コメント
モンスターコメンテーター
>さっきと言ってることが全く矛盾してるんですけど・・一体どっちなんだろう(爆)
俺様の言うことがどんなに矛盾していても俺様に黙って従うのがお前のつとめだ、というのがこういう人の思考・行動原理なのだと思われます。そういうことで、ご本人の中では矛盾がないんだと思います。
そんな人にいくら議論を挑まれたって、もとい、説教されたって、もとい、「ナンパ」されたって、矛盾と詭弁に満ちた支離滅裂な主張、もとい、口説き文句を聞いてあげる気にはなりません。
今度からそんな人に「ナンパ」されたら、「アフタヌーン・カフェ」でならお茶してもいいですよ、って言おうかな。笑
ちなみに件の君が代強制大好き人間の方は、自分はクビになる心配はないけど民間人にはあれこれと文句をつけられる立場にあるどこかの役所の小役人というところではないかと想像しております。(^^;;
あ、もう一つ私も注をつけておこう。
>理に適った強制
そんなものはありえません。理にかなっているなら、強制する必要そのものがないのです。理にかなっていないから件の人は強制せざるをえないのですね。
>村野瀬玲奈さん
そういう男性客は入店拒否しよっかな
いや、入店していただいて、おもいっきりぼったくってやろうっとww
>>理に適った強制
そんなものはありえません。理にかなっているなら、強制する必要そのものがないのです。理にかなっていないから件の人は強制せざるをえないのですね
これも「俺様の言うことがどんなに矛盾していても俺様に黙って従うのがお前のつとめだ」のあらわれでしょうね。
「誤読」に対する反論
それとも誤読しなければ、反論できないのかな…(苦笑)。
そのようなあなた方の誤解を解くためにコメントするだけなのですから、このコメントを以って、「また、ナンパしに来た」とか勘違いしないように(笑)。
私にとってもそのような”自意識過剰な勘違い”はハタ迷惑ですから。
それはさておき、もう一度、私の主張を簡単にまとめますと次のとおり。
◆国旗・国歌への礼儀作法を、子供に覚えさせることは教育(しつけ)の一環で教育上必要不可欠である。
◆あなた方は、子供に基礎的教育を受けることを妨げ、結果的に子供の成長の機会を奪っている。
◆「しつけの問題」と、「思想良心の自由」はまったく別の問題。教育現場に、場違いな憲法問題を持ち込むのはナンセンス。
◆強制して歌わせるのは「子供」だけ。大人になれば嫌なら歌わなくても構わない(だから、思想良心の問題ではない)。
◆子供に歌わせる「業務命令」を「思想良心の自由」を盾に拒否するのは不当であり、単なる教師のワガママ行為に過ぎない。
◆この業務命令は、裁判において憲法違反との「確定」判決は出ていない。よって、正当な業務命令と見なされる。それを不当と断じるあなた方の解釈は単なる”俺様”解釈に過ぎない。
そもそも、子供に、大人同様の権利を無制限に保障している社会がどこにあります??
子供に飲酒する権利がありますか?運転する権利がありますか?選挙権はありますか?
あなた方は、大人の権利を子供にも同様に認めろ、と言っているようなものだ。
それが、結果的に「子供の成長の機会を奪う行為となる」ことにさえ気付かずに。
これ一つ鑑みても、あなた方は己の権利主張だけが大事で、子供のことを何ら考えていない。
>自分の権利を認めて貰いたければ、他人のも同様に認めろ。
>自分がやられて嫌なことは、他人にもやるな
>こちらこそ、「守の段階で強制されてもいい常識」ですね(笑)
その論理を、しつけ段階の教育に持ち込むこと自体がおかしいと散々指摘しているのですがねぇ…。
貴方の頭ではそれがどうしても理解できないようだ。
だから、私の主張に矛盾があるなどと、誤った断定をするのでしょう。
「自分がやられて嫌なことは、他人にもやるな」という貴方の論理を”無制限に援用”すると、強制そのものが一切出来なくなります。
しつけという教育上必要不可欠な”強制”も当然出来なくなる。
実生活では、たとえ嫌でも「やらなくちゃいけない」ことは存在するし、「やっちゃならない」ことも存在するのです。
あなた方は、自分の都合のいい場合だけ憲法等を振り回しながら、それを無視する。
この原則を蔑ろにし、自分に都合よくタテマエを押し通す人間が増えれば、その社会は崩壊します。
だから、いくら「思想良心の自由」を盾に叫ぼうが、世間から相手にされないし、嫌われるのですよ。
いい加減、自分の行為が、世間から「ひとりよがり」だと見なされていることぐらい気付きましょう。
それが、精神的にも「ワガママで甘ったれの子供から、大人になる」ということです。
所詮、自分の属する共同体のシンボルに敬意を払うどころか貶めさえする人間によって、共同体が良くなる事なぞ無いんですよ。
厳しいことを言わせて貰いますが、あなた方のように、日本という「共同体」から受ける恩恵に何ら感謝もせず、綺麗事を唱え、その共同体から金をむしりとることしか考えていない人間によって、日本が良くなることはないことは無いと言ってよいでしょう。
相変わらずの長文で申し訳ない。
上のコメントを読まれた方へ
通常の議論というものは
1.私がエントリーで意見を述べる
↓
2.コメンターがそれに対する反論をおこなう
↓
3.私が2の反論の内容をふまえ、それに対し再反論を行う
↓
4.コメンターが私の3の再反論の中身をふまえ、3の再反論に対し、再々反論を行う
という具合に積み重ね発展していくものなのです
しかし一知半解さんの場合は
1.私がある意見を述べる
↓
2.一知半解さんがそれに対する反論をおこなう
↓
3.私が2の反論の内容をふまえ、それに対し再反論を行う
↓
4.一知半解さんは私の3の再反論を全く無視してまた2で述べたと同じ事をいう。
なのです。
そしたら私はまた再び3の再反論を繰り返してさしあげるか、「ちゃんと人が書いたことを読んで理解してから来てください」と言うか、どちらかしかないわけですね。
これは議論と言いませんし、4.のようなコメントを繰り返すのを「粘着」というのです(これも既に一知半解さんに説明したのですけど)
上の一知半解さんのコメントをご覧になると、いかに私が一知半解さんにした3の再反論に対し、それを無視して2で既に終わった同じ事を繰り返してるだけか、よくおわかりいただけると思います。
「しつけ」「子どもの教育を受ける権利」「業務命令」にしろ、私が一知半解さんの反論(2.にあたる)を受けて述べた再反論(3.にあたる)を全て無視してまた2.で述べてたことを同じように繰り返してますでしょうw
たとえば「しつけ」の論点を例にとって見ましょう
1.君が代の強制は思想信条の自由の侵害である(私)
↓
2.生徒に歌わせるのはしつけだ(一知半解さん)
↓
3.大人になれば嫌なら歌わなくても構わない程度のものを、先生を懲戒してまで卒業式でしつける必要性などまったくないし、先生のクビまでかける合理性もない(私)
↓
4.2.生徒に歌わせるのはしつけだ(一知半解さん)と繰り返すのみ
本来なら、思想信条の自由の侵害になるものを、大人になれば嫌なら歌わなくても構わない程度のものを、何故先生を懲戒してまで卒業式でしつける必要性、合理性があるのかを一知半解さんは説明しなければ再々反論にはなりません。が、壊れたレコードのように2.に戻ってしまうんですね。
一事が万事この調子、人が書いたエントリーを読んで理解しないまま、突撃してきてるのがよくわかります。
おまけに
>◆強制して歌わせるのは「子供」だけ
なんて、また矛盾したことをいっちゃいましたね~w
こねこ。さんには
>強制されているのは、実質反抗する教師のみ(生徒は歌わなくても停学処分など受けることはありえないですし)
って言ってたんですが(笑)
根拠不明なことも堂々と書いていますね
>子供に飲酒する権利がありますか?運転する権利がありますか?選挙権はありますか?
←で、なんで君が代を歌わない権利がないことになるのかさっぱり不明だし
>実生活では、たとえ嫌でも「やらなくちゃいけない」ことは存在するし
←で、なんで君が代斉唱は、「たとえ嫌でもやらなくちゃいけない」のかの説明も全然ないし
(5)に書いたことを再掲しますが、
「「『君が代』を歌いたい人は歌い、歌いたくない人は自分の思想・信条に従って判断して結構です」と卒業式前日の予行演習で、東京都立農芸高校定時制課程の社会科教師が生徒に「内心の自由」について説明しとところ、この発言が「不適切な指導」だとして、都教育委員会は、この教師を「厳重注意」という事実上の処分にしたことがありました」←一知半解さんによれば、このような日本国憲法に則った教育は「教員のワガママ」だから、不適切だとして処分することが子どもの学ぶ権利を保障することになるそうです。これは憲法の否定なので論外ですね。
さすが支障、いや、師匠が浅見定雄さんや本多勝一さんにつっこまれて空中分解してしまったイザヤベンダサンこと山本七平氏だけのことはあって、その支離滅裂ぶりがそっくりですね。
私は全部につっこんでる時間がとてもありませんので、どなたかツッコミたい方はお相手してあげてください 。ツッコミ放題ですよw
一知半解さんへの主張
憲法とはそれぞれの国がたどってきた歴史的所産です。日本国憲法は戦前の反省を基に作られたものです。戦前人々の思想は抑圧されました。また日の丸・君が代は軍国主義の象徴でした。それゆえ日の丸君が代の強制に敏感に反応するのです。したがって、実生活ではたとえ嫌であっても「やらなくちゃいけない」ことが存在するにもかかわらず日の丸君が代の強制が憲法問題になるのは過去の歴史ゆえです。「どんぐりころころ」じゃ誰も騒ぎません。
>価値観
価値観の押し付けが必要だとの前提にたったとしても当然どういった価値観を押し付けるべきか、あるいは押し付けてはならないのかが問題となります。
私としては憲法的な視野にたった価値観を押し付ければよいと考えます。例えば、様々な価値観を大人は子供に押し付けるけれども、ここぞという一線を越えた価値観の押し付けに抵抗するのは市民として当然のことであるとの価値観を押し付ければよい。したがって子供の成長の機会うんぬんとの批判は不当です。
>国民主権と君が代
ところで、一知半解さんは基準として常識を挙げています。
君が代の「君」は天皇との解釈が国によってなされています。したがって君が代は天皇主権を讃える歌となります。しかしながらこのことは私の常識に反します。私の常識だと国民主権ですから。常識に反する内容の歌を歌わせるなんて欺瞞ですね。
>私としては
子供といってもちょうど親や教師の価値観に反抗する時期だから、様々な価値観を与え自分でどうするか選択させればよいと思うけどね。
>再び憲法
今の憲法は過去の様々な出来事に影響を受けて成立しました。なぜ憲法は国家を縛るものなのかは歴史を勉強する必要があります。きちんと理由があるのです。
憲法を批判するのはけっこうですが、憲法批判の大半は一知半解さんの無理解から来るものです。だから、実生活が、企業がとかおかしな批判を繰り返しているのです。「しつけ」と「思想良心の自由」は別問題との主張はエホバの証人の最高裁判決に反します。まさに俺様解釈ですね。
批判したいのであれば、ご自身で学べばよろしい。本でも買ってね。一知半解さんは昨日今日の新人さんではないでしょう。私が知ってるだけでも2年近く他者のブログへ他流試合を試みてる方です。
そんな方にこちらが懇切丁寧に1から教える義理なんてないんですよ。正直甘えないでいただきたい。
他流試合の「戦績」
>私が知ってるだけでも2年近く他者のブログへ他流試合を試みてる方です。
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20071208/p1
こちら↑は2年半近く前の「他流試合」です。
その前にこれ↓もありました。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-490.html
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-511.html
せっかくですから、一つツッコミを。
>やれやれ、どうも左翼の方々は、自分に都合よく捻じ曲げて解釈する悪癖があるようですね。
一知半解さんが「自分に都合よく捻じ曲げて解釈」した実例が私のブログに残っていますので、皆さんの参考に。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-669.html
>ひろとさん
仰るとおり「日の丸・君が代は軍国主義の象徴だった」という誰も否定できない事実があり、それに抵抗を感じるのはもっともだしその信条は憲法上の尊重に値する、というのがまず出発点なのです。全てはここから始まります。
一知半解さんは何度もコメントしてきていますが、この一番肝心な出発点をほとんどスルーしてきているのにお気づきでしたか?
せいぜいこれです。「日の丸そのものは、負の歴史を持つとはいえ、(略)日の丸を毛嫌いする国民はあまりいないでしょう。」← これでおしまい。
いや、毛嫌いする人は存在してるし、その人達の信条の話なんだってば、日の丸君が代問題は・・(笑)
共通した前提条件から議論を出発させない。これもネトウヨがよく使う手です。
歴史修正主義者別名ネトウヨ独特の特徴的な思考・詭弁のパターンのいくつかを、私達は一知半解さんから学ぶことが出来ます。
具体的なことは何も話さず、実に曖昧な抽象論を持ってきて、直ちに持論を肯定するのに用いる、とかね。
(実生活では、たとえ嫌でも「やらなくちゃいけない」ことは存在するし、「やっちゃならない」ことも存在するのです、とか、「自分がやられて嫌なことは、他人にもやるな」という貴方の論理を”無制限に援用”すると、強制そのものが一切出来なくなります。の部分)
これは基礎的な論理学の三段論法も成立しないようなお粗末さです。
あと、先述したように議論のループも得意ですね。
・自分の都合のいい場合だけ憲法等を振り回しながら、それを無視する
・いくら「思想良心の自由」を盾に叫ぼうが、世間から相手にされないし、嫌われるのですよ。
・自分の属する共同体のシンボルに敬意を払うどころか貶めさえする人間によって、共同体が良くなる事なぞ無い
←このあたりは「自分の空想と現実をミソクソにこねくり上げて捏造する」例としてあげられるでしょうか
いくつか共通したパターンを抽出することができますよ。
それを学ぶことは、実在する行動ウヨク達の分析に役に立つだろうと私は思うのです。
>村野瀬玲奈さん
で、結局私はどこを自分に都合よく捻じ曲げて解釈したのか、一知半解さんのコメント読んでもさっぱり書いてなくて困っちゃうんですけど・・(苦笑)
一知半解さんも随分とネトウヨ歴が長いんですね。オマケにコメントも長い。
これは一知半解さんにアドバイスなんですが、文章というものは人様に読んでいただくものなので、伝えたいことをできるだけ簡潔に書かれた方がよろしいと思います。
まあ、これは自分に対して戒めでもあるんですけど(^^;
人間、同じ事を繰り返してくどくどくどくどくどくどくどくど冗長に長文で書かれると、もうそれだけでうんざりして読む気失せますからね。
上司の長々スピーチなんて誰も聞いてないでしょう(笑)それと同じです。
村野瀬さんご紹介の記事の中に懐かしい自分のコメントがありました^^
転載させてくださいね。
『歴史修正主義者ってカルト宗教信者の心理とそっくりだと思うのです。
脱会させようと家族が働きかけるほど意固地になる。
そのカルトの教祖がどんなにインチキでただの金の亡者の詐欺師である客観的な資料、動かぬ証拠を突きつけようと決して目に入らず、かえって「迫害されている」とますます信仰を深めてしまう状態。
カルトの外にいる普通の人間から見たら、詐欺師であることがこんなにハッキリしているのに、何故騙されたと気づかないのが不思議でならないですよね。
彼らはカルト専門のカウンセラーでないと脱会は無理な状態です。
歴史修正主義者が自分達が、どんなに破綻しているか客観的資料をつきつけられ反論の余地のないほど論破されても、決して考えを改めようとしないのは、カルト信者がそうなのと同じだと思います。
私は自分の考えは間違っていたと軌道修正した素直な歴史修正主義者を見たことがありません。歴史修正主義者ってそのままではいつまでたっても歴史修正主義者なのかも。
また、これはナチス誕生当時のドイツの大衆にも似ていますよね。みずからが背負う自由が重くて放棄し、権威に支配されたがるのです。
心理学者がネトウヨ研究したら、第二の「自由からの逃走」が書けそうです。』
歴史修正主義者が自分達が、どんなに破綻しているか客観的資料をつきつけられ反論の余地のないほど論破されても、決して考えを改めようとしないのは、カルト信者がそうなのと同じだと思います
私は自分の考えは間違っていたと軌道修正した素直な歴史修正主義者を見たことがありません←自説の正しさが証明されちゃいました^^
まあ、一知半解さんは「氏ね」とか言う罵詈雑言を吐いたり、セクハラもどきの嫌がらせをしない分だけお行儀の良いネトウヨだと思います。
>秋原葉月さん
一方、日の丸君が代強制を正当化しようとする一知半解さんの主張はパワハラの論理そのものに見えます。
ということで、秋原葉月さんに反論してみました。(^^;;
秋原葉月さんにもう一つ反論。秋原葉月さんの文章は、実証的内容と的確な論理があるので、どんなに長くても「くどい」という感じがしません。ですから、あまりに自分をいましめすぎてもいけません。笑
>一知半解さん及びブログ主さんへ
一知半解さんはまず大前提として
『国旗・国歌への礼儀作法を、子供に覚えさせることは教育(しつけ)の一環で教育上必要不可欠である。』
と主張されていますが、その「必要不可欠」のところが、そしてそれが何で学校行事での掲揚や演奏と関係するのかが、ちゃんと論証できていないという点に気が付くべきでしょうね。
一知半解さんがそのように考えるというのは自由。でも、それを普遍的なものであると主張したいなら、何故それが「必要不可欠」であり、何故卒業式や入学式で日の丸の掲揚、君が代の演奏をすることで教育(しつけ)がなされるのかということを万人に納得させられなければならない。
でも残念ながら、一知半解さんはただ自分の嗜好を述べているだけで、説得力のある論拠を何一つ挙げていない。
それじゃあ、一知半解さんのやっていることは、ご当人曰くの、
『あなた方は己の権利主張だけが大事で、子供のことを何ら考えていない』
『自分に都合よくタテマエを押し通す』
行為でしかなく、『精神的にも「ワガママで甘ったれの子供から、大人になる」』ことができていない典型例に過ぎないと言えるでしょう。
ちなみに、弊ブログでも時折この話題には触れることがありますが、私が何故君が代の演奏強要に反対するのかと聞かれた時には、それが「場違い」だからと答えています。
http://plaza.rakuten.co.jp/whitesand72/diary/200803090000/
http://plaza.rakuten.co.jp/whitesand72/diary/200804130000/
そして、強要を是とする人々には「ご自分の結婚式で君が代を演奏しましたか?」といつも聞いていますが、これまでにYesと答えた人に会ったことはありません。
自分の主催する祝い事の場で唱う気になれない曲を、他人の門出を祝う場で歌えと言うのは、子供をダシにして『己の権利主張だけ』を通そうとしているに過ぎない。
そんなものを卒業式や入学式の式次第に無理に入れ込もうとする学校管理者を見て子供は、「ああこの人達は、自分達のことを祝うよりも己のイデオロギーあるいは保身が大事なんだな」と考える。そこには子供達がイメージする大人の権威、教育の意義を傷つける意味しかありません。
自分の卒業式で、こんなくだらない思想のあぶり出しをやらなかったおかげで、私は自分の恩師が日の丸君が代にどんなスタンスを取っていたのか知る事もなく、恩師を恩師と尊敬し続けられた。だから、そういう学校長にも感謝し続けられる。
たかが歌一曲に卒業式を汚される今の子供は、どんな気持ちで学校時代を振り返っているのでしょうね。
長くなってしまいました。
失礼します。
>村野瀬玲奈さん
では「論争相手も被害者も侮辱するネトウヨ」よりもほんの少しだけお行儀が良い、ということで^^
まあ、ネトウヨの背比べ、同じ穴のネトウヨ、五十ネトウヨ百ネトウヨですけど。
>どんなに長くても「くどい」という感じがしません
そうですか(嬉)?日々精進いたします^^
>白砂青松さん
一知半解さんは、これはわざわざ論証する必要などない自明の真理だ、と信じて疑わないのでしょう。ちょうど戦前の日本人が「天皇ヘイカのために戦って死ぬことこそ臣民の美徳である」と信じて疑わなかったのと同じように。
一知半解さんにとっては君が代を歌わないということは、殺人や盗みと同様許せない反社会的、反倫理的な行為なのです。
だから、思想信条の自由の問題だということが理解できず、「単なるワガママだ」としか思えないんでしょうね。
彼には日の丸君が代が背負っている歴史を批判する考え方が理解できない、もっと言えば、戦前の軍国主義天皇主義を批判、反省した上で現在の民主主義が成り立つことが理解できないのだと思われます。
こうなるともう議論のレベルじゃないですね;;
記事のご紹介、ありがとうございます。
読ませていただきましたが、その通りだと共感いたします。
私も過去に似たような記事を書きましたのでトラバさせていただきました。
No title
一知半解さんに言いたいことはもう大概言ってしまったつもりだったのですが、ツッコミどころが多くて言いたいことが却って増えてしまった感じです(笑)
> それとも誤読しなければ、反論できないのかな…(苦笑)。
で、結局どの辺が誤読なのかは謎のまま、と…。誤読、というだけならただの印象操作ですよね。
ちなみに、わたしは誤読されましたね。前のエントリで、一知半解さんに、かなり盛大に。もしくは力技の我田引水?ツッコミも入れたかったのですが推敲の段階で削った部分です。
「「国旗掲揚・国歌斉唱は一般常識」というのは、一知半解さんを含めた一部の人の価値観でしかないのではないですか?」「「国旗掲揚・国歌斉唱は一般常識」というのは前提がそもそも疑わしい」
って書いたら
> 常識に過ぎないから強制するな…という意見はわからなくもないけど
って、いやいやいや(笑)どこをどう読めばわたしが「常識に過ぎないから強制するな」と言った事になるのか(笑)念のため、わたしは「国旗掲揚・国歌斉唱」を常識だと思ったことは一度たりともありませんので(^_^;)
「国旗掲揚・国歌斉唱は常識」という前提を疑って欲しかったんですけども、理解してもらえなかったようです。
> あなた方の誤解を解くためにコメントするだけなのですから、このコメントを以って、「また、ナンパしに来た」とか勘違いしないように(笑)。
いわゆる”ツンデレ”というやつですねわかります(笑)
> 所詮、自分の属する共同体のシンボルに…
この辺になるともうただの罵倒ですね。
「金をむしりとる」とか、意味が解りません(^_^;)
全体主義は嫌だから。
私自身は日の丸・君が代を学校で教えるのは特に問題ないと思います。日本列島に住む住民として。もっとも日の丸・君が代の不都合な事実を教えることなくただ敬意を払えというのは偽善ですけどね。国民主権と全体主義への警告を与えておくのは私の中では常識です。
(2)アメリカの判例法理
バーネット事件連邦最高裁判決・ティンカー事件連邦最高裁判決・ラッソー事件・アブード事件その他もろもろの判決により、国旗宣誓・敬礼の拒否は修正第1条によって保障されています。
「学校は全体主義の飛び地ではない」(ティンカー事件判決)
他にも
「知性と精神の領域は、公権力や世論が干渉するものであってはならず、また議会の投票や選挙結果に任せられてはならない。知性と精神の自由が侵害される時は裁判所の審判権が発動される。」
「日の丸・君が代裁判」と思想・良心の自由 現代人文社
世論や常識は大切だけどそれらとはちょっと距離を置くのが憲法の考え方。なぜなら、世論や常識を背景にマイノリティの権利自由が侵害されることがあるから。
>秋原葉月さんへ
気づくもなにも私の反論のほとんどが既に秋原さん達が述べたことの繰り返しですからね。どんだけ見逃されてるんだよって話です(笑)例えば秋原さんのプチ問(2)を普通に読んでいれば、「なぜ日の丸・君が代が」なんて無邪気な質問はできないと思うのだけど。
>村野瀬さんへ
私からも日の丸による教育効果に関するお知らせです。
①日の丸に敬意を示すが、デモ中、周囲の「人間」を目で威圧する。
②自分と異なる考えの持ち主としるや奇声をあげ時に襲う。
③〇〇人は害虫に見えるらしい。おそらく、脳によって対象を無意識のうちに害虫に変換しているものと思われる。
④○○人の肌の色は気持悪いと発言している。脳によるものかあるいは何らかの力によってこう可視光を・・・。
レジスタンス気取りの皆さんへ
しかし、「日の丸・君が代は軍国主義の象徴だから、抵抗を感じるのはもっとも」というブログ主さんのご意見にはビックリですな。
>毛嫌いする人は存在してるし、その人達の信条の話なんだってば、日の丸君が代問題は・・(笑)
貴方のその信条は十二分なほど尊重してますよ。
日の丸反対をブログ上で叫ぼうが、路上で叫ぼうが、自由に出来る社会じゃありませんか。この日本は。
それに、強制された子供だって、大人になれば、従うか従わないかは全くの自由ですよ。この日本は。
私が言いたいのは、躾けている最中の教育現場に、そのひとりよがりな信条を持ち込むのは、止めなさいといっているだけなんだけどね。
あなた方みたいに、自由な社会の恩恵を満喫しながら、教育現場を利用して、勘違いレジスタンスをして見せて、平和と憲法を守ったつもりになっているオママゴト人間の行為を、世間は苦々しく思っていることにいい加減気付きなさいな。
ニーメラーの警句を持ち出して、まるでこの問題が恐怖の専制につながるかのように、煽ってますが、残念ながら、これは単なる教育の問題に過ぎませんから、まったく関係ありませんな。
関連があると強弁するなら、この問題がどのように発展するのか証明してごらんなさい。
私から見れば、秋原さんの行動は、まるで狼少年でしかありませんね。
反対意見を言われると、ネトウヨだの、カルトだの決まって言い出すのも、情けない限り。
まぁ、予想どおりの反応でしたけど…。
白砂青松さんへ
>白砂青松さん
>それを普遍的なものであると主張したいなら、何故それが「必要不可欠」であり、何故卒業式や入学式で日の丸の掲揚、君が代の演奏をすることで教育(しつけ)がなされるのかということを万人に納得させられなければならない。
日の丸・君が代は、多くの国民から国旗国歌として認知されています。普遍的といってよいと思いますが。
必要不可欠だと思うのは、自らが属する共同体へ帰属意識を高め、日本人としてのアイデンティティを確立するのに役立つからです。
さらに言えば、式典時における国旗国歌に対する姿勢というものを学ぶには絶好の機会でもある。
まぁ、この説明で、あなた方を含めた万人を説得できるかといえば、無理でしょう。
しかしながら、教育は万人が納得するものでなければならないなどという決まりはない。
仮にそうした決まりがあったとしたら、(万人が納得するものなぞ存在しないのだから)教育自体が成り立たないでしょうね。
万人が納得する論拠じゃないから、私の主張がワガママだと言いたいのでしょうが、あなた方が反対する論拠の方こそ、よっぽど根拠に乏しいのですよ。
貴方の「場違い」という価値観もそう。
「くだらない思想のあぶり出し」と貴方は仰るが、勘違い教師たちが、
原因と結果を取り違えてます。
たかが式典時の歌一曲に、思想信条という難癖をつけて、式典をぶち壊す教師に、子供たちとその親達がどう思っているか、気付きませんか?
そうした視線に気付かず、平和と自由を守ったつもりでいることこそ、「ひとりよがり」そのもの。
思想信条を絶対視すると、「ひとりよがり」になるといういい見本ですね。
だから、左翼は嫌われる。まさに自業自得という奴です。
ハイル・一知半解?
ということは、国旗国歌強制教育に賛成する方は自分たちがナチスという意識があるということですね。貴重な証言です。
>強制された子供だって、大人になれば、従うか従わないかは全くの自由ですよ。
しつけって、その程度のものなんですか。たとえば、「人が嫌がることをやってはいけません」という「しつけ」も、大人になったら無視していいんですね。そういう「しつけ」(と呼べるのかな?)を受けた結果が、一知半解さんのような、通常の民主国では行なわれていない国旗国歌への恭順の強制を具体的理由付けなしで正当化しようとする人を育てるわけですね。わかります。
反対意見を言われると、しつけだの、オママゴト人間だの決まって言い出すのも、情けない限り。
まぁ、予想どおりの反応でしたけど…。
>こねこ。さん
>ちなみに、わたしは誤読されましたね。前のエントリで、一知半解さんに、かなり盛大に。
なかなか豪快な「誤読」ですね~(笑)
村野瀬さんのケースも併せて、「君が代を強制したい人が、相手の言う意図をねじ曲げ誤読する実例」として記録しておきましょう。
> あなた方の誤解を解くためにコメントするだけなのですから、このコメントを以って、「また、ナンパしに来た」とか勘違いしないように(笑)。
さて一体私がどこをどう誤解したのやら、未だにその説明はありません。
「誤解をときにきた」などど言いつつ、実はそんな作業は全然してないわけですから、やはりこれは「ツンデレナンパ」だと思われます。
>ひろとさん
「国旗宣誓・敬礼の拒否は修正第1条によって保障されています。 」
これが「世界の常識」なんですが、一知半解さんはこの現実を受け入れることが出来ないみたいですね。
>日の丸による教育効果に関するお知らせ
あは。「罪と苦会」のことですねw
日の丸君が代を他に強制したがる人々です。
こういう人達がデモに静かに抗議したたった一人の人を日章旗でフルボッコにしたり、聞くに堪えない民族差別のヘイトスピーチをまき散らすのを見ると、ますます日の丸君が代がいやになります。
>一知半解さん
ではあなたは軍国主義の象徴に全く抵抗を感じないのですね。そんなあなたの意見にビックリです。軍国主義がお好きなのですね。
>貴方のその信条は十二分なほど尊重してますよ。
日の丸反対をブログ上で叫ぼうが、路上で叫ぼうが、自由に出来る社会じゃありませんか。この日本は。
ブログや路上で言えても卒業式で表明したらクビになるから問題になってるのでしょう?だったらブログや路上でできるからいいじゃないか、というのは何の意味もありませんね。
ブログや路上ですら日の丸君が代反対と叫べなかったら、完全に北朝鮮のような専制国家ですよ。
>あなた方みたいに、(略)オママゴト人間の行為を、世間は苦々しく思っていることにいい加減気付きなさいな。
>だから、左翼は嫌われる
苦々しく思ってたり嫌ったりしてるのはどう見ても世間一般じゃなくて、一知半解さんだけのようにみえるのですけど。
あと、白砂青松さんへの返信ですが
>教育は万人が納得するものでなければならないなどという決まりはない。
仮にそうした決まりがあったとしたら、(万人が納得するものなぞ存在しないのだから)教育自体が成り立たないでしょうね。
万人が納得する論拠じゃないから、私の主張がワガママだと言いたいのでしょうが、あなた方が反対する論拠の方こそ、よっぽど根拠に乏しいのですよ。
「あなた方が反対する論拠の方こそ根拠に乏しい」という理由を全然あげてませんが、それでは説得力ゼロのイチャモンにしかなりませんね
それに「教育は万人が納得するものでなければならないなどという決まりはない。」んだったら、別に日の丸君が代を強制しない教育をやってよいことになりますよ?
ところで、一知半解さん、あなたこれまでで私達が指摘したあなたの数々の矛盾点をスルーしてきてますね。
例えば
>どうも左翼の方々は、自分に都合よく捻じ曲げて解釈する悪癖があるようですね。
それとも誤読しなければ、反論できないのかな…(苦笑)。
↑
結局私はどこをねじ曲げて誤読したのかしら?
で、あなたが村野瀬さんやこねこ。さんの言ったことを大幅にねじ曲げた件はどうなるんだろう?
>子供に飲酒する権利がありますか?運転する権利がありますか?選挙権はありますか?
←で、なんで君が代を歌わない権利がないことになるのかさっぱり不明だし
>実生活では、たとえ嫌でも「やらなくちゃいけない」ことは存在するし
←で、なんで君が代斉唱は、「たとえ嫌でもやらなくちゃいけない」のかの説明も全然ないし
についても回答無し。
念のため言っておきますが「それはしつけだし常識だからだ」という回答はやめてくださいね。
こちらは何故それがしつけで常識なのか、と聞いてるのにそれに対して「なぜならそれがしつけだし常識だからだ」ではトートロジーですからw
あと、「国旗宣誓・敬礼の拒否は憲法が保障しているし、学校は全体主義の飛び地ではない(米判例)」というのが「世界の常識」なんだけど、それを無視し続けるのならあなたのいう「常識」とやらは随分と「ひとりよがりな信条」と言えますね。
>村野瀬玲奈さん
それじゃあクビになった先生もうかばれないですよね(;-;)
>一知半解さん
だったら、卒業式で君が代が演奏されずに、あるいは誰かがその演奏の際に起立せず、あるいは唱わずにいたことにあなたが納得しなくたって、文句を言う筋合いは無いってことですよ。
>万人が納得する論拠じゃないから、私の主張がワガママだと言いたいのでしょうが、あなた方が反対する論拠の方こそ、よっぽど根拠に乏しいのですよ。
どうしてでしょう。
少なくとも、君が代が式にふさわしい/ふさわしくないと言う個人の意見に関して言えば、それは少なくともイーブンでしょ。
>「くだらない思想のあぶり出し」と貴方は仰るが、勘違い教師たちが、くだらない場違いな思想を教育現場に持ち込んだからこういう問題が発生したのです。
>原因と結果を取り違えてます。
あなたが取り違えていますね。
日の丸君が代を式に持ち込まなければ、出席者がどのような「思想」を持っているかはわからない。一方、持ち込めばそれはわかってしまう。
思想信条の自由というのは、どうやって担保されるのか。それは「調べない」「尋ねない」ことによってなのですよ。
よって、そういうものに抵触する可能性がある事項については「調べない」、即ちこの場合には「式次第に入れない」が正しい。「入れる/入れない」にはそういう非対称性がある。
各自治体が制定している個人情報保護条例にだって、思想信条に関わる情報の「収集禁止」が定められていますよ。
>たかが式典時の歌一曲に、思想信条という難癖をつけて、式典をぶち壊す教師に、子供たちとその親達がどう思っているか、気付きませんか?
以前、板橋高校の元教諭が威力業務妨害に問われた時、裁判でその教諭が式をぶち壊したなんて証言をした子供や親は一人も居なかったと記憶しています。
あなた方は、入学式/卒業式だけでなく、その場外においてまで、子供達を自分達のプロパガンダに利用し尽くそうとしていますね。あなたのような人のこのような行為が日の丸君が代のイメージを汚し、ますます式典の場にふさわしくないものにしてしまっているということに、早く気が付かれるべきかと思います。
で、あなたにもお聞きします。
あなたはご自分の結婚式や親族のお葬式などで、日の丸を掲げ、君が代を演奏しましたか? なさったのなら、その評判はいかがでした? なさらなかったのなら、その理由は何ですか?
加えて、あなたの言う「式典時における国旗国歌に対する姿勢」を学んだ結果、あなたは具体的にどんなことができるようになったのですか?
秋原葉月さんへ
何を馬鹿なことを仰る。
単なるしつけを「思想信条の自由」と勘違いして教育現場を混乱させていることに我慢がならないだけの話です。
別にあなた方が、日の丸を切り裂こうが燃やそうがご自由にどうぞ。
私は、そういう連中を軽侮する以外批難もしないし、弾圧しようとも思わない。
ただ、子供たちをダシに自らの主張を展開することは許せないだけなのです。
>戦前の軍国主義天皇主義を批判、反省した上で現在の民主主義が成り立つことが理解できないのだ
日の丸君が代を嫌悪せずとも、軍国主義を批判することは出来ますが…。
あなた方は、日の丸君が代を拒絶していれば、軍国主義にならないのだと思い込んでいるだけ。
「鰯の頭も信心から」と言われても仕方ないのでは…。
>軍国主義がお好きなのですね。
そのような見方しかできないようでは、貴方が私の意見を理解できないのも無理はないですね。
>「教育は万人が納得するものでなければならないなどという決まりはない。」んだったら、別に日の丸君が代を強制しない教育をやってよいことになりますよ?
共同体の維持という大切さがわからない貴方は、共同体のシンボルを教えることの大切さも理解できないから、そんな考えになるのでしょう。
自らが属する共同体への認識を教える教育は必要です。だから子供に強制しても当然と見なされる。
その教育だって、大人になれば従わなくてよいのだから、これのどこが「思想信条の自由」の”侵害”にあたるのですか?
>で、なんで君が代斉唱は、「たとえ嫌でもやらなくちゃいけない」のかの説明も全然ないし
>なんで君が代を歌わない権利がないことになるのかさっぱり不明だし
貴方はしつけだからという回答を拒否するけど、そもそも式典時の礼儀作法の教育に過ぎないわけ(なぜそうした礼儀が大切なのか意味はちゃんとあるが、ここでは言及しない)。
大人なら、マナーに従わないのも自由だし、そのことについては自分が責任を負えば済む。
しかしね、子供がそれじゃ駄目なんだ。
その場に応じたT.P.Oをわきまえることを教えるのが「しつけ」なんだから。
貴方は子供を大人同様に扱うものだと思い込んでいるから、私の主張がわからない。
(だから、私の「運転免許がありますか?」等の問いかけの意味が理解できないのです。)
子供は「半人前」なんですよ。
そして、半人前は半人前として扱わなければいけない。
そんなことすらわからないあなた方にこの問題を云々する資格はあるだろうか?大いに疑問だ。
>「国旗宣誓・敬礼の拒否は憲法が保障しているし、学校は全体主義の飛び地ではない(米判例)」というのが「世界の常識」なんだけど
日本国憲法の第何条に国旗宣誓・敬礼の拒否が記されているの?第何条?挙げてごらんなさい。
そもそも、自国の国歌を歌うのが、思想信条の自由を侵すなんて勘違いしている公立校の親方日の丸教師など、日本以外存在しない。
日本の「非常識」を論じるのに、世界の常識を引用するのは、不適当でしょう。
毎度毎度、長文になって申し訳ない。
白砂青松さんへ
>卒業式で君が代が演奏されずに、あるいは誰かがその演奏の際に起立せず、あるいは唱わずにいたことにあなたが納得しなくたって、文句を言う筋合いは無いってことですよ。
ありますよ。公僕たる聖職者であるはずの教師が、正当な業務命令に従わないのですから、一納税者として意見を述べる権利があります。
そもそも、散々述べているように、「しつけ」の一環なのですから、子供に国旗国歌に対する一般的礼儀を強制的に教えることは、教育上必要とされる「強制」に過ぎず、思想信条の問題ではないのです。
また、それを教えなければいけないはずの教師が、思想信条の問題だと勝手に”曲解”して、業務命令に従わないことは、単なる「義務の不履行」に過ぎない。
義務の不履行なんですから、処罰を受けるのは当たり前ですし、世間から批難されるのも当然でしょうに。
あなた方が、そんな当たり前の理屈すら受け入れられないのは、自らの信条を絶対化し「ひとりよがり」の状態に陥っているからでしょう。
世間の冷たい反応を見れば、どちらが妥当な答えか一目瞭然でしょう。
>あなたはご自分の結婚式や親族のお葬式などで、日の丸を掲げ、君が代を演奏しましたか? なさったのなら、その評判はいかがでした? なさらなかったのなら、その理由は何ですか?
するわけないでしょ。
そんな馬鹿げた質問をするのは、貴方が国旗国歌の存在意義と言うものを全くわかってない証拠です。
個人的な私的イベントに、なぜ共同体のシンボルへの敬意を示す必要があるのですか?あるわけないでしょうが!
国旗掲揚国歌斉唱は、自らが属する共同体という存在やその絆を再認識し、その共同体に敬意を払う行為。
だから、公共団体や地域での公の行事でこそ行なわれるのであって、その意義をわからない子供に強制的にしつけるのは、将来、社会に参加する子ども自身のためでもある。
日本は、共同体に敬意を払うどころか貶めて平然としているあなた方のような人間でさえも、自由で平和な生活を平等に営むことが出来る寛容な社会ですよ。
「思想信条の自由」というタテマエを振り回しながら、その有難味もわかりもせず、恩恵を当然の如く受けつつ、平気で共同体のシンボルを貶める。
日本という共同体は、空気のように存在するのではないんです。
先人の努力、そして日本人同士の協力があって初めて成り立っている事実すらあなた方は全く認識できていない。
まるで生まれながらの権利のようにさえ勘違いしている。
これは決して永久不滅の権利ではない。
国と言う共同体がなくなれば、当然になくなるのです。
そして、共同体に属さず生きることが出来る人間はいないのです。
そんな基本がわかっていないから、共同体の恩恵だけ受け取りながら、平気でそのシンボルを貶めるような”傲慢な”態度をとることが出来るのでしょう。
そんな傲慢でひとりよがりな連中によって、共同体が良くなることはありえない。
当然の帰結ですね。
あなた方のような人間が増えれば増えるほど、日本という共同体は住みづらくなることでしょう。
>一知半解さん
>ありますよ。公僕たる聖職者であるはずの教師が、正当な業務命令に従わないのですから、一納税者として意見を述べる権利があります。
ホラホラ、こうやって話をすり替える。
『教育は万人が納得するものでなければならないなどという決まりはない。』
とおっしゃるから、だったらどちらも同じでしょと申したのに、それが何で「業務命令」の話になるんですか?
あなたは何故その「教育」「しつけ」が必要かという話をしていたのではないのですか?
例えば豊田商事の純金ファミリー証券というものが真っ当な商品だったのかという話をしているのに、あなたはセールスマンは正当な業務命令に従ったと話をすりかえているでしょ。
それとも、ご自分の書いた事の意味もわからないのですか?
だったら、そういう人から
--
やれやれ、どうも左翼の方々は、自分に都合よく捻じ曲げて解釈する悪癖があるようですね。
それとも誤読しなければ、反論できないのかな…(苦笑)。
--
こんな台詞が出て来る事自体が冗談にしかなりませんよ。
>個人的な私的イベントに、なぜ共同体のシンボルへの敬意を示す必要があるのですか?あるわけないでしょうが!
どうしてでしょう。だってあなたはその共同体の構成員なんでしょ。
そして学校行事だって一部の共同体構成員(しかもそれ以外の人も含まれるケースも多々ある)が集まって行った内輪のイベントに過ぎませんよ。
前者に必要が無いなら、後者にだってその必要など無い、という考えだってアリでしょ。
>国旗掲揚国歌斉唱は、自らが属する共同体という存在やその絆を再認識し、その共同体に敬意を払う行為。
>だから、公共団体や地域での公の行事でこそ行なわれるのであって、その意義をわからない子供に強制的にしつけるのは、将来、社会に参加する子ども自身のためでもある。
更には、あなたのお答えは全くお答えになっていない。
私が聞いているのは、「必要」か否かではなく、「何故やらない」のかです。
仮に「必要」が無いとしても、やったって別にかまわないじゃありませんか。
何故、あなたはご自分の結婚式や親族の葬儀に君が代を演奏しなかったんです?
あなたの私的なイベントであろうが、出席者が「自らが属する共同体という存在やその絆を再認識し、その共同体に敬意を払う行為」をしたって、何らかまわないはずでしょ。それをやらないのは何故です?
>日本は、共同体に敬意を払うどころか貶めて平然としているあなた方のような人間でさえも、自由で平和な生活を平等に営むことが出来る寛容な社会ですよ。
前半部分のレッテルはともかくとして、その通りのはずでしょ。
だから、その「寛容な社会」を守りましょと申しているのですよ。
でも、あなたは私たちのような人から「自由で平和な生活」を奪おうとしているじゃありませんか。
ということは、この日本という「共同体」の性格をねじ曲げようとしている、即ち「敬意を払うどころか貶めて平然としている」のはあなたの方ということになるでしょ。
==========
で、こんな抽象的な話ではなく、あなたの言う「式典時における国旗国歌に対する姿勢」を学んだ結果、あなたは具体的にどんなことができるようになったのですか?
子供に何ができるようにしたいのですか?
それをきちんと教えて下さいな。
Re: >一知半解さん
> 何を馬鹿なことを仰る。
> 単なるしつけを「思想信条の自由」と勘違いして教育現場を混乱させていることに我慢がならないだけの話です。
これは思想信条の自由の問題だししつけの問題ではないことを私達は何度も説明しました。そしてあなたに何故これがしつけなのか、何度聞いても「それはしつけだからだ」という返事しか返ってきませんね。
反社会的倫理的行為でもないものを厳しくしつける必要などないではないかと聞いてるのに、
「いや、しつける必要がある。なぜなら、それはしつけだから」
おいおい・・・(^^;
これはトートロジーだからやめてくださいと既に前のコメントではっきり申し上げたはずです。
> 別にあなた方が、日の丸を切り裂こうが燃やそうがご自由にどうぞ。
> 私は、そういう連中を軽侮する以外批難もしないし、弾圧しようとも思わない。
> ただ、子供たちをダシに自らの主張を展開することは許せないだけなのです。
いつのまにか日の丸を切り裂いたり燃やしたりすることにされてますが(笑)それはおいといて、「私は、そういう連中を軽侮する以外批難もしないし、弾圧しようとも思わない。」は、ないでしょう。散々ここへ来て非難しまくりだし、君が代を拒否したら弾圧されてるのが現実じゃないですか。支離滅裂ですよ。
> 日の丸君が代を嫌悪せずとも、軍国主義を批判することは出来ますが…。
> >軍国主義がお好きなのですね。
> そのような見方しかできないようでは、貴方が私の意見を理解できないのも無理はないですね。
ではあなたも軍国主義はお嫌いと言うことでよろしいですね?
軍国主義がきらいなら何故日の丸君が代に反発を覚えるのか十分理解出来るはずなんですけどあなたはそれが出来ないと見える・・・不思議だ。
>「教育は万人が納得するものでなければならないなどという決まりはない。」んだったら、別に日の丸君が代を強制しない教育をやってよいことになりますよ?
> 共同体の維持という大切さがわからない貴方は、共同体のシンボルを教えることの大切さも理解できないから、そんな考えになるのでしょう。
> 自らが属する共同体への認識を教える教育は必要です。だから子供に強制しても当然と見なされる。
> その教育だって、大人になれば従わなくてよいのだから、これのどこが「思想信条の自由」の”侵害”にあたるのですか?
>
> >で、なんで君が代斉唱は、「たとえ嫌でもやらなくちゃいけない」のかの説明も全然ないし
> >なんで君が代を歌わない権利がないことになるのかさっぱり不明だし
>
> 貴方はしつけだからという回答を拒否するけど、そもそも式典時の礼儀作法の教育に過ぎないわけ(なぜそうした礼儀が大切なのか意味はちゃんとあるが、ここでは言及しない)。
>
> 大人なら、マナーに従わないのも自由だし、そのことについては自分が責任を負えば済む。
> しかしね、子供がそれじゃ駄目なんだ。
> その場に応じたT.P.Oをわきまえることを教えるのが「しつけ」なんだから。
だからあなたがここで言ってることに対して(2)~(5)で私は全て反論しおわっていると何度言えばわかるんですか。白砂青松さんも反論済です。
それなのにまたあなたは同じ事を蒸し返して、繰り返し言いに来てるんですよ。
私は
>子供に飲酒する権利がありますか?運転する権利がありますか?選挙権はありますか?
←で、なんで君が代を歌わない権利がないことになるのかさっぱり不明だし
>実生活では、たとえ嫌でも「やらなくちゃいけない」ことは存在するし
←で、なんで君が代斉唱は、「たとえ嫌でもやらなくちゃいけない」のかの説明も全然ないし
と書いたときにこうも書いたはずですよ、
『念のため言っておきますが「それはしつけだし常識だからだ」という回答はやめてくださいね。
こちらは何故それがしつけで常識なのか、と聞いてるのにそれに対して「なぜならそれがしつけだし常識だからだ」ではトートロジーですからw 』と。
でも、あなたは予想通り、やるなと言ったトートロジーを見事にやらかしましたね。
あなた、プチ問答集(2)~(5)読みましたか?読んでないでしょう?
> >「国旗宣誓・敬礼の拒否は憲法が保障しているし、学校は全体主義の飛び地ではない(米判例)」というのが「世界の常識」なんだけど
>
> 日本国憲法の第何条に国旗宣誓・敬礼の拒否が記されているの?第何条?挙げてごらんなさい。
>
大丈夫ですか!?こんなこと言っちゃったら大恥ですよ。あなたの名誉のために、こんな質問は聞かなかったことにしてあげたいくらいです(核爆)
アメリカの憲法にだって「国旗宣誓・敬礼の拒否を保障する」なんて一言も書いてないですよ。内心の自由を保障する条文の法解釈でしょうがそんなもの。
う~ん、法解釈が何かわからないからかなあ・・・
いちいち全部条文に書ききれると思います?
ふと、「シャンプーした猫を乾かしてはいけないと、この電子レンジの説明書には書いてなかった」というアメリカの訴訟を思い出しました。
「電子レンジで犬を乾かしてはいけない」「電子レンジでウサギを乾かしてはいけない」・・・一体いくつ書けば良いんでしょうね?ま、そういうことです。
それに、「じゃあ国旗宣誓・敬礼の義務は日本国憲法の何条に書かれてるの?」って話になりますよ。
あまりのばかばかしさに眠気が吹っ飛びました。驚いた。
> そもそも、自国の国歌を歌うのが、思想信条の自由を侵すなんて勘違いしている公立校の親方日の丸教師など、日本以外存在しない。。
だからひろとさんが国歌を歌うのを強制されるのは思想信条の自由を侵す憲法違反だというアメリカの判例をちゃんと上げたでしょう?なんでそれを無視したことを平然と書けるのか、理解に苦しみますよ。
さて、あなたは何度もここにコメントしに来ましたが、言ってる内容は全て同じ
「君が代を無理矢理歌わせるのはしつけだから思想良心の問題じゃない、国歌を歌うのは常識だし、先生は職務命令にしたがえ」この一点張り。それ以外のことは何にも言ってないんです。
私はそれに対して全て反論済ですが、あなたはその反論を全く読んでないか、読んでも理解できないのか、あるいはわざとスルーしてるかのどれかですね。←はぁ、これも言うの何回目なんだろ・・
思想良心の問題だし、しつけなんかじゃないし、従うべき業務命令でないことを私はエントリーで丁寧に説明したのですから、それでもあなたが思想良心の問題ではなくしつけの問題、従うべき職務命令だというのなら、今度はあなたが説得力ある理由を呈示しなければならないはず。
ところがあなたに理由を聞いても「しつけだから。業務命令だから」の繰り返しじゃお話にならない。それではなんの説得力もないし、議論も成立しません。
よって次回もまた同じ内容を繰り返すようでしたら、あなたのコメントをこれ以上皆さんに見ていただく意味がないので承認しません。
どうぞ説得力のある新たな理由付けを持っていらしてください。それならば承認します。
> 毎度毎度、長文になって申し訳ない。
長文を謝るよりも、平気で矛盾したこと、人の書いたことを読んでないのがまるわかりなこと、同じ所をループするトートロジーばかり繰り返すことを自省されたらいかがですか
ひどい長文になってしまいました(T_T)申し訳ないです。
先に大変ひどい長文であることをお詫びしておきます。毎度のことながら、申し訳ありませんm(__)m
場合によっては承認していただかなくてもけっこうです。いや本当に(^_^;)
> 一知半解さん
しつけ、常識と連呼しても説得はできないと申し上げたのに、あいも変わらず同じことの繰り返し。前から言ってることをコピー&ペーストしたかのような定型文の羅列では、完全にただの粘着ですよ。いい加減にしたほうがいいんじゃないですか。あなたが当初言っていた異なる意見の提示とやらも、ここまで粘着しないとできないものなんですか?.
それとも粘着を続けることで出入り禁止にされるのを待っているんですか?そうすれば、「俺の言い分に反論できなくなって俺を追い出した。俺は負けてない。言論弾圧だ」と”勝利宣言”できますものね。
しつけとは本来、他者との摩擦を低減し、社会生活を円滑に営んでいくために必要とされる約束事にしかすぎません(ですから地域や国によって、必要とされるしつけは異なります)。常識も同様に、特定の地域や集団の中で幅広く共有されていると”思われる”認識や知識の体系にすぎません。本当は共有されていないかもしれないし、極めて限られた集団や地域でのみ通用するものでしかない場合が多々ありますよ。
日の丸君が代強制の業務命令に合理性がない事は、あなたと皆さんの議論で既に露呈しています(社会に出れば誰も気にしない=学校以外の場所では行われない特殊な状況なのだから、社会一般の常識とは言えないし、それをしつけと称して子どもたちに強制する合理性はない。それに対して、「いや、しつけだから」と反論しても、トートロジーであり意味がない)。
さらに言えば本来憲法を遵守することを着任時に宣誓する公務員にとって、憲法を無視した業務命令に従うことは宣誓を破ることになりますし、憲法第99条違反になります。到底聞けない命令なのに、教育委員会が処分をらつかせて強要しているのが現状なのではないですか。公務員が「憲法にのみ縛られているわけではない」=憲法を無視しても良いとしたら、これは大変なことです。
あとね、半人前と仰いますが子どもにだって思想良心の自由がありますよ。子どもの権利条約は読んだことないんですか。知識を与えることと、それをどう感じどう評価しどう自分の中に位置づけるかは別のことです。教師は知識を与えられますが、それ以降を強制することなどできないんですよ。
学校では先生は、子どもにとにかく考えさせるんです。
どんな教科でも、休み時間でも給食の時間でも、部活の時間でも。なぜ、と何度でも尋ねます。そしてそれを言葉にさせようとする。感じたこと、考えたことを言語化して、他者へ伝達する=意思を他人に伝えることを相互に何度も繰り返させます。
もうお分かりでしょうけども、これはコミュニケーションの訓練なんですよ。暴力に依らず自分の考えを相手にうまく伝えるにはどうしたらいいか、自分とは異なる相手の考えを自分の中にどう受け止めるか。それを一段階ずつ、最初は「他人と自分はちがう人間だ」ということを認識するところから、毎日毎日、何度も何度もそれを繰り返しています。
先生に言われたことをただ鵜呑みにするのではなくて、先生がなぜそんなことを言うのか、それを考えさせます。だから先生は時々わざと間違ったことを言って、子どもたちに反論させたりもします。先生は彼らの言語化を誘導し、その技術を身につけさせるために、多くの時間を必要としているんです。最近は雑務に追われてその時間が取れなくなっていると、多くの先生が嘆きつつ仰るのをわたしも直接聞いたことがあります。
それはさておき、自立した思考、論理的批判的思考というのはこの訓練の繰り返しなくして身につきません。ある日突然身につくものではないのです。算数や国語などは、生活に必要な知識でもありますが、同時にこの思考能力とそれによって成り立つ相互のコミュニケーションの土台となる基礎教養です。だから教える。日の丸君が代も知識として教える事については、否定はしません。むしろその負の歴史も含めてしっかり教えた方がいいでしょう。その上で考えさせるのです。それに対して、どういう態度をとるか、どう位置づけるか、卒業式に必要なものかどうかを考えてもらうんです。そして何より肝心なのは互いの認識を尊重して互いにそれを押し付けないことです。
「君と私は違う人間である」というこの当たり前のことを認識して、互いに意思を伝え合い、同意できる点は同意し、できない点はしない、しかしできないからといって他者の存在を否定しない。社会で自立して他者と共生していくために必要なことです。思想良心の自由も同じ軸線上にあります。大切なのは他者に無条件に従うことでも、他者を無条件に従えることでもありません。論理的に、批判的に思考し、自立した判断を行い、互いに互いの存在を否定しないことです。それが互いの存在を承認する=他者への信頼になるのですよ。
しかしあなたはそれを無視して、しつけ・常識と称して、とにかく従え=思考停止しろということだけを仰る。長年にわたって先生と子ども達が共に作り上げてきた、教育の成果=子どもたちが持つ他者への信頼を、あなたのその一言がどれだけ傷つけることか。
子どもたちが未熟なのは確かです。判断を誤ることもあります(大人でも同じことですが)。しかし大人が傍にいて、あえて試行錯誤させるのも、自分の頭で考える、よい訓練になります。その上で決定的な判断の誤りがあれば正し、それが間に合わなければ誤った判断の責任をいかに取っていくのか、それを導いていくのも教師の仕事です(そして大人側がどれだけその責任を引き受けるのか、についても)。確かに責任を取りきれない事態も発生しますが、かといって子どもたちを24時間監視の下に置くことは、リソース的にも、またなにより彼らの人格を尊重する意味でも不可能です。
考え、伝え合い、自分とは異なる他者と共に暮らすこと=共同体の中で共に生きていくことを、体感的に身につけていく。学校はそういう場でもあります。
あなたの言う共同体への認識とやらは「卒業式で国旗国歌を歌うことでしか」身につかないんですか?互いに共に生きる人間であると認識すること=共同体の認識は、それこそ毎日毎日先生と子ども達が互いに意志をやり取りしていく中ではぐくまれるものです。卒業式のほんの数分なんて付け焼刃で本当に「共同体への認識」とやらに本当に身につくんですか。
先生方が普段から教科指導をはじめとしてあらゆる時間を使って子どもたちに教えることを無視して、卒業式のほんの数分の方にこそ価値があるとする根拠はなんですか。
そんなこと言っていないですって?
「共同体への認識」とやらを重視するあなたの口から、こと此処にいたるまで、普段の教育におけるその涵養といった言葉が出てこないのはなぜですか。答えは簡単。あなたがそんなことにまるで興味がないからですよ。興味がないからそんな発想がない。発想がないから発言に現れない。そういうことでしょう。でなければ、「国旗掲揚・国歌斉唱」は教育」の「共同体への認識」の総仕上げであるという発言が出てきても良いはずなのに、それはない。むしろここを逃したら「共同体への認識」が教えられない、唯一絶対の機会であるかのように仰っていますね。教育の本質は毎日毎日の地道な積み重ねなのに、その積み重ねがまるで無力であるかのように、一時のイベントでの「共同体への認識」とやらの涵養に固執するのは、要するにあなたが教育が普段何をしているのかをまるで知らないかということの証明です。そんなあなたの仕事が教師でない事を心から祈ります。
華々しいイベントだけでは所詮一時のお祭りです。熱情が冷めればそれまでなんですよ。もしそこに何か残るとしたら、それはその根底に普段の地道な努力の積み重ねがあったからです。あなたは華々しいイベントに目を奪われて、教育の本質がどこにあるのかをまるで理解しておられない。たまたま自分の目に付く卒業式と言うイベントに目をつけて口を出せばそれで教育が、ひいてはこの社会が良くなると本気で思っておられるんですか。
まぁ、あなたとわたしではおそらく「共同体への認識」の定義、ひいては教育の定義が異なります。あなたの立場に立てば、教育は「大人=目上の言うことに従うこと」を訓練する場にしかならないんではないですか。だからあなたは卒業式と言う一定の区切りで、個人の考え、自由を圧殺しても良いと考える。ですがそれにしたって普段の教育の成果をまるで無視したような「国旗掲揚・国会斉唱」への固執はやはりおかしいでしょう。
一方わたしはそれは教育(論理的に思考し、自立的に判断し、互いを尊重するよき有権者、即ちよき共同体の一員を育てること)の否定であるがゆえに、許されないと言う立場です。そもそも卒業式と言う門出に、日の丸君が代はふさわしくないと考えていますしね。
あなたは共同体により重きを置かれるのでしょうが、わたしは共同体も個人も対等(時には個人が優先されなければならないときもある)と考えています。
わり算を教えるとき、わり算はこうするのだと方法だけを教えても意味がない、というのがわたしの立場です。わり算とはどういう行為なのか、それにどんな意味があるのか。それを子どもたちの思考や言葉を引き出しながら体得させるのが教師の仕事です。「わり算とはこういうことです。はい練習問題」というのは塾の仕事であって学校の仕事ではありません。
あまり教育をなめないでください。
正直に申し上げて、かなり腹立たしいです。
以下、横レスになります。白砂青松さん、失礼します。
> 個人的な私的イベントに、なぜ共同体のシンボルへの敬意を示す必要があるのですか?あるわけないでしょうが!
共同体を重視するあなたの立場からすれば、結婚式もお葬式も「共同体の一員」としてするものじゃないんですか?結婚式は共同体の中で新たな生活単位を作ることの宣言ですし、お葬式は共同体の中で生きた人を弔い送り出す共同体としての儀式と解釈することもできます。あなたの仰るように、国旗掲揚・国歌斉唱が「自らが属する共同体という存在やその絆を再認識し、その共同体に敬意を払う行為」だとしたら、共同体の一員として生きて、結婚して、死ぬときに、国旗掲揚・国歌斉唱が当然あってもよい(しなければならない、ではないですよ)選択肢ではないんですか。それを「あるわけがない」と断言された事が、驚きです。
長文にお付き合いいただき、感謝します。
>こねこ。さん
国旗国歌を他人にも強制しようとする人がどのような思考回路の持ち主かを見事に分析されてて、コメント欄に埋もれさせるのはもったいないです。
また、これもいつか番外編で取り上げさせてくださいねm(_ _)m
まあ、「非学者論に負けず 」っていう故事そのままですから・・(^^;
白砂青松さんへ
随分と乱暴な決め付けですね。
万人が納得するものはありえないのだから、選択肢としては、比較的多数の人間が納得するものを選ばざるを得ないわけ。
公教育は、税金で運営しているから、なおさらその制約が強い。
世間一般の通念に沿った教育を選ぶの当たり前の話であって、少数の人間しか支持しないようなものを同等に扱うことこそ、むちゃくちゃな論理でしかありません。
ちなみに、国旗国歌の役割については前回のコメントを参照してください。
その役割ゆえに公の場において、必要とされるのだけど、貴方にはどうやら理解できないようですね。
業務命令の妥当性については、数ある判例を参考にすべきでしょう。
都合のいい判例のみ振り回さないように。
>前者に必要が無いなら、後者にだってその必要など無い、という考えだってアリでしょ。
>仮に「必要」が無いとしても、やったって別にかまわないじゃありませんか。
ここまでくると単なるイチャモンですな…。
公私の区別もわからないのですか?
身内の葬式で、なぜ共同体への帰属意識を再確認する必要があるんです?
葬式は、死者を悼む場でしょうに。
そんな違いもわからんとは呆れてしまう。
>あなたは私たちのような人から「自由で平和な生活」を奪おうとしているじゃありませんか。
はぁ…?言いがかりもいい加減にして欲しいですね。
どこにそんな「事実」があります?
業務命令に従わない職務怠慢な先生が、懲戒されると、貴方の「自由で平和な生活」が奪われるのですか???
貴方は、親方日の丸で生活が保証されていながら、業務命令に従わない当事者の教師なのですか??
被害妄想するのもご自由ですが、他人にインネンつけるのは止めていただきたいものです。
>あなたは具体的にどんなことができるようになったのですか?
幸いなことに、”根無し草”のような地球市民ではなく、普通の日本人になりました。
先人の築き上げた日本社会に愛着を持てるようになりました。
平和とか人権とか自由とか綺麗事を並べながら、社会に寄生するだけの人間を見分けられるようになりました。
>子供に何ができるようにしたいのですか?
子供には、日本人としてのアイデンティティをしっかり持ってもらいたいですね。
そして、寄生するのではなく、日本社会をよりよくするために貢献できる人間になってもらいたいです。
自らの国歌も歌えず、自国の文化も理解できないような”根無し草”の「地球市民」にはしたくありません。
また、先人の行為をまるで関係ない他人のように糾弾し、道徳ぶる人間にはしたくありません。
日の丸君が代を他人に押しつけたがる人は
例えば、
>万人が納得するものはありえないのだから、選択肢としては、比較的多数の人間が納得するものを選ばざるを得ないわけ。
公教育は、税金で運営しているから、なおさらその制約が強い。
世間一般の通念に沿った教育を選ぶの当たり前の話であって、少数の人間しか支持しないようなものを同等に扱うことこそ、むちゃくちゃな論理でしかありません。
このような発言からは、民主主義とは単純な多数決であると考えてることがわかります。
アベシンゾーが数の横暴で強行採決で押し切ったことに何の疑問も感じないでしょう、れっきとした多数決でしたから。マジョリティがマイノリティを押し潰すことに良心の呵責を感じないという、ちょっとコワイ傾向にあると伺えますね。
また、日の丸君が代問題は互いの違いを認め合えばすむことであり、どちらが多数であるか少数であるかなど関係ないことに思い至りません。
多数決により全体統一を強制すべきではない場合にまで多数決で少数を支配しようとしたがることから、支配欲の強い傾向にあることも伺えます。
この一知半解さんのコメントはまたしてもトートロジーなのでホントは承認しないつもりでしたが、このような傾向分析をさせていただくつもりで承認しました。
これはまだまだ序の口ですので、もっと興味深い分析が出来るかと思います。
権威主義的傾向も見て取れると思いますよ。
>一知半解さん
>万人が納得するものはありえないのだから、選択肢としては、比較的多数の人間が納得するものを選ばざるを得ないわけ。
別に無理に選ぶ必要なんか無いと思いますけど。
ただ「なにもしない」ければ良いだけでしょ。
そして、仮にそんな概念を持ち込むなら、「場違いなものは持ち込まない」が比較的多数となりますよ。
だって、「日の丸君が代が無いと我慢ならない」、なんて人がどれだけいます?
あなた方だって、「命令に従わない」とか「教育だ、しつけだ」とかそんなことばっかり言っているでしょ。
あなた方は、もし君が代斉唱が無い式典に出席しても、それを勝手に大声で唱い出したりしないでしょ。だってご自分の結婚式や親族のお葬式でもそんなことしないとはっきりおっしゃいましたものね。つまり式典にそういうものが無くても納得できる人々ってこと。
ということは、「比較的多数の人間が納得」するのは「場違いなものは持ち込まない」方ということになるじゃありませんか。
>公私の区別もわからないのですか?
>身内の葬式で、なぜ共同体への帰属意識を再確認する必要があるんです?
だって、卒業式や入学式だって、ただその学校から生徒が巣立つ、学校に生徒が所属するという「身内」の話でしかないでしょ。
で、私的な集まりであろうがそういう機会があるなら、事あるごとに刷り込んだ方が「帰属意識」を高めることができるじゃないですか。何故それをやらないんですと、私はお尋ねしているんですよ。
>はぁ…?言いがかりもいい加減にして欲しいですね。
>どこにそんな「事実」があります?
卒業式や入学式であんな場違いな歌を聞かされたら、加えて生徒や教師が唱うことを強制されていると思えば、日本の「寛容な社会」が失われて行く恐怖で、私の心の平安は乱されます。
そしてもし、何故こんなことが起きるのかと自分の子供に聞かれたら、私はそんな式次第を作った校長が悪いと答えざるを得ない。子供にそんなことを教えなければならないような生活のどこが「自由で平和な生活」ですか。
卒業式に「日の丸君が代」なんて持ち込まなければ、こんな問題は起きない。あなたのような人が私の「自由で平和な生活」を奪うことになるのは、間違いの無い「事実」ですよ。
>幸いなことに、”根無し草”のような地球市民ではなく、普通の日本人になりました。
>先人の築き上げた日本社会に愛着を持てるようになりました。
>平和とか人権とか自由とか綺麗事を並べながら、社会に寄生するだけの人間を見分けられるようになりました。
あの~、そういう抽象的な話ではなく、もっと具体的にこういう行動を取る事ができるようになったとか、そういうものは無いんですか?
こんな抽象的な言葉で子供に何を教えようって言うんです? 教育だ、しつけだとい言うなら、もっとちゃんとした目標があってしかるべきでしょ。
で、卒業式、入学式の日の丸君が代強要がなかったら、あなたはそういう人間になれなかったって言うんですか?
その根拠はどこにあるんです?
私は、そんな強要はされませんでしたけど、普通の日本人ですし、先人の築き上げた日本社会に愛着を持っているつもりですけどね。
むしろ、そういう人間にしたいなら、それこそ「日の丸君が代」なんて安直な物に頼らない方が良いと思いますけどね。だって、そういう人を騙すのってもの凄く簡単じゃありませんか。「日の丸君が代」をちょっと大事にしている風を装えばいいんですから。
>子供には、日本人としてのアイデンティティをしっかり持ってもらいたいですね。
だから、それが学校行事の日の丸君が代とどう繋がるのかとお尋ねしているのですよ。
だいたい、アイデンティティには、「不変性」とか「連続性」という概念が入りますよね。それなのに、あなたはブログ主さんに、『大人なら、マナーに従わないのも自由だし、そのことについては自分が責任を負えば済む。』なんて言っているじゃありませんか。
子供の時には「教育だ、しつけだ」と強要しておいて、大人になったら「従わないのも自由だ」なんて言っていたら、それこそアイデンティティの喪失を引き起こしますよ。
>自らの国歌も歌えず、自国の文化も理解できないような”根無し草”の「地球市民」にはしたくありません。
そもそも、学校行事で強要なんかしなくたって君が代なんて簡単な曲、誰でも歌えるようになるでしょ。仮に歌わない人が居るとしたら、それは歌えないのではなく歌いたくないだけのこと。
日の丸君が代を強要しないと自国の文化が理解できない人間になるなんて、あなたの妄想に過ぎませんよ。
逆に、「したくありません」ということは、そういう人も日本に存在し得る「寛容な社会」を変質させようとしている、即ち先人の築き上げた日本社会を貶めようとしているのは「あなた」ってことになりますね。
それでは。
諸外国における国旗国歌について
(内閣総理大臣官房審議室、および外務大臣官房儀典官室による1985年資料
「諸外国における国旗国歌について」から)
1)学校教育での国旗国歌の取扱い(主要40ケ国在外公館調査)
a.ヨーロッパの立憲君主国では学校での国旗掲揚や国歌斉唱をすることが殆ど無い。
イギリス: 普通の歴史と音楽の授業で取扱い、学校行事では掲揚せず歌わない。
オランダ: 特に教育する事はない。学校行事で掲揚や歌唱という事も特にない。
ベルギー: 国旗掲揚の義務はなく慣例もまちまち。国歌は教育されていない。
スペイン: 学校での規定はない。
デンマーク: 特別の教育はしない。普通の授業で言及。国歌は行事で殆ど歌わない。
ノールウエー:特別な教育はしていない。両親が教えて子供はすでに歌っている。
スウエーデン:教科書に無い。国旗は教師に一任。国歌は学校で特別に教えない。
b.ヨーロッパの共和国ではむしろ革命をおぼえて国旗国歌を強調する。
しかし、例外がいくつもある。次のとおりである。
ギリシャ:学校での規定はない
イタリア:教科書には書かれず、それによる儀式は行われない。
スイス: 学校内で実際に国歌を歌う事は殆ど無い。
ドイツ: 各州の権限で決められる。
オーストリア:国旗は学校で特に扱われない。
ハンガリー:教科書では取り扱われていない。
旧ユーゴ:強制はない。教科書での取扱いも学校行事での使用もなかった。
c.アジア・アフリカ地区では、学校での教育を求めている事が多い。
d.米州・オセアニア各国での例
カナダ: 国旗も国歌も学校と特定の関係が見られ無い。
アメリカ:国旗が掲揚されるが儀式強制はない。国歌は学校と特定の関係が無い。
キューバ:国歌は学校での規定はない。
オーストラリア:国旗を政府が提供。掲揚も国歌も各学校に委ねられている。
ニュージーランド:学校のための統一された規準はない。
2)国歌を国民の慣習に任せ、政府が追認指示するのみで、
正式の法律・勅令・大統領決定・最高議会決定で制定していないおもな国
大韓民国・インドネシア・タイ・イスラエル・エチオピア・エジプト・イギリス・
オランダ・イタリア・スイス・デンマーク・ノールウエー・スエーデン・
フィンランド・オーストリア・ハンガリー・ブルガリア・キューバ・ニュージー
ランド
旧チェコ・旧ルーマニア
(40ケ国中21ケ国:1975年調査を1985年修正)
データが古いので情報が更新されているかもしれません。もっとも何の根拠も示さずに一知半解さんみたいに日本以外は伝々言うよりはましでしょう。一知半解さんには主張だけでなく根拠もきちんと提示してほしいです。あと共同体への敬意を示せと暗に迫ってくる姿勢にはうんざりです。一知半解さんも憲法による恩恵を受けているんですよ。でも誰も一知半解さんに「憲法の恩恵だけ受け取りながら、平気で憲法を貶めるような・・・」とは言ってないでしょう。ちょっとくどいです。
>白砂青松さん
へー。一知半解三さんは数回の卒業式で君が代を歌っただけで、”根無し草”のような地球市民ではなく、普通の日本人になれたそうです。一知半解さんによれば、卒業式に君が代を歌わない私学の学校の生徒は「普通の日本人」じゃないらしいですね(笑)
で、、”根無し草”のような地球市民ではなく、普通の日本人ってなんなのでしょうね?
私学の学校のことはエントリーに書いたんですが、一知半解さんはエントリーを読んでないからああいうコメントになるんでしょう・・コメントするときのマナーとして失礼な話ですよね、読まずに来るって。
白砂青松さんも同じことの繰り返しにお疲れになったことと思いますm(_ _)m
そろそろコメント欄のシメに入ろうかと思います。
>ひろとさん
あと一つ付け加えるならば、その国歌がどういう経緯で生まれたか、どういう歴史を負っているかですよね。
君が代はお上からおしつけられた歌ですが、他国の国歌は大抵下から生まれたものです。この違いは大きいです。
もし北朝鮮の金王朝が崩壊し民主主義国歌に生まれ変わったとしたら、金正日を讃える歌(こちらが現在事実上の国歌のようです)をその新しい北朝鮮の国歌にしたくない、と思うことでしょう。
>一知半解さんも憲法による恩恵を受けているんですよ。でも誰も一知半解さんに「憲法の恩恵だけ受け取りながら、平気で憲法を貶めるような・・・」とは言ってないでしょう。
一知半解さんが散々思想信条の自由を否定する発言が出来るのも、自分が否定してる思想信条の自由、表現の自由を憲法が保障してくれてる、その恩恵なんですけどね(笑)皮肉な話です。
そろそろ堂々巡りに食傷気味になってきたので、管理人としてコメント欄のまとめをさせていただきます
君が代を強制したがる人々に共通するある一定の傾向、人格態度を指摘してここのまとめとしたいと思います。(あくまで強制したがる人々に共通する一般的傾向の指摘であって、一知半解さんだけに対する個人攻撃のつもりではありませんのでご理解下さい)
色々指摘できると思いますが、私からは四つほど。
●一つめは自分勝手で支配欲が強いこと。
自分とは違う意見、気に入らない意見でも、その存在を尊重すると言うことができません。
君が代を歌いたくない人間にとっては君が代に抵抗を感じるそれなりの理由があるし、しかも、こちら側は「君が代を歌うな」と強制してるわけではなく「歌いたい人はうたえばいい」と相手側の存在を尊重してるのに。
自分が他から自分の嫌なことを強制されるのはイヤだが、自分が強制するのは正しい、というのはまさに自分勝手の見本ですね。
村野瀬玲奈さんが仰る「精神内面に対する強姦」てこういうことか、と実感します。
是非こちらをお読み下さい
「国旗国歌の強制」とは、「精神内面への強姦」ではないでしょうか?(1)、(2)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-714.html
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-715.html
●二つめは論理的に幼稚だということ。
一知半解さんは「しつけだし常識を教えるんだから強制が伴うのは当たり前」と決まり文句を言うわけですが、強制すべきしつけや常識であるかどうかが疑わしいというこちら側の具体的な指摘に対してまともに返答できずトートロジーを繰り返します。これは一知半解さんに限らず、君が代を強制したい人々に共通してみられる論理性の欠如です。
●三つ目は権威主義的なところ
常に国歌側、支配する側、権力側について自分をそれと同一視する傾向があります。
虎の威を借る狐的傾向、あるいはジャイアンにすりよるスネ夫的傾向ともいえるかな?
●四つ目は自分を客観的に見ることができないこと
こういう押しつけは迷惑以外のなにものでもないんですが、困ったことに自分は善行をしていると思っています。
まるで某宗教団体(政党あり)のしつこい折伏にクリソツです(笑)
ざっとこんなところでしょうか。
もし他に分析できるところがあればどうぞ付け足してください。
一知半解さんへ
私の学んだ小学校では、入学式、卒業式、運動会どころか毎朝の朝礼でも「日の丸掲揚」「君が代斉唱」がありました。そんなわけで「普通の日本人」どころか「スーパー日本人」になってしまいました。スーパーすぎて今では「学校に君が代も日の丸もいらんわなあ」と考えてます。
「日の丸」「君が代」で日本人のアイデンティティーが身につくなんて考えるのは単なる思い込みです。本当に一知半解さんが「普通の日本人」になったのであれば多分それは「日の丸」「君が代」のおかげじゃありません。君が代を歌った卒業生に「あなたは卒業式で君が代を歌ったおかげで日本人のアイデンティティが身につきましたか」と質問してみたらどうでしょう。
いくら夫婦生活という共同体を大切に思っていようと、毎日のように「やらせろ」なんて迫っていても相手はうんざりするだけですからね。ましてや「強要」なんてしようものならそれこそ共同体は崩壊しますよ、なんて下品なたとえができるのも「君が代」「日の丸」で育ったおかげ?
はじめての書き込みなのにすみません。
>ブログ主さん
私としては、一知半解さんにもう一つ聞いてみたいネタはあったのですが、同じ内容の書き込みを繰り返されるので、そこまで進みませんでした。これ以上は、ただの粘着が続くだけでしょうから致し方ありませんね。
ところで「分析」の件ですが、私が常々感じている点を付け足しますと、
--
・他人の尻馬には乗るが、自己の責任では具体的な行動は起こさないところ
自分の結婚式や親族のお葬式には日の丸君が代はやらないというのがその顕著な例。また、学校行事での日の丸君が代の強要によって人は何ができるようになるのかとの問いかけに抽象的な言葉しか返さないのは、実際には自分が何もしていないから。
--
こんなところでしょうか。
ということで、一知半解さん。同じ事の繰り返しかできないなら無意味だと思いますが、まだ何か言い足りないことがあるのでしたら、2年前のエントリですけど、下の「URL」にある弊ブログのコメント欄にお書き下さい。弊ブログは承認制はとっておりませんから。
但し、私にはこちらのブログ主さんほどの品格はありませんので、その点はお覚悟のほどを。
それでは。
そうそう
こんな歪んだ日本人像を広められたら、日本人ってのは内心の自由を軽んじる前時代的な国粋主義者だと思われちゃいます。
>nobuさん
>「日の丸」「君が代」で日本人のアイデンティティーが身につくなんて考えるのは単なる思い込みです
そのとおりだと思いますが、なかなかそれが思いこみだとわかってくれないので一苦労です
スーパー日本人て・・笑
スーパーサイヤ人かと思っちゃいました^^
度重なる長文、すみませんでしたm(_ _)m
あるある、と何度もうなずきました(笑)
> 自分勝手で支配欲が強いこと。
まさに「俺の強制はきれいな強制」、ですね(笑)
わたしから敢えて付け加えるとしたら
「実は教育(国旗国歌)にそんなに興味がない」
でしょうか…。「サヨク」叩きができればネタは何でもいいという感じで、この問題に飛びついているようにも思えます。まぁ、一般的な傾向とまではいえないかもしれませんが(^^;)
> 白砂青松さん
ご意見、ひとつひとつに大変勉強させていただきました。「結婚式やお葬式で歌わないの?」は良いツッコミだと思いました。
ただ、ひとつ申し上げたいのは
> そんな式次第を作った校長が悪いと答えざるを得ない。
「国旗掲揚・国歌斉唱の徹底」は、主に都道府県教育委員会が通達するもので、校長はその通達に従っているわけですから、批判すべきは教育委員会(とそれを後押しする言論)であって校長ではないように思います。もちろん、校長に全く責任がないとは申しません。校長の中には積極的に強制に加担する人もいますし、本来なら校長が体を張って通達を撥ね付けるべきであるというご意見も分かります。わたしもそう思います。
ですが、この件に関して校長はいわば中間管理職的な立場にあるわけですから、板挟みの校長のみに責を負わせるのはいささか酷のような気がします。特に現場に近い校長ほど、その苦悩は深いように思われます。
こんなことは白砂青松さんにとっては言わずもがな、なことだとは思ったのですが、書き込みをさせていただきました。まぁ、子どもにとっては、顔の見えない教育委員会なるものが悪いといわれてもピンと来ないものだとは思いますが(^^;)
はじめまして
村野瀬さんの所でアホコメントばかりしている、田舎へタレ保守のくろねこと申します。
>一知半解さん
こんばんは、どうもお久しぶりです。「正規公務員」の「日の丸・君が代やりたい放題の件」は、なかなか大変ですね(苦笑)。
今回はあまりにも悲しいので、左の人を応援するコメントしてしまう点、すいません。
秋原さん、余計な挨拶が先になって申し訳ありません。
自分は卒業式での、「正規公務員である教員」に対する、「業務命令」での「日の丸・君が代強制」は賛成です。でも、父兄・来賓にまで「日の丸君が代」を「強制」させるならばイチャもんつけます。そんなスタンスです。
左翼教員(正規公務員)も「辞表」出して、文句つけるならば筋は通っていますし。その言動・行動を尊重します。でも裁判とかでゴチャゴチャ駄々こねているようでは・・・世論に対する説得力はないと思います。
発想を変えて・・・
もしも自分が左の人間ならば(左翼教員を強く支持すると「仮定」した場合)。現状の仕組みならば、つまらん裁判やら駄々こねる前に「教育委員会」を押える為にはどうしたら良いか?その為には何をすれば良いのか?
を考える。
もう一点は「学級崩壊」と「教員に対する日の丸君が代・強制」の因果関係を調べる。
「学級崩壊」は教員も疲弊し、親も悩み、生徒も苦労する。
東京都知事の石原さんや大阪府知事の橋下さんを黙らせたければ、日の丸君が代を強制しない事が「教育上プラス=学級崩壊を防げる」と言う事を説明できることが必須。それが出来れば「世論」は変わるでしょう(左翼の皆さんの望むとおりに動くでしょう)。
こんなこと言えば、日の丸君が代を強制する事が教育上プラスになる事を説明しろと言う声が聞こえそうですが・・・
それはちがう。
法律で決まっていない事は、先に多数(世論の支持)を得た方が「ルール」になる。その為には何をすれば良いのか?ということを考えればいい話。少数派が「自分達は正しい!」と駄々こねれば結果は見えています。
と田舎へタレ保守のぼやきでした。長文失礼しました。
>こねこ。さん
おっしゃることは良くわかります。どこに元凶があるかと言えば教育委員会からの通達でしょう。
しかしながら、私はそれでも敢えて校長に問いただしたいですね。あなたは自分の学校の生徒の卒業/入学を気持ちよく祝おうという気はないのかと。
こねこ。さんもおっしゃる通り、子供が「顔の見えない教育委員会なるものが悪いといわれてもピンと来ない」こともありますが、やはり学校の運営にあたって必要な命令を下し、その責任を負うのは校長だと私は考えますので。
もし、日の丸君が代をどうしても式次第に入れたいなら、それでもトラブルが起きないように教員や生徒を予め納得させる責任が校長にはある。それができないまま強行するのは、生徒にとって一生に一度の式で卒業/入学を祝うより、自分の保身が大事(積極的に加担する校長は自分の趣味嗜好が大事)ってことであり、それはやはり教育者としてはどうなのかなと思うわけです。
教育委員会は生徒を預かっているという意識は無いでしょうし、こと日の丸君が代に関しては、そういう「お気楽」な立場から好き勝手言っているだけ。それを許す制度もどうかと思いますが、直接生徒を指導する学校の校長が、教育委員と同じ感覚、あるいは自己保身優先というのはもっとおかしいというのが私の考えです。
校長も板挟みで大変だろうなとは思いますが、式次第に日の丸君が代を入れるなら、それを出席者に納得させる責任が校長にはある。今の校長になるにはそれだけの能力が要求されるということですね。
逆にその納得が得られず、式に汚点が残りそうだと予想されるなら、式次第から外すという勇気が求められる。そのどちらもやらない校長は、残念ながら「指導力不足」ではないか。
それが私があのような書いた理由です。
それでは。
> 白砂青松さん
そうですね、校長が学校の責任者である以上、そして教育者である以上、子どもたちや職員を守るために多くの責任を負っている事は間違いがありません。その責任を果たせなければ、やはりそれを追及する声は必要だし、責任を果たそうとしない人は校長になるべきではないと、わたしも思います。
昨今校長の権限強化などが提起され、実際には教員評価制度などが具体的に実施されています。しかし強くなった校長の権限は、職員会議の空洞化など、あくまで内向きの権限のみで、主に教育委員会や文部科学省などの学校外からの通達や命令には極端にその裁量が狭められているのが実情です。平たく言えば文部科学省や教育委員会の支配権を強化するための校長の権限強化にしかすぎません。
それと戦おうとするならば、学校の管理職は文字通り職を賭さなければなりません。
教職員も必ずしも校長と対立関係や緊張関係にあるわけではないので、馘首覚悟で私達を守ってくれと校長には言いづらい。ゆえに式典での国旗国歌問題で様々な妥協が生まれます。もちろんそれが教育委員会通達の狙い(=何でもいいから国旗掲揚・国歌斉唱を実施させたい)であって、現場がどれだけ苦悩しようが、職員室の雰囲気が悪化しようが知ったことではないといわんばかりの、その傲慢さと強権体質、そして国旗国歌強制の命令・通達の不合理性こそが、やはり批判されてしかるべきだと考えます。
校長には、そうした教育委員会や文部科学省のゴリ押しと戦う勇気を持って欲しいとわたしも思います。同時に教職員や保護者など、周囲がその校長の戦いをどのように支えるかも考えられなければいけない課題だと思いました。
>こねこ。さん
いえいえ、村野瀬玲奈さんからいただいた言葉をそのままこねこ。さんにもお送りします
「こねこ。さんの文章は、実証的内容と的確な論理があるので、どんなに長くても「くどい」という感じがしません。」
ですから長文をどうぞお気になさらず!(^^)/
>くろねこさん
また重複になってしまう部分は省略しますが、いくつか指摘だけさせてくださいね。
>父兄・来賓にまで「日の丸君が代」を「強制」させるならばイチャもんつけます
生徒に関してはいかがですか?東京都では10・23通達で実質生徒にも強制されています。
父兄や来賓もそんな空気の中で起立しないのはよほどの勇気が要りますから、強制されてるに等しいと思いますが・・
>裁判とかでゴチャゴチャ駄々こねているようでは・・
>つまらん裁判やら駄々こねる前に
裁判に訴えることは「駄々コネでつまらないこと」なんでしょうか・・(^^;
>「学級崩壊」と「教員に対する日の丸君が代・強制」の因果関係を調べる
>東京都知事の石原さんや大阪府知事の橋下さんを黙らせたければ、日の丸君が代を強制しない事が「教育上プラス=学級崩壊を防げる」と言う事を説明できることが必須。
う~ん・・もしかりに日の丸君が代を止めて学級崩壊が止まっても「その二つの間に因果関係があるかどうかは不明である」で一蹴されて終わりだと思います。
わたしでさえも「因果関係は認められない」と言うと思いますから、「左翼」の望む通りにはならないと思いますよ
権力と戦うためには「過半数の支持」は必須
>生徒に関してはいかがですか?東京都では10・23通達で実質生徒にも強制されています。
>父兄や来賓もそんな空気の中で起立しないのはよほどの勇気が要りますから、強制されてるに等しいと思いますが・・
実は、石原さんや一部自民党の議員がバカ騒ぎしている時点で、保守(日の丸君が代推進派)の負けなんですよ。
通達を出さないと示しがつかないようでは本当に情けない。通達など出さなくても日の丸君が代など当然の事。でたまにごく一部の変わり者の教員がやらかしても、見てみぬふりが理想。でも彼らが自分達は正しいんだと正当化してしまうから面倒になる(石原さんや橋下さんがシメシメと喜ぶ)。
それで、憲法だ!権利だ!とか騒いで裁判をやってしまったでしょう。
「生徒の教育とはほとんど関係ない自分達のくだらん正義」のために「不毛なたたかい」をしている。だから「つまらない駄々こね」と言いました。現に多くの有権者は呆れていますよね。
こんな事を言うのも変なんですが、実の所、左翼教員や護憲やら共産党支持者やらが、「想定どおりの素晴らしい言動・行動」をしてくれたおかげで助かっているんですよ。
生徒に関しては、難しい。自分は通達などで、生徒にまで強要するのは反対なんです。でもこの通達を完全に無視出来るとなれば・・・
他の行事でも生徒がサボったり妨害することまでokになってしまう。そんで、生徒が都合が悪くなれば思想の自由だ憲法違反だ!と言って正当化する事を認めてしまう事になる。現場の先生たちが大変なことになる。
通達に対抗するならば、教育委員会から新しい通達が出るように考えればいい話では?
駄々こねてだらだら不毛な裁判するよりも、「署名で有権者の過半数とって」一気にケリつければ早いでしょう。どうして左翼教員はやらないんですか?
有権者過半数の署名があるのにもかかわらず、教育委員会が無視すれば、その時こそ裁判(たたかい)では?
有権者の支持もあり「大義名分が立つ」でしょう(護憲左翼のわがまま駄々こねではなくなる)。
「日の丸・君が代」通達反対派の人たちが、有権者の過半数の支持を得るためには、どうすれば良いのか?を真剣に考えれば、答えは出るでしょう。
>くろねこさん
そうです、見て見ぬふりをしててくれれば何の問題もなかったのです。実際指導要領が君が代を国歌と言い換える前まではそうでした。君が代を歌いたい人は歌い、歌いたくない人は黙ってても何も問題視されなかったのです
それを通達出してクビをちらつかせて強制するから、「やめてくれ」と主張せざるをえなくなった。力の作用と反作用みたいなものです。
「やめてくれ」と主張しだしたのは強制されてからです。それをお忘れなく。
そして見て見ぬふりをしててくれればよかったのにそうしてくれないからしかたなく裁判に訴えるしかありませんでした。つまり強制をやりださなければあなたのいう「くだらん正義のために不毛なたたかい」もやらずに済んだわけです。それもお忘れなく。
もうひとつ、権利のために戦うことがくだらないと仰るなら、今日の民主主義社会は成り立ちません。
そして司法に訴えることは権利を守るための最後の手段であり、それをくだらないと仰るのはどうかとおもいます。
>通達に対抗するならば、教育委員会から新しい通達が出るように考えればいい話では?
駄々こねてだらだら不毛な裁判するよりも、「署名で有権者の過半数とって」一気にケリつければ早いでしょう。どうして左翼教員はやらないんですか?
過半数の署名集めれば通達を変えてくれると本気で信じてらっしゃいます?
徳之島では県民の半数以上が基地反対の集会に集まりましたが、結局鳩山政権は無視しそうですね。
>秋原さん
>それを通達出してクビをちらつかせて強制するから、「やめてくれ」と主張せざるをえなくなった。力の作用と反作用みたいなものです。
「やめてくれ」と主張しだしたのは強制されてからです。それをお忘れなく。
どうして、そもそも通達が出たのでしょうか?
その前に左翼教員が「集団」で、君が代日の丸無視(式の妨害)などやらかしませんでしたか?左翼教員の組合連中が集団で好き勝手やりたい放題やっていたから、教育委員会が「みっともない通達」を出した。
>もうひとつ、権利のために戦うことがくだらないと仰るなら、今日の民主主義社会は成り立ちません。
そして司法に訴えることは権利を守るための最後の手段であり、それをくだらないと仰るのはどうかとおもいます。
訴える事を100%否定はしませんが・・・
この裁判は、単に「公務員である左翼教員」が、「上から指導されるのがイヤだ!自分達の好き勝手させろ!この程度のやりたい放題で懲戒処分はトンでもない!」と言う程度のものだと思っています。
裁判している左翼教員を・・・
「公務員の単なるワガママ」と見るか?
「やむを得ない権利の行使」と見るか?
は「社会が決める事」
だからこそ、有権者の支持を増やす事をする必要があるのでは?と再三言っているのですが・・・
それがイヤならば、左翼教員たちで自分達の理想の学校を作って、そこで生徒を集めて理想の教育をすればいいのではないでしょうか?すぐに問題解決します。
>過半数の署名集めれば通達を変えてくれると本気で信じてらっしゃいます?
はい。変えなければ、教育委員会がガンガン文句言われてしまう。
「通達を出さなくてはいけない」などの法律はなくても、大きなプレッシャーになる。議員さんあたりがウロウロしはじめるでしょう。そうなれば流れは決まる。
>徳之島では県民の半数以上が基地反対の集会に集まりましたが、結局鳩山政権は無視しそうですね。
「左翼教員が騒いでいる・日の丸君が代通達」と「安全保障」は、次元が全く違います。
鳩山さんは一度アメリカと決まったものを変える訳ですから・・・交渉が大変なのは当然でしょう。
>くろねこさん、ブログ主さんへ
>その前に左翼教員が「集団」で、君が代日の丸無視(式の妨害)などやらかしませんでしたか?
私の記憶では、そんなことはやってませんでした。
そんな場違いなものを持ち込めば、気持ちよく式が出来なくなると考えた生徒本位の多くの学校長が、式次第に日の丸君が代なんてものを最初から入れなかったのですよ。
>左翼教員の組合連中が集団で好き勝手やりたい放題やっていたから、教育委員会が「みっともない通達」を出した。
一方、それでは不満な人々が、学校行事に日の丸だの君が代だのを入れさせようとして大騒ぎを始め、学習指導要領の改訂などを進め、教育委員会が「みっともない通達」を出すように仕向けた。
戦後30年ほどの間は、ほとんどの人はそんなことをやろうとも思わずに過ごして来たのですから、「好き勝手やりたい放題」を始めたのは日の丸、君が代を持ち込んだ側と見るべきでしょう。
>「通達を出さなくてはいけない」などの法律はなくても、大きなプレッシャーになる。議員さんあたりがウロウロしはじめるでしょう。
関係ないでしょう。
そもそも、その「みっともない通達」を出すにあたって、「学校行事に日の丸、君が代を強制すべきだ」なんて内容の「署名で有権者の過半数とって」いましたか?
やってませんでしたよね。
そんなものなくても議員さんや自治体首長はウロウロしてましたし。
教育委員会の通達を出させるのに、「有権者の過半数」の署名なんてものは必要ないという反証が既に存在するのですよ。
>有権者過半数の署名があるのにもかかわらず、教育委員会が無視すれば、その時こそ裁判(たたかい)では?
日本の裁判はそういうものではありません。
裁判ではあくまでも法に照らして事の是非を判断するのであって、有権者のどれだけ多数が容認しようと、法に触れるものはダメと判断すべきもの。
そのような「有権者過半数」なんて概念を持ち込んだ裁判は、もはや人民裁判と呼ぶべき代物ですね。
逆に、思想信条の自由や信教の自由などの憲法の規定は、「少数者の保護」という観点から定められているのです。ですから、たとえそれがたった一人の利益にしかならないこと、多数者から見れば「わがまま」としか映らないことでも、裁判で法に照らしてみれば、それは守られるべきものとして判断されることもアリ。
法治社会には、「社会が決める事」(多数の支持の意)ではなく「法が決める事」というものも存在するのですよ。
それでは。
>くろねこさん
その前に左翼教員が「集団」で、君が代日の丸無視(式の妨害)などやらかしませんでしたか?
くろねこさん、あなたの憶測を書くのではなく事実を書いてください。そのような事実があるのならちゃんと摘示してください。
でなければ話になりません
>この裁判は、単に「公務員である左翼教員」が、「上から指導されるのがイヤだ!自分達の好き勝手させろ!この程度のやりたい放題で懲戒処分はトンでもない!」と言う程度のものだと思っています。
単なるあなたの主観をここで声高に仰られても「あなたはそう感じるんですね」としか言いようがないですね。
なら私もこんな風に主観をぶちまけてみましょうか
「ウヨク教育委員会どもが、君が代なんてくだらないもんを目くじら立ててうたわせようと好き勝手に懲戒権ふりまわすなんてワガママじゃないの?くっだらない!」
>裁判している左翼教員を・・・
「公務員の単なるワガママ」と見るか?
「やむを得ない権利の行使」と見るか?
は「社会が決める事」
だからこそ、有権者の支持を増やす事をする必要があるのでは?と再三言っているのですが・・・
これについて白砂青松さんが明快なお答えをくださいました
『裁判ではあくまでも法に照らして事の是非を判断するのであって、有権者のどれだけ多数が容認しようと、法に触れるものはダメと判断すべきもの。
そのような「有権者過半数」なんて概念を持ち込んだ裁判は、もはや人民裁判と呼ぶべき代物ですね。
逆に、思想信条の自由や信教の自由などの憲法の規定は、「少数者の保護」という観点から定められているのです。ですから、たとえそれがたった一人の利益にしかならないこと、多数者から見れば「わがまま」としか映らないことでも、裁判で法に照らしてみれば、それは守られるべきものとして判断されることもアリ』
どうぞこれを繰り返し読み、人権とはなにかについての造詣を少しでも深めてくださることを希望します。
モトはと言えば人権のいろはも教えない日本の教育がいけないのでしょうね。
>白砂青松さん
仰るとおりなので、私が付け加えることがほとんどありませんでした(^^
くろねこさんの過半数の署名を集めればなんとかなる、という発想が斬新でしたね~^^;
一知半解さんとくろねこさんに共通して感じたのが、思想信条の自由という憲法上の最も大事な人権についての問題なのに、人権についてあまりに無知すぎる、ということです。これはまがりなりにも民主主義国家を標榜してるくせに、ありえないほどお粗末な人権教育しかしてない証左ですね。
学習指導要領や教育委員会は、日の丸君が代に血道を上げるより、お粗末な人権教育をなんとか改良することに血道をあげるべきですね。
>白松さん、秋原さん
通達前に「左翼正規公務員は日の丸君が代」やっていましたか?
左翼教員の「行動」自体が、「事実」ですよね。
それに対して、通達出してきつくした。
それだけの事でしょう。
>『裁判ではあくまでも法に照らして事の是非を判断するのであって、有権者のどれだけ多数が容認しようと、法に触れるものはダメと判断すべきもの。
そのような「有権者過半数」なんて概念を持ち込んだ裁判は、もはや人民裁判と呼ぶべき代物ですね。
白松さん・秋原さんは「署名活動自体」を否定するんですね。裁判所や行政にプレッシャーを与える為の手段としても認めない。ということですね。本当にそれで良いんですか?
判例出た時点でひっくり返せなくなりますよ。
>逆に、思想信条の自由や信教の自由などの憲法の規定は、「少数者の保護」という観点から定められているのです。ですから、たとえそれがたった一人の利益にしかならないこと、多数者から見れば「わがまま」としか映らないことでも、裁判で法に照らしてみれば、それは守られるべきものとして判断されることもアリ』
裁判で、白黒つけばアウトと自分達で言っている事に気がつきませんか???
>学習指導要領や教育委員会は、日の丸君が代に血道を上げるより、お粗末な人権教育をなんとか改良することに血道をあげるべきですね。
その為には、教育委員会にどのようなプレッシャーをかけたら良いのでしょうか?
少数派が、「多くの人の支持など必要ない自分達が正しい」といった時点でアウト。お願いだから、いい加減に気がついてくださいよ。
>白砂さん
申し訳ありませんでした。
お粗末な人権教育を受けた人がはたして署名するか?
で、それを実現するために「有権者の過半数の署名」で教育委員会にプレッシャーをかけるべしって、壊れたレコードのように(古い言い回し、傷のついたCDのようにとするべきか)繰り返す人が出てきそうですけど。
当然の権利を主張することすら難しい世の中になってきたようですね。この分だと、日本が戦争始めた場合「戦争反対」って主張すると、ダダをこねてないで「有権者の過半数の署名」で政府にプレッシャーをかけろって言われそうです。
今止めたいのに・・・
>nobuさん
ごもっとも。卒業式は生徒の卒業のセレブレーション、主役は卒業する生徒達ですからね。
くろねこさんによれば、なにかしら権利の主張をするなら、その前に全国の有権者の過半数の署名を集めなければならないそうです。
先日も一票の格差について違憲判決が出ましたが、あれ、有権者の過半数の署名集めてましたっけ?
まあ、なにより君が代斉唱のサボタージュをやめろというんなら、まず「サボタージュをやめるべし」という有権者の過半数の署名を集めてからでないといけなかったんじゃないかしら(笑)
>くろねこさんへ
>左翼教員の「行動」自体が、「事実」ですよね。
>
>それに対して、通達出してきつくした。
>それだけの事でしょう。
違うでしょうね。
通達前である1980年代あたりまで、「大多数の教育委員会、学校長は日の丸君が代」やってましたか?
やってませんでしたよね。その教育委員会、学校長の「行動」こそが「事実」なんですよ。
でも、それでは不満だった一部の人々が、自分たちの好き勝手に日の丸君が代を扱いたくて、学習指導要領に書き、通達出してきつくした。
そしてその過程において「有権者の過半数の署名」なんてものは集められなかった、即ち、「通達」を変えさせるにも、そんなものは必要ないという証拠がそこにあるんですよ。
>白松さん・秋原さんは「署名活動自体」を否定するんですね。裁判所や行政にプレッシャーを与える為の手段としても認めない。ということですね。本当にそれで良いんですか?
量刑に対する「情状酌量」以外の部分で、裁判にそんなものが認められたらそれこそ問題。それでは法治の否定です。
>判例出た時点でひっくり返せなくなりますよ。
>裁判で、白黒つけばアウトと自分達で言っている事に気がつきませんか???
ですから、裁判とは何かをもう少しお勉強されたほうがよろしいかと。
判例なんてものは、あくまでも過去の「一事件」をどう裁判所が判断したかという事例に過ぎません。アウトなのはその「事件」に関してだけで、未来のことは何の拘束もされませんよ。
ただ、似た様なことをすれば、司法が同じ様な判断をする「かも」というだけのことであり、その場合なら「ひっくり返った」と言える事例はいくらでもあります。
そして裁判を起こさなければその「事件」が「アウト(懲戒処分等の確定)」なのは変わらない。加えて、司法が憲法を無視しない限り、「日の丸に敬礼し、君が代を斉唱しろ」なんて判決を下すことは有り得ない。
だったら、裁判を起こす側には失う物は何も無いんですよ。
>その為には、教育委員会にどのようなプレッシャーをかけたら良いのでしょうか?
彼らが法を無視していると訴え続けることでしょう。
ちなみに、弊ブログにも書きましたが、かつて都教委ではこんなやりとりがありました。
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(2004年4月10日 都教育委員会第7回定例会)
【教育長】そもそも国旗・国歌については強制しないという政府答弁から始まっている混乱なのです。
【委員】 だから政府答弁が間違っているのです。だから文部科学省はきちんとやりなさいと、こう言っているわけです。 都の教育委員会としては市区町村に対してきちんとしたことを言うべきですよ。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/gaiyo/gijiroku/157teirei.pdf
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国旗国歌法を確信犯的にねじ曲げた上で出された通達など、公序良俗に反する。だから従わないという意見だって当然アリでしょう。
あとは、教育委員を任命する側からアプローチすることですね。
>少数派が、「多くの人の支持など必要ない自分達が正しい」といった時点でアウト。お願いだから、いい加減に気がついてくださいよ。
日の丸君が代の強制に反対する人は、誰も少数派なんて思っていないと思いますよ。
日の丸君が代が無い式典を開いたって、それに反対する人なんて極一握りでしょう。だって世の中の式典の大多数は実際に日の丸君が代抜きで、無事執り行われているのですから。
あなたがご自分の勘違いに気がついていないのですよ。
視点が違うなぁ~
>通達前である1980年代あたりまで、「大多数の教育委員会、学校長は日の丸君が代」やってましたか? やってませんでしたよね。その教育委員会、学校長の「行動」こそが「事実」なんですよ。
うちの方はガンガン強制でしたが・・・
日の丸君が代が一番楽でね~一息つけるとき。
(多分、それは東京都ではないだろという突っ込みが想定されるが・・・)
>くろねこさんによれば、なにかしら権利の主張をするなら、その前に全国の有権者の過半数の署名を集めなければならないそうです。
そんな事は何一つ言っていないんですが・・・過半数の署名があれば行政や裁判所にプレッシャーをかけられるでしょう。と言っているだけですよ。その手段を言ったら・・・この対応では。これはあんまりですよ~ 支持者を増やそうと頑張っている左翼の足引っ張ってしまっているでしょう。
>まあ、なにより君が代斉唱のサボタージュをやめろというんなら、まず「サボタージュをやめるべし」という有権者の過半数の署名を集めてからでないといけなかったんじゃないかしら(笑)
日の丸君が代を「卒業式で正規公務員に強制してはいけない」という通達が出たときに判断すべき事。「それでも教員に強制させるとき」にすべき事。
分かりやすい事例として「過半数」と書いたのです。ここまで数が多ければ行政も無視できない。
自分達は正しいんだ!とダダこねていないで、少しは頭柔らかくして少しでも多くの有権者の支持を集める努力をしなさいよって事。
で「東京都通達を出した側」は、過半数の民意など関係なく教育委員会を使ってセコク通達を出した、けしからん。って事ですよね。
権力を握っている側が、セコクそんな事するのは当たり前。想定の範囲内。
それをひっくり返す為には裁判と言う方法もあるが・・・この問題は裁判結果よりも、多数の民意の方が影響力はあるでしょう。
「公序良俗」がキーなんだから。
どうして教育委員会(後ろは石原さんかな)が、こんな通達出したのか?
「日の丸君が代教員や反対支持者」のメンタリティーを読んでいたと思います。彼らが一般有権者からどう思われているか?
多少強引な通達出しても、世論の反発は少ないどころか、かえって喜ばれる。石原さんも計算しているでしょう。この問題で左翼教員や左翼連中が従来どおり騒ぐほど彼らの支持が落ちる。
左翼や共産党支持者の態度が変われば(中村喜四郎や鈴木宗男さんの爪の垢でも飲めば・・・)、この問題はあっさり解決すると思いますよ。
>あとは、教育委員を任命する側からアプローチすることですね。
これについては同意。
まず、次の選挙で石原さんの後継者を落とす事でしょうね。
ここでこんな事言うのも変ですが、自分個人的には教員の一人や二人が会場の後ろの隅っこで「椅子に座っている」分には、見てみぬふりですよ。頑固な左翼教員だ。まぁ~しょうがないぁ~でおしまい。それだけで目くじら立てて懲戒処分なんて大げさ。
さすがに卒業生の担任ならば×ですが。
この程度の意識の人多いと思いますよ。
もちろん権利だと馬鹿騒ぎして、朝8時に出勤して、勝手に午後4時に帰宅する(生徒は放課後で掃除中)やりたい放題・正規教員などは問題外。
自分が高校生のときにそんなアホ左翼教員がいました。片方じゃサビ残の山の真面目な若い先生もいた。
日の丸の無理な強制よりも、それに反対する人(左翼連中)の態度にアレルギーを感じている有権者が多いのだと思います。その気持ちを石原さんや橋下さんは上手に使っているのでしょう。
自分達が正しいんだ!駄々こねたり、言い訳や屁理屈で、頭使うことよりも、支持者を増やす為に頭使ったほうが、余程生産的でしょう。
それだけ。頼むからしっかりしておくれ。
酔っ払っいのぼやきでした(苦笑。
頭を使うつもりが無い人に限って頭を使えと言います。
>くろねこさんへ
いつの時代の話ですか?
ちなみに、その手の通達が教育委員会から出されたのは1978年の長崎県が最初らしいです。
で、本当に「ガンガン強制」なら、
『その前に左翼教員が「集団」で、君が代日の丸無視(式の妨害)などやらかしませんでしたか?』
これがあなたの作り事ってことになるんですけど(苦笑)。
だって「ガンガン強制」されていたんでしょ。
作り話を基にした主張などされても、説得力はゼロですよ。
>そんな事は何一つ言っていないんですが・・・過半数の署名があれば行政や裁判所にプレッシャーをかけられるでしょう。と言っているだけですよ。
ですから、「裁判」にそんなものを持ち込まれちゃ困るんですよ。
今阿久根市で、市長が市職員に下した懲戒免職処分は違法だと地裁が判断したことに対して、それに反対する署名活動が行われてますよね。
これが有権者の過半数に達したら、高裁で判決がひっくり返るんですか?
この事件で被害を受けているのはこの職員ただ一人。そして、「ただ一人の職員の不利益よりも、市長の『改革』の利益の方がより大きい」とばかりに署名活動を行っているのが市長派の人々。
でも、そんな多数決論理で人の権利を奪うのは法治の否定だと申しているのですよ。
で、裁判を起こす側には(裁判費用と時間以外は)失う物は無いってことはご理解いただけました?
>これはあんまりですよ~ 支持者を増やそうと頑張っている左翼の足引っ張ってしまっているでしょう。
「左翼」云々は置いておくとして、全く関係ないと思います。
署名を集めるという行為は、既にそれを「支持」している人を集約するだけで、「増やそう」とする行為ではありません。
そして、こうやって「不支持」の人を説得する、もしくはその主張の問題点を公の場で指摘することで、人々が「不支持」に傾くことを防ぐ、こういったブログ主さんの行為こそ支持を「増やそう」とする行為でしょう。
>左翼や共産党支持者の態度が変われば(中村喜四郎や鈴木宗男さんの爪の垢でも飲めば・・・)、この問題はあっさり解決すると思いますよ。
何をどう変えればどう解決するというのでしょう?
>自分が高校生のときにそんなアホ左翼教員がいました。片方じゃサビ残の山の真面目な若い先生もいた。
その「アホ左翼教員」とやらが、あなたの言う「左翼」、日の丸君が代の強制に反対して式の妨害などをやっていた、という根拠はどこです?
例えば、日の丸君が代にご執心の石原都知事の勤務時間は、あなたの言う「アホ左翼教員」よりも短い、1日平均4時間9分と言われてましたよね。あるいは橋下知事は公用車でジムに行っていたとか。
勤務態度と日の丸君が代に何の関係があるんですか?
>日の丸の無理な強制よりも、それに反対する人(左翼連中)の態度にアレルギーを感じている有権者が多いのだと思います。その気持ちを石原さんや橋下さんは上手に使っているのでしょう。
だとすれば、なおさらやるべきはその有権者の説得ですよ。署名なんか集めたって何にもなりません。
法治国家では、たとえその声が小さくとも守らなければならないものがある。そういう意識が国民に浸透しないと、それこそ「多数決」でヒトラーに全権を委任してしまった戦前のドイツのようなことが起こるかもしれない。
日の丸君が代の問題は、日本の持つそういう危うさが投影されているとも言えますね。
でも実際には、「アレルギーを感じている有権者」なんてそんなに多く無いでしょう。多いなら板橋高校事件の際に「あの元教師は式を妨害した」と裁判で証言した保護者が一人くらいはいたでしょうから。
問題は、多くの有権者にとってこの問題は「どうでもいいこと」ってことなんですよ。
上よりも横を見る。
どうして「逆境」になったのでしょうかね???
比例票の推移が物語っています。
支持者を増やす「特効薬」などありません。
そんな「科学的方法」が存在するならば、「自民党」がとっくの昔にやっています。
自分は「主義主張」よりも「有権者」を気にしているか。声なき声をどれだけキャッチできるか(これはリベラルの人が上手でないと厳しいし・期待している)。
「自分達だけ」の理想でなく、「社会全体」の理想でもあれば、ダラダラと支持する人は増えてくるはず。
日の丸君が代にしても、頑固な反対と頑固な賛成は共に少なくて、中間派がほとんど(灰色でも白に近い灰色もあれば、黒に近い灰色もある)。グレーゾーンの人は「理屈で納得する人もいれば、人をみて納得する人もいる。」
同じ反対者でも、aさんならば話を聞く、bさんならば聞かない、こんな事は良くあることでしょう。
生理的に×の場合は仕方ありませんが、その場で無理やり議論?(自分は議論なんて立派なレベルではございませんが)して「無理に白黒つけようとすると」余計にこじれて面倒になる。 自分も恥ずかしながら人の事言えません。このコメント欄で見事に「実証」してしまいましたからね。
その場では折れて、数年先に気がつけるメッセージを残せる人が素晴らしいと思います。
後は支持者を増やす方法は、「左翼連中」が、一般有権者からみて他人事で見られない方法を考える。
要は「護憲連中」に「関心」を持ってもらえるか?
とくれば・・・どんな方法があるんですか?と来るわな~
ブログも良いツールであって・・・一般受けする話をメインにして、たまにポイントで政治ネタ入れたりとか・・・読者層をわざとシャッフルできる。
後は「共産党じゃらし」(これは余計。でも手間がかからない。)
有権者からほとんど見向きもされない共産党の「き」の字くらいは、プラスになる。一般有権者の左翼に対する「偏見」を「逆」に使えば面白くなると思いますよ。
他の問題(労働問題など)でリアルで一生懸命な支持者もいるのに、自分達は正しいんだと!と元気なブログ界隈の一部左翼連中が足引っ張って(支持を減らす)。なんだかなぁ~と思ったりもしている。
秋原さんや白砂さんは、自分でブログ開設している。田舎のアホ保守人間にまで、くだらんゴチャゴチャ文句言われるリスク(正直イヤでしょう)背負っている。
ダラダラ長く書くと、また「突っ込み」ばかりされてしまうが(苦笑)
nobuさまのように、コメントは短くやったほうが賢いですねー
ん、でも、何で共産党支持者でもないのに、こんなこと書いているんだ???(苦笑)。
では。。。
>くろねこさん
結局最後まで
・左翼教員が「集団」で、君が代日の丸無視(式の妨害)などやらかしたから通達が出されたのだ、という事実の証明がなかったこと
・裁判とは多数の力をもって押し切るようなものではないし、個々人の権利を認めるか否かに多数を集める必要はない、という基本中の基本を、何度説明しても理解してもらえなかったこと
特にこの二点はとても残念です。
直前の白砂青松さんの具体的な質問に対しても、なんらきちんとした回答はなかったようで、これも残念に思います。まあ、「回答がなかったのが回答」ということですね(笑)
くろねこさんは「田舎のアホ保守人間にまで、くだらんゴチャゴチャ文句言われるのは正直イヤだろう」ということもよくおわかりのようですから、今後はその認識に沿った行動をしていただけるものと期待しております。
最後にくろねこさんへ・・・
最後に、日の丸君が代を拒否するから左翼って思い込みは止めたほうが良いと思います。こちらの問答集の最初に問いに答える形で拒む理由が書いてありましたが左翼、右翼なんてことと関係なかったですよ。
終わりそうなところを邪魔するコメントですみません。
No title
すみません、きちんとお返事してませんでした。赤面の至りです。今更ですけども(^_^;)
> 番外編で取り上げさせてくださいねm(_ _)m
どうぞ、お役に立てれば嬉しいです。
> 「非学者論に負けず」
恥ずかしながら、初めて知った言葉です(^_^;) 昔から無敵君は無敵だったんですね(笑)
わたしも無学ですから、気をつけたいと思います(^_^;)
> 「こねこ。さんの文章は、実証的内容と的確な論理があるので、どんなに長くても「くどい」という感じがしません。」
ありがとうございますm(__)m 光栄です(照)
>nobuさん
くろねこさんはこんな風に仰ってたんですけど矛盾してますよね。
↓
2010/05/01(土) 16:15
>過半数の署名集めれば通達を変えてくれると本気で信じてらっしゃいます?
はい。変えなければ、教育委員会がガンガン文句言われてしまう。
「通達を出さなくてはいけない」などの法律はなくても、大きなプレッシャーになる。議員さんあたりがウロウロしはじめるでしょう。そうなれば流れは決まる。
特効薬はないんじゃなかったのかしらん?(笑)
そして、こんなご都合主義も炸裂
↓
>徳之島では県民の半数以上が基地反対の集会に集まりましたが、結局鳩山政権は無視しそうですね。
「左翼教員が騒いでいる・日の丸君が代通達」と「安全保障」は、次元が全く違います。
鳩山さんは一度アメリカと決まったものを変える訳ですから・・・交渉が大変なのは当然でしょう。
通達だって一度出して決定した事項を変えるわけですから、過半数集めたって変えれるかどうかわからないじゃないですか(笑)
どうやら、過半数の署名が有効かそうでないかはくろねこさんの胸先三寸のようです。
前提に引っかかりました(コメント全部読んでませんが)
>君が代を強制したい人が「職務命令は絶対。その命令の下では思想良心の自由は制限されてしかるべきである」というのなら、もし逆に「君が代を歌ってはいけない」という「命令」をうけたらどうでしょうか?
これは「君が代を毎日歌いなさい」の間違いではないですか?Linkは秋原葉月さんには直接的には関係ないでしょうけれどもこれも逆で、駅前で演説すること事態がブラックなので、自分の主張と違う主張を演説させるのは2重にブラックです。
例えれば村野瀬さんに「これから一年間毎日、君には駅前で日の丸君が代強制に反対する演説をしてほしいんだ」と頼んだ方がいいんじゃないですか?
それを村野瀬さんが喜ぶのであれば嫌味が通じないわけですが。
極論で内輪で楽しむのが趣旨であればもうコメントしません、不快にさせたとしたら謝ります。
>woodさん
いえいえ、全部読むのはたいへんでしょう(^^:
目を通さなくても大丈夫ですよ
> >君が代を強制したい人が「職務命令は絶対。その命令の下では思想良心の自由は制限されてしかるべきである」というのなら、もし逆に「君が代を歌ってはいけない」という「命令」をうけたらどうでしょうか?
>
> これは「君が代を毎日歌いなさい」の間違いではないですか?
「公務員なら職務命令に従うのは当然だ。だから、君が代を歌えという職務命令にも従うべきだ」という高飛車なことを君が代日の丸を嫌がる人間にも強制したい人達はよく言います。
じゃあ、そう言う人達は職務命令ならどんな命令でもしたがうわけ?では試しに「君が代を歌うな」という職務命令がでたら、おとなしくしたがうわけね?そうでないとダブルスタンダードだよね?
という話になりますよね?
その理不尽さをわかって貰うのにこういうたとえ話をしたわけです
>鍵コメント提供者さん
またいらしてくださいね。