ためいきばかりでるけれども。昨日7月16日に衆議院本会議を通過した安全保障関連法案、通称「戦争法」に反対し、
政府与党の強行採決に抗議の意思を示します。
実のところ、安倍首相、ひいては自民党が日本国憲法の9条を改定して、日本を戦争ができる国にしたがっていた事は、機密でもなんでもなく、公知の事実だったわけです。にもかかわらずアベノミクスなる言葉に重きを置いて、その部分を見ないようにして自民党を大勝させたのが先の選挙でした。
今回の事態は起きるべくして起きたという側面は確かにあるのです。
思えばイラク特措法が成立しても、秘密保護法が成立しても、自民党は選挙に勝ち続けました。公明党の下支えがあり、小選挙区マジックも大きな要因ですが、同時に政治的無関心、「誰がやっても同じ」「政治家なんてみんな信用できない」という政治的ニヒリズムが、日本社会にこれほど蔓延していなければ、自民党の今のこの議席はなかったかもしれません。
彼らのよって立つところがその議席数であるのですから、次の参議院選挙、もしかしたら衆議院選挙では、「お灸をすえる」レベルではなく、「国会からご退場いただく」ぐらいの勢いで自民党を負けさせなければいけません。でなければこの法律は止められない。
そのためにもわたしたち、この法案に反対する人間はこの7月15日のことを忘れてはいけないのです。折に触れて思い出し、つぶやき、表明し、連帯を広げていかなければいけません。
一昨日感じた、怒りや悲しみ、恐怖、驚き、そして気持ちを同じくする人たちとの出会いと、その喜びと安堵を忘れないでおきましょう。
“リメンバー7.15”です。
…すみません、ちょっと言ってみたかっただけです(^_^;)
テレビ、新聞などのマスメディアもこれで報道の手を緩めるのではなく、もっと厳しく政府与党のデタラメぶりを追及していってほしいです。
たとえばあの“アベノミクス”ですが、一時はNHK、民放を問わず、ニュースで触れられない日はないほどでしたが、今や一顧だにされません。そろそろジャーナリズムはあの熱狂の検証をすべき時ではないでしょうか。これもまた忘却にあらがうために大事な事です。
政治家の政策は、必ずその経緯と結果を検証されなければなりません。でなければ、口先だけで市民をだます政治家は、今後いくらでも登場し、そのたびにわたしたちは、今回のような怒りの行動を余儀なくされるでしょう。それは正直しんどいことです。できれば避けたい。
もちろん、選挙以外の抗議行動や勉強も無意味ではありません。とはいえ、この数日の官邸前やヨドバシカメラ前クラスの抗議行動をずっと継続していくのは現実的には難しい。ならば、毎日ほんの少しずつでもいいから、新聞を読み、ニュースを見、タイムラインを追い、時には実際に観て聴いて、そこでリテラシーを活かして、考えることをやめない事です。
大変そう?だいじょうぶ。人間は慣れます。
戦争が日常の、異常な状態にも人間は慣れることができます。ならばそんな状態に慣れるより、そんな状態にならないように続ける、憲法が言うところの「不断の努力」にこそ慣れましょう。
以上、自戒として。
とはいえ、事ここに至っていまだに
「戦争なんかになるわけがない」とか
「戦争するなんて政府は言ってないのに、なんで反対するの?」とか
「議席多数で強行採決の何が悪い」とか
「与党も野党も結局どっちもどっち」とか
言ってる人たちを見ると、ちょっとまぁ、ネガティブにもなります(^_^;)
被害を受けるのは自分たちなのに、とは申しません。
このままいけばわたしたちがなるのは加害者です。
わたしたちが自衛隊員に人殺しをさせる事になるんですよ。
知らなかった、そんなつもりじゃなかった、ごめん間違えちゃったテヘペロで済まされないことが起きるんですよ。
「父を返せ、母を返せ」、とは峠三吉の有名な詩ですれども、これをリアルに、他国の名もない市民から、日本が、わたしたちが告げられる日が、このままだとそう遠くない日に来るでしょう。
…そうは言うけど、いままでそんなことにはなってないじゃないかって言う人もいますね。
違いますよ。
自民党は結党以来60年かけて、すこしずつ、それを防ぐための安全装置を一つ一つ破壊してきてるんですよ。
かつては自衛隊が海外に出るなんて、と大問題になったのが、今や自衛隊は海外に基地を持つようになっているのです。それもこれも、自民党の60年にわたる地道な積み重ねの結果です。
PKOも特措法も周辺事態も秘密保護法も、すべては自衛隊が海外で戦争をできるようにするための布石なんです。
それが解っているから、自民党がタガを外そうとするたびに、護憲派、というより反戦を掲げる人たちはそれに抵抗してきてたんですけどね(^_^;)
この安保関連法案がらみの一局面だけを見ると、反対派のいう事が大げさに見えるかもしれませんが、現実には自民党による憲法破壊の歴史がずーっと続いてきて、その結果なんですよね。
このままだと自衛隊が他国で戦闘状態に入ってもそれは合法であり、しかもその詳細は特定秘密とされて、わたしたちには一切知らされない可能性が高い。
わたしたちにはわけがわからないまま、いつの間にか戦争が始まっていて、日本の軍隊が他国の国民を殺してしまっていました、なんてのが決して絵空事ではなくなるのが、今回の法律です。
そしてある日、駅で、繁華街で、テロが起きる。
でもわたしたちは意味が解らない。何も知らされていないから。
どうしてこんなひどい目に合わなければいけないのか、怒り、悲しみ、テロ犯を憎む。そして戦いへと赴くために銃をとる。
でもそのテロが日本による攻撃に対する報復だったと、わたしたちが知るのは血みどろの戦争を続けて10年後、20年後のことでした…なんて事が、起こり得ます。
すくなくともそんなことはあり得ないとするだけの根拠は、当該法案にはありません。
戦争は終わったら、はいノーサイド、恨みっこなし、お互い前向きに行こうぜ、なんて言えるものでは決してない。
人が死ぬんだから。
少なくともわたしは近しい友人や家族や飼っている猫が、他国の攻撃で殺されたならば、それは一生忘れないし許せないでしょう。
復讐するかどうかはわかりませんが、しかし、絶対に忘れません。
そしてその他国の人間に、戦争なんだからお互い様、ノーサイドなんて言われても、はいそうですかと納得なんか絶対にしないです。
そんな境遇に、日本はもちろん、他国の人間を陥れたいとは思いません。
“国益”のため、“安全保障”のため、そうすることが必要だったのだ、などと言われても、じゃあわたしたちは他国から「うちの国益と安全保障と、あとついでにちょっといい生活のためにお前ら死ね」と言われたらそれを受け入れるんですかと問いたい。
否、受け入れない、そんなときは戦うのだ、と勇ましく言う人もいるでしょう。
では、国家とは、国益とは何なのでしょうか。
誰かの命や、安らかな生活を犠牲にしなければ達成できない、守れないものとは、いったい何者なのでしょうか。
否、自分たちはそれを望まないが、悪辣な他国がそれを望んでいるのだとでもいうのでしょうか。
それは戦争をする為政者の常套句です。
詳しくはアンヌ・モレリの戦争プロパガンダ10の法則を参照のこと。
…そうやって互いに殺し殺されることを自明のものとする世界で生きていきたいんですか。そんな世界でどんな希望があるんですか。
それこそ地獄ではないですか。
わたしは嫌です。
冗談じゃない。
ちょっと他国の紛争やテロをググってみてくださいよ。
きっと血まみれの怪我人や黒焦げの死体や泣き叫ぶ人たちの写真がたくさん見つかるでしょう。
それがわたしたちの未来で本当にいいんですか。
わたしたちがそうなると言うんじゃありません。
わたしたちこそが、ああした人たちを生み出す側になるんです。
本当に、それでいいんですか。
父を、母を失い、泣き叫ぶ子どもに向かって、
「これは我々の国益のためにやむを得ないのだ」
と言うんですか。
わたしは嫌です。
それだけです。
(引用終了)
- 関連記事
-
スポンサーサイト