糾弾される日本の司法―リベラシオン紙(「イル・サンジェルマンの散歩道」より)
- 2013/01/13
- 17:00
jeanvaljeanさん、いつもありがとうございます。
「イル・サンジェルマンの散歩道」は、フランスでどのような民主主義教育が行われているのか主にフランスの教科書を中心に伝えてくださっている貴重なブログですので、皆さんも是非訪問してみてください。
◆イル・サンジェルマンの散歩道
糾弾される日本の司法―リベラシオン紙
http://billancourt.blog50.fc2.com/blog-entry-853.html
ひとりのネパール人が無実の罪で15年間を監獄で過ごす。
それも司法システムゆえの誤り
リベラシオン紙 2013年1月10日付 ARNAUD VAULERIN特派員(京都)
彼は15年間も、無罪放免を待ち望んだ。日本の監獄の壁の中で。ゴビンダ・プラサド・マイナリは、東京における39歳の女性殺害について無実を訴え続けた。2000年に無期懲役刑を判決した東京高裁は、11月7日に最終的な無罪を言い渡した。これは特殊な事例ではなく、日本の司法機構の悪弊そして機能障害を表すものである。この46歳のネパール人の失望を深めたのは、2012年に釈放された彼がネパールに送還されたことである。彼のビザの期限が、監獄にいる間に切れていたからである。
事件は、1997年3月19日に始まった。警察は、東京都渋谷区のアパート内で、電力会社社の女性社員の死体を発見した。警察は、この女性が殴られ、首を絞められたこと、小金を盗まれたこと、売春の二重生活を送っていたことを突き止めた。4日後捜査員は、ゴビンダ・プラサド・マイナリを逮捕した。彼が他のネパール人と同居していたアパートの建物内に、女性社員も住んでいた。そして彼も客の一人であった。警察は、現場に落ちていた、ネパール人によって使用されたコンドームを発見した。マイナリは、犯人として申し分ない人物となった。たとえ精液の分析が、女性が殺されるかなり前に射精されたことを明らかにしても、アパートから採取された毛髪が、マイナリの物でも技セ使者の物でもなかったとしても・・・この重大な疑惑に基づいて、東京地裁は2000年4月に、彼に無罪を言い渡した。しかし検察側は控訴した。東京高裁は、下級審から持ち上げられた不整合性を検討することなく、判決を下した。2003年最高裁判所は、有罪を証拠立てる明白な証拠もなしに、判決を追認した。
冷凍
マイナリ、彼の弁護団、支援団体の委員会は、再審とDNAの新たな分析を求める。DNAの分析は、2011年に行われたのみである。捜査員は、犠牲者の爪の下や、1997年から冷凍している布地の上から、他の男性のDNAを識別している。弁護団は、検察は事件当初から現場に他の人物がいた証拠を掴んでいることを見抜いている。15年におよぶ裁判拒否と隠蔽の後に、法廷はマイナリを再審し、潔白を証明し、謝罪した。マイナリは妻と二人の娘に再会したカトマンズから、どうして自分が、おぞましく辛い15年のあいだ苦しまなければならなかったのか深く考えることを、日本の警察、検察、裁判所に求めた。彼らは私に有利な証拠を黙殺した。もしDNAの分析がおこなわれなかったら、私はまだ監獄にいたであろう。
心理的拷問
アムネスティ・インターナショナルは、「マイナリは、逮捕の後弁護士に接見できなかった。彼は尋問のとき、警官から拳骨で殴られ、足で蹴られ、壁に押しつけられた」としている。最近、ネパールの移民労働者が、 « daiyo kanguku »(代用監獄)というシステムの犠牲になっている。一時的な拘留のことで、23日間まで拘留することができる。そのあいだ容疑者は、充分には弁護士に接見できない。「それは国際的な基準をすべて無視している」と、アムネスティ・インターナショナル日本支部の事務局長である若林秀樹は説明する。「職権濫用をし、嘘の証言だってさせる。警察は容疑者を執拗に攻撃し、白状させようとする。こんにちは肉体的拷問はおそらくないであろうが、心理的な不自由さや圧力はある。もし14時間、15時間と同じ質問をされると、あなたは最後には屈してしまうでしょう」。マイナリの共同間借り人の一人は、 « daiyo kangoku »[代用監獄]を経験した。彼は、いかにして警察が彼に、殺人と盗みを友人にかぶせることを強要したかを語った。3ヶ月におよぶ「心理的な拷問」を受け、もし彼が協力しなかったら監獄行きだぞと脅されて、ついに屈して、偽の調書づくりに応じた。このような自白は、今も死刑がおこなわれている日本においては、取り返しのつかない結果を招く。
11月の初め、弁護士、死刑に反対する活動家、NGOの連合組織が、司法システムの改革の要求を裏付けるために、いくつかの共通した例証をあげた。1968年4人を殺害したとして死刑を宣告された、袴田巌の例がそうである。司法官の一人は、袴田は20日におよぶ拷問と尋問の後に自白したことをついに認めた。彼は監獄での45年を経て、再審されるのを待っている。菅谷利和は、2012年に無罪となった。バスの運転手であった菅谷は、東京で少女を殺したとして刑を言い渡された。法廷が、DNA鑑定は間違いで、彼の証言も信用できないことを認めるまで、17年間が経過した。12月の初めマイナリは、日本の支援者に感謝の手紙を書いた。「監獄に入れられる無実の人は、私で最後にしてください」。
日本における死刑
2012年、日本当局は7人を絞首刑に処した。2011年には、死刑はおこなわれなかった。アムネスティ・インターナショナルによれば、日本には、約130名の未執行の死刑囚がいる。
「警察が、容疑者を尋問するあいだ白紙委任状をもつこと、容疑者を虐待することは容認しがたいことである」アムネスティ・インターナショナル
(転載終了)
日本の司法の酷さにEU議長国であるスペインが絶句した過去記事も、もう一度併せて記載しておきます。
●名張毒葡萄酒事件の速やかな再審開始を望みます
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-923.html
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