密約に広義も狭義もないでしょう
- 2010/04/15
- 07:00
日米間の密約問題に関する「有識者委員会」によると、なんでも密約というのは「広義の密約」と「狭義の密約」に別れるそうです。
合意文書による秘密の取り決めが「狭義の密約」、文書がなくても暗黙の合意があれば「広義の密約」なのだそうで、調査した4項目のうち、二つが広義の密約、一つが狭義の密約、一つは密約ではない、と言うことでした。
一応中身を書いておきますと、
(1)安保改定時の核持ち込み(1960年1月)ー広義の密約
(2)米軍の自由出撃(同)ー狭義の密約
(3)沖縄への核再持ち込み(1969年11月 佐藤元首相の文書)ー密約ではない
(4)沖縄返還時の現状回復費の肩代わり(1971年6月)ー広義の密約
これまた何のためかわからん分類を・・・広義と狭義にわけることにどういう意味があるんだか、私にはさっぱり謎です。
これについて水島朝穂教授がHPで明快に批判なさっているので引用させていただきます。
◆平和憲法のメッセージ
「広義の密約」とは何か 2010年3月15日
(引用開始)
しかし、「やましいこと」をお互いに知らないふりをし続けることについて、「明確な合意文書」が作成できるだろうか。文書の形にしなくとも、お互いに知らないふりを続けるから「密約」なのである。有識者委員会は「密約」を、「国家間で、公表されている約束より大きな利益を相手に与えたり、負担を引き受けたりするもの」と定義して、「密約」の判断ポイントを、文書などの形式だけでなく、権利や義務が生じているかどうかに着目したようである。だが、これは本当に対等な関係の国々に言える一般論で、日米関係のような「一方的忖度関係」とも言うべき状況では、「密約」が成立するすそ野は広いように思う。もっと構造的なとらえ方が必要ではないか。
そもそも「密約」たる所以は、公開するとまずい「裏事情」を含むことと、一回性の約束ではなく、次の内閣への引き継ぎが反復継続して行われてきたこと、この二つで足りる。いずれも「密約」と認定して何の支障もないにもかかわらず、あえて「広義の」という曖昧な表現にこだわったのは、有識者委員会の多数派が「日米同盟原理主義」とも言うべき立場の人たちだったことと無関係ではないだろう。「密約」の存在は否定できないが、それをできるだけ小さく見せて、「日米同盟」へのマイナスの影響を最小限に抑えるという、「政治的」意図は報告書の表現にも見え隠れする。
(3)について、佐藤・ニクソンの合意文書の現存を確認しながら、これを「密約」と認めないのは、相当無理がある。「核抜き本土なみ返還」が佐藤首相の看板だったはずで、裏で沖縄への核再持ち込みの合意文書を作っていたこと自体が、とりわけ沖縄県民への裏切りであり、密約性は面目躍如なのではないか。(4)について西山太吉・元毎日新聞記者は、財政密約について、有識者委員会が、「氷山の一角である400万ドルしか対象にしていない」と批判。「『広義の密約』という言い方も、密約を否定してきた官僚を擁護しようという思惑が見える」とコメントしている(『読売新聞』10日付)。
このような報告書になったのも、岡田外相(というよりも外務官僚)の人選に問題があったからではないか。核問題などを精力的に取材してきた元・共同通信編集委員の春名幹男氏(名大教授)以外は、前政権の審議会常連にかたより過ぎである。例えば、「安倍晋三懇談会」の坂元一哉氏(阪大教授)のような人物ではなく、日米密約問題に詳しい我部政明氏(琉大教授)を入れるべきだったろう。「尻すぼみの結論」は当初から予想できたところである。
(引用ここまで)
佐藤首相が交わした合意が密約にあたらないとは、この有識者委員会の密約の定義は役立たずとしか思えません。
それはさておき、「広義、狭義」といえば思い出すのがアベシンゾーが言い出した従軍慰安婦の「広義の強制」「狭義の強制」という無意味な分類です。「広義の強制はあったかもしれないが、狭義の強制はなかった」などというばかばかしい責任逃れを試み、アジア諸国はおろか、アメリカ、イギリスなどからも批判されました。
そうそう、沖縄強制集団死でも広義狭義という言葉こそ使わなかったけど、似たようなロジックを使って、教科書から「軍の命令」を削除させたのでしたね。(集団自決の直前に)隊長が直接自決しろと命令した証拠はない、とかなんとか。言ってみれば「狭義の軍の命令はなかった」ってところです。
自爆史観の面々がこのロジックで大江健三郎氏の「沖縄ノート」を提訴したことを利用して、教科書検定で「軍命」を削除したのでした。
好きですね~。「広義の~狭義の~」が(笑)
密約では「広義の密約」と「狭義の密約」をわけてどうしようというのでしょうね?
広義の密約は狭義の密約よりも、より悪質さが薄い、としたい願望は伝わってきます。が、まさか「広義の密約は厳密な意味での密約ではない」とか言い出して、関係した政治家や官僚を責任を軽減するんじゃないでしょうね??
これからも、何かの折に政府が「広義の~、狭義の~、」と無意味な分類を始めることがあったら、ひょっとして責任逃れするつもりかと疑った方が良いのかもしれません(笑)
しかし、もし『「密約」の存在は否定できないが、それをできるだけ小さく見せて、「日米同盟」へのマイナスの影響を最小限に抑え』えようとしてこんな報告をしたのだとしたら、虚しい努力でしたね。
だってアメリカ様が「密約なんてなかった」と言ってるならともかく、とっくに「密約はあった」と言っちゃってるんですから。
長年染みついた奴隷根性というか習慣というものは、そうそう簡単に抜けないのだなあ、ともの悲しくなりますorz
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