コメント
キタァ~橋下徹『私の認識と見解』全文
そろそろ主権者も、目覚めるときでしょう。
当然ながらに、一連の橋下暴言が、蜂の巣の如く、あらゆる方面の国際社会からの批判の嵐に晒されている現状をボクら主権者は、冷静に観察し、考えることが大切ですね。それは、この7月の参議院選挙の結果を国際社会が固唾を呑んで注目するということを考慮しなければならないことです。もし仮に、前回総選挙の様に、自民や維新を大勝させてしまったら、国際社会の批判の矛先がボクたち主権者に向かうことを想像しなければなりません。国際社会が、日本の主権者の人権意識の低劣さを、非難する結果になるのではないかしらん…。( v^-゜)♪
橋下と維新の政治生命がこと切れるか否かの、ほんとうに大切な参議院選挙ですね。(^-^ゞ
鎌田慧「石原の専横---差別発言と税金の大浪費」
http://nomorewar77.blog.fc2.com/?mode=m&no=280&cr=bcffbd08f399742ee07c2b1698d03bd5
橋下の外国特派員協会での記者会見については詳報する予定です。……
いろいろな意見や考えを認めているのが日本国なので、妄言としてしまうということは、思想表現の自由を認めていないということですかね。自分と意見が違えば妄言とするのは太平洋戦争末期の日本と同じ様に感じます。反対意見は非国民として抹殺してきたのと、同じ過ちを繰り返しているようにみえます。
http://www.47news.jp/CN/201305/CN2013052701001714.html
さぁ皆さん、橋下を政治の表舞台から去らせる事が出来るか否かが問われていますよ。
リオタール『文の抗争』(原著:1983)からの抜き書き
isbn:4588002694
■【9】p.21より
犠牲者とは、自分が受けた不当な被害を証明することが出来ない人のことである。告訴人とは、損害を被り、それを証明する手段をもつ人のことである。この手段を失えば告訴人は犠牲者となる。彼がこの手段を失うのは、たとえば加害者が直接的ないし間接的に裁判官であるような場合である。彼は告訴人の証言を虚偽として却下する権限、あるいはその証言の公表を妨害する能力をもっている。だがこれは特別な場合にすぎない。一般的には、告訴人が不当な被害を被ったと申し立てながら、いかなるかたちでもその被害を呈示しえない場合、彼は犠牲者となる。逆に言えば、「完全犯罪」とは(…中略…)証人を沈黙させ、裁判官の聞く耳を奪い、証言を支離滅裂な(常軌を逸した)ものとして成立するものであろう。証言の送り手、受け手、意味を無力なものにしてしまえば、まるで指向対象(損害)が存在しなかったかのように事は運ぶのである。(…後略…)
■【22】p.31より
抗争は、文にされうるはずの何ものかがいまだ文にされえていないという、言語活動における不安定な状態であり、その瞬間である。この状態は否定的な文である沈黙を含んでいるが、それと同時に原則的には可能であるはずの文を呼び求めている。普通、感情と呼ばれるものがこの状態の存在を指し示している。「うまい言葉が見つからない」等々。感情がふと漏らす抗争がすぐさま係争のうちで押し殺されてしまい、感情が与える警告が無益に終わってしまうのが嫌ならば、抗争を表現しうる文をつくり、連鎖をつくるための新たな規則を懸命に探さねばならない。抗争に特有語を見つけてやり、抗争を証言することは、或る種の文学の、哲学の、そしておそらくは政治の課題なのである。
■【27】p.33より
生き残った人たちの沈黙は、必ずしもフォリソン【注*】がそう信じ、あるいは信じるふりをしているようなガス室の非存在を利する証言ではない。それは、受け手の権限に反対して(われわれはフォリソンなどに報告すべきいわれはない)、証人自身の権限に反対して(命拾いしたわれわれにはそれを語る権限がない)、さらにはガス室を意味すべき言語の能力に反対して(表現不可能の不条理)なされる証言でもありうるのである。ガス室の存在を立証しようとするならば、四つの沈黙の否定を取り除かなければならない。ガス室は存在しなかったのではないか。いや、存在した…しかしそれが存在したとしても、そのことは言葉に表わされえないのではないか。いや、表わしうる。…しかしそれが言葉に表わされうるものだとしても、少なくともそれを言葉に表わす権限は誰にもなく、またそれを聞き届ける権限も誰にもないのではないか(それは伝達不可能ではなかろうか)…いや、その権限はある、と。
【*】フォリソンについては松浦寛『ユダヤ陰謀説の正体』(ちくま新書1999/11/20)参照
城田すず子さんのこと
AXさんへ
自分の発言の責任が問われているのに、何時の間にやら、『新聞の誤報』はじめ他人様の責任を糾弾する立ち位置を確保、『正義の糾弾』の先頭(?)で何やら叫びたてている責任転嫁大王(C by 斎藤美奈子) …… 御信者の皆さんにはアリガターイ事なのでしょう。
>妄言様
>思想表現の自由を認めていないということですかね。自分と意見が違えば妄言とするのは太平洋戦争末期の日本と同じ様に感じます。反対意見は非国民として抹殺してきたのと、同じ過ちを繰り返しているようにみえます。
先のボクのコメントで、“妄言”という語句を用いましたので、それに対する、ご指摘と思いましたので、意見を述べさせてください。秋原葉月さん…、いつもごめんなさい。
稲田氏、中山氏、西村氏の発言を“妄言”としたところですが、この方たちは、国会議員、若しくは、稲田氏は政府の要人閣僚です。いわば、公人です。 公人を批判する場合、ある程度の辛辣な表現は許されるものと、ボクは認識しています。
貴殿(貴女)ご指摘の >反対意見は非国民として抹殺してきたのと、同じ過ちを繰り返しているようにみえます。
↑ は、あたらないと思います。これは、戦争当時、戦争反対や天皇制反対などの言論を公権が治安維持法を根拠に弾圧したのであり、権力側を風刺したり、揶揄したりするのは、許されるべきと考えます。
妄言さん…、ご指摘ありがとうございます。
チーズ真理教の『妄言』
ヴィダル・ナケ『記憶の暗殺者たち』(人文書院1995)には、【月はチーズで出来ていると主張する自称「天文学者」】を天文学、宇宙物理の研究者たちは、一笑にふし無視する、とあります。(自然科学系の学会討論会では、トンデモさん専用セッションを設けて追い払ったりしています)
戦時中の『軍性奴隷システム』を 『売買春システム』として理解しようとしたり宣伝する集団セカンドレイプ犯たちの言説を拒否するのは、マトモな人権感覚の持ち主にとっては当然の権利であり義務なのです。
総理大臣御自ら先頭になってセカンドレイプを煽動するニポン(安倍が自粛したらザイトク街頭行動参加者がいっきに減った!)で暮らしていると、何が『妄言』なのか分からずに、『妄言批判は言論弾圧だぁ』なんてトンデモさんが現れるんですよね。困ったものです。
「人身売買」は江戸時代から禁止されています
ほとんど有名無実化してしまったとはいえ、明治五年には芸娼妓解放令というものも発令され、年季奉公による女性たちの拘束も禁止されました。
Wikipedia 芸娼妓解放令
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B8%E5%A8%BC%E5%A6%93%E8%A7%A3%E6%94%BE%E4%BB%A4
太政官布告であったこの法令は後の法整備で廃止されましたが「人身売買排除」の方針はその後の法律にも引き継がれたようです。
「人身売買排除」方針に見る近代公娼制度の様相 (立命館大学博士課程の方の論文です)
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hss/book/pdf/no93_08.pdf
------(以下、上記論文 第1章 近代公娼制度を巡る法規 より引用)------
東京府に於ける「娼妓規則」と内務省令である「娼妓取締規則」とは、制定母体も発布年度も異なるものであるが、娼妓取締規則以降もその細部については「本令ノ外必要ナル事項ハ庁府県令ヲ以テ之ヲ定ム」ことになっており、両者(地方規則と娼妓取締規則)は共存するものであって、その条項にも共通点を見ることが出来る。その中でまず注目すべきは娼妓規則第1条に於いて「娼妓渡世本人真意ヨリ出願之者ハ実情取糺シ候上差許シ鑑札可相渡との記載が為されている点である。これは「娼妓本人の意思による届出」に対して就業許可を与えるという規定であり、娼妓取締規則に於いても「娼妓名簿ノ登録ハ娼妓タラントスル者自ラ警察官署ニ出頭シ(中略)書面ヲ以テ申請スヘシ」とした第3条に明記されている。この条文は、娼妓就業に際してそれが当人の意思による事を明示する事によって娼妓解放令の禁止する人身売買的要素を排斥する為のものであると理解できる。更に娼妓取締規則に於いては「娼妓名簿削除申請ニ関シテハ何人ト雖妨害ヲ為スコトヲ得ス」との条文が定められており、廃業手続きについては「娼妓名簿削除ノ申請ハ書面又ハ口頭ヲ以テスヘシ」と口頭という簡素な手段を含める事によって廃業の自由を確保、「就業の自由意志」の強化が図られている。
(中略)
以上に挙げた他にも居住制限や罰則事項などの条文を見る事が出来るのであるが、娼妓自体に関する規定は概ね次の3点に集約することが出来る。
1、娼妓就業は当人の意思によるものであり、登録が義務付けられる
2、一定年齢以下については就業を認めない(「娼妓規則(東京府)」では十五歳以下、「娼妓取締規則(内務省)」では18歳未満の就業を禁止)
3、医療検診が義務付けられ、疾患が認められる場合は娼妓稼業の停止する事
(中略)
つまり、近代公娼制度に於いて娼妓は年齢制限の基準を満たした上で娼妓登録されることにより公娼制度内に組み込まれ管理─管理の中には衛生対策としての検診も含まれる─されるという構造を持っていた。そして、前近代のそれとを区切る「娼妓解放令」で示された人身売買の禁止を全うするため、就業時には「個人の自由意志」である事が条件に加えられ、1900年娼妓取締規則に於いては廃業の自由までもが明文化されているのである。この人身売買の禁止に関しての規範は1898年娼妓解放令が廃止になって以降は民法90条「公ノ秩序又
ハ善良ノ風俗ニ反スル事項ヲ目的トスル法律行為ハ無効トス」がこれを引き継ぐ形となる。この民法90条は公序良俗に反する行為を無効とするもので、娼妓解放令のように人身売買禁止に特化したものではないが、公序良俗に反する行為の範囲に芸娼妓に対する不当な拘束も含まれていた。又、1900年以降には衛生対策の観点から花柳病予防法(1927年)が設けられ、衛生対策以外に関しても年次毎に少々の変化を見ることが出来るのであるが、この公娼をめぐる構造─近代公娼制度の内部構造─には大きな変化は無い。そして、これらの構造は東京府娼妓規則にも見る事が出来るものであり、近代公娼制度の極初期の段階で既に意図された方針といっても差し支えの無いものであると言えるのではないだろうか。
------(引用終わり)------
もちろん、この時代も実質的な人身売買は多かったようです。しかし、法律上は「人身売買」はあくまで違法であり、「公娼はあくまで本人の意志でするもの」とされていました。国際的にもその建前を通すために当時の政府は苦慮したようです。1910年には国際連盟でも、売春目的の婦女子の人身売買禁止の国際条約が初めて結ばれ、1921年には更にそれが強化された条約が結ばれて、日本はその時にこの条約に加入しました。そして1931年の国際連盟の調査団に対しても、日本政府は当時の国内法を元に「日本では人身売買は認められていない」と主張しています。その時、争点になったのは娼妓たちに「廃業の自由」があるかどうかということでした。政府は「たとえ借金があっても、廃業するのはあくまで本人の自由である」と説明しました。しかし調査団の報告書では、大半の娼妓が事前に貸座敷業者(女郎屋)に多額の借金をして就業している現状では、それは疑問であるとされました。(1933年に日本は国際連盟を脱退しますが、だからと言って、公娼制度に関する国内法を「改悪」などはしなかったでしょう)
------(以下、再び上記論文 第2章 1931年国際連盟調査に見る「非人身売買」主張 より)------
政府の出した回答で比較的纏まった形をとる内務省警保局「公娼に関する調査」に於ては「人身買買売は明治五年以来法の禁ずるところで、今日の娼妓は独立の稼業を営むものである。娼妓となるには、自ら警察官署に出頭して名簿登録の申請をしなければならない、代人を以て之を為すことを絶対に許さない。(娼妓取締規則第三条)これは、悪辣なる紹介業者に因り或は子女を苦界に沈めてまでも安逸を貪らんとする涙なき親達に因り、本意を枉げて娼妓となるが如きことなからしむる為、本人の意思を尊重するの趣旨に外ならない。」と近代公娼制度が人身売買を牽制している事を説明している。ここでの主張は、明治5年(=娼妓解放令)を区切りとして人身売買は排除されており、その上で娼妓が仲介業者や親によって売られるという事態を防ぐ為に、就業に際しては本人の意思の確認を行う(=自ら出頭する)という措置が取られている事を「根拠」になされたものと推察できる。また、娼妓登録に際しての警察官署の対応を「娼妓名簿処分に関する警察官署の態度は極めて消極的である。真に已むに止まれない事情があつて、娼妓となるの外他に途のないもののみ登録して居る実情である。」と記し、個人の自由意志であっても娼妓登録に関しては慎重な措置を取っている点を強調している。
こうして娼妓就業が「個人の自由意志」であると釘を刺し、個人の自由意志であるが故に廃業に関しても娼妓の意思が介在し得る点についても言及されている。
------(引用終わり)------
以前、戦前の女郎屋の経営者の話として、親元から連れて来た娘がどうしても客を取るのを嫌がるので、仕方なく家に返したという話を読んだことがあり、ずいぶん寛容な女郎屋だと思ったのですが、本人が承知しないのに売春させることは、本来「違法」なので、経営者も強要出来なかったということなのでしょう。たとえ、親に金を渡して連れて来た娘でも本人の意志に反して無理やり売春させることは違法だったのです。もちろん、本人が娼婦にならずに帰って来たら、親たちは前渡しされた金を返さなければならなかったでしょう。大半の娘たちは、始めから親や身内がお金を必要としていたのを承知していたので、女郎屋に留まって、泣く泣く「自由意思で売春していた」のだと思います。
だいぶ以前に読んだ朝鮮人慰安婦に関する本では(三十年~二十数年前に2、3冊読んだ記憶があるのですが、手元にないので、どれであったのか、題名はちょっと思いだせないのですが)前線近くへ連れて行かれたのはほとんどが彼女たち朝鮮人慰安婦で、日本人の娼婦たちはほとんど来なかったそうです。(戦地でも最前線からだいぶ下がった安全な場所になら、日本人娼婦のいる慰安所もあり、そこは「将校専用」になっていたりしたそうですが)つまり、砲弾が飛んで来て命の危険があるようなところにまで付いてくる日本人娼婦はいなかった。日本人の娼婦たちも、それぞれ多額の借金などの厳しい事情は抱えていたでしょうが、彼女たちには、そこまでは誰も強要出来なかったということです。しかし、朝鮮人慰安婦たちは最前線にに近いところまで連れて行かれ、撤退した軍に置き去りにされて命からがら逃げたり、戦闘に巻き込まれて死んでしまった慰安婦もいたそうです。これが強制による「連行、監禁」でなくてなんだったのでしょうか?(かつて、「私だったら、兵隊さんのために喜んで慰安婦になった」とか言った某有名女流作家もいたそうですが、私は今更、そんなことを言う人の「知性」を疑いました)
そもそも慰安婦が「公娼」といえるのかどうか私は知らないのですが(公娼になる時の条件である「本人の意志による就業」はほどんどなかったろうと思います)もし百歩譲って、仮にそうだったとしても、少なくとも慰安婦には「廃業の自由」はなかった。つまり「違法状態で売春させられていた」ということにはなると思います。
残念ながら、人身売買は今も存在していて、日本は国連から何度も警告を受けるほどです。
現代ビジネス 藤野英人氏のコラム
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/35798
人身売買が横行していては「美しい国」とはいえない!橋下発言が浮き彫りにした日本に潜む女性やアジアの人々に対する醜い差別
私は「投資家」という人種はあまり好かないのですが(貧乏人の僻み!w)しかし、ここで藤野氏の言っておられることは筋が通っていると思いました。このところ、政治家のひどい発言が続きますが、それと「人身売買要注意国」であることには同根の理由があるような気がします。
オランダ人元慰安婦:「償い事業」責任者が証言集出版
スマラン(白馬)事件
http://194586245.web.fc2.com/13.html
どんなに厚顔な人であっても、これを「公娼による自由意思の売春だから、合法だった」などとは、けして言えないでしょう。
被害者の支援事業の責任者だった女性が本を出版するそうです。
オランダ人元慰安婦:「償い事業」責任者が証言集出版 毎日新聞 2013年05月24日 15時00分(最終更新 05月24日 15時03分)
http://mainichi.jp/select/news/20130524k0000e030263000c.html
(以下上記よりの引用)
オランダ人元慰安婦の証言集「壊された花」を近く出版するハマーさん。手にしているのは表紙の見本=18日、オランダ・ハーグで、斎藤義彦撮影
【ブリュッセル斎藤義彦】第二次大戦中に旧日本軍により慰安婦にさせられたオランダ人被害者に対する「償い事業」の実施責任者だった女性が、元慰安婦8人の証言記録集「壊された花」を8月15日に出版する。元慰安婦は死ぬまで心的後遺症に苦しめられたという。元責任者は「大多数の元慰安婦が死ぬ一方、政治家が歴史をねじ曲げている。若い人に悲惨な事実を学んでほしい」と話す。
筆者はオランダ・ハーグ在住のマルガリータ・ハマー・モノ・ド・フロワドビーユさん(71)。「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)がオランダで実施した元慰安婦への支援事業(1998?2001年)で、事業実施委員長を務めた。
ハマーさんは79人の元慰安婦を認定する作業の中で被害者と親しくなり、そのうちの8人から当時の状況やその後の人生を聞き、まとめた。
元慰安婦の一人、エルナさん(仮名、06年に81歳で死亡)は証言集に「若く咲き誇っていたあの日/血塗られた太陽に花は壊された/傷は永遠に続く」との詩を死の数カ月前に寄せた。血塗られた太陽は日の丸を指す。
日本軍は1942年、当時オランダの植民地だったインドネシアに進攻。オランダ人民間人9万人、軍人4万人を収容所に入れた。
エルナさんは43年に母親とジャワ島中部アンバラワの収容所に入れられた。44年2月に軍の将校が来て18歳だったエルナさんを含む17?28歳の女性17人をスマランに連行。
エルナさんは軍医による性病検査の後、将校に強姦(ごうかん)され、軍医にも強姦された。拒否しても「収容所の家族を殺す」と脅された。2カ月後、慰安所は軍幹部の命令で閉鎖され収容所に戻されたが、妊娠がわかり中絶した。
戦後、スマランの慰安所を設置した軍人や民間人10人がBC級戦犯としてバタビア臨時軍法会議で死刑を含む有罪判決を受けた。
エルナさんは戦後、オランダ兵と結婚したが度々、慰安所を巡る悪夢に悩まされた。特に夫が亡くなってからは心的外傷が強まり眠れない日が続いた。
「慰安婦にされた被害者の人生全体が台無しにされ、傷が癒えることはなかった。慰安婦制度が必要だったなどという政治家の発言はおかしい」とハマーさんは話す。
田村泰次郎『春婦傳』冒頭検閲により削除された部分
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この一編を、戦争間大陸奥地に配置せられた日本軍下級兵士たちの慰安のため、日本女性が恐怖と軽侮とで近づかうとしなかつた、あらゆる最前線に挺身し、その青春と肉体とを亡ぼし去つた数万の朝鮮娘子軍にささぐ
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『田村泰次郎選集2/応召から敗戦直後まで』(日本図書センター 2005/04/25 ISBN:4820598902 )p.360 解題より
同書p.349 GHQ検閲資料(英文)
関連図書
尾西康充『田村泰次郎の戦争文学/中国山西省での従軍体験から』(笠間書院 2008/08/30 ISBN:9784305703705 )
宮柊二『宮柊二集1/歌集1』(岩波書店 1989/11/07 ISBN:4000914715 )「山西省」
核武装推進政党…“日本維新の会”
この様な、とんでもない暴言を吐いた西村慎吾氏…。 衆議院予算委員会で、持論である『核武装推進論』までも、ブチました。石原慎太郎共同代表も“核武装推進論者”として有名ですが、“日本維新の会”は、ほんとうに恐ろしい政党であると、断言せざるを得ませんね。
西村真悟オフィシャルブログ
http://m.ameba.jp/m/blogArticle.do?unm=nishimura-shingo&articleId=11512468948&frm_src=article_articleList
……転載開始……
予算委員会集中審議で質問
2013/04/16 13:55
4月16日、西村眞悟議員は予算委員会集中審議(外交・安保等)の質問に立った。質疑時間は37分間。
テレビ中継入りの予算委員会質問は平成9年2月3日以来、実に16年ぶりであった。
質問に立った同議員は、「北朝鮮の核を抑止するためにはバランスを取ることが大切だ。日本に核を落とさせないために、独自の核抑止力を構築することが総理の責務なのではないか」と問うと、安倍総理は「日本は米国の核の傘の中に入っている」と答弁、それに対し同議員は「フランスのドゴールは、米国の本土が危険に晒されている中で、米国はパリを守れるか、と説いたことがある」と反論した。
……転載終了………
『従軍慰安婦制度』を是認したり(人権蹂躙)、『核武装推進』したり…、このような時代錯誤の危険極まる政党を、ASさんもご指摘なされました通り、7月の参議院議員選挙でまたぞろ大勝させるようなことがあれば、ボクたち日本の主権者の見識が、国際社会から疑われ、日本が国際社会から孤立することは、必至でしょうね。( v^-゜)♪(笑)
>dmpx さん
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> この一編を、戦争間大陸奥地に配置せられた日本軍下級兵士たちの慰安のため、日本女性が恐怖と軽侮とで近づかうとしなかつた、あらゆる最前線に挺身し、その青春と肉体とを亡ぼし去つた数万の朝鮮娘子軍にささぐ
> ---
>『田村泰次郎選集2/応召から敗戦直後まで』(日本図書センター 2005/04/25 ISBN:4820598902 )p.360 解題より
やっぱりそうだったんですね。私が最初のコメントの中で書いたのは、だいぶ前に読んだ本の内容なので、間違いはないとは思っていたのですが、少し気になっていました。やはりあの頃、最前線へ連れていかれて命を落とした朝鮮人慰安婦が沢山いたのですね。当時、私が図書館で読んだ別の本では(それは特に「慰安婦」に関して書かれた本ではなく、戦時中の女性たちの逸話を集めた本でした)日本軍はからはぐれた日本人の従軍看護婦と朝鮮人慰安婦が一緒に戦場を逃げまどう話も載っていました。若い慰安婦たちは年上の看護婦を「お姉さん」と慕って野山の中を一緒に逃げました。田舎育ちの彼女たちはイナゴや沢ガニなどを採って「お姉さん」にも食べさせてくれたそうです。苦難の末に日本に帰還したその看護婦さんから聞き書きれたものだったと思います。また、この看護婦さんではなく、別の従軍看護婦さんの話だったと思いますが、ソ連軍に捕まって彼らの「慰安婦」にされてしまった人の話もありました。あの当時、軍隊と共に行動させられていて人生を狂わされた女性たちはかなりいたのです。
普通の娼婦なら、いくらお金が貰えたとしても、銃弾の飛び交う危険な最前線までは付いて行かないでしょう。当時は朝鮮も「日本」だったとしても、それなら本土出身の日本人の慰安婦はなぜ最前線には行かなかったのか?朝鮮人女性の方が日本人女性よりも、日本に対する「愛国心」や「日本軍に対する忠誠心」が高かったはずなどないのですから、強制による現地への連行があった、ひとつの根拠にはなると思います。
たぶん、あれら本が出版されたのは1970年代初めくらいだったのではないかと思います。慰安婦に関する本が出て来たのもその頃のようですが、戦後30年近く経って、当事者の人たちが、ようやっと生々しい事実を語ることが出来るようになったのかもしれません。
「自分の子や近所の娘が連行されるのを黙って見ていたのか。そんなに朝鮮人は弱虫だったのか」
「20万人も連行したら100人に1人だ」
http://www.47news.jp/CN/201306/CN2013060701002165.html
はい、「強制性の有無」云々、また来ましたー