私たちが「テロに屈しない」ためにすべきことは、「テロとの闘い」への参加や集団的自衛権行使や憲法改定を決して許さないことです その2
- 2015/02/16
- 13:00
安倍首相は1月20日に人質事件が明るみに出て以降、国会でも意欲的に「テロとの戦い」に参加するために集団的自衛権の行使や、邦人救出のための自衛隊海外派遣を意欲的に言及しています。もちろんその実現のために邪魔になる現行憲法の改定に一刻も早くこぎ着けることは、安倍首相の最大の悲願です。
集団的自衛権をあまりに行使した過ぎて、昨年中東を模した米国の砂漠地帯の演習場で対テロ戦闘訓練、国内で専守防衛するはずの自衛隊が中東での戦闘を想定した訓練をするという「集団的自衛権予行演習のフライイング」もしていたことが報道されました。
●「砂漠戦を自衛隊に指導」米陸軍公式サイト (西日本新聞2015年02月05日)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/143907
完全に専守防衛の域をはみ出てるじゃないですか
何度も言いますが、たとえどんな条件をつけようと集団的自衛権は憲法違反です。国民の些細な法律違反は許さないクセに、国家が国の最も根幹の法である憲法に簡単に違反することには寛大というお国柄orz
そもそも、自衛隊を派兵すれば日本人人質が救出できると考えてるのが「現場を知らない」お花畑過ぎることは専門家からも指摘されています。強盗が人質を盾に立てこもってる銀行に突入するのとは訳が違います。こんな事は世界一の軍隊を持つアメリカだって至難の業なのです(つい先日も、米はISに拘束されていた米国人女性の救出に失敗しています)
それに、この「海外の邦人を保護するため」という口実は第1次上海事変の直前にも使われています。日本政府は邦人の生命を守るという名目で派兵を増強し、日中戦争になりました。
つまり「海外邦人保護のための自衛隊派遣」は「歴史に学ばない者は同じ過ちを繰り返す」の絵に描いたような見本なわけで、これは非常に恥ずかしいことです
実際海外で人道支援をする人々は自衛隊が来る方が危険だと言ってます。「邦人保護のため自衛隊派遣」なんて、ありがた迷惑甚だしいのです。
集団的自衛権で「自衛隊が来るほうが危険」アフガニスタンで人道支援をしているペシャワール会の中村哲さん。16日、西日本新聞。 pic.twitter.com/ezJ4lbMyJS
— 岡野隆 (@hagetakashi65) 2014, 5月 16
もしも海外の邦人一人一人に24時間体制で複数の自衛隊員がSPについてくれるならまだ実効性はあるかもしれませんが、そんなこと首相でもない限り不可能でしょう?
安倍政権のこの姿勢は人質事件を政争に使っている、と欧米紙でも批判されています
●“人質事件を政争に使うな”欧米紙批判 NYT紙は憲法改正と自衛隊規制緩和を懸念 | ニュースフィア
http://newsphere.jp/politics/20150204-4/
10年前イラク人質事件で三人の日本人が解放されたのも、日本は平和国家であるというブランドがあったからでした。
かつてヨーロッパは中東を植民地支配したし、現在パレスチナを苦しめているイスラエルはアメリカがスポンサーです。
しかし日本はこういう欧米の中東に対する弾圧政策には無縁でした。日本は非欧米社会で経済大国として成功し、なおかつ欧米とは違い軍事力を行使しない平和国家だと信頼されてきました。
前回紹介した伊藤和子さんの記事から引用しましょう。
アラブ社会には日本に対する信頼が長らく残されてきた。日本への共感・信頼の根拠は、米国による広島・長崎への原爆投下というあまりに壮絶な被害を受けながらも平和国家として立ち直ってきた国という認識、外交において中立的立場を保ってきたという認識(いまや大きく変わろうとしているが)また、損得抜きで人道支援・戦地報道等に尽力してきた個人(高遠さんや後藤さんのような・・)への信頼が大きかった。
以前当ブログでご紹介した伊勢崎賢治さんの著書「自衛隊の国際貢献は憲法9条で」からの引用も再掲しましょう。
(伊勢崎賢治さんは2003年2月から日本政府特別顧問としてアフガニスタンで武装解除を担当しました)
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-357.html
これ(アフガニスタンの武装勢力の武装解除や国防省改革など)ができたのは日本だからである。アメリカの他の同盟国では絶対出来なかった。イギリスもできなかっただろう。
これは僕だけの意見じゃない。当時の僕のカウンターパートであり、アメリカの中将で、後にアフガンの掃討作戦の最高司令官になった人物も、「日本にしかできなかったことだ」という。
アフガニスタンの軍閥は、我々が行くと例外なく言う。「日本人だから信用しよう」と。
アフガニスタン人にとって日本のイメージは、世界屈指の経済的な超大国で、戦争はやらない唯一の国というものだ。もちろん、アフガニスタン人の軍閥が憲法9条のことなんて知るはずもない。しかし、憲法9条のつくりだした戦後日本の体臭というものがある。9条のもとで暮らしてきたわれわれ日本人に好戦性がないことは、戦国の世をずっと生き抜いてきた彼らは敏感に感じ取る。そういう匂いが日本人にはあるのだ。これは、日本が国際紛争に関与し、外交的にそれを解決する上で、他国には持ち得ない財産だといえる。そういう日本の特性のおかげで、僕らは、他国には絶対できなかった事をアフガニスタンでできたのだ。
『日本はアメリカに対する最大の貢献(軍閥の武装解除)を、それも軍事的な貢献(武装解除は軍事です)を自衛隊を使わずにやった。』それが出来たのは憲法9条のつくりだした戦後日本の体臭があったから信頼された。だから『僕はアフガニスタンの経験から日本は憲法9条を堅持することが大事だと思った。』という伊勢崎さんの結論にはとても説得力があります。
(略)
そして伊勢崎さんは、こうも指摘します。日本人に限らず、武装解除プロセスにかかわった現場の関係者は、日本がこの仕事をできた理由をよく次の言葉で説明する。
「美しい誤解」
アフガニスタンの人々には、日本人にたいする美しい誤解があった。
(略)
日本は交戦国アメリカの同盟国である。海上自衛隊をインド洋に出動させ、アメリカの手助けをしている。ところがアフガニスタンでは、その事実は知られていない。アフガニスタン人はだれも自衛隊のインド洋上活動について知らなかった。カルザイ大統領も2003年9月の時点まで、つまりテロ特措法が施行されてから二年間、こちらが言うまで、このことを知らなかった。
(略)
もしこの「美しい誤解」がなくなれば、アメリカがこの日本の特性を利用することもできなくなる。
美しい誤解がなくなってしまうのがよいのか、それともこの誤解を誤解でなくし、更に強化することが求められるのか
しかし日本はこの上もなく卑屈に米に追従し、イラク戦争では真っ先に米を支持して後方支援に当たり(これは違憲判決が出ています)、昨年には武器輸出三原則を撤廃、日本はイスラエルと急接近してイスラエルに武器輸出の道を開きました。
そしてカイロでの「ISILと闘う周辺各国に」2億ドル支援演説と、イスラエル国旗をバックにした緊急会見・・・もうだめぽ。。
既に薄くもろくなっていた「美しき誤解」は砕け散ってしまい、ISからテロ対象国指定されてしまいました。
これで9条を改定され集団的自衛権を行使すれば、もう、完全に終わりです。
イラク人質事件で人質となった高遠菜穂子さんの話に耳を傾けましょう。
●集団的自衛権行使がもたらす惨禍-「対テロ戦争」で若い命失い一般市民の犠牲を世界に拡散|高遠菜穂子さんhttp://bylines.news.yahoo.co.jp/inoueshin/20140630-00036891/
「武装勢力」と呼ばれる彼らのほとんどが肉親などを残虐に殺された遺族であり、武器を持つ動機は深い絶望の中で抱え続けた憎悪であることが大きいと言えます。正規軍のように「命令に従っただけです」とは言わないでしょう。残虐な行為に壊されたその心は想像を超える激しさがあります。戦闘でも米軍を追いつめるほどでした。
私はそんな「武装勢力」に拘束されました。彼らはまず私たちの国籍を確認しました。日本人であることを確認してから拉致したのです。「人道復興支援」として武装した自衛隊を送ったことに怒り狂っていたのです。
「なぜだ!? なぜ日本軍(アラビア語で自衛隊にあたる言葉がない)をイラクに送った?」「なぜアメリカの味方をする?!」
何度も怒号を浴びました。
「対テロ戦争」を続けた結果、アメリカはどうなったでしょう?
イラクはどうなったでしょう?
こんな「テロの世界」で集団的自衛権行使する意味があるでしょうか?
若い命を失った分、世界は安全になったでしょうか?
「テロ」は減ったでしょうか?
「人道復興支援」で武装していっても標的になるのです。集団的自衛権を行使することになったら一体どんなことが起こりうるのでしょうか?
「平和の国ニッポン」というブランドイメージが私たちに安全をもたらしてくれていたのに、日本の「米国追随」のイメージは支援の現場でも深刻な問題をもたらしました。その後、何年もイラク支援のNGOは「日本からの支援」ということを表明できませんでした。表明すれば、現地スタッフが私たちの代わりに標的になってしまったからです。
あれから何年もかけて、必死に必死に働き、やっとやっとイラクの人々からの信頼を回復することができました。なのに、もう一度それを失うのでしょうか?
安倍首相のおかげで日本人が中東で真に必要とされる人道復興支援を行うことは難しくなってしまいました。高遠さんや後藤さんのような人達の努力が水の泡です。
中東の平和安定に貢献すると言ってる安倍首相自身が、貢献を困難にしているのです。
ですから日本は、かつての9条のブランドを取り戻すことしかないと思うのです。
安倍政権が集団的自衛権行使や憲法改定が実現してしまう前に。
ここまで成長してしまったテロリズムを解決するのに一朝一夕にはいきませんが、例えば志葉玲さんが仰っているようにイラク政府に対し各宗派や少数民族との和解を促すのもISの勢力を縮小させる一方法だと思います。これが実現できれば「テロとの闘い」で軍事的な報復をして暴力の連鎖が果てしなく続いていくよりはるかに実効性があります。
しかし、決して軍事力に訴えない中立な平和国家であるという信頼がなければ、イラク政府に和解を促すことは絶対に成功しません。
これが「テロに屈しない」本当の方法だと思います。
もういちどTwを掲載。
政治家の言う「テロに屈しない」はほとんど「どうしたらいいかわからない」と同義。
テロに屈しないとは、テロを口実に民主主義を後退させないこと、軍事化を促進させないこと、暴力を容認しないこと、民族差別・宗教差別を招かないこと、理性を放り出さないこと。そしてより真っ当な世界にすること。
— 上丸洋一 (@jomaruyan) 2015, 2月 5
テロとは、それを相手に戦うものではなく、なくすように努めるものだ。「テロに屈しない」と息巻いてもテロは無くならない。まして武力で根絶できるものでもない。テロが起きる原因、背景を冷静に分析し、テロが発生しないような環境を整えることこそが、本来のテロ対策である。空虚な言葉は無意味だ。
— m TAKANO (@mt3678mt) 2015, 1月 28
テロに屈しない態度とは、やられたらやり返すと威勢のいいことを言うのではない。武力ですぐに解決できないという現実を見据え、テロリストにひかれる人間を減らしていく迂遠な作業を、迂遠と分かりつつ、粘り強く続けていく態度だと思う。
— 山口二郎 (@260yamaguchi) 2015, 2月 2
安倍首相がやりたくてたまらないのはこれとは完全に真逆ですね。
一度失った信頼は時間をかけなくてはなかなか取り戻せないでしょうが、9条の精神に沿った外交を展開することだけがイスラムの人々の信頼を取り戻す方法です。
とりあえず思いついたのは、集団的自衛権行使の違憲性を認めて取りやめること、中立な立場に立つことを確認し米の「テロとの闘い」に参加はしないこと、2億ドルを軍事支援と受け止められる演説をした安倍首相に責任取らせる、でしょうか。
集団的自衛権行使してこれ以上暴力の連鎖に荷担したって破滅しか待ってません。
ちなみに在英邦人の女性はイギリスの日本大使館から「常にアンテナを張って、デマに惑わされては危険だ。1日の行動は家族や所属先に伝えて、街で目立ってはいけない。大声で話さず、周囲には注意を」という物騒なメールを受け取っているそうです。
(安倍総理の報復宣言で150万人の在外邦人の安全が脅かされる! 平和国家・日本の「ブランド」に終幕!? イギリスから岩上安身に届いた在外邦人の叫び より)
安倍首相の「テロリストに罪を償わせる」は「revenge」と英訳されており、テロリストの火に油。
もうこれ以上安倍首相の悲願成就のために巻き添えを食うのはゴメンです。
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