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Re: 死刑廃止を訴える相手は被害者遺族ではないはずです(追記あり)
であるならば「死刑制度廃止」は、日本人の伝統的な価値観を破壊する事に他ならず、それに抵抗を感ずる人は減少しないでしょう。
もちろん犯罪者にも人権は存在します。しかしそれは、憲法三十一条から三十八条に規定されているように国家に対する権利であって、被害者(被害者遺族)と加害者の間を律するものではありません。加害者(犯罪者)の人権の為に被害者(被害者遺族)が不利益を被る事は、どんな場合であっても正当化できません。
容疑者が少年であったとしても、被害者(被害者遺族)には実名を公表し、供述調書の開示を行う等、被害者の知る権利を最大限保障する。刑事裁判に附帯私訴を復活させる。懲役の労働の質を変革する。仮釈放を認めない終身刑を新設する。
上記のように徐々に外堀を埋めていかなければ、日本においては「死刑廃止」は永遠に認知されないでしょう。今回の被害者参加制度が、被害者救済の一歩となる事を希望しています。
>甘寧興覇さん
とのことですが、これは自らの意思で命を絶つこと潔しとする価値観ですから、他から死を強制される死刑には当てはまらないと思います。
次に、
>>加害者(犯罪者)の人権の為に被害者(被害者遺族)が不利益を被る事は、どんな場合であっても正当化できません。<<
についてですが、加害者の権利は仰るとおり憲法が定めており、それを読んでいただければわかるのですが、被害者(被害者遺族)の権利となんら対立する物ではありません。
死刑に処さないことが具体的にどう加害者(犯罪者)の人権の為に被害者(被害者遺族)が不利益を被る事になるのでしょうか?もしかしてそれは単に被害者遺族の死刑にして欲しいという希望をかなえられないことを指してらっしゃるのでしょうか?もしそうならそれにたいする答えは既にエントリー内で述べております。
少年事件での被害者の知る権利については色々考慮する余地はあるかもしれないと今の所は感じていますが、これと死刑制度維持とはあまり関係ない気がします。
仮釈放のない終身刑についてですが、私は基本的に必要ないと考えています。
無期懲役とは読んで字の如く終身刑なのです。ただ仮釈放が可能であると言うだけです。無期懲役になってもみな10年そこらで出てくるような勘違いをされてる方が多いのですが、仮釈放された人の平均年数は25年を超えています。これは仮釈放されたひとの平均であって、仮釈放されてない人は計算に入ってないし、仮釈放されてない人ももちろんいます。どうにもならないトンデモは仮釈放しなければよいだけの話なので、新たに終身刑を設ける必要はないかと思うのです。
Re: 死刑廃止を訴える相手は被害者遺族ではないはずです(追記あり)
1.死刑制度が、殺人の抑止になっていないという証拠を集める
2.冤罪で死刑になった可能性のある事例を集める。
3.無期懲役になっても、皆10年~15年で仮釈放という誤解を正す。
死刑賛成派は、無期懲役が仮釈放のある終身刑であるという認識が薄いのかもしれません。
個人的には、死刑廃止が叶うかどうかは、仮釈放の無い終身刑を導入するかどうかが鍵と考えます。(国民の多くが3.の誤解をしているから。)
重大な大量殺戮犯は仮釈放されませんから、終身刑の仮釈放あるなしは事実上変りません。 さらに、どんな場合でも恩赦による仮釈放という可能性があります。
>もえおじさん
早速ですが、1について
死刑が他の刑罰よりも有効に犯罪を抑止するという説得力ある証拠は、科学的研究によっては一貫して得られていない。1988年に国連(訳注:国連犯罪防止・犯罪統制委員会)のために行なわれ2002年に改訂された、死刑と殺人発生率の関係についての最新の調査結果報告書の出した結論は「死刑のもたらす脅威やその適用が、より軽いと思われる終身刑のもたらす脅威やその適用よりもわずかでも殺人に対する抑止力が大きいという仮説を受け入れるのは妥当ではない」というものだった。
(引用文献:ロジャー・フッド『世界の死刑』 オックスフォード・ユニバーシティ・プレス、第3版、2002年 230ページ)
(訳注:『世界の死刑』は、日本では1990年に辻本義男訳で成文堂から出版された。)
という報告があります。フランスやカナダでも死刑廃止して凶悪犯罪が増えたというのは聞きません。
以前いたサイトで私が国連のこの報告を書いたのですが、それでも頑固に抑止力があると言い張る人もいました・・なんだかな、です。
2について
今年、一貫して無罪を主張していたのに死刑が執行された福岡事件は冤罪の可能性があると言われてますね。
死刑事件で、かろうじて逆転無罪になった事件、再審で無罪になった事件、現在も再審請求中の事件があることを考えれば、冤罪なのに死刑執行された可能性は否定できません。どこかで書いたのですが、死刑事件で再審無罪になった免田栄さんは、おそらく冤罪なのに執行された事件があると証言しています。しかし刑が執行されたらその後はもう真実は闇の中です。
アメリカではDNA鑑定の進歩により死刑の執行後冤罪とわかった事件が120を超えるそうです。
3について
何故こんな誤解が広まったのでしょうね。2002年の監獄人権センターの報告書に拠れば、1000名の無期懲役囚のうち仮釈放されたのは6名だそうです。
また恩赦制度は死刑には全く機能してないようです。
死刑支持の根底にあるのはやはり感情だろうと感じます。感情を理論的に説得するのは至難の業ですね・・
だから政治家の英断が必要ではないかと思うのです。
Re: 死刑廃止を訴える相手は被害者遺族ではないはずです(追記あり)
もし、死刑制度の是非が感情の問題であるとすると、別の重要な側面として、被害者遺族の心情の問題があります。 遺族の心(或いは、社会)が重大な犯罪で傷つけられた場合に、それを癒す方法として、 ① 犯人に死んでもらう ② 犯人に、無期懲役に服してもらう のどちらがより優れているかは、一概には判断できません。 ただ、犯人が殺人を肯定したままで死なれるよりは、生きて贖罪してもらいたい。
さらに、激しい恨みや憎しみは遺族自身の心も大きく傷つけるので、いつまでも犯人を憎みつづけるべきではないと考えます。 もしも、(偉そうなことは言えませんが)「罪を憎んで人を憎まず」という心境になれるのなら、それに勝る事はないでしょう。 これは、死刑廃止の理念と通ずるものがあります。
>もえおじさん
死刑を望まない遺族は悪い遺族、死刑を望む遺族は良い遺族、なんていうカラー分けがある、と、とあるブログで読んだことがあります。こんなのはまさに自分の感情ために被害者遺族を利用してる、と言って良い例でしょう。
家族を酷い方法で奪われた被害者遺族は時がたてば世間にも国家にも忘れられて立ち直りのために何の手も差し伸べられず、孤独の中で苦しみ続けています。
被害者遺族の気持ちを考えよと言うのなら、こういう犯罪被害者の末永いケアにこそ力を入れるべきなのではないかと思います。しかし死刑判決出たら万々歳で後は知らん顔して忘れる人が多いのではないでしょうか。
被害者の気持ちを考えよといってるその口で、性犯罪被害者には、そんなところをうろつくお前が悪いなどと平気で矛盾したことを言うブログも見かけますしね。
最近日本でも修復的司法が試みられるようになったようです。よろしければここをご覧下さい。
http://www.nishinippon.co.jp/wordbox/display/6183/
一般論ではありますが、被害者遺族も加害者も人間ですから、時間の経過とともに考えが変わってくることもあると思います。時がたってあらためて加害者に聞いてみたいと思っても、とうに死刑にされこの世にいない。確かめたいことも確かめられず悶々としたまま、世間にも忘れられ、残された月日を過ごすのは耐え難いものがあるのでは、と想像します。
もちろん修復的司法では、被害者に加害者を許すことを無意識のうちに迫るようなことがないよう気をつけなくては、と思います。被害者遺族が加害者を許すのを望むのは、被害者遺族の憎しみ苦しみに自分が耐えきれず、自分が安心したいに他ならない、つまりこれも被害者遺族のためではなく自分のためだからです。死刑にしちゃえば世間はその場ですっきりかもしれませんが、被害者遺族はその後も生きていかねばなりません。死刑にすることが一概に遺族のためとは言い切れないですよね。
あのイスラエルがね。。。ちょっと驚き。
イスラエルが占領地から撤退するっていうのなら、決議案に賛成してもいいが。どうだろうか。