コメント
>そんな人物が大阪の教育をズタズタにできるようになったのはなぜなのか。
橋下が僕が在住している神戸にまで侵略してくるのは、まっぴらゴメンですが・・
正論しか言えませんが…
そんな厳しいプロセスを経てもなお,長年教科書の教材として採用され続けている『舞姫』。
この作品には,それ相応の理由=高校生が授業で学ぶ価値,がある,と考えるのが,常識的だと思います。
だから,もし一校長の権限でそれを授業で扱うことをやめさせたのなら…著者の言われる通り,間違いなく思慮の浅い越権行為でしょう。いくら大阪市の「有識者会議」の一員で,最上級の知『識』がお『有』りでも,「他国で法律の専門職」に就いていた方が,こと国語という教科を日本人の高校生に教えることに関しては,「国語科の研究と教育の専門職」のレベルを越えられるはずはありません。3年間校長をなさったので,もう「学校教育と受験産業(塾や予備校)とでは,求められるものが違う部分が根本にある」ことをわかっていただいてもよいのでは,と思います。
『グローバル化』をキーワードに赴任校に専門科を作り,校長自らが希望生徒対象に教鞭を執る意欲には,敬服します。
しかし,特にグローバル化が求められるビジネスにおいて,英語は伝達の一『手段』。
英語という手段を用いて伝達する『内容』がまず大切,という考えには一理あり,伝達する『内容』の仕入れや構築は,軽視できません。
というのも,内容を伝達する際,その伝達には,伝達者の意思や認識,人格,教養,考え,ものの見方,価値観など(+大きな意味での“文化”)も反映されるからです。つまり,伝達者個人が「内面に持つもの」と伝達の内容や表現は,全くの無関係ではない。
高校時代は,「(人に)伝える『内容』に反映されるこれらを,自己の中に築く」のに大切な時期なので,生徒らにも「自分の中に内容を作ること」を高校時代の大切な課題として意識して欲しい。その手伝い・導きも高校の先生方の仕事の一つであり,特に国語科は「伝える内容を自己の中に築く」ためには,必要不可欠な最重要科目と言えます。
入試問題演習は受験生のニーズにはあっているでしょうが,自力や補習ででもできます。それを授業より優先させるなら,最低限,決定前に校長の意向を『教科』(ここでは国語科)に伝えて充分協議してもらい,教科の教員全員が納得することが必要です。それが,部下ではあっても「専門職」に就く人を信頼し尊重することです。その結果,教科の方で「予め学習内容と進度の年間計画を見直す」,「学習順を変える」などの工夫により,入試問題演習を授業でしてみようということになれば,それでよいかと思います。
でも,もしそうではなく,もし急な上意下達の「校長命令」的な指示で行われたのなら,大きな疑問を感じます。
中原校長が「校長としては新人なのに,3年間の校長研修のほとんど全部を,無断欠席した」事実を知り,そのような尊重の経緯を経て出された指示ではないのでは,と思えました。
最後に,グローバルな人間になるためには,教科の学力とは別に,基本「多様性を認めることのできる人間」になることが必須だと思います。ならば,高校生にグローバルを説く校長も,それを説く前にまず,多様な高校生がいる現実をもっと知るべきではないでしょうか。
『生徒が多様であること』や『どう多様なのか』は,管理職ではない一般の教師ですら(初任校で数年勤めたくらいでは)一朝一夕にはわからないので,特に大阪府下全体の高校生を見る教育長には,上述の「各教科の本質的な学びの目標がどこにあるか」はもちろん,「高校生の多様性」についても,もっと認識,理解できるよう,努力をして頂きたいと思います。
そのような事をする(であろうと分かっている)首長を選んだのは各々方の大多数、即ち民度の表れです。これは東京にも言えることですけど。
任期切れまで我慢しなさい、またはリコール運動しなさい、という事ですね。
大変です
君が代不斉唱と来賓通報、大阪 入学式司会の教諭(共同通信)
http://www.47news.jp/CN/201304/CN2013041601002445.html
> 君が代不斉唱と来賓通報、大阪 入学式司会の教諭(共同通信)
怖っ!
「喫茶店で10分休憩で懲戒処分」の時も思いましたが、市民が自発的に監視社会の一翼を担おうとしている社会は、もう既に「1984年」を地で行っていますよね…。
http://moriweb.web.fc2.com/mori_t/index.html
特にこの部分に激しく同意。ぜんぜん違う話でも根っこは繋がっていると実感します。
(引用ここから)
多数派として誰かを叩きたい。少数派を見つけたい。少しでも全体と違うことをしたら許さない。 叩いて鬱憤を晴らしたい。そんな意識が社会全体に広がっている。 「水に落ちた犬は叩け」が加速している。だから水に落ちたくない。多数派の一人として行動したい。 周囲と違うことをしたくない。そんな意識も当然ながら拡大する。 つまり同調圧力が日々強化されている。とても息苦しい。とても不愉快だ。
2013.4.13 森達也
(引用ここまで)