コメント
ネオナチジャパンがあがこうが無駄
そのことを飲んだ上での国連復帰なのに、いつの間にかグダグダと言い出す有り様です。それでもって事実を認めないレイシストが踊りだす有り様です。
頭が痛くなりますね。
「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング
でもいくら成熟した民主国家が有するものであっても「真に民主的な軍隊」なんてありえないのです。軍隊というのは徹底的に上からの命令で動くのが必至でそうでなければ戦争などできません。とすれば成熟した民主主義国家が軍隊を持つということ自体大きな矛盾です。
このような考え方は今の日本ではリベラルや左派の立場に立つ人たちからですら「理想主義的」と遠ざけられがちです。特に例の自民党改憲案公開後はリベラルの間でも「九条より人権条項が大事」「9条のない民主的憲法はあるけど、人権保障のない民主的憲法はない」と「普通の国」志向の声が聞かれます。
確かに9条はなくとも「人権保障のある民主的憲法」を持つ国の国民は戦争に行かされない限り市民的自由の恩恵にあずかれるでしょう。しかし、徴兵あるいは経済的理由で入隊し戦地におもむく人たちの人権は戦争や軍隊がある限り踏みにじられてしまいます。
自由権の獲得に始まった近代民主的憲法はワイマール憲法で生存権が加わり、日本国憲法で人権保障の基盤ともいえる「自国のみならず他国の人々の平和に生きる権利」と「不当な拘束を伴う軍隊の廃止」を明記したことで民主的憲法として理想の形に近づいたといえるのではないでしょうか。
西欧的な人権思想の浸透が遅れていた日本で人々に切実に人権の大切さを教えたのが戦争の惨禍でした。そして、九条は甚大な被害を与えた被侵略国への謝罪と誓いでもあります。戦後の護憲運動が常に九条を中心としてきたのは運動を推進してきた人たちが人権条項を軽くみてきたからではないと思います。九条はやはり日本の戦後民主主義の起点です。九条が崩壊すれば他の人権条項もなし崩し的に同じ道をたどることでしょう。
(ぽむさんのコメントより)
Author:秋原葉月
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