96条改定に関して橋下市長が例の如くお得意の詭弁を弄していることは既に
こちらでも触れましたが、もう少し詳しい補足をしておきたいと思います。
憲法を変えようとしてる者が憲法を守ろうとしてる者に向かって「憲法を守れ!」ってドンだけ倒錯してる詭弁なんだか、軽くメダパニになりそうです。
要するに
改正発議要件を2/3から1/2にしたって、提出されたその改正案を国民がいかんと判断すれば結局国民投票で否決されるんだから、別に緩めたっていいじゃないか。
むしろ発議要件がきつければきついほど国民に信を問う国民投票が行われにくくなる
国民投票にかける機会を狭めるのは、国民の判断を信頼していないからだ、
といいたいみたいです。
自民党も同じ詭弁を弄しています。
自民党憲法改正草案Q&Aの中で
憲法改正は、国民投票に付して主権者である国民の意思を直接問うわけですから、国
民に提案される前の国会での手続を余りに厳格にするのは、国民が憲法について意思を
表明する機会が狭められることになり、かえって主権者である国民の意思を反映しない
ことになってしまうと考えました。
と述べています。
2/3から1/2への改正は国民が今よりも意思を反映しやすくするためのものだ、という実に奇妙な「親切の押し売り」ですね
これについて山下真・生駒市長が緻密な反論をされているtogetterがありますのでお持ち帰りしましょう。
●憲法改正のハードルが高い理由(山下真・生駒市長)
http://togetter.com/li/498621
1 橋下徹・大阪市長はツイッターで、憲法改正の発議の要件を各議院の総議員の三分の二以上としている現在の憲法96条に固執することは、憲法改正案を国民投票にかける機会を少なくすることになるので、国民投票、ひいては国民を信頼していないことになると仰っている。本当にそうだろうか。
2 国民投票は、その性質上、発議された案にイエスかノーかを言うことしかできない。発議された案と違う案がよいと思っても、それを投票用紙に書けば無効となる。従って、どのような案が出されるかが決定的に重要となる。
3 憲法は国の最高法規であって、これに反する法律等は無効となる(98条)。それだけ重要なものの改正案を国民に問い、なおかつ国民はイエスかノーかしか答えられないのだから、国会でよく議論し、多くの国会議員の合意が得られたものだけを国民に問うように、というのが96条の趣旨だろう。
4 憲法は他にも、会議を非公開にする場合や議員を除名する場合、衆参両議院で異なった議決をした時に衆議院で再議決する場合など重要な局面では、出席議員の2/3以上の賛成が必要としている。これらの規定との対比上も、憲法改正の発議に各議院の総議員の2/3以上の賛成が必要とされるのは当然。
5 以上から明らかなように、憲法改正の発議の要件を各議院の総議員の三分の二以上とすることは、それ相応の理由があり、決して国民投票や国民を信じていないなどということではない。
6 橋下市長はまた、「(96条改正に反対し)国民投票を軽視する人たちは、自分の価値観が絶対的に正しいと確信している」と仰られる。しかし、これも曲解されておられる。
7 憲法97条は「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と定めている。
8 これは、日本国憲法が保障する基本的人権は、フランス革命など近代市民革命を経て、各国の憲法に採り入れられた普遍的ものであることを宣言している。現在においても、欧米諸国や日本は自由権や法の下の平等、参政権をはじめとする各種人権を普遍的な価値として共有しているはずである。
9 日本国憲法の改正しにくい性質(硬性憲法)を良しとする人は、「自分の価値観が絶対的に正しいと確信している」のではなく、上記の普遍的な価値を正しいと確信し、それを守ろうとしているのである。
10 橋下市長が、それに固執することも価値絶対主義として良くない、と言われるのなら、そうした普遍的な価値を余り重要視されていないのかと思ってしまう。
11 憲法学会の通説では、国民主権、人権尊重、平和主義といった憲法の基本原則は改正できないとされている。もちろん、基本原則を維持した上での部分修正は可能だが、その場合でもこれらの諸価値を守るために憲法96条で硬性憲法にしたのだから、同条の手続に従って改正するのが憲法の趣旨だろう。
13 もっとも、憲法学者の佐藤幸治・京大名誉教授は「(改正の)『限界』を越えた行為は改正ではなく、もとの憲法典の立場からは無効ということになるが、新憲法の制定として完全な効力をもって実施されるということは十分あり得る。」(「憲法」(第三版)(青林書院))としている。
14 従って、憲法96条を改正し、憲法改正のハードルを下げた後、憲法の他の規定を改正することは、現行憲法からすれば無効だが、新憲法の制定としては有効という論が出てくるかもしれない。
15 憲法改正に向けた今の動きは、まさにそれだけの大きなことであるからこそ、石川健治・東大教授は「立憲国家への反逆」「革命」と危機感を訴え、小林節・慶大教授は「改憲への『裏口入学』で、邪道」と看破したのだろう。
(余談ですが、佐藤幸治先生の説に対する私見を少々。
佐藤幸治先生に寄れば結果的に「やった者勝ち」ということになるでしょう。
しかし「やった者勝ち」が一番あってはならないのが憲法だと私は思います。そうでなければ「硬性憲法で権力を縛る」と言ってみたところで絵に描いた餅、何の意味もないからです。
ましてやこの国の政治家は、一票の格差裁判ひとつとってみてもわかるように、例え裁判所が憲法違反だと宣言しようがガン無視、違憲状態を放置していて居直っています。いわば遵法精神など微塵もないごろつき。そんなごろつきに憲法をいじる資格なんかそもそもないんじゃないかとすら思えます。
そのような政治家達にはますます「やった者勝ち」を許すわけにはいかないと思います。)杉浦ひとみ弁護士も説得力のある反論をされていますので引用させていただきましょう。
◆杉浦 ひとみの瞳
・憲法96条(改正規定)の2/3を過半数にすることが危険なわけ
http://blog.goo.ne.jp/okunagairi_2007/e/8e79f4b525d3e716b37c9a0f94684a46
(前略・引用開始)
でも、もともと代表民主制を採用したのは、
国民には、物理的にも能力的にも、政治に関する事柄を検討することは困難なので
代表に任せたわけです。
物理的に、とはそれを検討するだけの十分な時間をとることはひとりひとりの国民にはできませんし、
ましてや多くの国民で議論するような場所もとれません。
また検討しようにも専門的な知識がなかったり、研究したり、必要な視察に行ったりする金銭的な能力もありません。
ですから、できる限り専門的なことは国会で十分に、慎重に検討してから発議してほしいのです。
このことを裏付けるような事実がありました。
これは、現在国会にある憲法審査会に先立って存在した憲法調査会の報告書の中に書かれていることです。
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/houkoku.pdf/$File/houkoku.pdf
引用します(「まえがき」ⅴ)
「 また、5 回にわたって、合計28 の国と国際機関の憲法事情を調査した海外調
査も、本調査会の「広範な調査」の代表的なものである。
特に圧巻だったのは、2 年目(平成13 年)の海外調査であろう。
その年の4 月に小泉政権が誕生したが、小泉首相は、憲法調査会委員であったときの持論である「首相公選制」を
唱え、多くのマスコミや国民世論もこれを肯定的に論じていたように思えた。
私は、「首相公選制」のような国家の基本的な統治システムの変更は、これに対
する深い洞察と調査なくして、ブーム的な論議のみが先行するのは危険ではな
いかと考え、その年の海外調査に、当時「首相公選制」の唯一の実施国(であ
り廃止国)であったイスラエルを選んだ。
米国でのいわゆる9・11 同時多発テロの直前であり、空港などでは相次ぐ自爆テロ等に対して厳重な警戒がなされ
ていたが、調査のための会談は、極めて平穏かつ和やかな中で行われ、しかも、長時間にわたって充実した濃密な議論が行われた。
その詳細な会談記録と収集資料は「海外調査報告書」にとりまとめた上で、
本調査会における冷静なる議論に供した。
その結果は、本報告書で述べているとおり、「首相公選制の導入の
是非については……消極的な意見が多く述べられた」というものであった。」
・・・・引用終わり
このような視察も検討も、国民では到底できないことです。
でも、マスコミの情報によった国民の世論のなかで、国民に問いかけられれば、容易に流されてしまった可能性があったわけです。
一時のブームで過半巣をとった政党が賛成して、国民にこの問題を投げかけられても、
国民は到底扱いきれるものではないのです。
力のある国会で、できるだけ慎重に、重要な問題を検討してもらうことが必要だという実例だと思います。
国民投票は、それからで遅くないのです。
(引用ここまで)
浦部教授の憲法時評からも引用しましょう
●憲法を国民の手から奪い取る96条「改正」
http://www.jicl.jp/urabe/backnumber/20130422.html
(引用開始)
安倍首相は、「憲法を国民の手に取り戻す」ために96条を「改正」すべきだ、と主張する。しかし、この手の耳あたりの良い言葉にだまされてはいけない。国会による憲法改正案の発議の要件を、衆参両院それぞれ総議員の「3分の2以上」から「過半数」に緩めようという96条「改正」は、決して「憲法を国民の手に取り戻す」ものではなく、まったく逆に「憲法を国民の手から奪い取る」ものなのだ。
憲法改正案の発議要件を総議員の「3分の2以上」から「過半数」に緩めることは、実際には何を意味することになるか。それは、ズバリ、政権与党だけで発議できる、ということである。(略)
そして、政権与党だけで改憲発議ができるということは、政権にとって都合の良いように憲法を変えることが一層容易になる、ということを意味する。
政権にとって都合の良いように憲法を変えることが容易になれば、憲法は、もはや、権力に対する統制規範としての意味を失う。憲法による縛りがじゃまだと思えば、政権側はいつでも改憲発議をしてそれを通しさえすればいいのだから。
そもそも憲法は、権力担当者に対する国民からの指示・命令である。その指示・命令の内容を権力担当者が自分たちの都合の良いように変えられるというのでは、国民がどんな指示・命令をしても、それはまったく無意味なものとなる。つまりは、国民が権力担当者に対して指示・命令することの意味を奪ってしまうものであり、これはすなわち、政権が「憲法を国民の手から奪い取る」ことにほかならないのである。
もっとも、これに対しては、「国民投票があるのだから、過半数に緩めたからといって、直ちに政権にとって都合の良いように憲法を変えられるということにはならないだろう」という反論がありえよう。(略)
しかし現実問題として、すべての国民がそのような「固い意思」をもっていると想定することはできないし、それを期待することにも無理がある。
とくに、権力をもっている者は、自分たちに都合の良い情報を発信することに困難はなく、情報操作を通じた世論誘導も容易にできる。そのうえ、こんにちの日本のマスコミは、権力に迎合するしか能がないか、そうでなくてもせいぜい控えめな権力批判しかできない臆病者ばかりだから、政権にとって都合の良いような改憲発議がされても、それを徹底的に批判することはせず、政権側の言い分ももっともだというような報道ばかりを垂れ流すであろう。
そういう状況の中では、改憲発議がされて権力側が大々的な改憲キャンペーンを張ったら、それに抗してなおも「固い意思」を貫くことができる国民は、きわめて数が限られることにならざるをえない。このような事情に頬被りして国民投票を言い訳に発議要件の「緩和」を正当化するのは、いかにも不誠実な議論である。実際、安倍首相などが96条「改正」に突き進もうとしているのは、国会さえ通せば国民投票は何とでもなると考えているからであろう。
(引用ここまで)
また、2/3ならともかく1/2ならいつでも簡単に改正発議ができますから、そのたび国の根幹法規たる憲法は揺れ動きます。様々な法律は憲法のもとに成り立っているので、憲法改正が発議される度に法律の改変の準備をしなくてはならなくなるでしょう。それでは国内の法的な安定性が欠けてしまうでしょう。
2/3という高い数字が求められるのは山下市長や杉浦弁護士が述べられた理由や、さらには浦部教授が述べられる立憲主義の要請に基づくものです。この数字を低くすればしょっちゅう国民投票やることになるでしょうが、上で見てきたように国民投票さえすればいいという単純なものではないのです。
この数字の高低は、国民投票(国民の判断)への信頼の有無とか、国民の意思をより反映できるかとかは、全然関係ないのに、橋下氏や自民党は意図的に悪質な論旨のすり替えを試みています橋下市長や自民党のような言い方をするなら、1/2といわず、むしろ1/3、1/4に緩めれば緩めるほど国民投票で国民の意思を直接問う機会が増えるので、減らせば減らすほど好ましいことになってしまうでしょう。でも憲法改正発議は少数の議員でもokとすることがおかしいのは誰でもわかると思います。
96条を改定して憲法も法律と同等の改正のしやすさにすれば一見気軽に国民の真意を問う国民投票の機会が増えるかのように丸め込まれそうになりますが、そんなものはごまかし、詭弁であることがおわかりいただけるかと思います。
<追記>
長くなりますのでリンクのみですが、全文必読です。
◆法学館憲法研究所
浦部法穂の憲法時評
国民を信用していない? http://www.jicl.jp/urabe/backnumber/20130509.html
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