ちょっといい話
- 2012/12/12
- 08:00
たまにはちょっといい話をご紹介。ツイッターで見つけました。
一服の清涼剤にして下さい。
一服の清涼剤にして下さい。
夫は若い時(1970年代後半)、フランス、イギリス、ドイツ、スウェーデン、フィンランドに数ヶ月滞在し、当時ソ連のシベリア鉄道に乗って日本に戻って来た。
— nakanemisaさん (@asimasik) 12月 3, 2012
ソ連は当時、共産圏で、日本では「冷たいイヤな国」というイメージだった。今考えると、そのイメージは完全にアメリカからの洗脳なんだけど
— nakanemisaさん (@asimasik) 12月 3, 2012
当時のソ連は共産圏以外の人間が出入りすることはほとんどない地だ。シベリア鉄道に乗るとき、彼は簡単なロシア語会話の本で、挨拶の言葉だけ覚えた。隣にはガタイのよい青年が座っていた。みんな珍しい外国人を気にしてるようだが、誰も話しかけてこない
— nakanemisaさん (@asimasik) 12月 3, 2012
彼は思い切って隣の青年にロシア語で挨拶してみた。そのとたん青年は堰を切ったように話し出した。「ロシア語話せない」と彼が言うと「車掌が英語を話せるから連れてくる!」と言う。そして「この車両に乗ってるの全員、ボクの親戚なんだ!紹介するよ!」と言うと車両中の人が集まってきたw
— nakanemisaさん (@asimasik) 12月 3, 2012
車両中の人が「よく来た!」と口々に歓迎し、一斉に彼に向かって喋りだしたそうだ。ロシアの人はものすごく人懐っこく、おしゃべり好きで世話好きだったそうだ。当時、テレビやニュースで入ってきていた情報とはまったく違った。実際に人と人が知り合わないとダメなんだと彼は思ったそうだ
— nakanemisaさん (@asimasik) 12月 3, 2012
でしょ〜w 欧州滞在中にもいろんな国の人と知り合ったそうだよ。北欧がやっぱり当時から進んでて面白かったみたい。いろんな国の人が滞在していて、そこで中東の人とも友達になったって。それ以来、中東で戦争がはじまると他人事とは思えなくなったそうだよ。 @miyahaaata
— nakanemisaさん (@asimasik) 12月 3, 2012
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