(2007/11/20~23【過去記事】大江、岩波裁判、2)
- 2008/01/21
- 23:54
前回の記事に書きましたが、この裁判の争点は
沖縄ノートの記述が梅澤氏、故赤松氏の名誉を毀損したものであるかどうか
ですので、これを念頭において証言を拾ってみます。
(原=原告代理人、被=被告代理人、梅=梅澤氏、赤=故赤松氏の弟、大=大江)
まず梅澤氏
原告代理人からの質問は、延々と「自分は自決命令を出してない」ことに終始してるんだけど、肝心の『沖縄ノート』に関する質問は特になかったなぁ。
〈被告代理人からの質問〉
被「大江健三郎氏の沖縄ノートを読んだのはいつか」
梅「去年」(私:注※提訴されたのは一昨年)
被「どういう経緯で読んだのか」
梅「念のため読んでおこうと」
被「訴訟をおこす前に、岩波書店や大江氏に抗議したことはあるか」
梅「ない」(私:はい注※これに先立つ質問で、梅澤氏は鉄の暴風につき沖縄タイムス社と和解した旨の証言をしている。梅澤氏は沖縄タイムス社には抗議をしていた。ちなみに沖縄ノートは出版されて30年、その間一度も抗議無し…)
〈再び原告代理人からの質問〉
原「先程沖縄ノートを読んだのは去年だと話していたが、その前から(曾野綾子さんの著書で軍命令説に疑問を示した)『ある神話の背景』は読んでいたのか」
梅「はい」
原「その中に『沖縄ノート』のことが書かれていて、『沖縄ノート』に何が書いてあるかは知っていたのか」
梅「知っていた」
原「先程の『沖縄ノートに私が自決命令を出したという記述はなかった』という証言は、梅澤さんの名前は書かれてなかったという意味か」
梅「そういう意味だ」
〈再び被告代理人からの質問〉
被「『沖縄ノート』には、あなたが自決命令を出したと書いてあったか」
梅「そう匂わせるように書いてある。『隊長が命令した』と書いてあるが、この島の隊長は私しかいないのだから」
うーん、『鉄の暴風』と曾野綾子さんの『ある神話の背景』はちゃんと読んだけど、『沖縄ノート』については『ある神話の背景』の中の引用部分を読んだだけだった、ということね。
そんなんで訴えた、と…
次は赤松さん(故赤松隊長の弟)です
(つづいて故赤松氏の弟
原告代理人からの質問で、鉄の暴風を読んでショックを受けたが、ある神話の背景を読んで安心した旨の証言の後)
原「大江氏の『沖縄ノート』の引用を見て、どう思ったか」
赤「大江さんは直接取材をしたこともなく、渡嘉敷島に行ったこともない。それなのに兄の心の中に入り込んだ記述をしていた。人の心に立ち入って、まるではらわたを火の棒でかき回すかのようだと憤りを感じた。」
原「誹謗中傷の度合いが強いか」
赤「はい」
原「訴訟をおこしたきっかけは」
赤「3年前にある人から話があり、とっくの昔に解決したと思ってたのに鉄の暴風も沖縄ノートも店頭に並んでいると聞かされたから」
原「実際に沖縄ノートを読んでどう思ったか」
赤「難しい本なので飛ばし読みしたが、兄が誹謗中傷されてるのはよくわかった」
原「悔しい思いをしたか」
赤「はい。沖縄で極悪人と面罵されたのですから。(後略)」
〈被告代理人からの質問〉
被「お兄さんは裁判したいと話していたか。また岩波書店と大江さんに、裁判前に修正を求めたことがあったか」
赤「なかったでしょうね」
被「沖縄ノートが店頭に並んでいると教えてくれた人が、裁判を勧めたのか」
赤「そうなりますか」(私:あちゃー)
(中略)
〈再び原告代理人からの質問〉
原「裁判は人におこせと言われたのか」
赤「確かにそうやけど、歴史として定着するのはいかんと思った。そういう気持ちで裁判をおこした」
ふーん、故赤松氏本人は沖縄ノートの修正も求めていなかったし、裁判も望んでた様子はなかった、と。
で、この裁判も人に勧められておこしたわけね
赤松さんも梅澤さん同様、基本的に曾野綾子さんが自著内で引用した部分を見ただけで沖縄ノートはひどい誹謗中傷本だ、と判断したのね。
原物は難しくて飛ばし読み、きちんと読んですらいない。
沖縄ノートが名誉毀損したと主張するには、二人ともこりゃもう、致命的じゃないですか!
後述しますが、曾野綾子さんはその引用部分で、沖縄ノートの一文の初歩的な誤読をしています。それによって赤松氏はミスリードされたままのようです。
次は大江さんです
〈被告代理人からの質問〉
被「著書の沖縄ノートには3つの柱、テーマがあると聞いたが」
大「はい。
第一のテーマは本土の日本人と沖縄の人の関係について書いた。
日本の近代化に伴う本土の日本人と沖縄の人の関係、本土でナショナリズムが強まるにつれて沖縄にも富国強兵の思想が広まったことなど。
第二に戦後の沖縄の苦境について
憲法が認められず、大きな基地を抱えている。そうした沖縄の人たちについて本土の日本人が自分たちの生活の中で意識しなかったことを反省したいということです。
第三は、戦後何年もたって沖縄の渡嘉敷島を守備隊長が訪れた際の現地と本土の人の反応に、第一と第二の柱で示したひずみがはっきり表れていると書き、これからの日本人が世界とアジアに対して普遍的な人間であるにはどうすればいいかを考えた。」
被「日本と沖縄のあり方、そのあり方を変えることができないかがテーマか」
大「はい」
(中略)
被「執筆にあたり参照した資料では、赤松さんが命令を出したと書いていたか」
大「はい。沖縄タイムス社の沖縄戦記『鉄の暴風』にも書いていた」
被「何故『隊長』と書かずに『軍』としたのか」
大「この大きな事件は、ひとりの隊長の選択で行われたものでなく、軍隊の行ったことと考えていた。なので、特に注意深く個人名を書かなかった。」
(中略)
被「実名を書かなかったことの趣旨は」
大「繰り返しになるが、隊長の個人の資質、性格の問題ではなく、軍の行動のひとつであるということだから」
通常、ある記述が名誉毀損だという場合、その記述はいかなる事実を摘示し、いかなる論評を表明したものかを検討する。
沖縄ノートはあくまで「軍の組織的な強制」について論評したものであり、個人の資質や行動にスポットをあてたものではない。
だから隊長が誰だかわかったとしても、隊長の個人攻撃を意図していない。
原告側は論点は「梅澤、赤松両氏が命令を出したかどうか」という認識でいるので「被告は論点ずらしをしている」と原告側報告集会で報告している。
そして「被告側は、両氏が命令を出したという証拠を示せず四苦八苦している」とも報告している。
いや、だから~f^_^;
最初から両氏が命令を出したかだけが名誉毀損の争点じゃないんだから、被告側は両氏が命令出したことの立証のみに終始してるわけじゃないだけの話なんじゃないんですか?
むしろ、論点ずらしというか、一点に固執してる原告の態度は疑問
そういえば「軍の責任」について梅澤、赤松両氏はこの法廷でこう証言している
被「S55年に出した島民への手紙で『集団自決は状況のいかんにかかわらず、軍の影響下にあり、まったく遺憾である』と書いているが、集団自決は軍の責任なのか」
梅「私は『軍は関係ない』とは言っていない」
被「手紙を出した当時、軍の責任を認めているということか」
梅「全然認めてないわけではない」
赤松氏被「お兄さんの手記は読んだか」
赤「読んだ」
被「『島の方に心から哀悼の意を捧げる。意識したにせよ、しなかったにせよ、軍の存在が大きかったことを認めるにやぶさかではない』と書いているが」
赤「知っている」
あらま
原告は軍全体としての関与責任を否定してないじゃん。
てことは沖縄ノートの主眼である「軍の組織的な強制」に関して、大江さんと原告の認識は少なくとも対立してないことになっちゃうけど、原告、いいのかな(^o^;)
被「赤松さんが陳述書の中で『沖縄ノートは極悪人と決めつけている』と書いているが」
大「普通の人間が、大きな軍の中で非常に大きな罪を犯しうるというのを主題にしている。悪を行った人、罪を犯した人、とは書いているが、人間の属性として極悪人、などという言葉は使ってない」
被「『アイヒマンのように沖縄法廷で裁かれるべきだ』とあるのはどういう意味か」
大「沖縄の島民に対して行われてきたことは戦争犯罪で、裁かれないといけないと考えてきた」
被「アイヒマンと守備隊長を対比させているが、どういうつもりか」
大「アイヒマンには、ドイツの若者たちの罪障感を引き受けようという思いがあった。しかし、守備隊長には日本の青年のために罪を拭おうということはない。その違いを述べたいと思った」
被「アイヒマンのように裁かれ、絞首刑になるべきだというのか」
大「そうではない。アイヒマンは被害者であるイスラエルの法廷で裁かれた。沖縄の人も、集団自決を行わせた日本軍を裁くべきではないかと考え、そのように書いた」
どうやらアイヒマン等の表現も、原告個人を誹謗中傷したとは一概に断定できない感じ。
〈原告代理人からの質問〉
(大江氏に軍の命令は事実と考えているのか尋ね、大江氏はそう考えている、と回答)
原「しかし、この本(※ある神話の風景)の後に発行された沖縄県史では、集団自決の命令について訂正している。家永三郎さんの『太平洋戦争』でも、赤松命令説を削除している。歴史家が検証に耐えないと判断した、とは思わないか」
大「私には(訂正や削除した)理由が分からない。今も疑問に思っている。私としては、取り除かれたものが『沖縄ノート』に書いたことに抵触するものではないと確認したので、執筆者らに疑問を呈することはしなかった」
大江氏自身は隊長が命令を出したと思っているし、沖縄戦史などが命令の記述を削除したことを疑問に思ってはいるが、それは沖縄ノートの主題に重要な影響を及ぼし主旨を変えてしまう事柄ではない、と述べてると思う。
原告代理人は相変わらず原告が自決しろと命令したかだけにこだわるなぁ。
まるでこれだけを突破したら沖縄ノートはけしからん、となると思ってるかのよう。
名誉毀損の成立要件で立証しなきゃいけないのは他にもあるだろうに…
ちょっと驚いたのがこれ
―――――原「赤松さんが、大江さんの本を『兄や自分を傷つけるもの』と読んだのは誤読か」
大「内面は代弁できないが、赤松さんは『沖縄ノート』を読む前に曾野綾子さんの本を読むことで(沖縄ノートの)引用部分を読んだ。その後に『沖縄ノート』を読んだそうだが、難しいために読み飛ばしたという。それは、曾野綾子さんの書いた通りに読んだ、導きによって読んだ、といえる。極悪人とは私の本には書いていない」
原「作家は、誤読によって人を傷つけるかもしれないという配慮は必要ないのか」
大「(傷つけるかもしれないという)予想がつくと思いますか」
原「責任はない、ということか」
大「予測すれば責任もとれるが、予期できないことにどうして責任がとれるのか。責任をとるとはどういうことなのか」
これって…読者が読み間違いして違う意味にとっちゃったら、作家のお前が悪いんだぞ、って言ってるようなものなんだけど…f^_^;
ところで何をどう誤読としたのか。
産経はこれを省略していることを某ブログで知ったので、ここに書いておきます。
ガビーン、沖縄タイムス11/10朝刊
大江氏「軍命」主張/「集団自決」訴訟」より
「罪の巨塊」という言葉で、個人を断罪しているのではないか。作家、曾野綾子さんが著作「ある神話の背景」などで「沖縄ノート」の記述を批判しているのと同様の主張を尋問でぶつけた。
大江さんは「罪とは『集団自決』を命じた日本軍の命令を指す。『巨塊』とはその結果生じた多くの人の遺体を別の言葉で表したいと考えて創作した言葉」「私は『罪の巨塊のまえで、かれは…』と続けている。『罪の巨塊』というのは人を指した言葉ではない」と説明、「曾野さんには『誤読』があり、それがこの訴訟の根拠にもつながっている」と指摘した。
(引用終わり)―――
確かに「罪の巨塊」=赤松氏ならば、罪の巨塊のまえで、かれは…という文章にならないなぁ。
またSAPIO(2007/11/28)で曾野綾子さんは、"赤松さんを「罪の巨魁」と言った。私は不幸な家庭に育ったので人を憎む気持ちはわかるけど、今まで誰かを「罪の巨魁」と思ったことはない。そんな罪の巨魁と言われる人がいるなら見に行かねば、と思った"旨話している。
そゆこと…(*゜▽゜☆
巨塊=大きなかたまり
巨魁=首領、かしら(人間赤松隊長)
曾野綾子さん、完全なる読み間違い…ああ勘違い(T▽T)
「罪の巨塊」を「罪のかたまり」じゃなく「罪の首領」=人間=赤松隊長だと思い込んだのね
原告はこの勘違いを書いた引用部分を未だに鵜呑みにしてるのか
だとしたら、この訴訟は曾野さんの誤読のせい…〇| ̄|_
更に原告代理人の一人はここまで言ってる。(沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会HPより)
(原告代理人の一人)徳永弁護士は、徳永の読み方が誤読だというに止まらず、曾野先生の読み方も誤読だと断定し、通常の読者の読み方はことごとく誤読になってしまうような書き方をしたことを反省せず、誰も読めないような読み方を求める大江氏の主張を裁判官が受け入れるとは思えない。(引用終わり)
通常の読者は「巨塊」と「巨魁」をことごとく読み違えるのか?
えー普通そこまで人のせいにするか?
裁判はフタをあけてみないとわからないけど、原告敗訴濃厚と見た。
(本人尋問の検討についてはとりあえずこれでおしまいです。でも訴訟ウォッチはまた書きます)
(2007/11/20~23)
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