フランスのマリ軍事侵攻について村野瀬玲奈さんが二つ記事を書いて下さっています。
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村野瀬玲奈の秘書課広報室・オランド政権のフランスによるマリ空爆を憂う
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-4047.html・元フランス首相ドミニク・ドビルパンによる、フランスによるマリ攻撃への反対論全訳(2013年1月12日)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-4051.html非常に残念です。国連の対応にも失望します。
さて、日本は早速この軍事侵攻の支持を表明しました。外務報道官談話はこちらになります。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/25/dga_0114.htmlアメリカのイラク侵攻の時も日本政府はいの一番に支持を表明してましたが、我が国は外国との紛争解決に決して武力を用いないことを憲法で宣言しています。なのに他国が軍事侵攻することにはさっさと賛成するなんて、とんだダブルスタンダードではないでしょうか。ほんとは戦争好きな性格がにじみ出ています。
日本は、自分の所だけ戦争しなければよいという、いわゆる「一国平和主義」をとってはいません。
憲法前文を読んでみましょう。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と審議に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位ゐ占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、不変的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる
日本は「平和的生存権」は日本国民だけのものではなく、全世界の人々に認められるべきものであると考え、「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」し、「平和を愛する諸国民の公正と審議に信頼」し、武力に寄らない解決方法を模索することによってその生存権を保持しようとしています。
そしてこのような方法で国際紛争を解決し平和を維持することが「国際社会において、名誉ある地位」を占めることであり、この政治道徳の法則は、不変的なものであって、各国ともこの政治道徳の法則に従うべきだ、と謳っています。
日本が寄って立つこういう理念、価値観からすれば、日本は直ちに支持表明するのではなく、武力によらない他の道を探るべきであり軍事侵攻という手段をとったのは遺憾であると表明するのが筋です。
政府のフランス軍事侵攻支持表明は、憲法に反していると思います。
日本が完全に戦争を放棄していることを憲法で謳っていることは、近年までヨーロッパでほとんど知られていませんでした。それは、世界第9位という軍事力を有する自衛隊の存在もさることながら、世界で紛争が起こる度、日本はアメリカに追随した声明を発するだけで、軍事力によらない解決の道を模索する努力をするように提案をしてこなかったことも大きいのではないでしょうか。
思うに、自国民を武力で制圧する軍事独裁は、非暴力で対話による解決を目指す民主主義とは対極にあります。
他国民にそれをするのだって非暴力で対話による解決を目指す民主主義の対極です。
他国を軍事力で押さえつけようとする国は、国内でどれほど民主主義や人権尊重の理念が発達していようと民主主義は未完成なのだと思います。
ちょうどアメリカ独立が三大市民革命の一つでありながら黒人奴隷制度を有していたため「白人にとっての民主主義革命」でしかなかったことと似ています。
こういうのを一国平和主義に対応して一国民主主義とでも名付けましょうか。
イラクやアフガンで虐殺された人々に向かって「アメリカは民主主義の国だ」と言ったら、「何が民主主義の国だ、民主主義が他国民を虐殺することならそんな民主主義なんかくそくらえ!」と言うことでしょう。
平和主義は民主主義をより完成させるのに不可欠です。平和主義は民主主義を補強するのに無くてはならない理念だと位置づけられるでしょう。それを日本国憲法は示してるから、
世界で最先端だと評価されているのです。
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