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男性は女性を「娼婦」と「妻となるべき女」にわけていて、その二つの両方を手にいれることができる。二つは交わることはないというものです。風俗が浮気ではないと言いはる男が多いのはこの考え方に基づいていると思います。
橋下市長の発言は日本社会になお残るこの考えを如実に表しており、女性としては非常に不快です。世の男性たちにも失礼な発言だと思います。
「娼婦」側の女を自分たちから切り離しすぎているのではないでしょうか?
勝手に「娼婦」の女達を作り上げ、そこにすべてをなすりつける、卑怯なやり方です。
従軍慰安婦問題を論じていても、性の二重基準からくる蔑視が透けて見えて、この国の国民として恥ずかしく感じます。
性欲の犯罪ではない
というを聞いた事があります(16年間義父にレイプされた女性の裁判で裁判官が言った台詞にもありました)
こちらで書かれている風俗の女性の言葉はそれを表しているように思います。
「沖縄の米軍基地」に対しても「沖縄はレイプされ続けている」と言われたりしますよね。
米軍に支配され続けているから…
最近、北原みのりさんの「さよなら韓流」を読みました。
韓流を通して日本という国の病理をえぐりだし、笑える、でも考えさせられる内容で、韓流好きでなくてもおすすめです。
他者の「純潔」を守るために犠牲になった女性たち
作者は「純潔」という言葉が嫌いだという冒頭で始まるのです。どこか胡散臭い、後ろめたい何かを隠しているような気がするからだと。そして、作者の少年時代の、敗戦後の外地からの(作者が五木氏だとしたら「朝鮮北部から」ということになりますが)引き揚げの場面が描写されます。
日本人の避難民ばかりが満杯に載っているトラック(列車?)が何度もソ連軍の検問で止められるのです。民間人だとわかれば通してもらえることになっていたらしいのですが、ソ連兵たちは「賄賂」を要求しました。お金ではありません。女性です。「まさか生娘のお嬢さんを差し出すわけにはいかない。かといって人妻を差し出すわけにもいかない」「でも生娘ではないが、人妻でもない女性たちが何人かいた」
周囲の眼差しによる無言の圧力で、そうした女性たちは自ら車を降りて行ったそうです。そして彼女たちが戻って来て、車は再び出発出来るのですが、帰って来た女性たちを迎えた視線は冷たいものでした。「悪い病気を感染されたのではないか」そんな囁きが聞こえるなかで、誰も彼もが彼女たちを避けるのでした。出て行くときには拝むようにして見送った女性たちでさえ、汚らわしいもののように彼女らを避けました。それを予期したのか、そのまま帰ってこなかった女性もいたそうです。
敗戦直後の日本本土にも、占領軍から「良家の子女を守るため」に公営の慰安所が急ぎ作られたそうです。橋下氏の話はそうした忌まわしい出来事があったことを思い出させました。
もっとも、橋下氏本人は「風俗嬢はお金をもらえるのだから、winwinで何処が悪い?」というような感性しかないのでしょう。彼としては「無邪気な親切心」で言ったことかもしれません。しかし、彼のような人物にはこの国の政治家でいてほしくはないです。