当時は公娼制度があり、売春は合法な商行為だった。今の価値観で当時を裁いてはいけない
- 2012/01/21
- 15:00
Ⅰ.当時は「公娼」と呼ばれる売春だけがかろうじて合法であり、強姦、強制売春は違法だった(実態は建前にとどまってしまうが・・)
そして「公娼」は許可を受けた特定の場所と特定の人にだけ認められており、
①警察署が所持する娼妓名簿に登録されなければならなかった(娼妓取締規則二、八条)
そして、
②当事者本人が自ら警察署に出頭して娼妓名簿への登録を申請しなければならず、また娼妓をやめたいと本人が思うときは、口頭または書面で申し出ることを「何人と雖も妨害をなすことを得ず」(同六条)とされており、いつでも本人の自由意思で辞めることが出来、強制売春を防止する建前であった。
この二つの条件が満たされて、合法な「公娼」となるのである。
(「強制ではなかった、自由売春だった」というのなら、上二つの条件が守られていたことを証明してほしいものだが、そのような証明は未だかつて見たことはない。)
しかし、連れてこられた慰安婦達が娼妓の申請をするはずがないばかりか、軍隊内に貸座敷があろうはずもない。
そして「日本国内の公娼制でも、十八歳未満の女性の使役の禁止、外出・通信・面接・廃業などの自由を認めていたが、この程度の保護規定すらなかった(吉見義明「従軍慰安婦」158ページ)」彼女たちは監禁され、脱走しようとすれば捕まえられて酷い目に遭わされ、まさしく奴隷状態に置かれていた。
例えばこちらの例 http://www.geocities.jp/yubiwa_2007/ianfukyousei.html
また、慰安婦裁判で元慰安婦の証言が全て事実だと認定されたケースでも、性交を拒めば殴る蹴る、刀で斬りつけられるなどされ、脱走しようとしてつかまれば今日に至るまで後遺症が残るような激しい暴力をふるわれている事例がいくつもある。
そして何年間も劣悪な環境下で一日中何十人と相手させられたため子宮に異常をきたし、子供を産めない体にされてしまった人も多い。とてもではないが自由売春とは言えない実態だ。
これらは慰安婦のような形態は当時法で禁じられていた強制売春にあたることを示している。
監禁され「廃業」の自由もなく性行為を強要されるのは当時合法だった「売春」「娼婦」ではなく「強姦」であり「性奴隷」だ。
実際、1937年(昭和12年)日本から女性をだまして慰安所に連行する行為を旧刑法226条の「国外移送・国外誘拐罪」(現在の国外移送目的略取・誘拐罪)で有罪と処罰した日本の大審院(今の最高裁)判決がある。
http://www.kanpusaiban.net/kanpu_news/no-53/hirao.htm
このように、慰安婦は当時合法だった「公娼」などではなく、当時も違法だった強制売春なのである。
Ⅱ.また、国内法のみならず、次にあげる当時の国際法にも違反していた。
・奴隷条約(国際慣習法)違反
日本軍は徴集された女性を拘束し、その場所から離れるのを禁じ、性的サービスの提供を提供を強いているが、これは軍による所有物同然の扱いであるから、奴隷条約及び国際慣習法違反は法的に疑いの余地はない(実際争われていない)
・強制労働条約違反
強制労働とは「処罰の脅威の下に強制させられ、任意に行われたものでない一切の労務」をいうが、性的サービスも「一切の労務」に含まれるし、軍の監視下で意に反して性行為の提供を強いられたから、労務の強要=強制労働だったのも明白。よって強制労働条約違反
また、金銭の授受は「強要」だったことに何ら影響を及ぼすものではない(これも争われていない)
・人道に対する罪に違反
(米ニューヨーク州上院は2013/1/29、旧日本軍の従軍慰安婦問題について、「人道に対する罪」との表現を使って事実上、これを非難する決議案を採択した。)
・「醜業」3条約に違反
ちなみに『醜業ヲ行ハシムル為ノ婦女売買禁止ニ関スル国際条約』には植民地除外規定(第十一条)があり、5条(21歳以下の女性の勧誘禁止)を朝鮮には適用しないと宣言していた。21歳以下の女性の勧誘は違法ではない、との言説もある。
それについては以下を参照。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BD%BE%B7%B3%B0%D6%B0%C2%C9%D8#p3
(引用開始)
この国際条約には抜け道がありました。植民地に適用しないことを可能にする規定(第十一条)があり、日本政府はこの規定を利用して、植民地(朝鮮・台湾)には適用しない方針をとりました。そのため、朝鮮や台湾などの植民地から多数の女性が誘拐・拉致、人身売買などにより慰安婦として連れ出されたのでした。
しかし本来この「植民地除外規定」(第十一条)は、当時の植民地において結婚する時に家族に贈られる「花嫁料」など「近代」以前の長年の習慣・伝統が残っていた為に挿入されたものであり、条約の意図は売春のために女性を国外へ連れて行くことを容認することではありませんでした。「国際法律家委員会(ICJ)」は見解で「朝鮮女性に加えられた処遇について、その責任を逃れるためにこの条文(規定)を適用することはできない」と述べています。(吉見義明『従軍慰安婦』p169)
さらに、植民地から連れて行くことは、国際法上まったく自由だったのかというと、そうではないと国際法学者の阿部浩己教授は次のように指摘しています。
朝鮮人の慰安婦の多くは、朝鮮半島から鉄道で移送される以外は、日本の船を使用して南方や中国南部などへ移送されました。誘拐などの起点が植民地であったとしても、日本の船舶は「国際法的には日本の本土とみなすことができる」ので、条約は適用される、と述べています。また、台湾の場合、移送は船舶以外は考えられず、かりに日本の飛行機で移送されたとしても飛行機も日本本土とみなされる、と述べています。
(引用ここまで)
次の資料からは、実際内務省は慰安婦の集め方が国際条約に照らして相当にヤバイことを自覚していた事がわかる。
http://nippon-senmon.tripod.com/hantou/rekishi/juugun_ianfu.htmlより
(引用開始)
軍隊慰安婦の徴集に対する国家権力の関与の仕方は、まず、日本国内の場合、各派道軍と陸軍省が内務省に協力を求めると、内務省が各県に人数を配当し、各県の警察が主に接客業者を対象に徴集業者を選定したうえで派遣軍が許可を与える。そして、この徴集業者に直接徴集を担当させることで、表面的には徴集業者が徴集の責任を負うメカニズムになっていたが、実質的には内務省が日本国内での徴集の総責任者であったのである。こうした内務省の対応の仕方は、日本国内での軍隊慰安婦の徴集が国際条約に抵触するおそれがあることを熟知していたためである。
(引用ここまで)
以上より、慰安婦は公娼ではなく当時の価値観、法制度でも既に違法だったのである。
慰安婦裁判では司法は次のように違法性を断罪している
「ナチスの蛮行にも準ずべき重大な人権侵害」(下関判決)
「著しく常軌を逸した卑劣な蛮行」(山西省性暴力事件東京地裁判決)
「刑法または陸軍刑法および海軍刑法所定の強姦罪等により処断される重大な犯罪行為であったというべきである」(海南島事件東京高裁判決)
Ⅲ.また、常套句「今の価値観で当時を裁いてはいけない 」は、ただの詭弁としてつかわれていないかどうか注意が必要である。
・現代の価値観で断罪云々という詭弁 (6)
http://plaza.rakuten.co.jp/whitesand72/diary/201008170000/
・詭弁「当時の日本の行為を現在の基準で断罪することは歴史に対する冒涜だ」について
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20100812/p1
・「当時の価値観」の落とし穴
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-9.html
参考
・「慰安婦」は商行為か?
http://space.geocities.jp/japanwarres/center/library/uesugi01.htm
の中程にある「公娼制の延長か?」の段落より
(引用開始)
また、以前から行われてきた一部の批判には、「慰安婦」制度を公娼制の延長に位置づける見解があった。最近になって、藤岡氏も次のように述べていいる。
戦前の日本では、売春は公然と認められていた・・内地 で売春が営業として行われていたのと同じく、戦地でも 売春業者が男性の集団である軍隊を相手に商売をした。 これは違法なことでも何でもなかった。よい・わるいの 問題ではなく事実の問題である。日本で売春が法的に禁止されたのは、戦後何年も経ってからのことだ。 軍が関与したことが問題だという人がいるが、これはスジ違いである。文部省の建物の中に民間業者が経営する食堂がある。文部省の職員が主に利用するが、文部省が経営しているのではない。文部省はこの業者に建物の一部を提供し、水道・光熱などの利用の便宜を与えている 。そういう形で文部省は食堂に関与しているが、かといってこの食堂を文部省が経営しているのではない。・・戦地慰安所と軍の関係もこれと全く同じである。
さすが教育学者であり、たとえが上手い。納得する人も多いらしく、小林よしのり氏も「新・ゴーマニズム宣言」で同趣旨の見解を描き続けている。だが、ここには大きな嘘と間違いがある。
たしかに、戦前、売春は公然と行われていた。これが公娼制度と呼ばれるものだ。しかし、そこにはいくつかの原則があったことが意外と知られていない。
一つは、許可を受けた特定の場所と特定の人にしかこれが許されなかったことだ。つまり、誰でもどこでも自由に売春が公認されたというものでなく、貸座敷と呼ばれる定められた屋内で、警察署が所持する娼妓名簿に登録されている女性だけに許されたのである(娼妓取締規則二、八条)。もしそれに違反すれば、拘留または科料に処せられた(同一三条)。
第二には、強制をともなう売春は、当然にも許されない建前だったことである。したがって、強制売春を排除するために、当事者本人が自ら警察署に出頭して娼妓名簿への登録を申請しなければならず、また娼妓をやめたいと本人が思うときは、口頭または書面で申し出ることを「何人と雖も妨害をなすことを得ず」(同六条)とされていた。
これらの規定は、彼女たちの人権を擁護しようとする当時の活発な廃娼運動に押されて制定されたものであり、内務大臣は右の娼妓取締規則を公布する際、その目的の一つが「娼妓を保護して体質に耐えざる苦行を為し、若しくは他人の虐待を受くるに至らざらしむる」(1900年内務省令第四四号)ことにあるとしたことからも明白である。したがって、もし「慰安婦」とされた女性が、どこかの警察に出頭して娼妓名簿に登録し、軍隊内にある「貸座敷」で売春していたというのであれば、藤岡氏などの言うように、それは公娼制度の枠内の出来事であり、当時、少なくとも国内法では違法とは言えなかった。
しかし、だまして連れてこられたような女性が娼妓の申請をするはずがないばかりか、軍隊内に貸座敷があろうはずもない。貸座敷とは、「貸座敷、引手茶屋、娼妓取締規則」によって警察の許可を受けた建物であり、あえてさらに付言すれば、他に「芸娼妓口入業者取締規則」というものもあって、娼妓への紹介業者も取り締まられていたのである。だから、もしこれらの法令に基づいていない娼妓がいて、あるいは許可を得ていない貸座敷や斡旋業者があれば、それらは公娼でなく私娼、貸座敷でなく私娼窟であり、口入れ業者でなくヤミ・ブローカーなのであった。だとすれば、当時の日本軍は、自ら私娼窟をその体内に持ち、そこで法的に私娼に位置づけられる人々を監禁し、強姦したことになる。藤岡氏のたとえを借りるならば、文部省の建物に私娼窟や賭博場が開設されたに等しいのである。
このようなとき、軍や文部省に責任はないのであろうか。誰でも直感的にそうでないことに気づくはずだ。まず、慰安所の経営を藤岡氏は一律に「民間業者」としているが、正確には資料が少なくて不明だが、かなりの数が軍による直接経営であった。それ以外を民間業者が経営していたのである。だがその場合でも設置の要請は、あくまで軍が行なったものであり、業者は軍の意向を受けて慰安所を開設し、女性たちを集めた。したがって、その場合、最終責任者は軍であった(前掲吉見資料集「セレベス民生部第二復員班員復員に関する件報告」)。軍が経営を民間に委託する場合があったにすぎない。
こうして、慰安所の設置は、軍自らが行なうか、民間業者に設置を要請するとともに、その開設許可を軍が与えたのである。ならば軍は、警察つまり当時の内務省に対して貸座敷を開設する許可を自ら得るか、そのように業者を指導する義務があった。もし許可を得ることができなければ、あるいは許可を得ていない業者であれば、設置を中止し、業者への経営委託も取り消す必要があった。また、そこで「働く」女性や、彼女たちを斡旋する口入れ業者についても、警察に登録した公娼や正式な斡旋業者を使う必要があった。だが当然にも軍はそうしなかったし、指導した形跡などない。
もう一つの方法として、少なくとも公娼制度に抵触・矛盾しない「軍用娼妓取締規則」とか「軍用貸座敷規則」、「軍用口入業者取締規則」などの法律を新たにを陸海軍省が主導して作り、そのもとで慰安所を開設するという選択が有り得た(その場合、もともと民間人である「慰安婦」を、軍の要員とするか否かがあらためて問われることになる)。しかし、そのようなことが行なわれた形跡はない。
とすると軍は、当時の公娼制度に違反して慰安所を作り、犯罪を行ったことになる。「慰安所が公娼制度の延長」というのは真っ赤な嘘なのである。
そして、これら軍政全般を処置する役割をもっていた陸海軍省と内閣は、違法なことが行われていることを知りながら(法律を無視、あるいは新しく作らなかったことだけでなく、強制連行などの違法行為の事実も数多くつかんでいた)、新しい法律を作ることなく放置し、その結果膨大な被害者を出したのであるから、やはり大きな責任を問われることになる。軍は女性たちを強制することで、強姦など様々な犯罪を犯した。これを「作為」の罪というならば、当時軍政全般をあずかっていた陸海軍省とそれを含む内閣全体(とりわけ内務・外務省)とその責任者は、公娼制度に従うか、あるいは公娼制に準拠する軍法などを新しく制定すべき義務がありながら、それを怠ったのである。これを「不作為」の罪という。
(引用ここまで)
そのほかにも参考サイトをあげておく
・慰安婦立法参考人質疑議事録より抜粋
(引用開始)
第一に、一九二六年、これは奴隷条約が国際慣習法を確認して成立した年でありますが、この年までに奴隷制の禁止は慣習国際法になっていたと考えます。女性を軍需品同様に軍の所有物とした日本軍慰安婦制度は、この国際慣習法に違反しておりました。
第二に、日本が一九三二年に批准した強制労働条約は女性の強制労働、労務を全面的に禁止していましたので、慰安婦としての性的サービスを強制した日本軍の行為は同条約違反であったと言わざるを得ません。
第三に、人道に対する罪の構成要件は、殺りく、せん滅、奴隷化、強制的移住、その他の非人道的行為及び政治的又は人種的迫害行為から成ります。日本軍性奴隷被害者に対する日本軍の行為は奴隷化、強制的移送、非人道的行為にも当たりますし、朝鮮人、台湾人などに対する人種的迫害でもあったので、人道に対する罪にも当たります。国際法には時効がありませんので、今も国際法の違反状態が継続していると考えられます。また、人道に対する罪に当たる場合は国内法的にも時効を適用してはならないとされております。
次に、国際法律家委員会ICJ報告書、国連人権委員会クマラスワミ報告書、国連人権小委員会マクドゥーガル報告書、ILO専門家委員会報告書はそれぞれ詳しく国際法違反があったことを認定しております。
(引用ここまで)
醜業3条約
1. 醜業を行わしむる為の婦女売買取締に関する国際協定(1904年)
2. 醜業を行わしむる為の婦女売買禁止に関する国際条約(1910年)
3. 婦人及児童の売買禁止に関する国際条約(1921年)
醜業条約は植民地には適用されないのではないか
これについては宋神道さんの慰安婦裁判で次のような判決が出ている
http://blogs.yahoo.co.jp/satoatusi2006/25878741.html
(引用開始)
醜業条約は、1904年の「醜業を行はしむるための扶助売買に関する国際協定」によるものであり、
日本は1925年にこれに加入し、同年醜業条約、「婦人および児童の売買禁止に関する国際条約に加盟した。
もっとも日本は、醜業条約を<植民地に適用する>旨の条約上の通告はしていないから、
<当時の朝鮮については、適用がない>と解するべきであるが、
前記認定事実によれば、控訴人は、
<朝鮮において><朝鮮人ブローカーないし公娼業者>と推認される業者から勧誘されたものの
右条約が禁止する醜業についたのは<中国大陸>であり、
<当時は日本国籍を有していたと推認される業者>と<旧日本軍>の<管理下>において、
(注:日韓併合は1910年で日本国とされ、
宋神道さんが甘言で拉致された1938年は、<日本国内で>の<日本国民へ>の拉致犯罪であった。)
<慰安所における業務>に従事し、<厳しく逃避、逃走が禁止された>のであるから、
<そこでも「勧誘、誘引、拐去」(第一条)があった>ものと認められ、
<控訴人が従事した従軍慰安婦の労働>は、醜業条約の適用対象となる「醜業」であったと認めることができる。
(引用ここまで)
なお、慰安婦という用語に中山元文部科学大臣がかみついたことについて
・「慰安婦」の用語は当時なかったのか? 中山文部科学大臣は辞任を
http://space.geocities.jp/japanwarres/center/hodo/hodo35.htm
〈売春宿を経営したのは民間だった、について〉
・http://www.geocities.jp/yubiwa_2007/gunnianjyo.html
〈日中戦争の初期段階で慰安所の設置と慰安婦の徴集とに軍と警察がどのように関与したか〉
・陸軍慰安所の設置と慰安婦募集に関する警察史料 永井 和
http://nagaikazu.la.coocan.jp/2semi/nagai.html
軍が慰安婦調達を指示していたことが、次に紹介する内務省警察資料であきらかに。1938年慰安婦となる女性約400名を華南に渡航させるよう命じた内務省警保局長の通牒
〈とても合法だったとは言えない〉
・http://www.geocities.jp/yubiwa_2007/ianfukyousei.html
当時の公娼制度自体が既に前借金の名の下の性奴隷制度であったというのですから、「慰安婦は公娼と同じ=強制でなかった」との主張は成立するはずがありません
・日本軍の慰安所政策について 永井 和 より
http://nagaikazu.la.coocan.jp/works/guniansyo.html
警察にとって、軍による慰安所の設定とその要請を受けた業者の慰安婦募集は「皇軍ノ威信ヲ失墜スルモ甚シキモノ」で信じがたいことだったので慰安婦の募集周旋において業者が軍との関係を公言ないし宣伝することを禁じた。
http://www.geocities.jp/yubiwa_2007/ianfukihon.html
(引用開始)
売春を直ちに禁止することは非現実的だとして、本人の自由意思の確認の上で制限された一定の場所でのみ止む無く認めることはあり得たとしても(これが公娼制度でした。)、それとて「醜業」と言われていたように決して望ましいものではありませんでした。ましてや、それを国家が積極的に推奨するなどというのは当時の感覚から言っても、とても考えられないことでした。
その考えられないことをやってしまったのが戦前の日本国家だったわけです。
即ち、国家自らが管理売春に乗り出し、内部に売春施設を設置し、そこで売春に従事する女性の募集を行うというのは、「国民の保護」という国家としての責務を放棄するに等しい行為なのです。別の言い方をすれば国家が「自らが反倫理的存在である」と公言する行為に他ならないのです。
このことは軍慰安所政策を推進した当事者もよく認識していました。
軍による慰安婦徴集に対し、外務省は「面白カラザル」と不快感を示し、内地の警察は「俄ニ信ジ難キ」と驚愕しました。
軍も、内部に売春施設を設置し、女性を徴集している事実をできる限り隠蔽しようとしました。後ろめたさが伴う恥ずかしい行為だと軍も認識していたのです。
(引用ここまで)
●マクドゥーガル報告書(第二次大戦中設置された「慰安所」に関する日本政府の法的責任の分析)
http://space.geocities.jp/ml1alt2/data/data5/data5-08.htm
●醜業3条約
●「人道に対する罪」はニュルンベルグ裁判のために新設された「事後法」だから、これで慰安婦問題を裁くことは法の不遡及の原則に反する、との批判がある。
これに対しては吉見義明氏の次のような見解が妥当だろう
「従軍慰安婦」p.173~
(引用開始)
日本は、1951年のサンフランシスコ平和条約第11条で「極東国際
軍事裁判並びに日本国内国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受託」してい
る。すなわち、人道に対する罪の定義を受託したことになる(ICJ報告)。
また、ニュルンベルグ国際軍事裁判所条例・極東国際軍事裁判所条例とその判
決で認められた国際法の諸原則は、第一回国連総会で全会一致で確認された
(阿部論文)。このことは、人道に対する罪によって、1945年以前の行為
をも問うことの正当性・合法性があることになろう。
(引用ここまで)
こちらも参考に
・強制連行は人道に対する罪(一) (前田朗Blog )
http://maeda-akira.blogspot.jp/2012/07/blog-post_19.html
・強制連行は人道に対する罪(二)
http://maeda-akira.blogspot.jp/2012/07/blog-post_7833.html
■慰安婦達は売春を強要されてない自由売春だった
とても自由売春だったとは言えない
・・後述する慰安婦の証言
・ちなみにイギリス、アメリカ(一部の州を除く)でも公娼制はなかった
http://togetter.com/li/461931
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