軍艦島など全国23施設の「明治日本の産業革命遺産」が、世界文化遺産に登録されることになりました。
安倍内閣の肝いりでしたから、政府は(一応)大喜びです
決定までには、強制労働の歴史をきちんと記すならば登録に賛成する意を示した韓国と、「これらの遺産は日本による韓国併合以前に急速な産業化が日本で進んだことを示すものだ」として強制労働の歴史に触れたくない日本とで、もめる経緯がありました。
例によって韓国がロビー活動で登録の邪魔をした、韓国が歴史問題を持ち込んで審議が延期になったなど、相変わらずの韓国disが沸いていますが、藤原監督のこちらの論考をご一読下さい
かなりの長文になりますが、まずは、なぜ世界遺産という制度が設けられたのか、世界遺産条約の精神をしっかり押さえておきたいと思います
(全文はリンク先でどうぞ。引用内では略しましたが松下塾が含められたことについても批判的に言及しています。なお、この論考は登録が決定する前の6/13に掲載されたものです)
●世界遺産をめぐって露わになった、安倍政権ニッポンの時代錯誤に歪んだ歴史観と、事実・現実の認識から逃避する精神構造 by 藤原敏史・監督 Posted on 2015年6月13日
http://www.france10.tv/international/5147/
日本政府がUNESCOに申請し、めでたくICOMOSの推薦も受けた、幕末・明治の日本の産業革命遺構の世界文化遺産への登録が、肝心のUNESCOの理事会21カ国から必要な2/3の賛成票を集められそうにない状況になっている。申請された23施設のうち7つで朝鮮人や中国人の強制労働があったことを理由に反対を表明した韓国政府の主張は、日本国内では「韓国の反日宣伝が」という受け取り方になるのだろうが、議長国のドイツなどヨーロッパを中心の国々が理解を示し、賛成を保留しているのだ。ICOMOSの推薦が実質上の世界遺産認定になり、UNESCOではたいがい全会一致で決議するのが通例なだけに、2/3の票を集められないのは異例の事態だと言えよう。
「韓国の反日ロビー活動」に外務省や所轄の文部科学省、文化庁は神経を尖らせ、安倍官邸の内部では韓国へのいっそうの憎悪、敵意すら醸成されているのだろう。世界遺産への推薦決定当初から、報道が韓国の反対を妨害行動であるかのように報じていたのも、そうした安倍官邸の影響下にあると考えていい
日本と韓国のUNESCO代表が二度の会談を持っても、平行線のままだ。いったんは登録に賛成だと日本政府に内々に伝えたとされる国でも、副議長国のセネガルが態度保留を公表した。「反対」ではなく、日本と韓国でまずちゃんと話し合って欲しい、この副議長国としての当然の態度には、今後追随する国が増えることだろう。
「まずちゃんと二国間で話し合って欲しい」、当たり前の話だからで、副議長国がそう表明したのだ。
二国間でまず話し合う、韓国代表は強制労働の歴史も含めて歴史的に正確な文脈をきちんと踏まえるのであれば、韓国政府は全23施設の世界文化遺産登録を祝福する、とも言っているのに、日本が今回の申請は1855年から1905年の期間限定の話だ、「日本による韓国併合以前に急速な産業化が日本で進んだことを示すもの」と言い張るだけ、つまり不都合な話は排除したいという動機が透けて見える姿勢を繰り返すだけだ。
だがはっきり言おう、ここまで正論を述べられれば、日本側に勝ち目はない。
日本は世界遺産条約の精神をまずちゃんと理解すべき
「韓国併合以前の話だ」と強弁しようにも、実際に申請されている施設の目玉のひとつが、日本が朝鮮半島の権益をロシアと争った日露戦争を契機に生産が軌道に乗り始め、日韓併合の流れと並行して成長した官営八幡製鉄所なのだ。その日露戦争の年である1905年で区切る理由自体が学術的・歴史学的に明示されていないのに、韓国の指摘を「学術的な観点からの勧告に政治的な判断を」と突っぱねる日本側の論理は破綻している。
世界遺産条約の精神に則った態度を日本政府が示すなら、念願の世界文化遺産登録がかなうのだし、韓国側の提案に抵抗する正当な理由もない。歴史は歴史なのだから、その展開を正しく伝える世界遺産とすることを確約すればいいだけだし、そんなことは世界文化遺産登録を申請する際に、当然踏まえているはずの話なのだが。
歴史は流れであり、「1905年まで」とか「韓国併合以前に」と恣意的に区切れるものではないし、今回登録申請している日本の産業革命遺産は、現代に直接つながるアジアの近代産業化の歴史の出発点になるからこそ「人類の普遍的価値」として保存しよう、というのでなければ筋が通らない。学術的な観点だと日本が主張するのなら、それこそ「日本が凄いから世界に褒められているのに、韓国が邪魔をしている」という日本側の思い込みこそ、政治的な判断とすら言えないほど拙劣だ。
それでも政府内では「強硬論」が根強いという。対象は1855年から1905年頃までだ、1911年の日韓併合以降のことは関係がないのに韓国の言いがかりだ、反日なんだ、「告げ口外交だ」と血気お盛んなようだが、この人たちは「歴史」とはなんたるかを理解しておらず、そもそも世界文化遺産、つまり人類の歴史を記憶するための世界共通の遺産、という意味が分かっていない。なぜ日本の産業革命の歴史的遺構が世界遺産に登録されるべきなのか、という根本的な論理が崩壊していることにすら、安倍政権の中枢にある人々は気づいていないのだろうか?
(略)
日本は非西洋文明の国で初めて産業革命を経験した国であり、その日本に続く形で、韓国、中国、そして東南アジア諸国が、今や近代産業化を成し遂げつつある、その原点つまり歴史的なモデルとして、日本の産業革命の中心施設を保存し、歴史を後世に分かり易く伝えようというのは、別に「日本は凄い国だから世界遺産にして褒めてあげよう」なんて話ではない(結果論としては現状まだ、アジア最初の産業立国はアジア最大最高の工業先進国であり続けているにせよ)。だいたい「日本が凄い」など学術的になんの意味もなく、日本がアジア初、非西洋文明圏では初である、言い換えればアジアへの西洋文明浸透の歴史遺産にもなるが、要は「初」でありその後のモデルケースになったから、という歴史的な位置づけゆえの「世界遺産」のはずだ。
(中略)
そもそも産業革命は現代の豊かな文明を築いた、とただ手放しで賞賛できるものではない。最初に成功した英国では、すぐさま深刻な労働問題が発生している。とくに児童が炭坑や工場での過酷な労働に従事させられた悲惨な歴史はよく知られているし、そうした搾取の構造は現代の世界にも影を落とし続けている。製造にかかる経費を抑えることは、産業革命によって成立した資本主義体制では収益を上げる要の経営戦略だし、ならば労働力は安価な方がいい。国内での搾取が難しくなれば、つまり労働賃金が高騰すれば、製造の現場は海外の発展途上地域に向かう。発展途上国での児童の労働搾取は深刻な国際問題になっているが、そもそもの構造的問題は英国の産業革命の時代からあったし、日本ならまず女工哀史だった。このような負の側面は国家の歴史なら国威発揚で無視されがちだからこそ、「人類普遍」の観点から歴史の総体を客観的に記憶していくためにも、世界遺産という考えが生まれて来たのでもある。
(中略)
重工業化の産業革命は必然として植民地主義に向かう
産業革命と植民地主義が表裏一体になる英国のモデルは、日本では長州閥の主導で国策として推進されていった。国主導の重工業振興と表裏一体の軍事力強化を国策の中心に据えた日本は、19世紀の重工業中心国家の必然として植民地主義の対外進出にも転じる。まずは大陸進出の足がかりとして朝鮮半島を狙って日清戦争で大勝、日露戦争の戦果は実際には引き分け程度であっても、朝鮮半島の権益を完全に掌握できたのが1905年(第二次日韓協約で外交権を奪い、内政に介入する権限も認めさせた)、それが今回世界文化遺産登録を目指している日本の産業革命期が完成したと日本政府が主張している年でもある。
だがその1905年前後の歴史の流れを見ただけでも、そこで区切るのだからその後は関係ないという日本政府の主張は、日本の近代史をまったく知らない人間の言い草でしかない。八幡製鉄所ひとつをとっても、まず軌道にのったのは日露戦争による特需があったからで、本格的な発展期はむしろ第一次大戦を経て昭和恐慌までだ。あえて区切るなら1934年の民営化までをひとつの流れとして見るのが自然で、1905年で区切る歴史学的な理由は見出せない。
(中略)
国策としての産業革命は、国策としての資本主義化も意味し、国策としての植民地主義政策とも一体化していた。近代日本の国策の光と影への言及なしには、これらの施設の歴史的意義を正しく把握して継承できるとはおよそ言えない。
(中略)
日本の産業革命を1905年で年限を区切ったところで、その時点で形成されていたのはまだ基礎段階だし、この国策としての産業革命の必然的な結果としての対外進出の国策の歴史的な展開がその後続いた以上、そこを排除すべき理由は見当たらないし、だいたい産業化、重工業化が国策であった以上は「経済産業の話なのだから政治や戦争は」という言い逃れも成立しない。
日本の近代化・産業化の歴史をちょっとなぞるだけでも、朝鮮人や中国人の強制労働の歴史も含めるべきだ、それを無視した一方的な美化ならば世界遺産として保存を推奨することには賛成出来ない、というのはまったくの学術的・歴史学的な正論でしかなく、日本政府は「学術的観点」を口にしながら、実際の主張は反知性主義に陥っている。
言い換えるなら、日本の産業革命の歴史を記憶するのなら、日本の植民地主義化と対外侵略の歴史を、双方を表裏一体として記憶しなければならないのが、知的・学術的な立場というものだ。日本政府が韓国に「学術的な観点からの勧告に政治的な判断を持ち込むべきではない」と主張しているのは、まさに話がアベコベである。これも安倍晋三首相の「思い」とやらへの配慮であるのなら、防衛大臣が「現行の憲法をどう安保法制に適応させるのか」と思わず口走ってしまった内閣でもあるのだし、いっそ【安倍コベ】という新造語でも流行らせたくなって来る。
(中略)
世界文化遺産は、日本の国宝指定等とは意味付けが違う。いや国宝や重要文化財だって歴史的な価値も含めた概念だが、世界文化遺産はとりわけ、目に見えて、身体的に実感できる環境として歴史の記憶をその歴史の現場で保存し、後世に伝えていこうという運動だ。
(中略)
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所も世界文化遺産であり、広島の原爆ドームも世界文化遺産だ。負の歴史もまた人類の歩みの一部として、その悲劇の場所を目で見て、歴史を体感できる環境で保存するため、その悲惨の歴史から人類が学び続けることも、世界遺産として保存していく理由になる。
(中略)
戦後70年談話から侵略、植民地支配への言及や謝罪を省きたいと言われる安倍政権下の日本で、その動機の不誠実さを疑うなという方に無理がある。
「世界遺産」にはしゃぎ過ぎる日本
(中略)
推薦に沸き立つ地元のことを報ずるにしたって「誇り」を口にしながらすぐ関心が向くのは観光による経済効果だ。もちろん世界遺産に登録されれば、知名度が上がり観光客増が望めるにせよ、いくらなんでもいきなり金勘定の話とは、人類普遍の歴史的価値の保存が目的だというのにあさましすぎる。「素晴らしい日本が世界に評価された」などと「誇り」を自賛するに至っては、勘違いも甚だしい。「私たちが守って来た先人の遺産から、世界の皆さんに学んで欲しい。これからも大切に遺していきたい」くらいの気の効いたことは言えないのか?
(中略)
だいたい現時点の歴史研究の歴史観や固定観念では見落としがちなことでも、後世に検証出来るよう、文献でなく歴史的な環境そのものを保存することが、世界遺産条約の目的のひとつだ。「その後の歴史は関係ない」とする日本政府の主張は、条約の精神自体に反している。
(中略)
記録に残り、教育に使われる歴史は、勝者の歴史、それぞれの時代の支配側の自己正当化の歴史にどうしても偏向しがちだし、記録つまり文献の解釈だけでは、ますます読んでいる側の立場や主観に左右されかねない。そもそも世界文化遺産とは、そうした文献に頼った歴史学の陥りがちな偏向を配し、物や環境として実感できるものを残して再検証ができるように、人類の普遍的な歴史と文化を保存して行こう、という運動でもある。一方で開国、幕末から明治にかけての、まさに今回の世界文化遺産登録申請の対象となった日本史の一時期については、既存の一般的な歴史認識はまだまだ明治政府の自己正当化であった皇国史観に歪められたもので、人類の総体どころか日本国内ですら、今さら「普遍的」と言えたものではない。
(中略)
富国強兵を本当は美化したいが、それをやったら批判されるから「日本の産業革命」で妥協したつもりなのが安倍政権の本音なのではないか?
その本音で言いたいのは、日本が重工業国家として資源を求めて対外侵略を重ね、侵略した国々の人間を労働力として搾取したことも、「日本のため」には当然であって、端島や三池の炭坑や八幡の溶鉱炉で朝鮮人や中国人が強制労働に従事し、命すら落としたことすら、本当は「日本のためだ、悪くない」「日本人が命がけで戦争をやっていたのに、なにが悪い」なのだろう。
だが強制労働の事実それ自体は批判の対象になるから、批判されないためには1905年で区切って「それ以降のことは今回の世界文化遺産申請には関係がない」と、行き当たりばったりで強弁している。
(引用ここまで)
「もちろん世界遺産に登録されれば、知名度が上がり観光客増が望めるにせよ、いくらなんでもいきなり金勘定の話とは、人類普遍の歴史的価値の保存が目的だというのにあさましすぎる。」
とは耳が痛いですね
日本はアジアの産業革命を引っ張ってきた輝かしい歴史を持つはスゴイ国なんだぞ、(ボクはその日本の総理大臣なんだぞ)、それを世界に認めてもらうぞ、それに世界遺産に登録されれば観光客も増えて儲かるぞー\(^o^)/
という目的で申請したとしか思えない安倍内閣のさもしい虚栄心は、イヤと言うほどユネスコに見透かされたことでしょう。
その虚栄心を満たそうとして、日本はユネスコでも歴史修正主義の国であることを存分に宣伝してきてしまったようです。
本性は隠しきれませんね
負の側面は国威発揚で無視されがちだからこそ、「人類普遍」の観点から歴史の総体を客観的に記憶していくためにも、世界遺産という考えが生まれて来た
世界文化遺産とは、そうした文献に頼った歴史学の陥りがちな偏向を配し、物や環境として実感できるものを残して再検証ができるように、人類の普遍的な歴史と文化を保存して行こう、という運動だ
この世界遺産条約の精神を安倍内閣は百回は復唱すべきでしょう
そして、世界遺産に登録されたからと言って、
「素晴らしい日本が世界に評価された」などと「誇り」を自賛するに至っては、勘違いも甚だしいことをよくよく知るべきです。そんな独りよがりの「愛国心」など鼻で笑われるだけですね
(つづく)
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