安倍内閣がスタートして早速死刑執行が行われました。先進国と呼ばれる国の中で唯一死刑が増え続けていることに対する国際的な批判に頑ななまでに耳をふさぎ、唯我独尊で死刑維持に凝り固まる姿に、「国際社会における名誉ある地位」からそんなに転げ落ちたいのかとため息が出ます。
谷垣法相「国民の安心安全考えるべきだ」 死刑制度への批判に反論
産経新聞 2月21日(木)13時32分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130221-00000550-san-soci
谷垣禎一法相は3人の死刑執行を受けて21日、法務省で会見し、「(死刑は)人の命を奪う極めて重大な刑で、その重みを改めて感じた」と述べた。一方、死刑制度については「現時点で見直す必要はない」と改めて明言した。
谷垣法相は刑場での立ち会いは行わず「(法相として)立ち会った方がいるのは事実だが、極めて例外的で、私は考えていない」と説明。就任から約2カ月で執行に踏み切った経緯や、3人を選定した理由については「十分検討した。個別事案へのお答えは差し控える」と述べるにとどめた。
就任以降、死刑執行に前向きな姿勢を示していた谷垣法相。この日の会見でも死刑制度について「賛成、反対があるのはよく承知しているが、犯罪抑止や被害者感情など、さまざまな事情で存続してきた」と強調した。今後の執行について「死刑確定された方々の心情にも影響するため差し控える」と前置きした上で、判決確定から6カ月以内に死刑を執行しなければならないとした刑事訴訟法の規定に言及。「法の精神を無視することはできない」と主張した。
制度存続に対する海外からの批判については「国際的動向より、治安維持、国民の安心安全の確保を考えるべきだ」と述べた。
一方、日本弁護士連合会の山岸憲司会長は同日、「大臣就任からわずか2カ月足らずで、真に慎重な検討がなされたのか大いに疑問」と執行に抗議するコメントを発表した。
谷垣法相は死刑制度について「現時点で見直す必要はない」と「死刑の是非に関する国民的議論」を拒否、改めて時計の針を逆戻りさせています。
「国際的動向より、治安維持、国民の安心安全の確保を考えるべきだ」とのことですが、犯罪者を殺すことで治安を維持、国民の安心安全が確保できるというのは恐ろしい考えです。治安維持なら無期懲役で刑務所に隔離すれば十分ではないですか。
また谷垣氏は、死刑判決から六ヶ月以内に、という刑訴法の規定の「法の精神を無視することはできない」そうです。
この条文の「法の精神」とは決して「粛々と執行しなさい」という趣旨ではないことを弁護士でもある谷垣氏は知っているはずなのですが。
(参考記事:
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-636.html)
それに自民党は、最高法規である憲法の「法の精神」は無視しまくり原形をとどめない無残な姿に変えてしまえといってるくせに、このときばかりは「法の精神」の遵守ですか。
新しい内閣になるとまず、死刑執行するのかどうか、記者会見で必ず質問されます。
たとえばこんな記事を読むと、
http://news.livedoor.com/article/detail/7325333/もはや「死刑」は政治の重要な道具になってしまっているかのようです(死刑の政治利用は断じて許されません)
まるで死刑執行は法相として最初に通過しなければならない洗礼儀式のように思えます。
執行命令書に判を押せるかどうかが法相に寄せられる最大の関心事なのです。
なので法相に就任したら真っ先に死刑について尋ねられます。取り調べ可視化や人権擁護法案の見直しなど、聞くべき大事な課題はいくらでもあるでしょうに。
(そんなに死刑に関心があるならもっと是非について議論すべきじゃないかと思うのですが)
法相のメインの仕事は死刑執行、日本では死刑執行してはじめて一人前の法相として認知される、そんな雰囲気になっています。
谷垣氏は無事合格、これで晴れて一人前の法相として認められるでしょう(皮肉)
死刑廃止しないことの理由に国民の大半が死刑を容認している、死刑存置は「民意」ということが必ず言われます。テレビニュースでもコメンテーターが口にしていました。
しかしならば何故、原発は廃止すべきと言う国民の大半の「民意」は無視するのでしょう。
結局「民意」など政治家にとっては
「国民の理解が得られない」と同様、都合よく使えるフレーズでしかないようです。
次のアムネスティの抗議声明は是非、じっくりと読んでいただきたいです。大切なことが書かれています。
◆アムネスティ
日本:死刑執行に対する抗議声明
アムネスティ・インターナショナル日本は、本日、東京拘置所の金川真大さん、大阪拘置所の小林薫さん、名古屋拘置所の加納恵喜さんの3人に死刑が執行されたことに対して抗議する。今回の死刑執行は、死刑制度に固執し、政権交代後の執行を恒常化させようとする政府と法務省の意思表示といえるものであり、強く非難する。
谷垣法相は、昨年12月27日の大臣就任会見において、死刑制度について「今の国民感情,被害者感情等々から見ましても、現行制度を設けているということはそれ相応の根拠がある」と述べ、また執行については「(死刑判決を下した)裁判所の判断も尊重しながら、法の下で対処していかなければならない」と語り、肯定的な姿勢を示していた。
しかし、国内法の内容が国際人権基準に反するものである場合には、その法制度を改正すべく努力することもまた、政府、法相および法務省に課せられた国際的な義務である。日本政府は、国連の総会決議や人権理事会の普遍的定期審査、そして複数の国連人権機関から、繰り返し、死刑の執行停止と死刑廃止に向けた取り組みを強く勧告されていることを忘れてはならない。
とくに、国連の自由権規約委員会は2008年、「世論の動向にかかわりなく、締約国は死刑の廃止を考慮すべき」とし、世論を口実に死刑廃止に向けた措置を一切とろうとしない日本の態度を強く批判している。日本政府は、「国民感情」を理由に、国際的な人権基準を遵守する義務を免れることはできない。
世界では、7割に当たる140カ国が法律上または事実上死刑を廃止しており、近年の死刑執行国は20カ国前後で推移している。昨年12月には、国連総会で全世界の死刑執行停止を求める総会決議が採択され、過去最多の111カ国が賛成した。今回の死刑執行は、日本が人権理事会の理事国として遵守すべき国際人権基準を無視したものであり、世界の死刑廃止の潮流に背を向け、日本をますます孤立させることになるといわざるをえない。
近年、足利事件や布川事件、ゴビンダ事件など、相次いで冤罪事件が明らかになり、代用監獄や捜査取調べ中の自白強要など、日本の刑事司法における人権侵害が多数報告されている。新たな科学鑑定により冤罪の可能性が高まっている袴田事件や奥西事件、飯塚事件など、死刑事件における再審請求も数多く提起されており、死刑制度を含む日本の刑事司法制度の見直しが強く要請されている。
死刑は国家権力による暴力の一つの極限的なあらわれである。人為的に生命を奪う権利は、何人にも、どのような理由によってもありえない。アムネスティは、あらゆる死刑に例外なく反対する。死刑は生きる権利の侵害であり、究極的な意味において残虐で非人道的かつ品位を傷つける刑罰である。アムネスティは日本政府に対し、死刑廃止への第一歩として、公式に死刑の執行停止措置を導入するよう要請する。
日本政府は、国際人権諸条約の締約国として、死刑にたよらない刑事司法制度を構築する国際的な義務を負っていることを改めて確認しなければならない。そして、日本政府は、生きる権利をはじめとする人権保障の大原則に立ち戻り、死刑の執行を停止し、死刑廃止に向けた全社会的な議論を速やかに開始すべきである。
2013年2月21日
公益社団法人 アムネスティ・インターナショナル日本
背景情報
日本は、国際社会の責任ある一員として、死刑廃止に向かう世界の情勢も十分に考慮しなければならない。現在、全世界の7割に当たる140カ国が、法律上または事実上死刑を廃止している。アジア太平洋地域においても41カ国のうち28カ国が、法律上または事実上、死刑を廃止している。東アジアでは、韓国が2008年に事実上の死刑廃止国となり、現在まで14年間、執行を停止している。さらに、昨年はモンゴルとベナンが、「市民的及び政治的権利に関する国際規約」の第2選択議定書(いわゆる死刑廃止国際条約)に公式に加入した。死刑廃止へと進んだこれらの国々の多くで、世論の多数が死刑の存置を容認していたことを踏まえると、いかに死刑廃止に向けて人々に働きかける政治的リーダーシップが重要であるかがわかる。
アメリカは、G8諸国内で日本と並ぶ死刑存置国ではあるが、現在、全50州のうち17州とコロンビア特別区が死刑を廃止しており、死刑廃止州の割合はついに3分の1を超えた。2011年に実際に死刑を執行したのは、13州のみだ。一昨年11月22日にはオレゴン州知事が任期中の執行停止を表明。昨年4月25日には、コネチカット州で死刑が廃止された。本年1月から始まったメリーランド州議会でも死刑廃止法案の可決の可能性が高まっている。
また昨年12月20日、国連総会で、2007年以降で4度目となる死刑執行停止決議が、前回より4カ国多い、過去最多の111カ国の賛成で可決された。決議は、廃止を視野に死刑の執行を停止することや、死刑を適用する罪名を減らすことなどを求めている。
死刑に特別な犯罪の抑止効果はない、ということも今日の世界的な共通認識となっている。死刑と殺人発生率の関係に関する研究が1988年に国連からの委託で実施され、最新の調査では「死刑が終身刑よりも大きな抑止力を持つことを科学的に裏付ける研究はない。抑止力仮説を積極的に支持する証拠は見つかっていない」との結論が出されている。また、いわゆる「みせしめ」としての死刑は、国家による究極的な暴力に過ぎない。人間の生きる権利を、政治的社会的な目的のための手段とする発想は、国際人権基準に照らし、決して許されるものではない。
アムネスティは、死刑判決を受けた者が犯した罪について、これを過小評価したり、許したりしようとするものではない。しかし、被害者とその遺族の人権の保障は、死刑により加害者の命を奪うことによってではなく、国家が経済的、心理的な支援を通じ、苦しみを緩和するためのシステムを構築すること等によって、成し遂げられるべきであると考える。
『国内法の内容が国際人権基準に反するものである場合には、その法制度を改正すべく努力することもまた、政府、法相および法務省に課せられた国際的な義務である』
『とくに、国連の自由権規約委員会は2008年、「世論の動向にかかわりなく、締約国は死刑の廃止を考慮すべき」とし、世論を口実に死刑廃止に向けた措置を一切とろうとしない日本の態度を強く批判している。日本政府は、「国民感情」を理由に、国際的な人権基準を遵守する義務を免れることはできない。』
『死刑廃止へと進んだこれらの国々の多くで、世論の多数が死刑の存置を容認していたことを踏まえると、いかに死刑廃止に向けて人々に働きかける政治的リーダーシップが重要であるかがわかる』
『今回の死刑執行は、日本が人権理事会の理事国として遵守すべき国際人権基準を無視したものであり、世界の死刑廃止の潮流に背を向け、日本をますます孤立させることになるといわざるをえない。』 政治を司る人々にかみしめて欲しいです。
そしてマスコミは、日本が国際人権諸条約の締約国として死刑を廃止する義務に反していると国際社会から強く非難されている現実をもっともっと国民に広く知らせるべきだと思います。
※死刑についてこちらで色々書いています。
→
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-category-5.htmlまたサイドカラムにも掲載している「村野瀬玲奈の秘書課広報室」の
●死刑FAQ (適宜更新)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-532.htmlも参考にしてください。
死刑廃止すべき理由と論点はほぼ全て網羅していると思いますので、死刑廃止に異議のある方は、まずこちらに目をお通しください。その問いに対する答えは既に書かれています。
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