さすが政府の公報機関誌、産経。
何故政府が憲法改正までに18歳にも選挙権を与えようとしているか、その理由をわかりやすく代弁してくれてる記事がありました。
●18歳選挙権 教室を政治の場にするな
2015.3.7(産経新聞)
http://www.sankei.com/life/news/150307/lif1503070025-n1.html
早ければ、来夏の参院選から高校生を含む18歳以上が有権者に加わる。選挙権を持つ年齢を引き下げる公職選挙法の改正案が、今国会で成立する見通しだ。
選挙権は主権者の国民が行使する民主主義の柱であり、70年ぶりに引き下げる意義は極めて大きい。未来を担う若い世代が国づくりの責任を自覚し公正な一票を投じられるよう、教育への配慮を十分行ってもらいたい。
選挙権年齢引き下げは、昭和20年に「25歳以上」から「20歳以上」に変更されて以来となる。成立は確実な情勢で、公布から周知期間を経て施行される。来年夏の参院選で適用されれば18、19歳の約240万人が新有権者となり、現在の高校2、3年と高校1年の一部が含まれる。
投票率が低い若者世代の政治や選挙への関心をいかに高めるかが問われる。学年に応じて社会参加や選挙の意義、仕組みなどの理解を深めていく教育が、一層必要となるだろう。
選挙権年齢の引き下げは、昨年6月施行の改正国民投票法で、憲法改正国民投票の投票年齢を平成30年から「18歳以上」へ引き下げることに伴うものだ。
総務省や文部科学省は、模擬投票など体験型の学習を含め、憲法や政治に関する教育の充実を教育委員会や学校に促している。
懸念されるのは、こうした教育の機会を捉えて一部の教員らが特定の政治的主張を教室に持ち込むことだ。
今年の日教組教研集会でも、中学の授業で「立憲主義」について「権力を持つ者をしばる」といった説明を強調し、憲法改正を目指す安倍晋三首相を批判するような授業が報告された。教員の一方的な考えを押しつけたり、生徒を誘導したりする授業が相変わらず行われているのが実態だ。
自民党は主権者としての自覚を促す教育のあり方を検討するとともに、偏向指導の歯止めも打ち出す方針だ。教員には政治的中立が強く求められ、政治活動を教室に持ち込むことがあってはならない。早急な手立てが必要だ。
学校教育を含めて個人の人権が強調されるあまり、公共の福祉など「公」の大切さについて教える機会が少なくなかったか。バランスのとれた指導で多様な見方を育み、政治や選挙への関心を高めていくことが必要だろう。
これ、二つの点でひっくり返りそうです。
選挙権付与年齢を20歳から18歳に引き下げるにあたって、
「未来を担う若い世代が国づくりの責任を自覚し公正な一票を投じられるよう、教育への配慮を十分行ってもらいたい。」
とのことですから、人権や民主主義、なかんずく憲法教育に力を入れるのかと思いきや、なんと「教室を政治の場にするな」とは、これいかに。
これから選挙権を行使して政治参加しようとする子供に政治に触れさせるなとは、どういう事でしょう?
国民一人一人が政治に関する学問的知識を学び、主体的に政治に関わっていく能力を備えねば民主主義国家の主権者とは言えないのですが。
だいたい日本は子供を政治から遠ざけすぎます。まるで「お酒と煙草は二十歳までダメ」みたいに。
子供は将来この民主主義社会を担っていく主人公なのですから、民主主義的な物の見方考え方を身につける教育を受ける権利があります。社会のあり方について自分の意見を形成し、参加していく能力は一朝一夕に身につくものではないし、受験勉強でつめこむものでもないです。
欧米では子供を政治から遠ざけたりしません。むしろ積極的に体験させます。
例えば、スウェーデンでは小学生のうちから人権や民主主義を実践的に学びます。地方議会には高校生の議員もいます。(よろしければ
こちらのエントリ-を参考にしてください)
ところが、日本ではこういう教育
そのものが「政治的に偏向」している、という攻撃を受けるのです。
民主主義国家なのに民主主義を学ぶ事が「政治的偏向」であり子供の教育のふさわしくない、「教室を政治の場にするな 」だなんて理解に苦しみます。
民主主義について造詣を持たない子供を育てたら、民主主義を再生産、維持することは困難です。
人権教育、民主主義教育を忌まわしい教育であるかのように攻撃する方が、よほど戦前の非民主主義に「政治的に偏向」していますね。
政治から遠ざけられれば、政治が自分自身の生活に密接にかかわるものだという自覚も育たず、政治について自分の頭で考えず、国の言うことに従順に従う羊が量産されるでしょう、こうしてできあがったのが民主主義=選挙、多数決だとしか思っていないお粗末な民度と政治的無関心、「お上」に丸投げの「お任せ民主主義」なのです。
政治的に「無菌室」で育てられて民主主義とは人権とはなんたるか深く学んでいない若者は、政府の思い通りに誘導しやすくなります。
こういう教育を、新有権者となる高校生に施せと言っているのです。
これがひっくり返りそうになる第一点。
第二点がこちら
懸念されるのは、こうした教育の機会を捉えて一部の教員らが特定の政治的主張を教室に持ち込むことだ。
今年の日教組教研集会でも、中学の授業で「立憲主義」について「権力を持つ者をしばる」といった説明を強調し、憲法改正を目指す安倍晋三首相を批判するような授業が報告された。教員の一方的な考えを押しつけたり、生徒を誘導したりする授業が相変わらず行われているのが実態だ。
自民党は主権者としての自覚を促す教育のあり方を検討するとともに、偏向指導の歯止めも打ち出す方針だ。教員には政治的中立が強く求められ、政治活動を教室に持ち込むことがあってはならない
進化論は現代科学においてゆるぎない定説ですが、それに対して進化論は嘘だ、授業でアダムとイブもきちんと教えよ、と迫るキリスト教右派がアメリカにはいる、と言う話を聞いたことがあります。彼らにしてみれば進化論は科学的に正しくない可能性が高い「偏向」教育なのです。
「立憲主義」を一部教員の偏向した思想であるかのように敵視する産経の言い分も、それにそっくり。
(産経の言い分は政府の言い分でもあります)
現代においては、人権尊重と民主主義が至高の価値であるという自然法思想は、揺るがない世界共通の見識、常識です。ちょうど、進化論も地動説も現代科学においては既に揺るがない定説、常識であるのと同じように。
そして立憲主義は民主主義の核をなす原理です。決して「教員の一方的な考え」じゃありません。むしろ近代民主主義の常識である立憲主義を教えることが政治的中立であって、教えないほうが政治的偏向です
立憲主義を「政治的に偏向」してるというのは、市民革命以前の中世封建時代の言い分です。地動説を「偏向している」と攻撃するガリレオ時代の天動説学者となんら変わりありません。
(まあ、日本は、なんとつい最近の1945年まで中世封建時代と変わらぬ社会でしたけど)
しかし、「天賦人権説を否定しようというのが今の自民党」(by片山さつき)ですし、立憲主義とは何かも知らない人が憲法を作ろうとしています。これはもう、国際社会共通の根本的常識である近代民主主義の根底からの否定であり、実行すれば「クーデター」と呼ばれるものに該当するのです。
現在日本には、戦前にタイムスリップしたとしか思えない幼稚園があります。学校も新設予定とか。
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安倍首相夫人・アッキーも感涙…園児に教育勅語教える“愛国”幼稚園 「卒園後、子供たちが潰される」と小学校も運営へhttp://www.sankei.com/west/news/150108/wst1501080001-n1.htmlこの日本においては、こんな非民主主義的教育は決して咎められません。こういう教育は政府によれば「偏向」ではなく、首相夫人が感激して涙を流すような、よい教育なのです。
もう軸が世界標準から外れまくり。こんな“ガラパゴス”は日本の他には北朝鮮がまっさきに思いつくんですけど。
だから今、日本はこんなに警戒されてるのです
18歳、19歳の240万人の新「有権者」の皆さん。
いくら選挙権が付与される年齢が引き下げられて有権者の仲間入りしようと、国があなたたちを一人前の有権者、主権者としてリスペクトすると思ったら大間違いです。
3/8の自民党結党60年党大会で安倍首相は、集団的自衛権行使容認によって戦争に巻き込まれるとの批判に対し「自民党の誇りは無責任な批判にたじろぐことなく、やるべきことは毅然とやり遂げていったことだ」と述べました。
戦争に巻き込まれるのは国民です。その主権者の声を「無責任な批判」と切り捨てるのですから、彼が国民をどう思ってるかわかるでしょう。
安倍首相にとって国民は主権者ではありません。主権者は「最高権力者」「最高責任者」である自分だというのが彼の本音です。
国民は、自分の所の議席数を増やすため単なる票数でしかないのです。
ようするに18歳選挙権は、人権も民主主義も憲法の本質も何も知らぬ子供にさっさと投票権を与え、憲法改正賛成票を投じさせようって腹がミエミエなのです。
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