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今朝、知りましたが…
興味のある方は調べられてみては?(自分含む)
勝利至上主義とリンチ
今回の事件(大阪)での暴行は、30~40発、殴ったと言われている様ですが、これはもう個人的な怒りの矛先を弱い立場の生徒に向けた“リンチ”そのものであり、絶対に許されざる犯罪です。
学校での部活動は、あくまで教育の一環ですので、試合などで“負ける”ことも良い経験とすることも大切な筈ですが、部活動の監督や顧問は、学校の伝統や自分個人の功名心などを気にする余り、子供の人権・人格・尊厳等を歯牙にもかけない“リンチ”に走らせてしまうのではないでしょうか。
これからは、いかなる理由であれ、体罰〓犯罪は厳に禁止すべきであると考えます。
暴力で押さえつけられた子供は心に深い傷を負い、“面従腹背”の人間になってしまいます。
スポーツをすること
「スポーツは、健康によい。体の中で爽快さを感じるし、筋肉を強化し、呼吸器を発達させる。また気晴らしになる。そして努力し、根気よく続け、実力以上の力を出し、成功することを教える。チーム精神、参加の意識、勇気を育てる。ルールの尊重、他人の尊重、審判の尊重、そして誠実さといった価値を体験する。精神力を試し、敗北を快く受け入れることを教える。要するにスポーツは、身体、人格形成、気力にとって良く作用し、人生を美しくする」。
ヴァル・ドゥ・マルヌ県高等師範学校EPSの教授のひとりにインタビュー
情報
桑田真澄の修士論文の題です。指導教員は平田竹男。
この論文中でも鉄拳制裁の類いは明確に否定されてます。
ちなみに、早大大学院スポーツ科学研究科の、社会人一年制コースで最優秀賞を受けたそうです。
体罰の会 理事・顧問名簿
あってはならない“軍隊式しごき”と“蟹工船”…
jeanvaljeanさん…、やはり、時代錯誤の日本の教育現場の惨澹たる病理的現状を目のあたりにするたびに、jeanvaljeanさんが、日頃ご指摘されてみえる通り、フランスでの公民教育などを見倣い、日本に於いて、低学年から民主主義教育・人権教育を徹底しなければならないなぁ…と痛感します。
>ASさん…
桑田真澄氏は、Eテレの“手話ニュース”で、この体罰に関連しコメントしてみえました…、氏曰く『日本のスポーツ界は、フィジカルトレーニングなどの科学的進歩は目を見張るものがありますが、体罰などの精神論がまだまだ幅を効かしているのは、マイナスにほかなりません。この悲しい残念な事件を無駄にしない為にも、広く国民的議論をして頂きたいものです。』と、高い見識に裏打ちされた見解を述べられてみえました。
わたしは、中日ドラゴンズの大ファンなんですが、(笑) 落合満博前監督は、チーム内での暴力行為を、厳に禁止しました。裏を返せば、プロ野球の世界でも暴力が横行していたことが想像できます。落合満博氏自身も、高校時代、野球部で先輩らから理不尽な暴力行為を日常的に受け、トラウマになったそうです。
企業内でのパワハラも同様ですが、暴力行為を容認する日本社会の風土は、徹底的に是正しなければなりませんね。 未来ある子供を自殺に追い込む体罰はただちに根絶すべきでしょう。
戦後68年も経ったにも拘らず、未だ“軍隊式しごき”と“蟹工船”が残っている日本社会を恥辱と受け止める感性を大切にしたいものです。
一番大事なことを置き去りにしていませんか
今の時代、自殺をタブーにしたらダメです。
命を天秤で計られるものなどありません。
権力者を殴り返せ!
子どもが理不尽な権力上位の者の暴力にとことん無力なのは、“反撃のことば”を知らないからだ。その“反撃のことば”は簡単明瞭で「権力者を殴り返せ!」である。権力をかさに卑怯にも殴り始めたのは奴らであるから、殴り返すのは100%正しい。体力的には劣るが、有効な反撃の一発と逃げ足で勝てる可能性が十分ある。一人でも勝機はあるが同志を集めれば、なお勝機は高まる。
さて子ども鼓舞しておいて、じゃあ大人はどうかというと、
自分の子どもは殴るが、会社ではパワハラにも隠忍自重という大人も多いのだ。要するに子どもを殴る大人では世の中の不条理に戦えないということだ。もちろん子どもを殴らないし、
世の中の不条理に戦えない大人もいるわけだが・・・。
問題をスポーツに限定すれば、スポーツという楽しみに、軍隊を持ち込んだ奴らの罪は重い。そう高校野球をみれば一目瞭然、未だに「戦争をする髪型」=丸刈りで野球をやっている。映画『バッテリー』で主人公が言う――「丸刈りにして球は速くなりますか?」」。
そしてプロ野球――。
大の大人が島岡軍隊野球の後継者=星野仙一のような老人に殴られても反撃もしないプロ野球のような特殊の例もあるが、大リーグでは事情が違う。
▼R・ホワイティング『ボブさんの誰にも書けないベースボール事件簿』(阿部耕三・訳、角川文庫)「メジャー日本人監督の条件」より――
(引用者・注:長谷川滋利・イチローらの候補者をあげたあと)
ヒデキ・マツイ?彼は「ナイス・ガイすぎる。選手が彼の人柄のよさにつけ込むだろう」
メジャーから絶対お誘いのかからない監督に星野仙一氏の名前があがった。 ESPNの記者が記者がこういった。
「彼が選手をよく殴ることを知っている。しかし、彼がメジャーでそんなことをしたら、最初の一発をお見舞いした直後に、ボコボコにされて病院送りになるだろう。アメリカの選手は、それがたとえ新人でもそうした『シット』(糞)を我慢しない。それが日米の違いなんだ」
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権力をかさに暴力をふるう糞野郎にはあらゆる意味で反撃する。これをしなければ、日本低国には何の未来もない。
◆星野氏熱血メモ
☆愛のムチ 監督として中日時代は中村や立浪、阪神時代は矢野らに対して鉄拳も辞さなかったとされる。詳細は不明ながら相手は主力級が多く、期待の裏返しだった。
☆乱闘 中日監督1年目の87年5月3日の中日―広島戦で、タッチプレーをめぐり両軍ベンチ総出の乱闘劇に。広島・伊勢コーチともみ合い、自身初の退場処分を受ける。同年6月11日の中日―巨人戦では、死球を受けた巨人・クロマティが中日・宮下に暴行。これには王監督に拳を突き立て怒りを示した。
☆審判にも 2000年5月6日の中日―横浜戦で、立浪への投球の判定をめぐり、橘高球審に体当たりし退場処分に。5日間の出場停止と制裁金50万円の処分を受けた。
▼上官への反逆~星野仙一、自衛隊、皇軍・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/henatyokokakumei/34314355.html
「体罰は必要悪」と認めなければ勝利を得られない競技など、止めてしまえばいい
毎日新聞 1月14日(月)13時35分配信
大阪市立桜宮高校2年の男子生徒(17)が男性教諭(47)から体罰を受けた翌日に自殺した問題は、子を持つ親にとって無関心ではいられない。
当の教諭も体罰を認めているが、まだ学校から体罰はなくなっていなかった。さらに、一部では体罰を認めてしまう風潮が残っていた。
私も小中高校時代、教師から「愛のムチ」をもらった世代だ。
びんたやげんこつは当たり前。私が通った高校は自転車乗車時、ヘルメットの装着を義務付けていた。
けれど、夏は蒸し暑く、下校途中にヘルメットを外した。
そこへ教師が車で通りがかった。「おい、降りろ」。自転車から降りたその瞬間、公道の道ばたでびんたをもらった。問答無用だった。
これを含めて振り返ると、びんたをされるほど悪いことをしたのかなと思うことがある。
私と同世代の50代、もう少し上の60代の皆さんならば、びんたを経験したことのない級友を見つけることの方が珍しいのでは。
教師という大人が児童や少年を相手にするのだから、怒られる根拠を示し、言葉で諭せばいいだけのことなのに。やられた方は、今も覚えている。
体罰ではないが、試験の成績が悪かったり、校内掃除で手を抜いたりすると、腕立て伏せや校庭を何周もさせられたり、放課後に何百行もの漢字の書き取りを命じられたことは懐かしい。
愛のこもったびんたやげんこつならばその後、同じ問題であとを引きずることはなかった。
これで「スパッ」と決着。教師がその後もこちらを追い詰めることはなかった。
こちらも教師を恨んだり、根に持つことはなかった。まして、親に「先生にびんたされた」なんて、言うことなどなかった。
愛のムチは痛かったが、教師の気持ちもこちらに伝わっていたし、痛みの加減を考え、人生の先輩としての思いが込められた“一発”だったからだ。<下関・三嶋祐一郎>
〔下関版〕
1月14日朝刊
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130114-00000125-mailo-l35
何か引っかかるどころか、違和感しか有りませんね。
憲法改正の是非を本質的に論じないメディアが、都合の良い時だけ軍の陋習を推奨するのは、本心では家長制度等に見られる戦前の支配構造の復活を願っているのでしょうか。
「愛のムチ」と言えば許される?暴力に訴えなければ部下を従えない人は、指導者として無力であり、失格です。
「お父さんに打たれたよ〜助けて〜(ノД`)シクシク」
「お父さんだって貴方を殴りたかった訳無いじゃないの。改心して欲しくて心を鬼にしたのよ。これ以上お父さんを悲しませたくなかったら悪いことは止めて、言う通りにしなさい」
「お父さん、僕が悪かったよ。お父さんの『愛のムチ』で目が覚めたよ。お父さんがどんな思いで僕を打ったかを考えたら、自分が情けなくなった。本当にゴメンナサイ。叱ってくれて有難う。これからはお父さんの言う通りにするよ。」
「分かってくれれば良いんだ、我が息子よ。お父さんもお前を殴った時は心が痛かったぞ。こんな事は二度と無いようにしてくれ。」
めでたしめでたし