教育の政治的中立性が問われた事例で、どんなことが中立に反するのか、具体的に考えてみる
- 2015/08/04
- 21:00
『自民党はこんな「主権者」を育てたがっている(2)』の末尾にご紹介した毎日新聞の記事には、ドイツ、イギリスでどのように「政治的中立性」を計っているのかの具体例をあげていました
それをこちらに引用します(長くなるのであちらのエントリ-では省略しました)
これは、具体的にどうすればいいかの一つの指針になるのではないでしょうか
(引用開始)
◇ドイツ、超党派が監査し教材を提供
では、他国では「中立性」をどう確保しているのか。NPO法人Rights代表理事で中央大特任准教授、高橋亮平さんによると、「ドイツでは、公的機関である政治教育センターが大きな役割を果たしています。ホームページで、時事問題を授業で取り上げる際の教材として使える両論併記のニュース記事や実践例を紹介し、超党派の議員がセンターの政治的中立性を監査しています。センターが中立性を担保することで、現場の教師は安心してその教材を使い、授業することができるんです」。
また「ボイテルスバッハ・コンセンサス」というガイドラインがあり、教員が自分の知識や見識を押し付けることで生徒自身の判断を妨げないことや、論争のあるテーマを取り上げる時には多様な意見の対立自体を示さねばならないこと、生徒の政治参加能力の獲得を促すことなどがうたわれている。
「さらにベルリン市の学習指導要領では、教員が生徒に意見を押し付けたり、意見の相違を成績評価に反映させたりしない限り、教員も個人的な見解として、自らの意見を表明してよいとされています」と高橋さん。
教師が意見を述べるとなると、日本ではすぐに中立性が問題にされそうだ。
しかし「シチズンシップ」という科目が必修化されている英国でも、似た考え方が紹介されている。英国教育省の諮問機関がまとめた通称「クリック・リポート」(98年)は意見が分かれる問題を授業で扱う際、三つの方法を紹介している。
(1)教師が意見表明しない「中立司会者型」(2)生徒の少数意見を大事にするため教師は意見を言ってバランスを取る「均衡型」(3)教師が率直に自分の見解を表明する「明示参加型」。
小玉教授は「どれか一つの手法ではなく、三つを効果的に組み合わせることが奨励されている。教師は中立的であると同時に、議論を活性化させるため、時には自分の意見を述べてもいい、という趣旨です」と説明する。
日本では教育基本法14条で「政治的教養の尊重」と「政治的中立性の確保」が定められているが、小玉教授は「法を読む限り、『何々党に入れて』『何々候補を応援します』という公選法に規定されている選挙運動に当たるもの以外は、中立性を踏まえた教師の政治的発言は原則的に許容されるべきだと思います」と言う。
(引用ここまで)
これを実際に教育の政治的中立が問題とされた次の二つの事例で考えてみることにします。以下、私の個人的見解になります
<事例1>
◆鳥取県の中学校での公民の授業リポート(2014年1月)[5]
鳥取県の教員が発表した中学校の公民の授業リポートも、政府見解とは異なる方向に生徒を誘導しようとするような内容だった。
…憲法9条の解釈について、(1)自衛戦争も放棄(2)侵略戦争は放棄しているが自衛権は認めている(3)個別的自衛権だけでなく集団的自衛権も認められる-という3つの選択肢を提示して生徒に選ばせた上、教員自身は(1)の解釈を支持すると生徒に表明し、理由を説明するという授業だ。
…沖縄県の尖閣諸島をめぐる問題も取り上げ、「中国海軍が尖閣諸島を“奪還”するため大艦隊を出撃させた。自衛隊と在日米軍は迎撃態勢をしき、政府は憲法9条の解釈を変更して集団的自衛権の行使を宣言した。このような事態を生じさせないため、日本がとるべき行動は何か?」との課題を提示。生徒からは軍事力や金銭で解決する意見が多く出されたが、教員は「徹底して戦争を回避する」という意見を評価。この日の発表で「武力を持たないことがいかに大切かということで授業を進めている」と説明した。
憲法9条の授業ですが、憲法9条を巡る学説状況を客観的に紹介することには何の問題も無いです。
(1)説は学説では通説(有力説?)ですから、教師がこれを自説として展開することは、生徒が9条を巡る学説について理解を深める端緒にもなるでしょう
『教師は中立的であると同時に、議論を活性化させるため、時には自分の意見を述べてもいい』
ただし、いくら通説or有力説とはいえ、「教員が生徒に意見を押し付けたり、意見の相違を成績評価に反映させ」るのは許されないと思います。少数説(旧政府見解も少数説)に立つ生徒の個人的見解は尊重されるべきです
たとえばテストで
「憲法9条の解釈で学説上通説とされているものを次の中から選んで○をつけなさい」
という設問で、選択肢を(1)説、(3)説、(3)説と設け、(1)以外の回答を×にするのはOK。客観的な学説状況の知識の有無を問うているだけですから。
しかし「憲法9条下で自衛戦争は認められるか。次のうち正しいものを選べ 選択肢:(1)認められる (2)認められない」
みたいな設問はまずいと思います。(1)を正解とし、(2)を×にするのは、9条に関する生徒の個人的見解を否定し、成績に反映することになるからです。
ただし「集団的自衛権は憲法9条下で認められるか」との設問はOKです(笑)
これは諸説対立があるケースとは異なり、明らかに「認められない」というのが論理的に導かれる正解であることに異論がないレベルだからです
「女性に参政権を認めない法律は現行憲法下で認められない」というのが客観的論理的に導かれる正解なのと同じレベルです
小林教授も同趣旨のことを仰っていましたね
尖閣諸島の授業ですが、教員は「徹底して戦争を回避する」という意見を評価、この日の発表で「武力を持たないことがいかに大切かということで授業を進めた、とのこと
先生が評価を加える前に生徒はそれぞれ自由に自分の立場に立って自分の意見に基づき自由に議論をしています。
「論争のあるテーマを取り上げる時には多様な意見の対立自体を示し」ています
その上で、先生は日本国憲法の考え方を実例に基づいて教示しているわけで、憲法的なものの見方考え方を教えることは政治的偏向ではないと重ねて言いたいと思います
ただしもちろん、あくまで生徒の個人的見解は尊重すべきです
これもテストで
「中国海軍が尖閣諸島を“奪還”するため大艦隊を出撃させた時、日本がとるべき行動は次のうちどれか。正解を選べ」という設問は、生徒の個人的見解を○×で成績評価することになるので良くないと思います
では、先生が軍事力や金銭で解決すべしという個人的見解を持っていたら?
私は、生徒がいろいろな考え方があることを事前に十分学ぶ機会があり、自由に自分の立脚する考えを選び、自由に議論を戦わせる事を通じて自分の意見を成熟させていける授業であるならば、そういう個人的見解を述べることも悪くないと思います
「教員が自分の知識や見識を押し付けることで生徒自身の判断を妨げないことや、論争のあるテーマを取り上げる時には多様な意見の対立自体を示さねばならないこと」
そのうえで「議論を活性化させるため、時には自分の意見を述べてもいい」からです
ちなみに従うべきは「政府見解」ではなく、日本国憲法です。「政府見解にとは異なる方向に生徒を誘導しようとするような内容」であることを問題視するのは間違っているし、それこそ政治的中立性に反します
<事例2>
◆都立高校の学期末試験で靖国参拝問題についての設問(2014年5月)[6]
東京都八王子市の都立松が谷高校で今年1月に行われた3年生の「政治・経済」の学期末試験で、安倍晋三首相が昨年12月に靖国神社に参拝したことを批判的に報じた毎日新聞の紙面を添付し、意見や説明などを求める問題を出題していたことが15日、分かった。識者から「参拝への批判を誘導するような問題で極めて不適切」との指摘が出ている。
添付された紙面は「靖国参拝 首相が強行」「政権1年周到準備」「米政府『失望した』」「失われた国益大きい」との見出しで、首相の靖国参拝を批判的に報じたもの。
設問は「安倍首相の靖国参拝に対し、中国・韓国は厳しく批判した」と説明。その上で(1)「自分の思うことを自由に書きなさい」(2)「中国・韓国はなぜ批判しているのか。中国・台湾・韓国と日本との関係は『戦略的互恵関係』にあるが、それを無視してまで、なぜ安倍首相は参拝したのか。アメリカはなぜ『失望した』のか。説明しなさい」-と尋ねた。
出題したのは50代の男性教諭で、授業中に「君が代を歌う社会科教師は少ない」と発言したこともあるという。平野篤士(あつし)校長は「学校で購読していた新聞の記事を使ったところ、たまたま批判的な報道だった。参拝の是非を問うものではないので、問題ないと思う」と話している。
東京学芸大教職大学院の今井文男特命教授は「一面的な評価だけを提供しており、予備知識のない高校生だと、参拝批判に誘導される」と指摘している。
このテストでは、当該問題の配点をどのようにしたのかわかりませんが、
設問(1)では、自分の思うことを自由に書きなさい、としている以上、参拝の是非の結論如何によって点数を左右してはいけないと思います。
靖国参拝はいけないとの回答は加点、参拝しても良い、との回答は減点、というのでは、生徒の個人的見解を成績評価に反映することになるからです。
また設問(2)では、中国、韓国が批判する理由や安倍首相が参拝した理由やアメリカが失望した理由をちゃんと新聞の文章から読み取れているか、いわば読解力を問うものであって、特定の政治見解を正解として導こうとはしているものでありません。
従って、「参拝批判に誘導しようとしている」という批判はあたらず、政治的中立性には反しないと思います
なお、この設問を出した教諭が、授業中に「君が代を歌う社会科教師は少ない」と発言したこともあることを問題視しているようですが、これを問題視する方が誤っています。それは君が代斉唱に疑問を差し挟むな、との圧力でしかないからです。
以上、過去問題となった事例で中立性をざっと考えてみました。
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