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Re: 君が代を歌わないのがそんなにいけませんか・生徒の心を傷つけないで
思想・信条の自由は保障されています。当然厳かに式典に参加したかった生徒もいるでしょうし、式典で君が代を歌いたい生徒もいるでしょう。もし、一人の教師のテロ行為によって強制的に歌う事ができないなら、その生徒の心は深く傷つくでしょうね。
「君が代を歌うことがそんなにいけませんか・生徒の心を傷つけないで」
>リヒトホーフェンさん
> 「君が代を歌うことがそんなにいけませんか・生徒の心を傷つけないで」
こういう意見は聞いたことはありません。あなたの空想ですね。
じっさい生徒が訴えてることはこの真逆ですよ。ちゃんと記事を読んでください
秋原葉月さんへ
「自分が聞いたことがないことは空想である」という秋原葉月さんの論理には、驚きを禁じ得ません。
世の中全ての事を自分が聞いたことがある(知っている)と、本気で信じ込んでいるのでしょうか?
秋原葉月さんは、全ての生徒・保護者の思想・信条を把握しているのですか?なぜ空想だと言い切れるのですか?
民主主義社会では思想・信条の自由は保障されており、色々な考え方(価値観)の人が存在します。逆に言えばその色々な価値観を尊重するからこそ、民主主義社会と言えるのです。
私のように「一生に一度の式典を、日の丸を掲揚し、君が代を斉唱し、おごそかに進行する事」に価値を見出す人間がいても、何ら不思議はありません。
件の教師は、公僕という立場でありながら業務命令に従わず、自分の価値観と異なるからといって他人の価値観を否定し、結局生徒や保護者等の一般市民の権利を侵害したのです。
個人的には、単なる懲戒処分ではなく懲戒免職が妥当だと思います。
人間は自分が若い頃にしていたスポーツや勉強を非難されると腹の立つ生き物なのです。国歌国旗法の問題も学生運動世代のただのロマンチシズムだと思います。
>腹の立つ生き物なのです。国歌国旗法の問題も学生運動世代の
>ただのロマンチシズムだと思います。
さて、私は団塊の世代より二周り下の世代ですが、
この発言は頓珍漢だと思いますね。
陳腐な世代論です。
商社勤務とのことで、海外に行かれた経験も豊富かと推察しますが、
先進諸国で、国歌国旗への拝礼を強制し、それに従わないものを
処罰する国なんてどこにもありませんよ。
学生運動世代どころか、
こんな強制化&処罰化を肯定するということは、日本の後進性に
他ならず、70年前のナショナリズムイデオロギーへの回帰の布石に
他なりませんよ。
Re: タイトルなし
国旗国歌強制の何が問題なのかもういちどきちんと勉強してからいらしてください。とても一から解説する気にはなれません。
また、卒業式などでの国歌斉唱の際、「お招きした」来賓の方々が起立しているのにも関わらず自らは起立しないというのは非社会的で単に無礼な振る舞いです。
そもそも、君が代の斉唱は各人の良心に委ねられていたのにも関わらず、それに乗じて一部の教師らが安易な思考の下、起立をしなかったり式典を妨害した事実があって苦情や陳情があったからこそ、このような「強制」命令が下されるようになったことを理解すべきでしょう。他人に迷惑を掛けない形、例えば起立しても斉唱しないといった、であれば当然許容されるべき自由です。
「君が代を歌わない教師は免職」という言葉が飛んでくること自体、とても残念に思います。生徒たちがこれまでの学校生活を振り返りながら式に臨んでいる中で、突飛な行動で自分の思想を表明し始める教師は、生徒たちにとっては困惑の対象でしかないでしょう。大阪の学校はそこまで深刻な状態なのでしょうか。
君が代の「君」って誰を指してると思います?
まずそれを考える事から始めて下さい。
日本は民主主義国です。王制国ではありません。
拒否も、個々人が自分の思想と良心に基づき行なっているのであって(憲法第19条)、誰にそれを強制してるわけでもありません。“日本人なら当然”的な東京都・大阪府の政策こそが憲法違反で異常であることが分かりませんか?
asdさん
苦情や陳情って誰からの苦情・陳情ですか?例えば、今年の大阪府立高校の卒業式で
維新の会の西田薫府議会議員が、来賓としての挨拶の場で、起立しなかった教諭のことを
取り上げて、残念だのなんだのと言って顰蹙を買い、保護者卒業生PTAから苦情が殺到したわけでしょう。君が代斉唱時に立たないぐらいのことで騒いでいる方がよっぽど迷惑です。
それっていったいどこの全体主義国家の感覚なの??
生徒が主役って強制肯定派の人もよくいいますが、
これでは、生徒そっちのけで日の丸君が代が主役で、
これを強制することが卒業式の目的になってますね。
それとね、
式典を妨害した云々で言えば、おそらく根津公子教諭の事例をあなたも想起しているのでしょうけど。根津教諭が日の丸を外したのには理由があるのです。
あれは1994年の八王子市内の中学での卒業式での事ですよね。
当時は、職員会議は学校における最高議決機関とされていたのです。そして職員会議において日の丸を掲揚を中止することが決定していたのです。これを無視して独断で掲揚したのが
当時の校長であり、根津教諭が外す前に、生徒たちから抗議が上がっていたのです。
こういう非民主的なやり方に抗議して根津教諭は日の丸を外したんです。
公務員なんだから、上からの言うことは従うのが当たり前って思考停止しているまえに、
どうして戦後、職員会議が重視されるようになったのか?ということを考えてみてご覧なさい。
戦前の日本やドイツのように、国が全体主義に走るときはまず公権力による学校現場の統制からはじめるのです。そうならないように政治権力による統制から自由でなければならないのです。これは歴史によって実証済みです。
仮にですよ、あなたの言う式典妨害行為があったとして、これを問題にするのならば
その妨害行為だけを処罰すればいいのであって、
それに乗じて、すべての教諭に斉唱を強制するっていうのはまさに全体主義の
やり方です。
いずれにせよ、
強制する公権力のおかしさを、不起立教諭のせいにするって言うのは、
責任転嫁も甚だしいです。
静かに座っている、ただ立たないでいるだけのどこが妨害行為なんですか?(苦笑)
国歌斉唱強制など民主主義国家で日本だけですよ。こんな全体主義国家のやり方を
日本が取ってしまっていることは本当に恥ずかしいことだし、危険ですよ。
再び日本がいつか来た道を舞い戻りそうでね。
そうならないように声を上げ続けなければならないのです。
最後に、私のブログのコメント欄に投稿してくれた方のコメントを紹介しておきます。
『私は小学校から大学まで国立に通っており、国家斉唱の機会は式典などで多々ありました。
しかし、教諭の中には起立斉唱している者もいれば、していないものもおり、生徒もまた同様でした。
私自身は国歌や国旗に特に興味も意見もないので、気が向けば歌い、気が向かなければ歌いませんでした。
けれど上のコメントで仰っている通り、「強制されることで反発する」という気持ちになっています。
国旗、国歌に関わらず、強制や処罰をすることは前時代的なことで、戦時中の日本に立ち戻ってしまいそうで怖いです。』
No title
もし卒業式に国歌と国旗がなければ、非常に残念に思うし傷つく。
以上。
>ななしさん、次からはハンドルお願いします
ここで問うているのは強制の是非です
あなたは先生が歌を歌うように強制されているのを見なければ傷つくのですか?
No title
でも、教職員は生徒の規範たるべきなのだから行事の場合は仕事として歌うべきだろうね。
学校の先生は私情を持ち込んじゃダメだと思う。
プライベートの時なら良いけど、仕事なら割り切ってやれないのわどうかなと。
因みにそこで個人の自由とか言うなら職を辞すれば良いと思う、そうでないのにヤりたいようにヤってしまうと政治思想を生徒に植え付けるのもテロリズムを植え付けるのも先生の自由という事になってしまうから余計に怖いよ。
むしろ強制策を取らざるおえないほど教職員に何らかの政治思想が広がっていることがダメだと思う
まあ結論イヤなら辞めろ、イヤなら国から出てけ、それもイヤなら我慢しろ、たかが数分すら我慢出来ないのに意気がるな。
そもそもが下らない、卒業式は誰のための卒業式だよ、たとえイヤでも当たり障りなくやって生徒が思い出にできるようするのが仕事だろうが、生徒は歌おうが歌わかろうが良いけど、先生は歌わなきゃ目立つんだから諦めて割り切れよ。
そんでそれを全体主義とかぬかすな、国から免許と言う資格をもらう以上は最低限仮面くらいかぶれ、イヤなら私塾開いて教えれば良い。
主の強制するに関しては賛成だがそれを全体主義と言うのは左翼的政治思想を感じる。
教職員は免許を持つ以上ほかの資格同様に仕事してこれはしなければいけないと割り切って欲しい、特に給料貰っている以上はね?
>蕎麦さん
「何らかの政治思想」ってなんですか?そもそも人の思想信条を強制策でもって矯正してもいいのだという発想が恐ろしいですね、あなたはいつの時代を生きてらっしゃるのでしょう?思想信条の自由は侵してはならないと現憲法に定められているのに、まるで戦前の思想弾圧そのものです
君が代を強制することの方がよほど近代民主国家では許されない政治思想の強制ですよ
まああなたのコメントは君が代強制に賛成の人たちの典型的パターンなので、私は既に過去のエントリーで反論を全部述べてますから、そちらを参考にしてください
「中高生にもわかる日の丸君が代プチ問答集」でブログ内検索をすると出てきますので、まずはそちらを読んで下さい