安保法制反対の声が全国に広がる中、こんな懸垂幕や、

こんな七夕飾りも町中に飾られるようになりました


現代の日本でこんな大々的な政治的意見の表現を見られるのを嬉しく感じたのもつかの間、この七夕飾りに「祭にふさわしくない」とのクレームが付き、飾りは撤去されてしまいました
既に宮武嶺さんがエントリーをアップしてくださってるのでご一読を(さすが仕事早っ)
<Everyone says I love you !>
●
安倍政権で進む表現の自由萎縮社会。撤去された七夕の垂れ幕。改変される芸術。削除させられたブログ。http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/aef96e5616ac28a715bc57cb59affb35●七夕飾り:安保法案批判の垂れ幕撤去…「ふさわしくない」
毎日新聞 2015年07月25日
http://mainichi.jp/select/news/20150725k0000e040213000c.html
長野市中心部の商店街「権堂アーケード」で、商店主が、安全保障関連法案などを批判する垂れ幕の付いた七夕飾りを設置したところ、「祭りにふさわしくない」との意見が市などに寄せられ、自主的に撤去したことが分かった。商店主の50代男性は「今声を上げなければと思ったが、周囲に迷惑がかかるので撤去した」と話している。
(略)
垂れ幕がツイッターなどで写真付きで拡散したこともあり、「七夕にふさわしくない政治宣伝。事実をねじまげ宣伝している」といった批判が市に数件寄せられた。市担当者は24日、批判があったことを伝え、商店主は同日、垂れ幕を撤去。市産業政策課は「市として撤去を要望したことはなく報告しただけ」と説明している。【巽賢司】
ああ、いつものよくあるパターン・・・
「寄せられた市民の声」(それがどれだけの量かわかりませんが)を理由に、自粛、忖度した例をいくつかあげてみます
・「南京」「ザ・コーヴ」「靖国 YASUKUNI」最近ではA・ジョリーの「アンブロークン」などのいわゆる「反日映画」の上映中止
・昨年の憲法記念日前に 土佐電気鉄道:消える路面電車「平和憲法号」 抗議受けて
http://mainichi.jp/feature/news/20140416k0000m040182000c.html ・ニコン慰安婦写真展中止事件
・全日空ホテルの日教組大会会場拒否
・2012年の8月には東京都美術館で開催された日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ美術家会議の展覧会で従軍慰安婦を主題とした韓国の彫刻家や画家の展示が客からのクレームで展示を拒否
・そして同館は、昨年、安倍政権の靖国参拝・秘密保護法などを批判した作品の撤去を要求。
http://www.asahi.com/articles/ASG2L5HHSG2LUTIL033.html ・宮武さんも指摘してらっしゃいますが、現在同館で開催中の子ども向けの企画展で、現代美術家・会田誠さん一家による文部科学省への批判を書いた作品について、館側が会田さんに改変などを要請
(
会田誠さん作品に改変要請 美術館、子ども向け企画展 朝日新聞)
などなど・・・ちょっとさかのぼってみるだけでもワラワラと
地方公共団体は、市民から多数の批判や嘆願署名が寄せられても一顧だにせずに強行することだってあるのに、たった数件の右翼的なクレームを理由に中止したりすると、クレームがきたことを中止に利用したでしょ、としか思えません
(追記:会田さんが東京都現代美術館から作品改変要請されてる件、クレームはたった1件だったそうです
会田誠、東京都現代美術館による撤去要請の経緯明かす クレームは1件だった huffpost )
あと、右翼的クレームに必要以上にびびって事なかれ主義に走るのもやめて欲しいです
今回「祭にふさわしくない」という意見は数件だったようですが、安保法制反対の世論の盛り上がりからしても、それ以上にこの飾りを支持してた市民は多かったと思われます。そっちの意見はどうなるんですか
「市として撤去を要望したことはなく、批判クレームがあったことを報告しただけ」という長野市のやり方も実に嫌らしいです
『長野市は撤去を要請したわけではないと言っていますが、商店街主催の祭りですから、そもそも市がこの商店主に批判がありますよと伝えること自体が余計なお世話であり、事実上の圧力となったことは否定できません』(by宮武嶺さん)
比較的最近でも、
さいたま市が「九条守れ」という川柳を公民館だよりに掲載拒否したとか、イベントで自民党批判の替え歌を歌った制服向上委員会の後援を大和市が取り消したりとか、多くの地方公共団体がどちらを向いてるかいやでもわかります
学校教育の現場でも、「政治的中立」を装って、政権批判や憲法尊重や過去の侵略戦争の直視を封じようとするのが国の方針ですが、それは地方公共団体、あるいは市民的なイベントの現場にもそっくり当てはまります
これに関して、澤藤先生のこちらの良エントリーをお読みください
<澤藤統一郎の憲法日記>
●「政治的中立」というカムフラージュでの政治的偏向http://article9.jp/wordpress/?p=2500社会の至る所で、「お上」の顔色をうかがい、少しでも目立つことをすると叩いて潰すという風潮がまかり通っています。
それが、異論を許さない安倍政権のもとでますます酷くなっていませんか。
こういう言論の自由の萎縮が、戦争さえ可能にしてしまいます。
日本の様な同調圧力の強い社会では、まず、「空気を読まずに異論をはさむ」自由を徹底して擁護していかないといけないと思います。
と宮武さんが仰るとおり、表現の自由に対する公権力からの圧力もさることながら、自粛、忖度して自ら言論の自由を捨ててしまう
この風潮が何より恐ろしいです
日本では学校でまともな人権教育が行われず、ともすれば人権を主張することは「ワガママ」と捉えられがちです。そんな中にあっては、表現の自由に対する不当な圧力に決して折れず、自由を守り通すことの大切さが共有されていません
自由を主張することは「迷惑をかけるから」「協調を乱すから」いけない、という意識が刷り込まれてるのです
自由や権利を自ら血を流して勝ち取った歴史のある国では、自由や権利を死守するのは民主主義に対する義務である、という意識が共有されていますが、残念ながら日本にはまだまだそれが十分とは言えません
かくして公権力は大して労力を使わずとも、下々の者は勝手に自粛してくれるのですから楽なもんです、実に統治しやすい羊のような存在ですね
また、気軽に政治的意見を表明するのを忌み嫌う風土が民主主義後退に一役買ってることも指摘したいです
(追加) (追加以上)twでも芸能人やミュージシャンは政治を語るな、みたいなことを言ってる人もいますが、誰であれまず市民ですし、政治的意見を自由に表明するのは市民の最も大事な権利です
政治的意見を気軽に発せられない日本の風潮は息苦しいし、誰でも自由に政治的議論が出来るようでなくては民主主義が成熟しません
自粛 忖度、世間様をお騒がせしご迷惑をおかけして申し訳ない(実は誰にも迷惑がかかっていないのに)
こういう同調圧力、やめませんか
国家による憲法の精神の形骸化、無効化は日々進行していますが、
自粛や忖度は、国民自らが憲法の理念や憲法の庇護を捨てていることになるのですから
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