司法の独立は、人権と民主主義と国の主権の最後の砦
- 2013/04/19
- 05:00
ウィキペディア<砂川事件>の中の「最高裁判決の背景 」によくまとめられています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%82%E5%B7%9D%E4%BA%8B%E4%BB%B6#cite_note-2
今回の新たに報道されたのはこちら。
砂川事件:米に公判日程漏らす 最高裁長官が上告審前
毎日新聞 2013年04月08日 02時30分(最終更新 04月08日 08時51分)
http://mainichi.jp/select/news/20130408k0000m040116000c.html
1957年夏、米軍の旧立川基地にデモ隊が侵入した砂川事件で、基地の存在を違憲とし無罪とした1審判決(59年3月)後、最高裁長官が上告審公判前に、駐日米首席公使に会い「判決はおそらく12月」などと公判日程や見通しを漏らしていたことが、米国立公文書館に保管された秘密文書で分かった。1審判決後、長官が駐日米大使と密会したことは判明しているが、基地存在の前提となる日米安全保障条約改定を前に、日本の司法が米側に図った具体的な便宜内容が明らかになったのは初めて。専門家は「憲法や裁判所法に違反する行為だ」と指摘している。【青島顕、足立旬子】
布川玲子・元山梨学院大教授(法哲学)がマッカーサー駐日大使から米国務長官に送られた秘密書簡を開示請求して入手した。
書簡は59年7月31日にレンハート駐日首席公使が起草。田中耕太郎長官に面会した際「田中は、砂川事件の最高裁判決はおそらく12月であろうと考えている、と語った」「彼(田中氏)は、9月初旬に始まる週から、週2回の開廷で、およそ3週間で終えると確信している」などと記している。
実際には、公判期日は8月3日に決まり、9月6、9、11、14、16、18日の6回を指定し、18日に結審。最高裁大法廷は同年12月16日に1審判決を破棄、差し戻した。
書簡はさらに、田中長官が「結審後の評議は、実質的な全員一致を生み出し、世論を揺さぶるもとになる少数意見を回避するやり方で運ばれることを願っている」と話した、としている。60年の日米安保条約改定を控えた当時、米側は改定に反対する勢力の動向に神経をとがらせており、最高裁大法廷が早期に全員一致で米軍基地の存在を「合憲」とする判決が出ることを望んでいた。それだけに、田中長官が1審破棄までは明言しないものの「評議が全員一致を生み出すことを願っている」と述べたことは米側に朗報だったといえる。
布川氏は「裁判長が裁判の情報を利害関係のある外国政府に伝えており、評議の秘密を定めた裁判所法に違反する」とコメントしている。
また書簡では、砂川事件1審判決が日米安保条約改定手続きの遅れにつながっているとの見解を日本側が在日米大使館に伝えていたことも明らかになった。書簡は情報源について「(日本の)外務省と自民党」と記している。
私は、これはさらっと流すのではなく、もっと問題にすべき重大事だとおもうのです。
政治がアメリカに追従するのと、司法が独立性を犯してアメリカに追従するのとはワケが違うと感じます。
前者は必ずしも憲法違反のケースばかりとは言えないけれど、後者は憲法違反です。
憲法の番人が自ら憲法違反・・砂川事件はいっそのこと裁判のやり直しをしてもいいくらいでは?
安保の正当性も問い直すべきだと思います。
三権分立~立法、行政、司法のチェックアンドバランスは中学校で習うと思うのですが、中でも司法権の独立は別格です。
司法は国民の権利を保障すること、特に少数者の保護を図ることを職責としているので、いかなる政治権力の干渉も受けてはなりません。司法が服するのは、法のみです。
安保締結するために違憲判断を回避する方向であることをアメリカに告げたと言うことは、政治の干渉を受けてはならない司法が政治の力に屈し、日本の主権を脅かしたということです。
司法がいかなる政治干渉も受け付けず法のみに服することを貫徹することは、民主主義や人権の担保のために絶対であると共に、対外的な国の主権を保持するためにも不可欠だと思いました。
一審の伊達判決は政治干渉を受けず安保は違憲であると判断したことで、憲法の下の日本の独立性を守ったのに。
砂川事件の元被告人だった土屋さんは、最高裁がアメリカと事前に打ち合わせしていたことに対し怒りをあらわにし、
「最高裁のこの判決で、日米安保条約については司法が介入すべきでないという壁がつくられ、
戦後の司法の大きな分岐点になった。その後の自衛隊や基地問題の裁判では、
審理すらされないこともあり、大きな問題だ」と指摘しています。
最高裁判決では「統治行為論」を使って安保の憲法判断を避けたわけですが、「高度に政治性」を有する事柄には司法は立ち入らないという統治行為論自体が、皮肉にも「高度に政治的」な判断ではないでしょうか
司法が法の支配という職責を放棄して政治的判断をしたのがこの最高裁判決の統治行為論だと私には思えます。
私は統治行為論は否定する見解なのですが、この砂川事件でますますこれが胡散臭く思えてしかたありません。
今の憲法を「押しつけ憲法」というのなら、最高裁長官が司法の独立を脅かしてまで安保条約改定のすす払いをしたのですから、安保こそ国民への押しつけではなかったでしょうか。
4/28は「主権回復の日」だそうですが、この日はサンフランシスコ条約と共に安保条約が発効した日です。
でもこの安保条約のために最高裁は司法の独立を犯しました。
ですから、安倍総理には是非とも「主権回復」の名に忠実であるために、このような安保条約は破棄して国の主権を取り戻して欲しいものです(皮肉)
こちらもお読みください
◆五十嵐仁の転成仁語
4月10日(水) 裁判官の独立などは「絵に描いた餅」だった
◆平和憲法のメッセージ
砂川事件最高裁判決の「超高度の政治性」――どこが「主権回復」なのか
[続きをよむ]に報道を入れておきます。
砂川事件漏えい 司法の独立放棄は今に続く
2013年4月10日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-205125-storytopic-11.html
裁判の公正さを保つため、司法権はあらゆる権力の干渉を排し、独立していなければならない。議会、政府などから圧力があっても一切、判断を左右されず、裁判官は独立してその職権を行使する。司法権の独立は近代国家で制度的に確立しているはずだ。
1959年の日米安保条約改定時に、司法権の独立がないがしろにされ、米側に便宜を図る動きがあったことが明るみに出た。
米軍の旧立川基地(東京都)にデモ隊が入り込んだ砂川事件で、米軍基地の存在を違憲とする無罪判決が下された後、当時の田中耕太郎最高裁長官が駐日米首席公使に会い、大法廷の評議方針や公判日程を伝えていた。
布川玲子元山梨学院大教授が機密を解かれた米外交文書を入手し、憲法や裁判所法に抵触する驚くべき事実が分かった。
マッカーサー駐日大使から米国務長官に送られた秘密公電によると、大法廷の公判日程が決まる3日前に田中氏は「最高裁判決は恐らく12月だろう」と述べていた。
さらに「結審後の評議は実質的な全員一致を生み出し、世論を揺さぶりかねない少数意見を回避するやり方で評議が進むと願う」と語っていた。少数意見を出さずに1審を破棄し、「合憲」判決を示唆する発言に間違いなかろう。
60年の安保条約改定を控え、米側は強まる反対世論に神経をとがらせ、最高裁ができるだけ早く基地の存在を合憲とする判決を下すよう、圧力をかけていた。
「法の番人」であるはずの最高裁の長官が、米国による司法介入を許す隙を見せ、裁判の当事者よりも前に公判期日を漏らし、評議の秘密を自ら破っていた。
田中長官のあまりに卑屈な対米従属姿勢は、沖縄県民の基本的人権と平穏な暮らしを脅かす米軍基地のありようの源流の一つであり、今に続く現在進行形の問題だ。
嘉手納、普天間の両基地をめぐる爆音訴訟で、裁判所は安保条約に基づいて駐留する米軍機の運用を制限できないとする「第三者行為論」を盾に、米軍基地の運用に口を挟もうとしない。米兵事件の起訴率の低さも歴然としている。
基地被害に苦しむ住民の救済に背を向けた司法の姿は、その独立を放棄した当時の最高裁の姿勢と64年の時を超えて結び付いている。対米従属の闇の深さに暗然とする。
政府が恐れた安保違憲判決
日米で血眼になり「判決破棄」
安保の正当性に深刻な疑問
改定交渉の「空白」埋める解禁文書
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-04-08/2013040802_03_1.html
米安保条約改定交渉の「空白」を埋める新資料が発見されました。1面所報の、布川玲子・元山梨学院大学教授が入手した米政府解禁文書です。
旧日米安保条約(1952年発効)に代わる現行安保条約の日米交渉は、59年6月にはほぼまとまっていました。それにもかかわらず、その署名が翌60年1月まで延期されたのはなぜか―。この「空白」の十分な説明はこれまでなされていませんでした。
例えば、外務省のアメリカ局安全保障課長として安保改定交渉に携わった東郷文彦氏は著書で、59年7月の岸信介首相の中南米・欧州外遊前に署名を行うため連日のように交渉を行い、6月には条約はほぼ完成していたと指摘。ところが、6月下旬になって署名は突如延期になり、「これも(自民党の)党内事情であって私は詳(つまび)らかにしない」と述べています。(『日米外交三十年―安保・沖縄とその後』)。
しかし、延期の理由は「自民党の党内事情」だけでなく、もっと大きな理由があったことが、布川氏入手の米政府解禁文書で明らかになったのです。
国民的共闘
その大きな理由とは、東京地裁での伊達秋雄裁判長による「米軍駐留は憲法違反」という砂川事件判決の跳躍上告(59年4月)を受けた最高裁が早期の結審にたどり着けないことでした。
当時、安保改定に反対する国民世論と運動は、日本共産党や社会党、労組、民主諸団体などによる「安保条約改定阻止国民会議」(安保共闘)の結成(同年3月)を機に大きな発展をみせていました。前年の58年には、警察官の権限を強化し人権を侵害する警職法改悪案を国民的な共闘によって廃案に追い込む成果もあげていました。伊達判決は、こうした国民的共闘による安保改定反対運動に一層大きなエネルギーを与えるものでした。
だからこそ日米両政府は、伊達判決を血眼になって葬り去ろうとします。
国際問題研究者の新原昭治氏が入手した米政府解禁文書で明らかになったように、マッカーサー駐日米大使が藤山愛一郎外相に、伊達判決を覆すため最高裁に跳躍上告を行うよう働きかけ、これを実現させます。
詳しく語る
一方、マッカーサー大使らは最高裁の田中耕太郎長官と複数回にわたり密会。この中で田中長官は公判の日程や判決の見通し、各裁判官の立場などを詳しく語っていたことも米政府解禁文書で明らかになっていました。今回、布川氏が入手した解禁文書にも、田中長官が在日米大使館のレンハート首席公使に伊達判決破棄の決意などを語ったことが記されています。
元駐日米大使特別補佐官の経歴を持つジョージ・パッカード氏は著書で、伊達判決について「日米安保条約の正当性に対し深刻な疑問を投げかけただけでなく、1951年の対日平和条約以来の歴代日本政府の外交的業績をすべて台無しにした」と語っています(『プロテスト・イン・トウキョウ』)。伊達判決、ひいてはその根拠となった日本国憲法は、日米安保条約とそれに基づく外交路線そのものを大きく揺るがしたのです。
(榎本好孝)
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解禁文書全文
(写真)布川玲子・元山梨学院大学教授が入手した米政府解禁文書のコピー
布川玲子・元山梨学院大学教授が入手した米政府解禁文書は次の通りです。
米国大使館・東京発
米国務長官あて
(発信日1959・8・3 国務省受領日1959・8・5)
共通の友人宅での会話の中で、田中耕太郎裁判長は、(レンハート)在日米大使館首席公使に対し砂川事件の判決は、おそらく12月であろうと今考えていると語った。弁護団は、裁判所の結審を遅らせるべくあらゆる可能な法的手段を試みているが、裁判長は、争点を事実問題ではなく法的問題に閉じ込める決心を固めていると語った。こうした考えの上に立ち、彼は、口頭弁論は、9月初旬に始まる週の1週につき2回、いずれも午前と午後に開廷すれば、およそ3週間で終えることができると確信している。問題は、その後で生じるかもしれない。というのも彼の14人の同僚裁判官たちの多くが、それぞれの見解を長々と弁じたがるからである。裁判長は、結審後の評議は、実質的な全員一致を生みだし、世論を“揺さぶる”もとになる少数意見を回避するようなやり方で運ばれることを願っていると付言した。
コメント:大使館は、最近外務省と自民党の情報源より、日本政府が新日米安全保障条約の提出を12月開始の通常国会まで遅らせる決定をしたのは、砂川事件判決を最高裁が、当初もくろんでいた晩夏ないし初秋までに出すことが不可能だということに影響されたものであるとの複数の示唆を得た。これらの情報源は、砂川事件の位置は、新条約の国会提出を延期した決定的要因ではないが、砂川事件が係属中であることは、社会主義者やそのほかの反対勢力に対し、そうでなければ避けられたような論点をあげつらう機会を与えかねないのは事実だと認めている。加えて、社会主義者たちは、地裁法廷の米軍の日本駐留は憲法違反であるとの決定に強くコミットしている。もし、最高裁が、地裁判決を覆し、政府側に立った判決を出すならば、新条約支持の世論の空気は、決定的に支持され、社会主義者たちは、政治的柔道の型で言えば、自分たちの攻め技がたたって投げ飛ばされることになろう。
マッカーサー
レンハート 59・7・31(注=起案日を示すと推定される)
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