国家が国民に憲法改定の調教を施す
- 2015/02/22
- 11:00
●自民、改憲へ「世論対策」本腰 国民投票に向け集会再開
http://www.asahi.com/articles/ASH2P5JQ2H2PULFA002.html
自民党は21日、昨年末の衆院選で中断していた憲法改正に向けた「対話集会」を盛岡市で再開した。仮に、改憲の国会発議に必要な衆参両院の3分の2の賛成が得られても、国民投票で過半数を得るためのハードルはなお高いとみるからだ。安倍晋三首相や自民は「世論対策」に本腰を入れ始めた。
党憲法改正推進本部事務局長の礒崎陽輔・首相補佐官はこの日の集会で、党員や支持者ら約200人を前に「来年中に1回目の国民投票まで持っていきたい。遅くとも再来年の春にはやりたい」と述べ、来夏の参院選後に改憲の国会発議を行い、国民投票に道筋をつけたいとの考えを示した。
礒崎氏はさらに「憲法改正を国民に1回味わってもらう。『憲法改正はそんなに怖いものではない』となったら、2回目以降は難しいことを少しやっていこうと思う」と述べた。1回目は一部の野党も含めて合意が得やすい環境権や緊急事態条項などを対象とし、9条などの難題は2回目以降に提起する考えとみられる
ちょっとまってなんですかこれ
「憲法改正を国民に1回味わってもらう。『憲法改正はそんなに怖いものではない』となったら、2回目以降は難しいことを少しやっていこうと思う」
なんの調教プレイですか。
徐々に強いクスリに慣らしていくみたいな。
何故国民が国家にこんな調教されないといけないんですか、恐ろしい発想です。
しかもこの発言したのは「立憲主義ってなにそれおいしいの?」的なtwをして物議を醸したこの方
時々、憲法改正草案に対して、「立憲主義」を理解していないという意味不明の批判を頂きます。この言葉は、Wikipediaにも載っていますが、学生時代の憲法講義では聴いたことがありません。昔からある学説なのでしょうか。
— 礒崎陽輔 (@isozaki_yousuke) 2012, 5月 28
●togetter (追加あり)立憲主義を知らない自民党「憲法起草」委、事務局長、「礒崎陽輔」議員に関する法律関係者のコメント
http://togetter.com/li/311536
●警報:ガチで「立憲主義って、聞いたこと無い」という自民党国会議員が憲法審査会委員をつとめている!!
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-896.html
だいたい立憲主義の主旨からすれば、国家が主導して改憲に導く、調教していく、なんてとんでもない話なのです。
しかもそれを手がけているのがこんなたちの悪い直ぐにばれるような大嘘をつく人間(もし嘘をついてなかったとしたら立憲主義すらも知らない人間!)ときています。こんな人物に「ほぅら、怖くないょ」的な誘導されるなんて冗談じゃありません。
「憲法改正を国民に1回味わってもらう。」って何様ですか。あなたにそんな権限はありません。
改憲てのは『ここはちょっと国に権力を与え過ぎでは?』という声が国民から沸き上がり、それに応じる形で国会議員が改訂案を発議するものですよ。立憲主義の立場から考えれば当然、そうなりますよね。間違っても、為政者が、『余は改憲したいぞよ。民よ、どこを変えるか議論せい』なんて話じゃない。
— 松井計 (@matsuikei) 2015, 2月 20
法学館研究所の次の論説もお読みください。
国家が立憲主義を破るなんてクーデターにも等しい重大事なのにそれをわかっていない人々が多すぎることに、沈没寸前の船上でパーティーを楽しんでいる情景を見ているかのような危機感を覚えています。
ですから、なんども立憲主義を繰り返し記していこうと思うのです。
そうそう、今の国会の構成が違憲状態であることも思い出しておかなくては(^^;
●拝啓 安倍晋三様 あなたが「改憲」に前のめりになるのは筋が違いませんか
http://www.jicl.jp/kaiken/backnumber/20130415.html
安倍さん、あなたは首相在任中の「憲法改正」に強い意欲を持っているそうですね
(略)。しかし、ちょっと待ってください。あなたがこのように「改憲」に前のめりになるのは筋が違いませんか?それは、次のような問題があるからです。
第一に、いまの国会の構成が、衆議院も参議院も「違憲」状態にある、ということです。昨年末の衆議院選挙については、全国で16件の「一票の格差」訴訟が起こされましたが、その16件の訴訟すべてにおいて各高等裁判所は「違憲」(14件)または「違憲状態」(2件)の判決を言い渡し、うち2件では選挙無効の宣告さえなされています。これだけ見事に「違憲」判断がそろい「合憲」判断は1件もなかったのですから、現在の衆議院の構成が「違憲」状態にあることは、もはや明白といわなければなりません。
(略)
とりわけ、憲法改正の発議のような国の枠組みの根幹にもかかわる事項は、本来なら国会議員たりえないはずの、正当性に瑕疵のある国会議員によって扱われてはならない事項の最たるものというべきです。そういう意味で、あなたがいま「改憲」を言うことは、まったく不適切なことなのです。
第二は、あなたが首相として「改憲」をめざすとしていることと憲法との整合性の問題です。言うまでもないことですが、内閣には憲法改正権はありません。憲法改正権は国民にあり、国民にのみ帰属します。「国民の代表」にも憲法改正権はありません。文字どおり「国民にのみ」あるのです。それは、憲法というものが、そもそも、「統治権に対する法的制限」を意図したものであり、「権力担当者に対する国民からの指示・命令」としての意味をもつものだからです。内閣および各大臣、国会および国会議員は、いずれも、憲法によって「制限される側」であり、国民から「指示・命令される側」に立っているのです。「制限される側」、「指示・命令される側」が、その制限や指示・命令の内容を自由に変えられるというのでは、制限も指示・命令もまったく無意味なものになります。だから、内閣に憲法改正権がないのは当然のことであり、また、国会も、「国民の代表者」によって構成される「国民代表機関」であっても、憲法改正権そのものはもちえないのです。
ただ、憲法は、国会が「国民代表機関」であることにかんがみ、国会に憲法改正の発議権を委ねています。この、国会の発議権は、憲法改正権は国民にのみあるという観点からいえば、国会が憲法改正を主導できるということを意味しません。国民の側から、具体的にここをこう改正すべきだという声が上がり、それについて国会で議論せよという声が高まったときにはじめて、国会はその国民の指示を受けて憲法改正原案をまとめ国民に提示する、というのが本来のあり方なのです。そうではなく、国会議員たちが「ここは自分たちにとって都合が悪いから変えたい」といって改憲発議をするのは、本来筋違いなのです。国会議員が改憲に前のめりになるべきではないのです。まして、憲法改正の発議権が委ねられているわけでもなく、なによりも政権担当者として統治権の中枢を担う内閣が憲法改正を主導することは、絶対に避けられなければなりません。それは、政権の都合のいいように憲法を変えることにつながりかねない行為であり、「統治権に対する法的制限」としての憲法の意味を大きく損なうこととなるからです。その意味で、あなたが首相として「改憲」をめざすというのは、筋が違うといわなければならないのです。
(引用ここまで)
<追記>
まさにそのとおり!
oO(「改憲を正しく怖がる」。そのうち「立憲主義でなくなっても大丈夫」「『公共の福祉』を『公益及び公の秩序』に置き換えても大丈夫」「人権なくても安全安心」「護憲脳w」とかなるかもね。そして、そうやって公言するまでもなく、社会の空気、我々の意識は既にそうなっている。)
— Hideyuki Hirakawa (@hirakawah) 2015, 2月 22
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