●昔は疑わなかったけど......今考えたらツッコミどころ満載の先生の言動「悩んだら走れ」「水を飲むな」
マイナビスチューデント2015年3月13日(金)16:01
http://news.goo.ne.jp/article/freshers/bizskills/freshers-80770-0.html
学生にとって、クラスの担任や部活動の顧問は、その後の人生に影響を与えるキーマンでもありますよね。好きだった先生の教えは、大人になっても覚えているものです。とはいえ、先生も1人の人間。大人になった今考えてみると、「どう考えてもおかしいと思う、先生の言動」もあったのではないでしょうか。そこで、大人になった今だからこそわかる「むちゃくちゃだったな......」と思う、先生の言動を社会人の皆さんに聞いてみました。
■給食問題
・給食をアフリカの子どもが飢えているという理由で残させてくれない先生。私が食べてもアフリカの子どもには関係ないじゃん......って思っていた(女性/24歳/医療・福祉)
・給食を残せない。どう見ても食べきれる量じゃなくて家のご飯を食べられなくなっていたから(女性/28歳/人材派遣・人材紹介)
残さず食べるのは、たしかにいいことですが、どうしても嫌いな食べ物は受け付けないという人もいます。こればっかりは強制は難しい気がしますよね。
■髪形問題
・高校のバドミントン部の顧問が、たるんでいるという理由で全員丸坊主にしたこと。髪型と成績は関係ないから(男性/28歳/運輸・倉庫)
主に男性で目立ったのが、ヘアスタイルに関する意見です。髪形と気合は、もちろん無関係......ですよね!? 思春期の男女にとって、髪は大切なもの! 恨みも深くなりそうです。
■今だったら大問題......
・「クラスの代表として......」と言われて、クラス中がうるさかった責任を学級委員におしつけ、ビンタされた。理不尽だと思ったから(女性/28歳/学校・教育関連)
・教科書を忘れたら剣道の棒でけっぱん。先生は忘れても笑ってすます。骨がおかしくなって(三角座りができなくなり)接骨院に通院したので数万円も治療費がかかった(女性/30歳/商社・卸)
暴力で言うことを聞かせるのは、非常に簡単。しかし確実に、信頼関係は壊れてしまいます。その上、代表者1人を処罰するやり方はよくないですね。
■昔の指導法
・剣道の瞑想(めいそう)のときに口で呼吸するなと言われた。アレルギー性鼻炎で鼻が完全に詰まっていたからそんなことしたら死んじゃうので(女性/32歳/その他)
・中学のときのサッカー部の顧問が、のどが渇いても水は飲むなと言っていたこと。単なる根性論でしかないから(男性/31歳/運輸・倉庫)
たしかに昔は、「水を飲んではいけない」という方針の部活動が往々にしてあったそう。今はそういった指導をする先生はほとんどいないそうですが、それが通説だった時代では苦しんだ人も多かったでしょうね。
■心に残る迷言たち
・「4受5落」睡眠時間が4時間は受かって、5時間も寝たら落ちる。睡眠しないことがいいこととされていたのはどうなのか?(女性/27歳/ソフトウェア)・悩んだら走れと言われた。悩みは解決しなかった(男性/37歳/自動車関連)
・サイン・コサイン・タンジェントを覚えると幸せになれる。社会人になって一度も使っていないので(女性/28歳/ホテル・旅行・アミューズメント)
厳しい受験戦争、かなりの勉強量が求められることもありますが、十分な睡眠時間は確保しないと逆に効率が落ちてしまいそうですね。
今考えるとおかしいと思う先生のエピソードを紹介しましたが、いかがでしたか? 中には、当時は常識と考えられていた指導法で、先生もよかれと思って生徒を指導していたこともあるかもしれませんね。皆さんは、「今考えたらおかしいと思う」先生の言動はありましたか?
とある方からは
『高校の体育祭で国旗掲揚の時3年生がお子様ランチの日の丸を頭に突き出してからかった。右翼の体育教師がそれをとがめて本人を殴打した。それ以来、国旗や国歌に反感を覚えるようになった。』
という話を聞きましたが、反日サヨクの代名詞になってる日教組の教師といえども、こんな感じだったわけです(苦笑)
なんというか、日本の古い悪しき非合理的精神主義、根性主義を引きずってますね。合理的で民主主義的な考え方とはあまり相容れないものです。
戦後、それまで教育勅語に従ってお国のために立派に死ねと言ってきた教師達が、一転して教科書を黒塗りにし、慣れない「民主主義」を教え始めたことは子供心に衝撃的だった、大人は信用できないと思った、という話を年配の方から聞いたことがあります。
日本の民主主義は自分たちで勝ち取ったのではなくある日突然上から振ってきたものだったため、先生達の中にも当然民主主義的なメンタリティは育っていませんでした。
やがて戦後わずか2年で「逆コース」が始まり、その命をうけた保守政党、自民党が、積極的に民主主義教育に力を入れるはずもありません。
だから学校では社会科の教科として民主主義を教えることは出来たかも知れませんが、普段の学校生活の中で高度な民主主義的精神を子供達の中に育てるのは難しかったかもしれません。
学校で自分が受けた教育、価値観って結構次の世代へと継承されていくものですね。例えば先輩後輩という生徒間の上下関係の価値観も世代を超えてずっと継承されています。
70年たって、様変わりした点も多々ありますが、依然時代錯誤的な精神主義、根性主義とか、上意下達の思考停止とか、そこかしこに残存しており、高い民主主義的メンタリティを持続的に再生産していくのは難しかったかもしれません。
民主主義の維持発展に一番大事なのは、社会的な制度というハードより、民主主義的なメンタリティというソフトだと書いてきましたが、現在の戦後最大の民主主義の危機の一因もここにある気がします。
歴史にifはありませんが、もしもアメリカが戦後日本を民主化する路線を途中で変えずに全うしていたら、どうなっていたのでしょうね?
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