コメント
Re: 裁判員制度と犯罪報道を考える
チクリばっかり(いつもすみません)では何ですので、普通に感想を書かせていただきます。
報道に対して、法律で規制をかけるのは、なんだか躊躇いを覚えます。行政に首根っこを抑えられた「報道の自由」ってどうなんだろう、という。その意味で求めたいのは「自主規制」なんですけど…記事を読む限り、かなり絶望的なようで…。一番いいのは、現場の記者やディレクターの意識が変わることなんですけど。
あと、「裁判官のお弁当」というドキュメンタリに、判決を終えた裁判官が、控え室に戻って、真っ先にテレビをつける場面があるそうです。やっぱり自分の判決がどう報じられるのかは気になるのだとか。裁判官だってテレビも見ますし、新聞も読みます。メディアが気になるのは、ある意味、当然ですよね。
でも、それで、例えば、オウム裁判とか、光市母子殺害事件の裁判とか、社会的に注目度の高い裁判で、裁判官が「予断排除の一義的責務」を本当に「自らの良心に従って」果たせるのかどうか…。
不安の種は尽きない、裁判員制度です。
Re: Re: 裁判員制度と犯罪報道を考える
私も法規制は躊躇してしまいます。犯罪報道以外に萎縮効果が飛び火しそうですし、人権について必ずしも高い成熟した意識を持ってない日本の国家は信頼できませんから^^;
ですから、かなり厳しい自主規制を設ける形が良いと思います。
でも、エントリーにも書きましたが、日本では犯罪報道がエンターテインメント化してワイドショーの主要部分を占めていることが、自主規制に消極的な要因の気がするんですね。
海外では日本ほど犯罪報道に興味が無いようです。
BATTLE TALK RADIO ACCESS http://www.tbs.co.jp/ac/bt/2003/20030820.htmlではこんな情報がありました。
海外の犯罪報道はどうかというと、
北欧やドイツ、オーストラリア、NZ等は、加害者・被害者ともに
名前はプライバシー情報として扱われ、「原則匿名」です。
被害者については、原則本人、亡くなっている場合等は家族等に警察やマスコミが
個人情報の報道について確認をするそうです。
また、加害者に関しても死刑制度がないため、社会復帰が前提です。
実名報道はその社会復帰の妨げになるため、避けるべきだという考えです。
また、業界全体で詳細な倫理綱領を持ち、報道評議会やオンブズマンも監視しています。
具体的には、「○○代男性が○○代女性を殺害。殺害は~~の方法で行なわれた。」
といった報道になり、事件の発生理由等に絡まない限り、地域等も特定されません。
結果として、犯罪はあまりニュースとして取り上げられない傾向があるそうです。
アメリカは日本に近い報道姿勢ですが、
有名人の犯罪や社会問題に特化する傾向が強く、
また陪審制の裁判制度のため、名誉毀損と判断された場合は
莫大な賠償額を背負うことになり、扱いは慎重になるようです(引用ここまで)
国民の意識改革も必要ですが、まずはマスメディアが基本的な認識を改めなくては始まらない。
しかし再審無罪が相次いだ時や、松本サリンなど、過去に何度も犯罪報道についてマスコミ自身が反省の弁を口にしてるのに、その舌の根の乾かぬうちに同じような過剰印象報道をしてて、全く反省してないんです。弁護士会や有識者がマスメディアに強く要請していくしかないんでしょうか・・
ところでこんな記事がありました。
法に抵触、でも…候補者が実名で制度反対訴え
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081220-00000564-san-soci
コールセンターに14日間で3万件、辞退質問が半数以上 裁判員制度
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/205116/
裁判員らの日当旅費22億円 財務省原案
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/206343/
ここまで肝心の国民から受け入れられないのに膨大な税金を投入して最悪の刑事裁判手続を始めようとしている。日当旅費以外にも裁判所の改修とか宣伝費とか・・これだけの税金、雇用対策にまわしたら・・とおもいますよ。
Re: 裁判員制度と犯罪報道を考える
日本の報道も倣うべきところが多いと思います。実名報道禁止など、抑制的な報道は、模倣犯防止のためにも有効でしょうね。
「犯罪報道のエンターテインメント化」は日々感じているところです。それは高視聴率が取れるから=「視聴者が望んでいる」、という「大義名分」があるからなんでしょうけど。でも「視聴者が望んでいる」はずの「犯罪報道のエンターテインメント化」は、単純化された画一的な報道や、過剰報道(メディアスクラム)につながり、それがマスコミ批判の原因にもなり…。つまり視聴者の望みに過剰に適応した結果、視聴者から批判を受け、その結果、「法制化してでもメディア規制をするべきだ」と視聴者=国民が政府に求めていってしまうという…。メディアは視聴者の抗議に萎縮しつつ、一方で視聴率確保のための過剰報道はやめられないので、「叩きやすい」対象を見つけては、過剰に叩く、という変なスパイラル。そこに過剰報道に煽られた視聴者の厳罰願望があいまって、もうただの事件報道と言うより「市中引き回し」のような、「懲罰報道」とも呼ぶべき、過激な報道が行なわれてしまって…もうどこから手をつけていいのやらわからない構図になりつつあるように感じています。
メディア批判ばかりになっちゃいましたね(苦笑)。
一方で、違反に問われても制度の問題点を告発しようとする人たちの存在は、救いを感じる一方、やるせなさを感じます。彼らはやっぱり処罰されてしまうのでしょうし、これを大きく報じて、制度の問題点を検証しようとする姿勢がメディアに感じられないのが…。
ほんとに、司法もメディアも何やってんだかなって思います。
>こねこさん
光市事件では、本村さんの姿がクローズアップされて凄く同情が集まった。私は犯罪被害者の社会から忘れ去られたような実態に目を向けて、手厚いケアの方法を考えていくべきだと思っています。全く不十分ですもんね。
でも光市に関して言えば悪い方に反作用が働いちゃったというか、本村さんに同情するあまり、少年に怒りを向けることが正義になってしまって、少年が気の毒な生い立ちで実際は驚くほど精神年齢が幼い、という事実は許されなくなった。それでは少年を憎むことができませんから。
世間にとっては実際の姿などどうでもいい、少年は極悪な存在でなければいけなかったんだと思います。
秋田の連続児童殺人でも、和歌山のカレー事件でも、みな、極悪非道な女の姿を期待してますよね。
視聴者は、なんかこうたたける物を要求してるのかな、と言う気がします。
>月光さん、あなたのコメントを承認することはありません
先日から私の所にも何度か同じ投稿されているようですが、私のブログではそのような根拠のない誹謗中傷コメントを表に出すことは致しません。投稿するだけ無駄であると申し上げておきます