海外では日本の右傾化を懸念する報道がなされていることは以前エントリ-でも触れたと思いますが、
中央日報も11/23の社説「極端な右傾化に走っていく日本政治」の中で「日本の右傾化現象は最近10数年間ますます激しくなっている。~最近の日本政界と社会の右傾化傾向はすでに元に戻しにくい線まで来ている」と指摘しています。
橋下・石原組のようなマッチョ&ファッショな人間が躍り出ることが出来るのも、社会が極端に右傾化しているからです。そうでなければ橋下氏のようなクルクル王子は、とてもでないけどタレントから政治家へ転身などできなかったでしょう。
今ある現状を今だけで解釈しようとしてはダメ、今までに積み重なってきた歴史の上で解釈しないと本質は見えてこない。
これは社会科学を学ぶときに教えられる基本です。
過日に小森陽一先生の講演を聴く機会がありました。
何故橋下、石原のような「第三極右」が跳梁跋扈するようになったのか、それを大局的な視点から分析されていましたので、その部分のお話の要旨をまとめてみたいと思います。
うまくまとめられるか自信はありませんが・・・(^^;
今の日本は「核を保有し徴兵制を敷く」と言ってもマスコミに批判されないどころか、そういう人間が総選挙を乗っ取っている。
太陽の党と橋下がくっつくかくっつかないか。
そんなのくっつくに決まってるのにすったもんだ気を持たせて視聴者の気を引く。
政局報道はまるで芸能人のワイドショー、こういう報道は自分で是非を考えさせないようにする報道だ。
マスコミはもちろん計算尽くでやっている。
この選挙は日本の有権者がこういう報道に騙され、改憲したがってる復古的な国家主義者に権力を渡してしまうしまうかどうかの「天下分け目」だ。
今の動きを歴史の中で押さえることが大事。
石原というのはナショナリズムを煽りながら対米従属をとる政治家。
彼はわざわざオスプレイ配備の時を狙って尖閣問題を煽った。
今年は沖縄返還40周年、日中国交回復40周年。
沖縄変換時まで尖閣諸島は米軍が使っていたが、変換時にはわざと尖閣諸島がどこに属するかについては曖昧にして火種を残しておいた。
そしてアメリカが自国では訓練でも飛ばせない危険なオスプレイを日本に配備しようというときに、石原が尖閣問題で中国への反感を煽り「オスプレイは必要でしょ」と。
石原は、偶然ではなく計算して煽動を行った。
マスコミもトヨタその他の企業は石原に損害賠償を起こしても良いくらいの経済的ダメージを受けたのに、そういうことは報道しない。
日本のマスコミは決して本質を報道しない。
イラク戦争開戦の時、「集団的自衛権」が口実に使われた。
国連憲章は2条で先制攻撃を禁じている。
イラクはアメリカまで届くミサイルを持っていない。もしイラクが核をもっていてもアメリカがイラクに攻撃されることはない。でも同盟国のイギリスなら射程範囲内。
だから
「イラクは同盟国であるイギリスに武力攻撃が可能。これを自国への武力攻撃と見なし(見なし武力攻撃)、それに対する集団的自衛権を先制行使する」
という滅茶苦茶なこじつけを行ってイラクを攻撃した。これは国連憲法に違反している。
これがアメリカが日本に求めてる「集団的自衛権」の正体だ。
今年アーミテージは共和党、民主党、超党派で対日政策は変わらないことを宣言。なおも改憲(or解釈改憲)して集団的自衛権を容認するよう求めて続けている。
今の国民生活には憲法改正など必要とも思われないのに、この選挙でやたら改憲を争点にもって来たがるのはこの流れから。
(※私補足:ちなみに秘密保全法もアメリカの要請です)
石原が齢80の老体にむち打ってわざわざ橋下の露払いをし、助け船(維新の支持率は落ちていた)を出したのは改憲を押し通し集団的自衛権を押し通し、アメリカの要求に応えるため。
維新が新しい「第三極」を装うやり方は、実は1993年に行われた総選挙をモデルにしている。
1990年の湾岸戦争で、世界はアメリカの腰巾着である日本は当然戦争に出てくるモノだと思っていた。
しかし日本の自衛隊は9条があるから行けなかった。
それまで9条を知ってる国など皆無に近かったが、皮肉なことに湾岸戦争がきっかけで日本の憲法9条は世界に知らしめられることになった。
なのでアメリカは「show the flag!」「金だけ出して人を出さない」と激怒。つよく自衛隊派遣を求める。
自民党幹事長だった小沢氏は当時の海部総理に自衛隊派遣を迫り、1992年には自衛隊を海外派遣するPKO法案を通した。
アメリカは多党制の日本に「民主主義の墓場」と言われる二大政党制を望んでいた。二大政党制は、どちらに転んでもアメリカ、財界の方を向く体制だからだ。
(※私補足:こちらの過去記事を参考に)
二大政党制にするためには小選挙区制が必要。
小沢氏、海部氏は小選挙区制を導入しようとしたが小泉氏らが猛反発、海部内閣は総辞職に追い込まれた(海部おろし)
そこで小沢氏は1993年自民党を割って出て、新党を作った。鳩山氏も。
反自民、非共産という「新党ブーム」
人々はそれこそ「新しい第三極」に期待した。
結果、改憲(集団的自衛権を認める)を掲げた新党が政権をかっさらった。
そうして誕生したのが細川政権。
そこで小沢氏は、リクルート事件を利用して「政治にこのような汚い金がつきものなのは中選挙区制で金がかかるせい」というすり替えを行って1994年、細川内閣下で小選挙区制、政党助成金、政治資金規正法を通した。
こうしてアメリカが日本に望んだ二大政党制に向けての布石が整った。
この小選挙区制導入がこの後の日本の民主主義を大きくゆがめる元凶となった。
日本の右傾化の出発点はここにある。
その延長上にいるのが現在の橋下、石原という極右政治家達。
そして今、橋下石原はこの細川政権誕生時の総選挙のモデルを真似ている。
この小選挙区制がどれだけ民主主義を痛めつけてきたことか。
小選挙区制が大政党に有利に民意をゆがめる、民主主義実現には害悪が大きい選挙制度であることは当ブログでも何度か触れていますし、
上脇先生のブログで大変丁寧に述べられています。
この90年代初頭の「政治改革」(私は「改革」とは呼びたくないのですが)の結果、日本の政治や人々の意識がどれほど歪んでしまったかを広原盛明先生が適切に書かれています。
◆
広原盛明のつれづれ日記菅政権のダッチロール(その10)、日本の政策転換・政権交代は長い過渡期を必要とする
http://d.hatena.ne.jp/hiroharablog/20101230/1293694851
(引用開始)
それから20年、日本の政治経済社会の構造改革の進展はまさに一瀉千里だった。1994年の衆議院小選挙区制導入と2年後の実施を契機にして革新政党の議席数が激減し、保守2大政党化が一気に進んだ。1990年代半ばから財界の「構造改革シナリオ」が公然と姿を現すようになり、経済同友会の『新しい平和国家をめざして』(1994年)、日本経団連の『魅力ある日本の創造』(豊田ビジョン、1996年)、日本経営者団体連盟の『新時代の「日本的経営」―挑戦すべき方向とその具体策』(1996年)などが相次いで打ち出された。
それ以降、連合も保守政党も財界のシナリオ通りに動いてきた。民間大企業労組や公務員労組から国会に送りだされた連合を母体とする衆参両院議員は、一致結束して財界の要求を実現するための手先となった。そして民主党による「政権交代」はその仕上げだった。
だが長年、企業社会・企業主義的社会統合のなかで生きてきた国民には、この「構造改革の本質」がよく見えなかった。だから連合の支持する民主党に幻想を持ち、民主党があたかも「政策転換」の担い手であるかの如き錯覚を抱いた。そして現在に至るもその錯覚状態は解消されず、いまだに「出口」が見えないままいたずらに失望感と閉塞感だけが掻きたてられている。
国民の錯覚が深刻な状況にあることは、民主党に対する失望と怒りが革新政党の伸長につながらないことにもあらわれている。政策上の混迷や民主党との野合によって社民党が低迷していることはそれなりに理解できるが、政策提起に筋を通しているはずの共産党が、世論調査でわずか1~3%の「泡沫政党」の水準から脱皮できないことは理解に苦しむ。
(引用ここまで)
小森先生のお話、広原先生のブログから、今の日本の右傾化の元凶が1990年代初頭に仕込まれていたことに頷くばかりです。
日本は二大政党制を目指したけど、結局完全な二大政党制には至りませんでした。
国民は二大政党である自民もダメ、民主もダメ、と辟易して無党派層が増えています。
だからその無党派層の票を「新しい第三極」を装った橋下氏達に集め、アメリカ様、財界様が自民や民主に期待した壊憲(とあえて書きます)を遂行しようとしているのでしょう。
かつての細川政権誕生に手を貸した「新党ブーム」の時のように。
1990年代初頭ではPKO参加にも世の中は大騒ぎするくらいでした。
もう少し前の中曽根内閣では、教科書検定でアジアへの「侵略」を「進出」に書き換えただけで大騒ぎでした。
このころはまだ民主主義的感覚は今より遙かに健全だったと言えます。
しかし今はどうでしょうか。
PKOどころか、明白に違憲である徴兵制導入がおおっぴらに語られ、自衛隊を「国防軍」に、などと自民党が言い出してもマスコミはさらりと報道するだけで社会的な強い批判も起こらない始末。
そして従軍慰安婦などなかったという明かな歴史捏造を総理大臣自ら表明したり、「日本国憲法は無効で大日本帝国憲法が現存する」「日本国憲法は占領憲法で国民主権という傲慢(ごうまん)な思想を直ちに放棄すべきだ」などという妄想レベルの与太話を大まじめに主張する政治家が衆院選に立候補する有様。
「侵略」を「進出」に言い換えたことが社会問題となったころとは隔世の感があります。
そうして1990年初頭から20年あまりたった2012年現在、「日本の政治に必要なのは独裁だ」と公言してはばからない小ヒトラーのような政治家をマスコミが持ち上げ、人々は「何かやってくれそう」という根拠のない幻想に期待する「お任せ民主主義」に至り、
こんな世論調査結果がでるようになったのです。
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