」みたいな「管話法」を駆使して、安保法制をごり押ししたでしょう、それが安倍政権のやり方です。
だいたい明文でそんなことがわざわざ記されていなくても文言解釈上、集団的自衛権が許される余地はゼロなのです。明文で記されていた場合と全く差異はありません。だから明文がないことは山尾さんの言うような「スキ」にはなりません
集団的自衛権が合憲であることの論理整合性のとれた説明は逆立ちしても不可能です。だから安倍政権は合憲であることの説明はあきらめ、代わりに強行採決するという暴挙でごり押ししました。そして今は憲法の方を変えて「合憲」というお墨付きを安保法制に与えようとしているのです
こんな滅茶苦茶なことをやろうとしている政権が、「集団的自衛権は行使できない」という明文があったとしてもそれを守ると思いますか?
そしてこんな政権が憲法を変えて「合憲」を手に入れようとすることをアシストしてしまうような「対案」を出しても良いのですか?
山尾さんが9条に盛り込もうとしている旧3要件にしても同じ事が言えます。
もし仮にそれが希望通り憲法に書かれたとしても、安倍政権はやはり安保法制を撤回せず、詭弁を弄してそれを死文化させることでしょう。
何のためらいもなく条文を死文化させることは既に実行中なのですから、間違いなく安倍政権はそうします。
集団的自衛権OKという惨憺たる状態になってしまったのは、ひとえに、自分が気に入らない憲法の文言を明らかに無視して強行採決する滅茶苦茶な安倍政権に原因があるのであって、9条の文言に歯止めとなる力がなかったからではありません。むしろ現9条はかなり明確に歯止めをかけてきている文章になっています。
山尾さんはそこをお忘れです。
端っから法を守る気がない者は、どんな厳格な文言規定がなされていてもそれをすり抜けようと種々の詭弁や言い換えを弄する努力を惜しまぬことは容易に想像がつきます
詭弁や言い換えは昔からの日本のお家芸ですね、
戦中は、撤退→転進、全滅→玉砕、避難→疎開、
戦後は、敗戦→終戦、占領軍→進駐軍
安倍政権下では、中谷元防衛大臣は手榴弾も、ミサイルも、劣化ウラン弾も、クラスター爆弾も武器ではない、弾薬だと強弁しました。稲田前防衛大臣は南スーダンでの戦闘を、「戦闘」といえば憲法に抵触するから「衝突」と言い換えました。
そして今回の安保法制の集団的自衛権のように詭弁や言い換えもできなくなったら、最終的には黙ったまま実力行使(強行採決)という横紙破りで突破するのです。
こういう調子ですから、安倍政権のような無法政権には、たとえ新9条論が主張するような文言に改正できたとしても完全な歯止めを掛ける事は不可能です
山尾さんは『立憲主義を貫徹し、その価値を強化する「立憲的改憲論」です。』と仰っていますが、それは、今の憲法を守らせることは難しいから憲法の方を変えて、そちらを守らせよう、と仰っているのでしょうか?
それは、もはや立憲主義ではありません。これが「立憲主義の貫徹」とは理解に苦しみます
立憲主義とは政権に今の憲法を守らせることです。
そもそも現在進行形で憲法の文言に明らかに違反している者達が、山尾さんが主張するような新9条には忠実に従うようになると思いますか?ここまで憲法を無視することが常態化し憲法違反しても全く意に介しないような破廉恥な勢力を、憲法の文言をいじることで歯止めをかけれるようになると期待するのが間違いなのです。
なのに、じゃあ憲法を変えてそちらを守らせよう、などという妙な試みをしたら、それこそ立憲主義は総崩れになるでしょう
じゃあ立憲主義を取り戻すにはどうしたらいいのか。どうしたら政府の歯止めをかけれるのか。
それは新9条論のように憲法をいじるのではなく、立憲主義を取り戻すよう国民の世論を盛り上げ、安倍政権を退陣させる以外に方法は無いと思います。
(追記ここまで)
同じ改憲論者である立憲民主党の枝野さんが山尾さんのようなことを言い出したらどうしようと心配していましたが、今のところ、
「いわゆる安保法制、集団的自衛権は立憲主義の観点から決して許されません。立憲主義に反した状況を放置しておいて、真っ当な憲法議論ができるわけがありません。まずは今ある憲法を守ってから言え。それが真っ当な順序であります」
今の状況で自衛隊を憲法に明記すれば、「立憲主義違反を追認することになる上、専守防衛から大きく逸脱する」
と、新たな改憲案を対案としないようですから、ひとまずほっとしています。
しかしいわゆる「新9条論」と取る人々にとっては、これはアキレス腱であることは肝に銘じておくべきだと思います
最後にもう一つ
自民勢力が国会の三分の二以上を占める現実においては新9条論がそのまま採用される可能性はありませんが、万が一採用されたと仮定しましょう。そうすれば何が決定的に変わるでしょうか。
ドイツやフランスやその他軍隊を持つ国でも侵略戦争は憲法で禁じているし、8割以上の国は憲法に平和条項を持っています。しかしそれらの憲法と比しても、9条は一切の戦力と交戦権まで放棄した徹底さにその特徴と存在意義があります。
その9条を新9条のように変えてしまえば、もはや普通の軍隊を持つ国の普通の憲法でしかありません。9条が指し示していた理想、規範である軍事力を一切持たない完全非武装の道は絶たれることになります。
それでもかまわないという人もいるでしょう。
でも、なぜ日本が9条のような憲法を持ったのかといえば、先の戦争で軍国主義により国内外に類を見ない惨状をもたらした反省と、一切軍事力を捨てることで悲惨な目に遭わせてしまったアジアの国々の人々の信頼を回復するため、という歴史をふまえているからです。
憲法は歴史を背負っています。日本はまだ、9条が背負った歴史から卒業していいほど成長していません。それどころか全く逆で、その歴史から目を背け続けている状態なのです。それなのに9条を新9条に変えてしまうのは、憲法が背負ったその重い歴史を放棄してしまう、ということです。
9条の歴史的な意義を背負う事を放棄するのは非常に無責任だと思うし、再びいつか来た道を開くことになりかねません。
新9条論は自衛隊の存在を肯定するのが特徴ですが、エリック・Cさんが述べてるように、今現在の日本は自衛隊をそんなに清廉潔白に使えるほど成熟してはいないのです
以上の理由から、私は新9条論には反対なのです。
こちらのブログも是非お読みください
<Everyone says I love you !>
●新9条論に反対する。立憲主義の理想は達成できず、危険な改憲に利用されるに決まっていて非現実的。http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/e171bfa3b31f371153bf7a99e96b3616<読む・考える・書く>
●「新9条論」は危険な悪手<澤藤統一郎の憲法日記>
●「新九条論」は連帯への配慮を欠いた提言として有害である
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