コメント
こんな人の為に
このあと、”軍法”をねじ込むためのミエミエの伏線じゃん
水島朝穂先生の見立てによると、政府自民党は、解釈改憲・戦争立法の戦線を狭めるために、あえて軍法問題には手を付けなかったようで。で、こう言う意味でも法的に権限が広がると思っていた現役の将軍たちは大いに不興だと。
でも、自称・他称護憲派でも「海外派兵で自衛官が殺傷などをした時に国内の刑法で裁かれるのはおかしい(間違っている)。可哀想だ。理不尽だ。」と言っているのを見ると、呆れ返ります。(沖縄の)米兵が強姦・殺人・交通事故で殺すなどやりまくっていますが、日本の司法システムできちんと裁かれ、刑に服し、責任を取って賠償することはないわけです。これに対して、彼らは「ケシカラン!」と右手をブンブン振り回しているでしょうが、自衛隊が外国で公務で、国内刑法上の犯罪を犯した時には、罪と罰を減じようと主張するのですから異様な話です。勿論、第一義的には安倍政府自民党が悪いのですが、外国の自衛隊に殺傷される現地の人々には日本の国内事情なんて「そんなの関係ねえ!!」ですよ。
まあ、こうして自衛隊員が可哀想で不条理だと軍法と軍法会議が解釈改憲で作られるのでしょう。でも、そこには軍事介入されてひどい目に遭う現地人の視点など微塵もない。自分のご都合だけを見つめるいつもの光景ですわ。
このとんでもない状況では、現地で自衛隊員が「不法戦闘員」として処分されたり、国内で刑亊事件の容疑者として裁かれる(重罰はありえんでしょう)ことの嫌さぐらいしか、戦争法の行使のフリクションにならないように思います。不憫に思う部分もありますが、戦争法を推進する組織内議員だって何人もいるくらいで十分責任と罪はあるのです。大臣の命令に嫌々しく振る舞いサボタージュするのも、99条に基づく宣誓の実践でしょう。
それにしても、伊勢崎、ますます逝かれているわ。
>Lさん
もしも政府がそれを利用して「ジュネーブ協定を自衛隊員に適用出来るようにするため、武力行使と一体化した後方支援も合憲にしろ」という流れに持ってくとしたら、本末転倒甚だしいのであって、「だから武力行使と一体化してる後方支援はやるべきではない」という本来あるべき姿を主張すべきですよね
後半の伊勢崎さんの国外犯規定の話、掲載しといて言うのもなんですが、ちょっとよくわからない点があります。
ココ→「日本の刑法は国外犯規定があり、海外での日本人の過失を裁けないため、自衛隊の過失は当該個人の犯罪として裁くしかなくなります」
たしかイラク派兵の時問題になったのは、
イラクに派兵された自衛隊員には現地の法は適用されず、日本の刑法が適用される。
しかし日本の国外犯規定では業務上過失致死傷(誤射)は処罰されない、つまり当該自衛隊員は処罰されないという不合理が生じる、ということが問題になったはず。
自衛隊員が処罰されないことが問題のはずなのに、自衛隊員が「個人の犯罪として責任を負わなければならない」とは?
伊勢崎は”統合幕僚学校で教えてきた”というから、向こうの人なんでしょうね。
【7月1日(水)の「安保法制」特別委員会 2回目の参考人質疑】
<参考人の意見陳述>
◆伊勢崎賢治
国際社会は住民を保護する責任があるという
もので、内政干渉とバッティングする。だから停戦が崩れても撤退しない。日本のPKO5原則は根本的に変更すべきだ。
PKOには訴追免除特権があり、各国の軍法で裁くが
日本には軍法会議がなく、現地の怒りを巻き起こし国際問題になる。自衛隊の作戦上の致命的な弱点だ
統合幕僚学校で教えてきたが、自衛隊員が国防以外に命を賭けるには大義が必要だ。何が起こっても国家が責任を負う法整備がなされていない。
1992年のカンボジアPKO以来、現場に送られた隊員が抱え込んできた矛盾だ。自衛隊の根本的地位を国民に問うことなしに海外に送ってはならない
宮本徹(共産)
「法改正により自衛隊員が殺してしまう、あるいは殺される可能性は?」
伊勢崎賢治「今まで無事故で済んだのは隊員の工夫と薄氷を踏む対応の結
果であり、奇跡だ。今回の法制で任務は拡大し、奇跡ですむ可能性は非常に薄くなる。法的枠組みを考えておかないと事故は起こる」
>Lさん
いう発想だと思います。それは「自衛隊の国際貢献は憲法九条で」という著書の題名に端的に表れていますよね。アメリカ追随の自民政権が考える自衛隊の使い方とは根本的に違います。
伊勢崎さんの考える「自衛隊の平和利用」が「国際貢献」として役に立つ場合もあるかも知れません。
でも結局それは矛盾を上塗りする自爆行為でしかないと思うのです。
根本的な矛盾を抱えた存在は、たとえどんないい使い方をしようと工夫し頑張ったところで、意図に反して矛盾が大きくなるだけ。長期的には貯まった矛盾が必ずいつかどこかで爆発する、というのが経験則です。
伊勢崎さんが考えるような「自衛隊の平和利用」をしようとすれば、いつか必ず軍法を制定する、という矛盾をもうひとつ重ねることになるのは避けられないでしょう、今でさえ矛盾に矛盾を重ねてるのに、更に後戻りできなくなります。
伊勢崎さんの考える「自衛隊の平和利用」は魅力的ではありますが、伊勢崎さんは諦めて引き返すしかないと思います。
「自衛隊の根本的地位を国民に問うことなしに海外に送ってはならない」のならば、答えはただ一つ、「軍法が許されないのが自衛隊である。だから自衛隊を海外に出すことは絶対に許されない」しかありません。
このへん伊勢崎さん自身の考えはどうなんでしょうね?
マガジン9などを見ても、自衛官個人に責任を押しつけるのは矛盾だ、としか言ってないように思います。
初期伊勢崎の先入観を捨てないと、今の伊勢崎の考えを理解するのは難しい
伊勢崎は、”アメリカの戦争の後始末を非武装の自衛隊が武装解除などでやるのがいい。それが対米貢献”といっていて、アメリカの戦争そのものを防ごうとか反対というのは希薄で、アメリカの戦争の尻拭いで対米貢献するんだと言っている。311の直後は、”避難した人たちよりも避難できずに残った、逃げられなかった人たちに目を向けるのがNGOスピリッツ。”といっていてわかる気もするが、それって金持ち・偉い人に対する現状肯定にしかならんのでは?と思った。アメリカの侵略戦争でも政官財学司の犯罪たる311にせよ、主犯・責任者に対する批判が極度に希薄。非政府組織の魂が非政治(権力・体制を批判することを思いつきもしない)組織の魂の抜け殻になっている。彼なりの「リアリズム」だとは思うが、(エア)御用と見分けが付かないのは確か。非政府組織の魂ってえのは中村哲医師とか谷山博史さん、高遠菜穂子さん、稲葉剛さんみたいな方に感ずるスピリッツであり、ソウルであり、ガッツなわけで。
いまや、彼はむしろ政府の中の有能な軍技術官僚って印象。
>Lさん
「善人だとは思うし、現場の人だから、矛盾と屈折でわかりにくくなっていると思う」>既視感ありますね、そういう倒錯(^^;
そもそも憲法下で認められない自衛隊をなんとか9条の精神を生かす形で活用しようとした結果、戦争おこさせたらいかんでしょ、という当たり前の事が見えなくなってきたのかも?
そういえば、この「自衛隊を9条で生かす」に賛同し「右も左もない」にとりつかれた、とある9条護憲に熱心な方が、現在では9条のノーベル平和賞が無理なら(人じゃないので)、一度も人を殺したことがない自衛隊にノーベル平和賞はどうだろう、と書いていたのを読んで椅子からすべりおちました。この人は一体自衛隊の何を見てるんだ、イラク派遣は違憲だったし、戦前の特高のように国民を監視する情報保全隊を持ち、その差し止め訴訟まで起きてるというのにノーベル平和賞?!、とガクゼンとしました。
ご本人は自分なりに9条護憲を進化熟成させていってるおつもりのようですが、もう倒錯してるとしか・・・
前のコメントで書いた「根本的な矛盾を抱えた存在は、たとえどんないい使い方をしようと工夫し頑張ったところで、意図に反して矛盾が大きくなるだけ」を目の当たりにした気分でしたね
あと、今回の改変は派兵されていても、自衛の枠に囚われて目の前で他国の軍人が撃たれていても救助ができなかったところをできるようにした、などのことですよ?
いろいろおかしくありません?