よくある反論Ⅰ.
軍の命令など存在しなかった
よくある反論Ⅱ.
証言は証拠にならない
よくある反論Ⅲ.
「軍の強制」は補償金欲しさの捏造だ。
よくある反論Ⅳ.
住民は自発的に自決した愛国心あふれる「殉国者」だ。
よくある反論Ⅴ.
11万人が集まれば教科書が変えられるのか。たくさん人を集めれば教科書を書き直せるのか
よくある反論Ⅵ.
"11万人"集会は捏造だ
今、沖縄集団自決が話題です。
それ関係のブログをあちこち巡ってきました。
その感想を、よくある反論に答える形でまとめてみようと思います。
よくある反論Ⅰ.
軍の命令など存在しなかったauoneでは
8割方が『軍の強制なんかなかった(`皿´)』又は『あったかどうかわからない』
このどちらかが占めているようです。
この意見は正しいのかどうか、資料を見てみます。
2007/7/6 沖縄タイムスより要約抜粋
http://www.okinawatimes.co.jp/day/20077061300_01.html
座間味村で起きた集団自決で、当時の助役が「軍からの命令で、敵が上陸してきたら玉砕するように言われている」と話していたことが助役の妹二人の証言で6日までにわかった。
証言したのは「集団自決」でなくなった当時の座間味村助役の宮里盛秀さんの妹、宮平春子さんと宮村トキ子さん。
座間味島への米軍上陸が目前となった1945年3月25日夜。春子さんら家族と親族計30人が避難する座間味集落内の家族壕に、盛秀さんが来た。父、盛永さんに対し「軍からの命令で、敵が上陸してきたら玉砕するように言われている。間違いなく上陸になる。国の命令だから、潔く一緒に自決しましょう」というのを春子さんが聞いた。午後11:30に忠魂碑前に集合することになったことも伝えた。
集合時間が近づき、壕から出る際、トキ子さんの目前で、盛永さんは盛秀さんを引き留めようとした。盛秀さんは「お父さん、軍から命令が来ているんです。もう、いよいよですよ」と答えた。
その後、盛秀さんは産業組合壕へ移動。同壕の「集団自決」で盛秀さんら家族を含め67人が亡くなった。
当時、盛秀さんは防衛隊長も兼ね、軍の命令が村や住民に出されるときには、盛秀さんを通していた。
http://himadesu.seesaa.net/article/4456367.html#moreより
座間味島ではアメリカ軍上陸後の1945年3月26日、集団自決が行われた。
宮里育江さんは部隊の事務をしていたが、米軍上陸の際に部隊と同行したいと求めるが断られ、代わりに「万一のことがあったら、これで自決しなさい」と手投げ弾を渡され、使い方を教えられた。
上洲幸子さんは家族や他の住民と山中に逃げていたが、そこで軍人が住民を集めて、「こうなったからは仕方がない。敵に見つかったら舌を噛みきってでも死になさい」と言った。
宮平春子さんが逃げ込んだ壕の中で兵隊に言われた言葉は「捕まらないよう潔く死んで下さい」との内容だったと言う。(一部引用)
この他に、マスメディアにいちいち載らないけど、実体験者で存命されてるおじい、おばあの証言も現在進行形で数多存在します。
軍の強制を示す資料はブログに載せられないほど既に膨大に存在します。今更言うまでもないことですが。
よくある反論Ⅱ.
証言は証拠にならないさて、こういうと必ず帰ってくる言葉があります。
『強制があったというなら公式文書があるはず。文書がない限り強制などなかった。証言は証拠にならない。』『強制あったなんて反日サヨクが扇動してる』
ちょと待った(・_・;)
公式文書だけが証拠として価値があり、当事者の証言は聞くに値しない、全て無視して良いと?
そんなこと誰が決めたんですか?
勝手にこんな基準設けないで下さいね(裁判ですら証言は証拠ですから)
沖縄の人々もえらく嘘つき扱いされたものですね。
(だいたいこういうことを言うのは集団自決の時には生まれてもいなかった若いもんなのですが、彼らは実際に、宮平さんはじめ、軍の命をその耳で聞きその命に従って親類家族が殺し合った場にいた生存者に
「軍の命令などなかった」
と面と向かって断言できる度胸があるんでしょうか。ネット上の大口、という気もしますが。)
命令書がない、といいますが、初めての地上戦という修羅場では、悠長に「住民に自決を命ずる」なんて紙に書いてられない極限状態なのは容易に想像できます。
それに、こういう都合の悪い命令は口頭でなされたり、後に文書が廃棄されたりするのは戦争の常識ではないでしょうか。
だから当事者の証言が重要になってくるのです。
生き残った者の話には耳をふさぎ、ひたすら現存する国家の文書のみを信じ、文書さえなければ軍の強制などなかったと断定するのは余りに偏狭で非科学的な検証方法です。
様々な角度から見なくてはならないのはちょっと想像力を働かせればわかることでしょう。
それから生き延びた証人達が揃いも揃って「反日サヨク」だというのは無理がありますね(爆)
おじい、おばあは普通の人々ですから(^ ^;
それにこの集会は沖縄の自民党も含めた超党派主催で行われたことをお忘れなく。
(これも今更言うまでもないことですが、念をおしておかないと、低次元のコメントがきますので)
それでもまだ文書にこだわりたい貴兄にこんなのはいかがでしょうか。
2006年10月3日沖縄タイムス
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200610
米公文書に「軍命」慶良間・集団自決/発生直後の住民証言
関東学院大、林教授発見
沖縄戦時下の慶良間諸島の「集団自決」をめぐり、米軍が上陸直後にまとめた資料に、日本兵が住民に「集団自決」を命令したことを示す記録があることが、二日までにわかった。関東学院大学の林博史教授が米国立公文書館で発見した。記録は1945年4月3日付の「慶良間列島作戦告」
(中略)
報告では、慶良間の住民を男女別に収容し尋問した内容として「3月21日に、日本兵が慶良間の島民に対して山中に隠れ、米軍が上陸してきた時には自決せよと命じたと繰り返し語っている」と記述されている。
また座間味島については歩兵第七七師団「アイスバーグ作戦段階1作戦報告慶良間列島、慶伊瀬島」で、座間味の「集団自決」の生存者に対し、医療スタッフが治療を施していることを記述。
「一部の民間人は艦砲射撃や空襲によって傷ついたものだが、治療した負傷者の多くは自ら傷つけたものである。明らかに、民間人達はとらわれないために自決するように指導されていた」と記録されている。
林教授は、各島の間で「3月下旬の時点において、慶良間では日本兵が自決せよと命じていること、座間味でも島民達が自決するように指導されていたことが保護された島民たちの証言で示されている」と解説する。(後略)
集団自決発生直後に既に自決は軍命であることは証言されていました。
戦後何らかの意図をもって「軍による自決強制」を捏造したのではないことを証明する「公式文書」がちゃんと存在するんですね。
よくある反論Ⅲ.
「軍の強制」は補償金欲しさの捏造だ捏造といえば更に、こんな主張も見かけました。
補償申請が認定されにくいため、金銭欲しさに軍の命令を捏造したのというのす。
この集団自決生存者の嘘つき守銭奴扱いには、怒りを覚えます。
戦前沖縄を差別し、戦後米軍基地の矛盾を沖縄に押しつけてきた本土の人間がよくこんなことを言えるものだとあきれます。
これも根拠がない言いがかりです。
2007年1月15日沖縄タイムス
「集団自決」早期認定/国、当初から実態把握、座間味村資料で判明/「捏造説」根拠覆す
沖縄戦時下、慶良間諸島で起きた「集団自決」への遺族補償に関し、1957年に申請が始まってから最短で三週間、平均3ヶ月で補償が認定されていたことがわかった。
「集団自決」犠牲者に補償を適用するのは困難だったとされてきたが、沖縄タイムスが入手した座間味村役所資料で、早期認定されていたことが判明した。琉球政府援護課の元職員は「本島に先駆け、慶良間諸島の被害調査を実施した。厚生省(当時)も人々を救おうとの熱意を感じた」と話す。
一部マスコミによる、補償申請が認定されにくいため「『軍命』が捏造された」という主張の根拠がないことを示している。
座間味村役所の「戦闘協力該当予定者名簿」及び「戦協該当者名簿」、厚生省から変換された県の記録を照合。(以下略)
軍命があったか否かに関係なく補償申請は速やかに認定されていたのだから、何故わざわざ「軍命」を捏造しなきゃならないのでしょうか。
よくある反論Ⅳ.
住民は"自発的に"自決した愛国心あふれる「殉国者」だ以上見てきたように、沖縄集団自決は今まで通り、軍の強制下で行われたのが史実だと見てなんら問題ありません。というか、軍の強制を否定する積極的な理由がさっぱりわからない。
なのに何故今になってこんなことになったのでしょうか。
事の発端は、大阪地裁に座間味島の隊長であった梅澤氏と渡嘉敷島隊長であった故赤松氏の弟が原告となって、軍命はなかったと裁判を起こしたことにあるようです。
これに基づき、それまで認めてきた集団自決の軍の強制の記述は、「沖縄戦の実態について誤解する恐れがある」という検定意見がついたのす。
そして、次のように記述が書き換えられました。
例えば、
A社:日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民や、集団で「自決」を強いられたものもあった。
↓
「集団自決」に追い込まれたり、日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民もあった。
B社:日本軍のくばった手榴弾で集団自害と殺し合いをさせ…
↓
日本軍のくばった手榴弾で集団自害と殺し合いがおこった。
C社:日本軍に「集団自決」をしいられたり…
↓
追い詰められて「集団自決」した人や…
これを見てもわかる通り、あたかも軍は集団自決には関わりないような記述に変わっています。
そして巷では、集団自決者は生きて恥を晒すより自発的に死を選んだ愛国心溢れる殉国者として扱おうというおかしな動きまであります。
それにしても検定審議会は素早い対応でした。
まだ第一審の判決さえでていないうちから加害者側の言い分を破格に優遇しています。
史実として認定されてきたことをひっくり返すにはそれなりにに説得力のある証拠を示さなくてはならないのですが、果たして"加害者"がやってないと主張しただけで、直ちに軍の関与を否定する説得力があると言えるのでしょうか
せめてこの証言に信憑性があるかどうか一審判決が待つのが公平、公正というものでしょう。
原告両名の言い分が判決で認められてもいないのに、確定した事実のように重く扱う検定審議会は、明らかに意図的に一方の言い分を"えこひいき"しており、偏った立場に立っていると見ざるを得ません。
それに、もし仮にこの二名が自決当日直接命令を出してなかったとしても、"軍の関与、強制"が否定されるものではないでしょう。
それについて少し長くなりますが、以下書いてみようと思います(東海大学の鳥飼行博研究室HPを参考、部分的に引用しました)
1879年の「琉球処分」以来、日本軍は沖縄県民のことを「天皇に忠誠をつくすことができない。命懸けで国を守ろうとする意識がない」と見ていた。また、他県よりも出稼ぎ移民が多く、外国と通じる沖縄県民はスパイを働く可能性がより高いとも考えおり、住民がスパイではないか疑心暗鬼だった。
よって沖縄では徹底した皇民化教育が行われ、沖縄の人々も本土から差別されまいと、誰よりも天皇に忠実な臣民になろうとしたのである。
悪化する戦局の中、日本陸軍は沖縄を、本土決戦の準備時間を稼ぐための「捨て石」と位置付けていた。
沖縄の日本軍は飛行場建設、壕堀作業など住民を総動員して戦闘準備をしなくてはならかった。もし住民が敵に捕まれば情報が漏れてしまうかもしれない。
だから軍は地上戦になれば敵の捕虜になったり投降することを許さなかった(例えば、1945年6月5日付の久米島部隊指揮官の達で、米軍の投降勧告「ビラ」を「妄に之を拾得私有し居る者は敵側『スパイ』とみなし銃殺す」とある)
沖縄住民は敵の手に落ちようとするならば日本軍に殺される運命にあった(現に殺された住民もいる)
日本軍はかねてから
「名誉ある皇国臣民として足手まといにならぬよう行動すべきである」
「生きて捕虜の辱めをうけず、死ぬまで徹底抗戦すべし。それがかなわなければ自決すべきである」
という軍国主義的規律を住民に課していた。
(1944年11月18日の極秘文書、琉1616部隊から出された「秘密戦に関する書類」の「報道宣伝防諜等に関する県民指導要綱」には第一方針として「軍民共生共死の一体化を具現化し」とある。住民が地上戦に巻き込まれたら軍との「共死」が前提となっていた)
そして同時に「鬼畜米英に捕らえられたら、女は強姦され、男は八つ裂きにされ死よりも恐ろしい目にあう。だから捕虜になる前に潔く自決すべきである」というプロパガンダで"死以外の選択ができないほどの恐怖"を骨の随まで刷り込んでいった。
いわば洗脳だ。
1945年3月26日座間味島に米軍が上陸しとき、軍に見捨てられ逃げ場を失った住民の恐怖は極限に達した。
自決用の手榴弾も渡されている。
家族が鬼畜米英になぶり殺されるくらいならせめて自分の手で。
こうして集団自決は平和な現在では想像困難な異常な心理状況で決行された。
手榴弾を渡され
米軍上陸後具体的に軍が命令を発しなくとも、上陸されたら自死を選ぶしかない状況を軍は作り上げていた。
愛国心溢れる殉教者ならば、自分の自由意思で自発的に選択したと言えるものでなければなりません。
しかし、住民は、いくつかの選択肢のうち、自由意志で自死を選択したとはとても言えません。日頃の軍からの教育、命令、プロパガンダにより、死を選ぶより他ない状況に追い込まれていたのです。
これが軍による自死の強制でなければ何なのでしょうか。
兵隊がその場に立って死ねと命ずることだけが強制だと解するならば、想像を絶する当時の状況を全く理解していない机上の空論と言えるでしょう。
自分の自由意志で自死を選んだわけではない住民、
そして鬼畜米英と信じて自分の家族を手に掛けてしまった生存者。
彼らは果たして"自死を選んだ誇り高き殉国者"などと美化されることを願うでしょうか。
こんな美化は結局、自分たちを死においやった責任の所在をぼかし免罪するだけです。
自分達が経験した真実が誤魔化されねじ曲げられることなくありのままの事実が後世に伝えられることこそ、沖縄の人々の願いでしょう。
過去を直視しない者達がいつか違う形で同じことを繰り返さぬ為にも。
よくある反論Ⅴ
11万人が集まれば教科書が変えられるのか。たくさん人を集めれば教科書を書き直せるのかこれは先だって行われた沖縄の集会が検定意見撤回を求めたことに対する中山元文科相の批判です。
また、沖縄県民の「気持ち」に配慮する、という政府の声も聞かれます。
これらを聞いた時、即、なんか何か違うと違和感を感じました。
先述したように、集団自決が軍強制のもと行われたのは大量の資料が存在する史実にも関わらず、教科書審議会は脆弱な根拠でそれを教科書から削除しましたが,この教科書審議会の審議がトンデモだったことがわかりました。
沖縄タイムス2007/9/12『検定審議実態なし/小委、文科省意見を追認』より
(略)
検定を担当した教科用図書検定調査審議会(教科書審議会)の日本史小委員会では「集団自決」の記述について審議委員の話し合いはなく、意見も出なかったことが11日、わかった。文科省の教科書調査官が検定意見の原案を示して説明し、そのまま意見が素通りしていたことが明らかになった。
(中略)
日本史小委員会は十人以下の大学教授らで構成され、うち四人がアジア太平洋戦争など日本近現代史の専門家。だが、沖縄戦について詳しく研究した委員は皆無だ。
(中略)
委員の一人は「日本史担当の審議委員の中に沖縄戦を専門としている先生はおらず、議論のしようがない」と振り返った。その上で「日本史小委員会では『集団自決』に関する検定意見について教科書調査官の説明を聞いただけ。話し合いもせずに通してしまった。歯痒い思いだ」と語った。
別の文科省関係者も、「(中略)審議会では学問的な論争はしていない」と認めた。
文科省はこれまで、「『集団自決』は日本軍の強制によるものだった」とする記述に対し「沖縄戦の実態について、誤解する恐れのある表現である」と検定意見をつけ、日本軍の強制に関する記述を削除させたことについて、「学術的な検討を得た審議会の決定」と説明してきた。
伊吹文明文科相は、衆院文部科学委員会で「文部科学省の役人も安倍首相もこのことについてはひとことも容かい(口出し)できない仕組みで教科書の検定は行われている」と答弁、政府の関与を一貫して否定し続けている。
しかし審議会には検討の実態がなく、文科省から発案された調査意見が追認されただけであることが明らかになった。
(引用終わり)
さらにはこの検定意見をだした文科省の教科書調査官のメンバーが問題です。
2007/6/19琉球新報より
【東京】文部科学省の高校教科書検定で「集団自決」の日本軍関与について断定的記述をしないよう検定意見が付された問題で、日本史を担当した同省の教科書調査官の一人が、「国粋主義的」「戦争賛美」などの批判がある「新しい歴史教科書・改訂版」(扶桑社)の監修者と同じ研究グループに属していたことが18日、わかった。(※私注、いわゆる「つくる会」)
同教科書の関係者が検定過程にかかわっていたことで、その中立性が問われそうだ。(後略)
驚きです。
つまり、文科省の教科書調査官がつけた「強制なかった」との意見が、沖縄戦の専門家が一人もいない検定審議会で、何の学術的な話し合いもされぬままいとも簡単に通ってしまった、ということです。。
この実態は「学術的な検討を得た審議会の決定。首相でも一言も容かい(口出し)できない」という伊吹元文科相の説明とはまるで異なります。
なんといういい加減さでしょうか。
しかもその文科省の教科書調査官につくる会のメンバーがいたというのですから、最初から公正性中立性を欠いています。
これが今回「軍の強制」を削除した検定の実態です。
沖縄県民が、まるで国会の強行採決よろしく数にモノを言わせて、史実であるか疑わしいものを史実であると強弁しているのならば、中山元文科相の批判は当てはまりもしましょう。
史実とは、史実かどうか学術的に争いがあるものを、単なる数の力で決することができる性質のものではありませんから。(でなければ「THE・FACT」のような意見が国内で増えてくれば、それが史実になる、ということになってしまいます。)
しかし、すでに述べたように、史実を歪めたのは審議会の方です。この検定の実態を見れば、文科省が「政治介入で史実を歪めた」と言われても仕方がありません。
沖縄県民は、これを「元に戻すように」要求しているのですから、中山氏の批判は的外れなのです。
同じように沖縄県民の「気持ち」に配慮する、というのもピントのずれた話です。
記述が書き換えられるのは耐えられないという県民の「感情」のみに配慮し、あなたたちの「感情」を優先して史実を少し引っ込めてあげますよ、ともとられかねません。
それでは県民の要求は、「感情」が史実を押し切る理不尽な要求であることにされてしまいます。
よくある反論Ⅵ.
"11万人"は捏造これには笑ってしまってしまいました。
「だから何」
というのが正直な感想です。
だいたい何かの集会があったとき主催者発表人数が多めに、警察発表人数がすくなめに報道されるのはいつものことです。
それに、11万人ならば検定を見直せという主張に耳を傾ける価値があるが、3万人4万人ならば耳を傾ける価値がないとでも言うのでしょうか?
私は実際の所何人だったのかにはさほどこだわってません。
そんなことは、この問題の本質とは関係ないことですから。
映像で見れば実に数多くの人々が集まっていることは一目瞭然です。
どうしても人数が気になるならば、あの映像を野鳥の会に頼んで数えてもらうといい。
その結果が11万であれ3万であれ、あれだけの人々が集まった事実に何の変わりもありません。
人数の問題ではないのです。
発表人数は事実と異なる捏造だから「軍の強制あった」という沖縄県民の主張も捏造だ、とでも言いたいのかしら?
これは実は、問題をすり替える時に使われる定石中の定石です。
あまりに古典的、典型的な常套手段なのでいささか芸がないんじゃないかと笑ったしだい…
最後に
もう皆さんとっくにお気づきとは思うが、「軍の強制などなかった」という主張をする人々のロジックは、慰安婦のそれを言う時と全く同じです。
・証言は証拠ではない。
・文書がない限りそんなことは無かった。
・軍の強制は補償金が欲しいがための捏造、
という論法まで判で押したと同じなのには苦笑しました。
軍の強制による沖縄集団自決
従軍慰安婦
南京大虐殺
あったことを無かったことにしようとする根っこは一つだし、手法もワンパターンです。
この検定問題と9/29の県民大会はニューヨークタイムスでも報道されました。(琉球新報2007/10/9より)
慰安婦問題ではワシントンポストにTHE・FACTを載せ、自分達以外に通用しないこの妙なロジックを披露して世界で恥をかくことになりましたが、それに懲りずに同じことをやらかしました。
今回政府はまた恥の上塗りをしたようです(T▽T)/~~
あったことを無かったことにしてはダメです。それは終わりの始まりだと思います。
この問題がどうなるか、引き続き見て行き、機会があればまた記事を書こうと思います。
(2007/10/6~16)
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