コメント
こんなん・・・
よく読むブログでも、悪しく書いてたのはあったけど、たまたま有名であっただけの子が、子供を産んでるだけやのになぁ、ってな感想だけでした。
しかし、こんなに否定的な、否、子供の人権を否定するようなことを、影響力の大きいところがするなんて、しかも本人への謝罪が無いなんて・・・、この記事見て絶句でした。
職種により受ける制限があります。
前から少し気になることがあるのでひとつだけ。
そもそも芸能人という職業は普通の人とは違う何らかのイメージを作りあげることで、それによって商売をしている。そういう職業じゃないですか?
>有名人が自分の理想や幻想、
>価値観を勝手に投影されることに逆らえない
これは逆でしょう。世間の側がかってに自分の理想や幻想を投影してるのではなく芸能人の場合は芸能人の側が理想や幻想を作ることでそれを商売にする。そういう職業です。または世間が持つ幻想を理想して商売している。
アイドルはじゅうぶん個人として尊重されていると思います。アイドルは恋愛禁止である代わりに、その見返りはじゅうぶん受けてますから。
なので有名人を例に出しながら理想や幻想、価値観を投影されることに窮屈といってしまうのは違うんじゃないですか?
No title
働いて、子育てもできるという理想を女性に押し付けてる為と思いますよ。そんなに言うなら、男共が率先して、子育てしつつ、働けばいいというに。
昔は昔で、女性は家でおとなしく家事をして主人が帰ってきたら労わるという理想を押し付けられていたわけですが、理想を押し付けるという点では、日本はなんら変わらないんですね。
人権意識についてはホント、中世なみですね。おっと誰か来たようだ(しゃらっぷぅ!)
toku氏へ
という考えは些か疑問があります。
つまるところ、その言葉を突き詰めると、『個人の権利より大衆の利益が優先されるべき』ということになります。
また見返りを受けているのだから、(多少)の権利の阻害も甘んじて受けるべき、ということも仰ってますね。
これは以前のトピである「自己責任」論にも関わってくるでしょう。
私は例えどんな立場にあろうとどんな特権を享受していようと、一個人の権利は最大限守られるべきだと思います。
出産は女性の権利?
生まれてくる子供について、法治国家における婚外子がどういう意味を持つか理解しての記事なのですか?
マスコミバッシングなのか、安藤選手に抗議を送る人間への反論なのか、有名人を偶像化することへの反論なのかイマイチ見えませんが家族の形は自由だなんて、生まれた子供からみたらあまりに無責任な論ですね。
No title
一体何を言いたいのかとメディアには言いたいですね
最近多忙でしてブログにしてもリンク集のみでほとんど手がついていない状況ですが、今回の安藤選手の件については私のブログ仲間のパブロン中毒さんもメディア産業に怒りを覚えていました。コメント内容は村野瀬玲奈さんの所でしたのと重複しておりますがお許しください。
大体、皇太子夫人・雅子さんの報道一つとっても日本の報道はめちゃくちゃすぎます。発達障がいだというなら、その発達障がいについてどのようなものなのかを掘り下げて報道すればいいのにしない、ただ皇室の役割に無理やり枠をはめつけようと従っていますね。それでは雅子さんは精神的に苦しい思いを抱えたまま、治療が前に進まないのです。
同じことは安藤選手にも言えるのではないかと思います。そんな暇があるなら、憲法だ、TPPだ、児童ポルノ単純所持規制だ、国民管理番号制だ、生活保護だ、消費税だ、取り上げるべきことはごまんとあります。さらに安倍自称首相によるTBSへの恐喝行為。
強い憤りを覚えます。私達は既存のメディアへの不信感をさらに強く持たざるを得ません。
ちなみにmixi仲間で自民党員の人がいますが今回のワタミカイチョー立候補に憤慨しており。「今回は自民党に入れない」と断言しています。
Re: 出産は女性の権利?>通りすがり。さんこのHNはやめて下さい
法的には現在相続に於いて婚外子が差別されていますが、近々大法廷でこの民法の規定に違憲判決が出ると言われています。
あとは社会的な差別になりますが、それは差別する方がいかんのと違いますか?
婚外子だからと差別されることがあれば、差別するなと抗議し、差別を無くすことに尽力するのは筋でしょう?
シングルマザーの子どもは不幸だという決めつけが逆に差別を助長しているのだと思いますよ
あなたの言い分だと例えば「黒人だと人種差別されるから黒人の子どもを生まなければ良かったのに」と言ってるのと同じです
法治国家における婚外子
どっかでした話だけど、わたしの母親の幼馴染(近所に住んでいた)は、いわゆる本妻さんの子どもではないんですが、本人も苦労なく育ったし、二人のお兄さんも一高・東大から末は社長さんという人生を歩んだ。これはもちろん特別なケースですが、婚姻届を出した「正式」な家族ではない、多様な家族があるってこと。
生まれてくる子供から見たら、どんな親でも「生んでくれてありがとう」なのではないかなあ。原則は。レイプとか近親相姦とかのケースを想定しているわけでないんでしょ。たかだか法律婚以外の関係というだけで、なんで子供が不幸になるんだろう。(というかなると決めつけるのだろう)
>くたに様へ
私がいいたいことは違います。
ひとつだけ書いておくと
>見返りを受けているのだから、(多少)の権利の阻害も甘んじて受けるべき、
>ということも仰ってますね。
これははっきり違います。私がいう制限(制約)はその職業の性質から
どうしてもついてまわることについてですので。普通の人なら
大丈夫でもその職種だからこそダメなことということはどんな職業にも存在します。
芸能人だって同じことです。
この話題は今はこれ以上はやめておきます。
秋原葉月さま。こういうことですが汚してどうもすいません。
仕掛け人や経営者は自分が儲けたいからでしょう
> というのも、「娘」の中に、独立した一個の人格を認めることは、思いのほか困難な作業であるからだ。
> 実際のところ、若い人たちは、就業中であると休暇中であるとを問わず、多くの場合、日常的に恋愛をしている。われわれ人間は受験勉強をする一方で片想いをかかえているし、結婚を前提に交際しつつ、そのかたわらでサービス残業に従事していたりする。それで何の不都合も無い。というよりも、普通に考えれば、息抜きの無い勉強は実を結ばないし、休日を持たない労働者は早晩疲弊して動けなくなるはずなのだ。
>とすれば、女性アスリートやアイドルにだけ恋愛を禁じるタイプの思い込みは、われわれの文化の中に残存する極めて特殊な潔癖症に過ぎないと考えるべきなのである。
(中略)
>安藤選手は、25歳になる大人の女性だ。
> とすれば、誰と交際しようが、どんなカタチでいつ出産しようが本人の自由であるはずだ。
私も基本的には小田嶋氏に同意します。
ただし、(ファンではなく)アイドルグループの仕掛け人が自分が抱えるアイドルに恋愛を禁じたりするのは、要するに昔の女郎屋の亭主が自分の抱える花魁に恋人を持つのを禁じたり、バーや倶楽部の経営者がホステスにと男性従業員との恋愛を禁じたりするのと同じと思いますけれどね。要は、客から見て「商品」である女性に「傷」が付き、自分の商売の損になるのが困るからです。それから、ブラック企業と呼ばれたりするような企業の経営者が、従業員に「営業時間中は飯も食わずに働け」などというのは、その分の人件費を浮かして儲けたいからでしょう。それ以上の高尚な理由はないと思います。それを何かの有難い「御宣託」みたいに受け取ったりなど、私にはバカバカしくてできません。
(アイドル本人が、“このような風潮のある日本社会”の中で「アイドルとしてやっていくために恋を諦めるかどうか?」というのは、また、本人自身の選択の問題ではあるでしょうが)
逆行するアイドルの恋愛史?
>それ以上の高尚な理由はないと思います。それを何かの有難い「御宣託」みたいに受け取ったりなど、私にはバカバカしくてできません。
この部分については、私は小田嶋氏に関して言ったのではありません。「アイドルグループ製造家」として知られるA氏や、居酒屋チェーン経営者W氏の言葉を支持し、それぞれ、アイドルタレントや企業の社員になった者たちが守るべき「人の道」みたいに言う意見を時々見かけますが、「そういう見方は私にはとうていできない」という意味です。
私が覚えているアイドルは1970年代にデビューした人たち(天地真理さんとか、郷ひろみさんとか)からなんですが、あの頃のアイドルの禁忌はかなり厳しいものだったようで、男女ともに「交際」などはもってのほかだったようです。それが山口百恵さんと三浦友和さんの結婚の頃から、「アイドルも人間、恋も結婚もするさ」というような流れになり、(百恵さんは結婚を機に引退して「伝説」になりましたが)、松田聖子さんなどは結婚しても、お子さんを産んでもアイドルを続け、(もちろん、結婚前にはそのドラマチックな「恋模様」が話題になり、出産後は「ママドル」とか呼ばれましたね)、安室奈美恵さんの場合も、結婚も出産も離婚も、その「アイドル性」にはあまり影響はなかったような気がするのですが。(私自身は芸能界には縁も興味も薄い人間なので、あまり自信はありませんが)
それが、このところ、急激に「アイドルは恋愛御法度」みたいになったのは、なんだが時代が逆行しているように思えてなりません。それと、昔のアイドルの周辺にいて、彼らをプロデュースしていた人たちは、それぞれ自己の利益への思惑はあったでしょうが、今よりもう少し、人間的な温かい目で彼等を見ていたような気がするんですがねえ。なんだか今の方が、アイドルを冷酷なまでに「商品」として取り扱っているような気がします。もしかしたらこれも、政治の右傾化や、この日本社会に新自由主義的な市場原理優先の思想が深く喰い入ってしまったことと関係があるのだろうか?などと、ふと、思ったりしました。
芸能人、特に「アイドル」というものは「時代を映す鏡」だと私は思います。彼らが利益を生むべき「商品」として冷酷に扱われるのならば、それはとりもなおさず、我々が皆、そう扱われるということでもあるのではと思いました。