憲法96条を改正したい者達のウソと詭弁(2)
- 2013/04/21
- 12:00
4/14のツイログを見てみましょう。
http://twilog.org/t_ishin/date-130414
次の参議院選挙では、憲法改正を争点にしたい。朝日新聞、共産党、民主党は否定。公明党、みんなの党は慎重。自民党、維新は積極。自民党は石破幹事長が憲法9条の改正を匂わした。日本維新の会は、道州制改憲を主張したい。自民党、公明党、維新の会、みんなの党は道州制基本法を提出する。
自民党、公明党、維新の会、みんなの党で衆議院400名にも及ぶ勢力だ。この勢力は道州制によって日本の統治機構を一から作り直すことを主たる目標としている。ところが、道州制は、現行憲法下ではすんなりと進まない。都道府県は憲法92条の地方公共団体にあたるとされている。
現行憲法下では、道州制を進めるにしても、都道府県の同意が必要となりかねない。これでは道州制など1000年かかっても実現できないであろう。47都道府県知事のうち道州制賛成者は10人ほどだ。地方議会ではほとんどが道州制反対。関西でも、大阪以外は道州制反対だ。
道州制になると知事のポストも、府県議会のポストもなくなる。とにかく、皆現状維持が良い。国政において、自民党は道州制に旗を振るが、実は地方議会の自民党は道州制反対だ。そして市町村になるとなおさら道州制には反対となる。
このような状況で、都道府県の同意を必要とすれば、全都道府県知事を道州制賛成論者に替え、都道府県議会も道州制賛成論者で過半数を占めなければならない。全て選挙で替えていくしかない。こんなの不可能だ。関西広域連合でも、15年近くの年月を費やしてやっと成立した。
道州制は、国のかたちを抜本的に変える統治機構改革。幕藩体制から明治政府に体制変更したのと同じような改革だ。これほどの体制変更は、法律で一気にやり抜くしかない。そのためには憲法改正をするしかない。都道府県は明治維新の時、今から140年前に原型ができた制度。
この都道府県の枠組みを前提とする限り、道州制にするためには、都道府県の同意が必要になりかねない。ゆえに憲法改正によって道州制を憲法上の統治機構にしてしまう。今は、地方公共「団体」だが、地方「政府」として憲法上規定する。憲法で道州制を規定すれば、それに従った法律を制定すれば良い。
道州制ほどの大改革をやるのに、都道府県や市町村の同意を全て取り付けるなど不可能。日本国の統治機構を一から作り直し、道州制を憲法に規定する。そうすれば法律で一気に道州制を進めることができる。これくらいのことをやらないと道州制は実現しないだろう。
憲法改正から道州制を実現する。これが日本維新の会の改憲の主張だ。自民党、公明党、みんなの党も道州制には積極賛成だから、道州制のための改憲なら反対はしないだろう。そして道州制のための改憲にしても、その中身を詰めるには時間がかかる。ゆえに96条を改正して時間を稼ぐ。
日本維新の会の96条改正は、道州制改憲のためのもの。ここを明確に打ち出していきたい。
朝日新聞や毎日新聞は、96条改正をするには、何のための改憲かはっきりしろと言う。それは道州制のための改憲だ。また朝日新聞は近頃、96条改正反対キャンペーンを張り出した。予想通りだ。その主張はちゃんちゃらおかしい。今の憲法は素晴らしいものだから改正する必要はないというものだ。
今の憲法が素晴らしい、変更する必要が全くないと言うのは朝日新聞の価値観。日本国憲法は価値相対主義だ。朝日新聞の価値観が絶対的なものかどうかは分からない。だからこそ、最後は、国民で決めてもらうしかない。96条を改正して、国民に問える環境を整える。
朝日や毎日は憲法を絶対に変えたくないから、絶対に憲法改正が不可能な96条を死守したい。これはおかしい。朝日や毎日の価値観が正しいのかどうか、国民に問うて国民に判断してもらうべきだ。原発については市民運動の声を聞けと朝日は言うではないか。そうであれば憲法改正についても国民の声を聞け
朝日天声人語でも、僕と自民党の憲法観は違うはずなのに、96条改正で一致するのは悪い冗談だと、しょうもない皮肉を言っていた。96条は憲法観を背景としているのではない。どの憲法観で行くのか国民に判断してもらおうと言うものだ。国民の判断を信じると言う点で自民党と一致している。
朝日や毎日は、国民を信じないと言う点で一致している。国民の判断を求めるための96条改正であり、中身の憲法観では自民党と僕とではずれがあるかもしれない。それでも議論をし、一致するものは国民の判断を求めていく。96条改正は憲法観が一致していなくても、改正で一致できる。
国民の判断を信じると言う点で96条改正。国民に問える環境を整える。その上で、憲法観をぶつけ合えば良い。そして日本維新の会は、道州制改憲だ。憲法に道州制を位置付けて、法律によって一気に道州制を進める。現行憲法を前提とすると、都道府県の意思によっての道州制になる。これでは実現不可能。
憲法92条を中心に、第8章の改正。地方公共「団体」から地方「政府」に規定し直し、道州制を憲法上の制度とする。これには若干の時間がかかるので、まずは96条を改正する。まさに道州制改憲だ。道州制には自民党、公明党、みんなの党も賛成なので、道州制改憲には反対しないだろう。
『日本維新の会の96条改正は、道州制改憲のためのもの。ここを明確に打ち出していきたい。』
憲法改正の目的は道州制の導入なんだよ、憲法9条や人権条項を変えるための96条改正じゃないから安心してね、といいたいわけですねわかります。
市長自身が言ってるように道州制導入は
『47都道府県知事のうち道州制賛成者は10人ほどだ。地方議会ではほとんどが道州制反対。関西でも、大阪以外は道州制反対』『1000年かかっても実現できないであろう』
という状態、国民的な賛成とはほど遠い状態です。
(1)でも書きましたが、憲法は国民が権力担当者に出した命令です(立憲主義)。
ですから国会議員の憲法改正の発議とは、憲法を変えるべきと言う国民の具体的な声が高まったときに、それを受けて改正案を議論し発議できるのであり、国会が憲法改正を主導するのは立憲主義に反するのです。
道州制を導入すべきだという国民の声などほとんどないのに『憲法改正から道州制を実現する』などということは、まさに権力担当者が憲法改正を主導しようとしていることに他なりません。
『全都道府県知事を道州制賛成論者に替え、都道府県議会も道州制賛成論者で過半数を占めなければならない。全て選挙で替えていくしかない。こんなの不可能だ』
『これほどの体制変更は、法律で一気にやり抜くしかない。そのためには憲法改正をするしかない』
道州制賛同が増えないのでいつまでたっても実現できない。だったら一気に憲法を変えて実現させる。憲法で道州制を定めてしまえば否が応でも道州制になる。
これはまさに「国民に対する上からの規範の押しつけ」有無を言わせぬトップダウンそのものであって、立憲主義に真っ向から反します。
橋下市長は維新の身内に対して
「憲法学者のサポート役を置かずに、全然本質的な憲法論議になっていない」
「憲法の教科書ぐらい読んでいるのか」
「国会議員が憲法のイロハのイのことを知らずに憲法論議をやること自体が本来間違っている」
などと苦言を呈したそうです
(産経新聞『「本質的な憲法論議がない」橋下氏、維新国会議員団に苦言 深まる“東西対立”』2013.4.10 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130410/stt13041022510001-n1.htm)
また、朝日の天声人語(4/11)によれば
「憲法というのは権力の乱用を防ぐもの、国家権力を縛るもの、国民の権利を権力から守るものだ。
こういう国をつくりたいとか、特定の価値を宣言するとか、そういう思想書的なものではない」
とも語ったそうです。
いかにも立憲主義を理解してるかのようですね。
しかし橋下市長がやってることは自分で維新団に説教した立憲主義を全く理解していない、矛盾した事ではありませんか。
また、憲法第八章の地方自治を読めば、憲法は道州制導入を禁じていないことがわかります。
だから道州制導入のためにわざわざ憲法を変える必要は無いのです。
民主主義の観点に立てば、憲法をいじることなく、国民的な合意を得て地方自治法を変えるのが筋でしょう。
そもそも
『道州制のための改憲にしても、その中身を詰めるには時間がかかる。ゆえに96条を改正して時間を稼ぐ。』
って、ちょっと何言ってるのかわかんない。全くもって意味不明です。
どなたかわかりますか?
このように、改憲の必要の無い事柄、意味不明な理由を口実にして改憲の突破口を開こうとするのは、改憲の真の目的が道州制ではないからです。
映画監督の想田和弘さんも鋭く斬っています。
◆観察映画の周辺 Blog by Kazuhiro Soda
橋下徹の96条改定論の欺瞞
http://documentary-campaign.blogspot.jp/2013/04/blog-post_15.html?spref=tw
橋下徹が96条改定についてトンチンカンな連投ツイート。「絶対に憲法改正が不可能な96条」というが、嘘を言ってはいけない。両院の2/3以上での発議と国民投票の過半数で憲法は改定できる。改定できないのは、そこまでの国民的な合意がないから。「国民の判断を信じる」というなら正々堂々と合意を作ればよい。
橋下は「96条改正は憲法観の問題ではない」とも言うが、詭弁を使ってはいけない。96条の改正要件が厳しいのは、「憲法とは権力を縛るもの」という立憲主義的憲法観を具現化するため。このハードルを緩くすることは立憲主義を弱める行為。つまり96条は「憲法とは何か」という憲法観そのものの問題。
96条で改正要件が厳しく設定されてるのは、橋下みたいな権力者が現れて好き放題に憲法を変えられたら民主主義が終了してしまうから。つまり96条は権力暴走を防ぐ安全装置。それを橋下が解除しようというのは、実は自然な話だ。彼は暴走したい人間なので。
橋下の詭弁に騙されて96条の改正要件のハードルを下げたらどうなるか。橋下が大阪で条例を好き勝手に変えるように、権力者が自分らの都合の悪い事情に出くわすたびに改憲発議をするようになる。1/2なら普通の法律改正と同じだから改憲発議は頻発する。そのたびに国民投票することになる。
そしてそのたびに、憲法の条文は改定の危機に晒される。これでは立憲主義は危うくなる。そうした事態を防ぐためにこそ、96条の改正要件は厳しく設定されているのだ。そういう筋論や理念を全部無視して、単なる形式論に貶めようとするのは橋下徹のいつもの手口。
絶対に騙されてはならない。
また橋下市長はこんな事も言っています。
https://twitter.com/t_ishin/status/325012400531177472
ちょうど憲法記念日も近い。憲法なんかこれまで国民的議論の対象にはならなかった。新聞社の皆さん、激しくお願いしますよ!さて、朝日の憲法改正観の矛盾。細かな技術的な論ではなく、朝日は哲学そのものが矛盾している。朝日は市民運動を最重要視しているはずだ。
https://twitter.com/t_ishin/status/325012931253256193
政治よりも市民運動。原発政策もデモの声で決めろ。議員による間接民主制よりも、住民投票の
直接民主制を信じろ。世の中は小さなコミュニティーが絶対的価値。全て対話で決めろ。これは
これで一つの哲学だろう。そうであれば憲法改正についても、国民投票を信じるべきだ。
https://twitter.com/t_ishin/status/325013439674195968
これだけ市民運動や住民投票を信じる朝日が、こと憲法改正になると国民投票を信じない。これは
朝日は自分の価値観を絶対的に正しいものとして、手段を都合よく選んでいるからだ。原発政策に
ついては市民運動を利用する。憲法は変えられないように国民投票を封印する。究極のご都合主義だ。
『憲法改正になると国民投票を信じない』って、藁人形叩きじゃないですか。
橋下市長のこのツイこそ「究極のご都合主義」であることを突いたのが次のツイです。
憲法には2/3以上の議決と国民投票という二重の安全装置がある。橋下や安倍はそのうち議決という安全装置を事実上解除しようとしている。それに懐疑的な朝日に橋下は「国民投票という安全装置を信じないのか」と言ってるわけだが、論理のすり替えも甚だしい。安全装置は1つより2つの方が良い。
— 想田和弘さん (@KazuhiroSoda) 2013年4月19日
それに橋下徹は、原発の是非を問う大阪市での住民投票が法定数まで達したのに、それを否定した。直接投票を軽んじているのは橋下の方だろう。都合のよいときだけ、直接投票を尊重するようなふりをするのはいただけない。まあ、いつものことだが。
— 想田和弘さん (@KazuhiroSoda) 2013年4月19日
みんな忘れちゃってるけど、日本維新の会の代表は二人とも原発住民投票を拒否した首長なんだよね。そのくせ「国民投票を信じろ」とか、笑止千万ですよ。bit.ly/wuEv3T
— 想田和弘さん (@KazuhiroSoda) 2013年4月19日
忘れちゃいけない。橋下徹は原発住民投票を拒否する際、こう言った。「市長選の結果から、市民の意思は脱原発依存の方向にあることは明確で、条例案がめざす住民の意思反映はすでに示されている。単に原発稼働の是非だけを問うために多額の経費をかけて実施する必要性は乏しい」。
— 想田和弘さん (@KazuhiroSoda) 2013年4月19日
これだけ市民運動や住民投票を信じない橋下徹・石原慎太郎が、こと憲法改正になると国民投票を信じる。これは橋下・石原は自分の価値観を絶対的に正しいものとして、手段を都合よく選んでいるからだ。憲法については国民を信じるべきと言う。原発については住民投票を封印する。究極のご都合主義だ。
— peinyoさん (@peinyo) 2013年4月19日
<追記>
・憲法改正のハードルが高い理由(山下真・生駒市長) - Togetter
http://togetter.com/li/498621
・「杉浦 ひとみの瞳」
憲法96条(改正規定)の2/3を過半数にすることが危険なわけ
http://blog.goo.ne.jp/okunagairi_2007/e/8e79f4b525d3e716b37c9a0f94684a46
もう一つ、96条改定を巡って「日本の改憲のハードルは他国に比べて高い」というウソのデマが流れています。
村野瀬玲奈さんもこちらで紹介されていますが、私もお持ち帰りさせていただくことにしましょう。
◆じんちゃんのちょいとひとこと
(引用ここまで)憲法改正2/3条項の改正は必要か?
http://openworld.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-5f41.html
2013年4月13日 (土)
自民党は、日本の憲法改正要件は、諸外国の中で、とりわけ厳しいと、喧伝している。
実際は、どうなのか、本日の東京新聞に国際比較の表があったので、これをわかりやすく表にしたものが、下表だ。
2/3以上条項
日本 ○
米国 ○
フランス △(3/5以上)
ドイツ ○
イタリア ○
カナダ ○
韓国 ○
これを見ると、自民党のウソは一目瞭然だ。
日本国憲法の2/3改正要件(憲法第96条)
『第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。
この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。』
は、国際的に見ても、標準的なものだ。
これも、実は、そのはずで、日本国憲法は、第二次大戦直後、連合軍(主に米国)主導で、二度と戦争を起こさせない、世界でもトップレベルの平和憲法として作成されたものなので、その考え方の基本には、欧米の民主主義の哲学が脈々と横たわっているために、欧米の憲法の考え方に共通するところがあるわけだ。
しかも欧米民主主義は、多くの血を見る闘いを伴った長い歴史の末に勝ち取られてきたものであるため、権力者の横暴許さずといった真の意味での主権在民を旨とする憲法に対する欧米における認識の重さには、島国・短期間民主主義の歴史しか持たない日本自民党の持つ認識と比較したとき、雲泥の差がある、といわざるを得ない。
日本国憲法は、国民大衆を権力者から守る大切な防波堤であり、安易に扱うべきものではない、世界的にも極めて神聖かつ貴重な存在なのだ。
したがって、復古祈願権力者の自民党の思い通りに手をつけさせてはならない。
国際社会もまた、これを許さないだろう。
東京新聞(2013/4/13)
国会の三分の二を占める改憲勢力はこんなウソと詭弁を弄しても改憲の突破口を開きたいのです。
これは本当に危機的状況です。
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- 憲法96条を改正したい者達のウソと詭弁(2) (2013/04/21)
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- 2013/05/11(09:54)
- kojitakenの日記