コメント
ご批判は承知ながら
わたしは、9条を改定して「国防軍」を持つ、核武装の可能性も排除しないというのなら、同時に徴兵制、それも、良心的兵役拒否を一切認めない形での例外なき徴兵制も導入すべきだ、と思っています。
理由はたった一つ。
徴兵制なしで軍備を持つ場合、国外に派兵する場合に、歯止めがかからなくなる虞れがあるからです。
「戦争に参加するのはいいが、最前線で蜂の巣にされたり、手足もがれてのたうちまわりながら死ぬのは、お前の息子だぞ」というのが、戦争に対する世論を喚起する数少ない有効な手段だと考えます。
その前提として民主主義と基本的人権、特に言論の自由が十分に確保されていなければなりませんが。
イラク戦争のときに、米下院で戦争反対の論陣を張ったチャールズ・ランゲル議員(民主党)は、同時に強硬な徴兵制復活論者であり、その理由として、「身内が戦場に送られる可能性があれば、政策決定者は一層慎重に考える」としています。有権者にしても、自分の身内が戦場に送られる可能性があることに思い致せば、やはり慎重にならざるを得ないでしょう。
もちろん、わたし個人は、9条改悪も、核武装も、いずれも亡国の所業であり、断固反対ですが、どうしても改憲の動きを押しとどめられないなら、徴兵制導入を主張するべきだと思っています。
理由はたった一つ。
徴兵制なしで軍備を持つ場合、国外に派兵する場合に、歯止めがかからなくなる虞れがあるからです。
「戦争に参加するのはいいが、最前線で蜂の巣にされたり、手足もがれてのたうちまわりながら死ぬのは、お前の息子だぞ」というのが、戦争に対する世論を喚起する数少ない有効な手段だと考えます。
その前提として民主主義と基本的人権、特に言論の自由が十分に確保されていなければなりませんが。
イラク戦争のときに、米下院で戦争反対の論陣を張ったチャールズ・ランゲル議員(民主党)は、同時に強硬な徴兵制復活論者であり、その理由として、「身内が戦場に送られる可能性があれば、政策決定者は一層慎重に考える」としています。有権者にしても、自分の身内が戦場に送られる可能性があることに思い致せば、やはり慎重にならざるを得ないでしょう。
もちろん、わたし個人は、9条改悪も、核武装も、いずれも亡国の所業であり、断固反対ですが、どうしても改憲の動きを押しとどめられないなら、徴兵制導入を主張するべきだと思っています。
> Sha Wujingさん
まぁ、なんというか、それは極論すぎますね。ただ、言いたいことは分かります。でもって、やはり、それよりも何よりも「戦争で蜂の巣になるのは、どこかの子どもだったり、親だったりするんだぞ」と説得する政治家の方が好感が持てる気がします。国民を人質に「さぁ、それでも戦争するか?」というのは暴力的かと……。
まぁ、なんというか、それは極論すぎますね。ただ、言いたいことは分かります。でもって、やはり、それよりも何よりも「戦争で蜂の巣になるのは、どこかの子どもだったり、親だったりするんだぞ」と説得する政治家の方が好感が持てる気がします。国民を人質に「さぁ、それでも戦争するか?」というのは暴力的かと……。
それなら
「徴兵」で開戦とその拡大を防ぐなら、戦争絶滅請合法を制定するのが正解ですよ。
「戦争行為の開始後又は宣戦布告の効力の生じたる後、10時間以内に次の措置をとるべきこと」「即ち下の各項に該当する者を最下級の兵卒として召集し、出来るだけ早くこれを最前線に送り、敵の砲火の下に実戦に従わしむべし」
1、 国家の元首。但し君主たると大統領たるとを問わず。もっとも男子たること。
2、 国家の元首の男性の親族にして16歳に達せる者。
3、 総理大臣、及び各国務大臣、並びに次官。
4、 国民によって選出されたる立法部の男性の代議士。但し戦争に反対の投票を為したる者は之を除く。
5、 キリスト教又は他の寺院の僧正、管長、その他の高僧にして公然戦争に反対せざりし者。
上記の有資格者は、戦争継続中、兵卒として召集さるべきものにして、本人の年齢、健康状態を斟酌すべからず。但し、健康状態に就ては召集後軍医官の検査を受けしむべし。
以上に加えて、上記の有資格者の妻、娘、姉妹等は、戦争継続中、看護婦又は使役婦として招集し、最も放火に接近したる野戦に勤務せしむべし。
高橋哲哉さんは、「重要なのは彼らが最前線に送られるだけでなく、「最下級の兵卒として」送られること。命令を発する者としてでなく、国家の命令すなわち上官の命令に従わせられるだけの捨て駒として送られるということです。そんなことになっていたら、戦争はまず起こりえない。さらに、宗教指導者の次に、6軍需産業の経営者および戦争で儲けることになるあらゆる「死の商人」、とでも付け加えれば、完ぺきではないでしょうか」と説明してますが、メディアや有識者で戦争賛成した人々と親族も加えてあげましょう。また有資格者の妻、娘、姉妹等は、将校よりも稼げるという日本人らしい仕事にも進んでついてくださることでしょうよ。
99%は、奴らの戦争のために1pℓだって血を流す義理はありません。
「戦争行為の開始後又は宣戦布告の効力の生じたる後、10時間以内に次の措置をとるべきこと」「即ち下の各項に該当する者を最下級の兵卒として召集し、出来るだけ早くこれを最前線に送り、敵の砲火の下に実戦に従わしむべし」
1、 国家の元首。但し君主たると大統領たるとを問わず。もっとも男子たること。
2、 国家の元首の男性の親族にして16歳に達せる者。
3、 総理大臣、及び各国務大臣、並びに次官。
4、 国民によって選出されたる立法部の男性の代議士。但し戦争に反対の投票を為したる者は之を除く。
5、 キリスト教又は他の寺院の僧正、管長、その他の高僧にして公然戦争に反対せざりし者。
上記の有資格者は、戦争継続中、兵卒として召集さるべきものにして、本人の年齢、健康状態を斟酌すべからず。但し、健康状態に就ては召集後軍医官の検査を受けしむべし。
以上に加えて、上記の有資格者の妻、娘、姉妹等は、戦争継続中、看護婦又は使役婦として招集し、最も放火に接近したる野戦に勤務せしむべし。
高橋哲哉さんは、「重要なのは彼らが最前線に送られるだけでなく、「最下級の兵卒として」送られること。命令を発する者としてでなく、国家の命令すなわち上官の命令に従わせられるだけの捨て駒として送られるということです。そんなことになっていたら、戦争はまず起こりえない。さらに、宗教指導者の次に、6軍需産業の経営者および戦争で儲けることになるあらゆる「死の商人」、とでも付け加えれば、完ぺきではないでしょうか」と説明してますが、メディアや有識者で戦争賛成した人々と親族も加えてあげましょう。また有資格者の妻、娘、姉妹等は、将校よりも稼げるという日本人らしい仕事にも進んでついてくださることでしょうよ。
99%は、奴らの戦争のために1pℓだって血を流す義理はありません。
> Sha Wujingさん
お気持ちはわかります。
わたし自身、ネットやテレビやあるいは論壇誌などで中国、あるいは韓国、朝鮮を「叩きのめせ」といっている人たちを見ていると「こいつら自分や家族は死なないと思って好き勝手言ってんなぁ」と思ったことは何度もあります。
韓国では徴兵制があることが、朝鮮との間で緊張関係にあっても抑制的な世論を形成する一因になっているという説もあるようですし(もちろんそれが全てではないでしょうが)、多くの(庶民と呼ばれる)人たちは「わが子や家族が戦地に送られて死ぬかもしれない」となれば、そうそう勇ましい事ばかりも言ってられないでしょう。
ただ、本当に例外なく「良心的兵役拒否も認めない徴兵制」ができたとしても富裕層やあるいは政治家の子女は、「軍隊内の配置」という局面において優遇されるでしょう。
要するに富裕層や与党政治家の子ども達は後方の事務職(当然戦死する確率は低いです)などにまわされ、それ以外の子ども達だけが危険な前線送りになる…などという事が起こりえます。
この点についてはLさんご紹介の「戦争絶滅請合法」を同時に採用すれば防げるでしょうけども、ただ政権が本気で開戦を強行してしまえば「慎重な世論」など吹き飛んでしまうのではないかという懸念はあります。
あと、わたしがより強く危惧するのは「家族や友人が死ぬかもしれないので慎重になる」現象が、本当に日本でも起こるだろうかということです。
実際この国には「前科」があるわけです。「現人神」を絶対の頂点とする、「空気」の象徴される「鵺のようなファシズム」で、死を美徳とし、戦時法さえ守らず、周辺各国と自国の膨大な人たちの命を奪ったという「前科」です。家族の死を悲しむ事さえ公には許さず、あるいは本気で死を誇りにしていたのがこの国です。
そんな国で拒否不能の徴兵制はそれこそ「戦時の一体感」を強化する事にしかならないような気がします。
裁判員制度導入の時と同じですね。あの時は「国民の司法への参加」が謳われましたが、徴兵制の時には「国民の防衛(絶対に軍事とは言わないでしょう)への参加(あとは「責任ある」という文言も加わりそう)」とでも言うんじゃないでしょうか。
お気持ちはわかります。
わたし自身、ネットやテレビやあるいは論壇誌などで中国、あるいは韓国、朝鮮を「叩きのめせ」といっている人たちを見ていると「こいつら自分や家族は死なないと思って好き勝手言ってんなぁ」と思ったことは何度もあります。
韓国では徴兵制があることが、朝鮮との間で緊張関係にあっても抑制的な世論を形成する一因になっているという説もあるようですし(もちろんそれが全てではないでしょうが)、多くの(庶民と呼ばれる)人たちは「わが子や家族が戦地に送られて死ぬかもしれない」となれば、そうそう勇ましい事ばかりも言ってられないでしょう。
ただ、本当に例外なく「良心的兵役拒否も認めない徴兵制」ができたとしても富裕層やあるいは政治家の子女は、「軍隊内の配置」という局面において優遇されるでしょう。
要するに富裕層や与党政治家の子ども達は後方の事務職(当然戦死する確率は低いです)などにまわされ、それ以外の子ども達だけが危険な前線送りになる…などという事が起こりえます。
この点についてはLさんご紹介の「戦争絶滅請合法」を同時に採用すれば防げるでしょうけども、ただ政権が本気で開戦を強行してしまえば「慎重な世論」など吹き飛んでしまうのではないかという懸念はあります。
あと、わたしがより強く危惧するのは「家族や友人が死ぬかもしれないので慎重になる」現象が、本当に日本でも起こるだろうかということです。
実際この国には「前科」があるわけです。「現人神」を絶対の頂点とする、「空気」の象徴される「鵺のようなファシズム」で、死を美徳とし、戦時法さえ守らず、周辺各国と自国の膨大な人たちの命を奪ったという「前科」です。家族の死を悲しむ事さえ公には許さず、あるいは本気で死を誇りにしていたのがこの国です。
そんな国で拒否不能の徴兵制はそれこそ「戦時の一体感」を強化する事にしかならないような気がします。
裁判員制度導入の時と同じですね。あの時は「国民の司法への参加」が謳われましたが、徴兵制の時には「国民の防衛(絶対に軍事とは言わないでしょう)への参加(あとは「責任ある」という文言も加わりそう)」とでも言うんじゃないでしょうか。
徴兵談義再び+9条の積極活用
皆さん、ご意見ありがとうございます。
もう少しだけ、「悪魔の代弁者」を続けさせて下さい。
AGENさん
そうです。私見は暴力的な極論です。しかし、9条改悪を支持する人の割合が世論調査でも半数に届こうという現状では、犬に杖を振り上げるような真似もやむを得ません。わたしはそれくらい危機感を抱いています。
60年余年間、戦争が画面の向こう側だけの世になって、国民の多くが、9条のありがたみを忘れています。
Lさん、観測霊さん
政財界幹部の子弟が徴兵逃れをしたり、応召後にも「配慮」があることは、わたしも想定済みです。それでもかまいません。
「例外なく」と言った趣旨は、一般の人々、市井の庶民が徴兵されて前線で戦死・戦傷することにあります。つい先月まで、チャラチャラした格好で大学に遊びに行っていたその辺の青年が、手足を失って帰ってきたり、骨のかけらだけ骨壷に収まって帰ってくる、そういう現実を庶民の目の前に提示する必要があるのです。
また、日本人が「その場の空気」に流されてしまう可能性があることも、十分に承知しております。この点も、考慮の上で言っております。
先の大戦では、国家が、あらかじめ市民の目と耳を塞ぎ、手足に鎖をつけてから、戦争開始を決定しました。普通選挙権は治安維持法と引き換えにようやく認められました。報道にも出版にも「票読み一つ間違えない」と恐れられた特高警察の検閲を経る必要がありました。最初から不完全な民主主義で、言論の自由もなく、戦争の意思決定がされたのです。だから、戦後も日本国民は無反省で居られた。
しかし、今は違います。報道管制も敷いていませんし、報道機関の「自粛」に対しては、インターネットという次の網があります。普通選挙は完全に実施され、誰が誰に投票したのかは、警察でも無条件に知ることは法律上できません。国民は自分の意思で情報を享受し、自分の意思で投票する相手を決めることができます。
したがって、これから先、憲法が改定され、戦争ができるようになり、実際に戦争が起きた場合、今度ばかりは、弁解も泣き言も通用しません。「空気」だとか「世論誘導」だとかは関係ありません。空気に反する自由はあるのですし、世論誘導に従う義務はないのですから。戦場で木っ端微塵になっても、核ミサイルで国まるごと焦土と化しても、それは、すべて日本国民の(彼らの好きな言葉で言えば)自己責任です。
「うちのおとうちゃんが戦争で死んでしもた〜」と言う人には、「それは、『トールちゃ〜ん』『ジュンちゃ〜ん』とか言って彼らに投票した、あなたの望んだ結果でしょ」という返答が待っています。
そういう事態にならない限り、もう日本国民は日本国憲法が自分たちにもたらした恩恵も戦争のない社会のありがたみも分からないのではないか、わたしにはそう思えてならんのです。
以上は現状のあまりのひどさに半ばやけっぱちになった末の考えですが、その怒りは護憲派でない日本国民に向けられたものです。
では、わたし自身を含めて護憲派には反省すべき点はないのでしょうか。
あります。
それは、9条を有効に活かせていなかったことです。
9条は単に「わたしたちは武力行使しないから、そっちも武力は使わないでね」とかいう、そんな媚び諂いの考えに根ざしたものではありませんし、そうではあってもなりません。むしろ、武力を行使できないように、相手の行動をコントロールする。さらに、たとえば、積極的に国際紛争の解決に乗り出して行く。最低限、双方が血を流し合う事態だけは回避するように、日本人自らが行動して紛争当事者双方に働きかけをする。こういうことも必要です。
もちろん、こうしたことは容易にはいきません。日本の経済力、技術力、外交交渉力などを高めて、世界の誰もが「日本の言うことを聞いておいた方が得策だ」と思うようにすることが必要です。そのためには、エリートの養成と、国民教育の底上げを同時に行わなければなりません。国民自身も非常な努力を強いられます。エリートとされた人は、単身紛争地帯に乗り込んで当事者双方の銃火の間にその身を割りこませることも必要になるかもしれません。
しかし、日本国民は9条を自らの法としたときから、この苦行をあえて受け入れたのです。それこそが、国の平和と繁栄を真に確保するものだと。
では、わたしたちは、そういう努力を十分に今までしてきたでしょうか? 残念ながら、不十分と言わざるを得ません。
今までの政府は、9条を継子扱いしてきたのですから、国にそういうことを期待できなかったのは当然とも言えます。もちろん、良いことではありませんが。
民間も同様です。9条を守り、活かすための努力は決して十分とは言えなかった。
これからも9条を維持し、それを平和と繁栄の法とするのであれば、わたしたちは積極的に9条を活用する方途を模索しなければならないのではないかと考えます。
スローガン的に言えば、「『守りの9条』から『攻めの9条』へ」です。
護憲勢力には、今までこうした視点が希薄だったと思います。これからはそうはいきません。改憲(壊憲)勢力は隙あらば日本国憲法を、もちろん9条も、攻撃してきます。しかも、世論を楯に取って。わたしたちは、その動きに断固抗しなければなりません。
もうちょっと具体例を挙げて話を進めたかったのですが、衆院選が公示されましたので、政党名やら政治家の名前を出すことは公選法に触れる虞れがあります。抽象的・観念的になってしまったこと、ご容赦を。
もう少しだけ、「悪魔の代弁者」を続けさせて下さい。
AGENさん
そうです。私見は暴力的な極論です。しかし、9条改悪を支持する人の割合が世論調査でも半数に届こうという現状では、犬に杖を振り上げるような真似もやむを得ません。わたしはそれくらい危機感を抱いています。
60年余年間、戦争が画面の向こう側だけの世になって、国民の多くが、9条のありがたみを忘れています。
Lさん、観測霊さん
政財界幹部の子弟が徴兵逃れをしたり、応召後にも「配慮」があることは、わたしも想定済みです。それでもかまいません。
「例外なく」と言った趣旨は、一般の人々、市井の庶民が徴兵されて前線で戦死・戦傷することにあります。つい先月まで、チャラチャラした格好で大学に遊びに行っていたその辺の青年が、手足を失って帰ってきたり、骨のかけらだけ骨壷に収まって帰ってくる、そういう現実を庶民の目の前に提示する必要があるのです。
また、日本人が「その場の空気」に流されてしまう可能性があることも、十分に承知しております。この点も、考慮の上で言っております。
先の大戦では、国家が、あらかじめ市民の目と耳を塞ぎ、手足に鎖をつけてから、戦争開始を決定しました。普通選挙権は治安維持法と引き換えにようやく認められました。報道にも出版にも「票読み一つ間違えない」と恐れられた特高警察の検閲を経る必要がありました。最初から不完全な民主主義で、言論の自由もなく、戦争の意思決定がされたのです。だから、戦後も日本国民は無反省で居られた。
しかし、今は違います。報道管制も敷いていませんし、報道機関の「自粛」に対しては、インターネットという次の網があります。普通選挙は完全に実施され、誰が誰に投票したのかは、警察でも無条件に知ることは法律上できません。国民は自分の意思で情報を享受し、自分の意思で投票する相手を決めることができます。
したがって、これから先、憲法が改定され、戦争ができるようになり、実際に戦争が起きた場合、今度ばかりは、弁解も泣き言も通用しません。「空気」だとか「世論誘導」だとかは関係ありません。空気に反する自由はあるのですし、世論誘導に従う義務はないのですから。戦場で木っ端微塵になっても、核ミサイルで国まるごと焦土と化しても、それは、すべて日本国民の(彼らの好きな言葉で言えば)自己責任です。
「うちのおとうちゃんが戦争で死んでしもた〜」と言う人には、「それは、『トールちゃ〜ん』『ジュンちゃ〜ん』とか言って彼らに投票した、あなたの望んだ結果でしょ」という返答が待っています。
そういう事態にならない限り、もう日本国民は日本国憲法が自分たちにもたらした恩恵も戦争のない社会のありがたみも分からないのではないか、わたしにはそう思えてならんのです。
以上は現状のあまりのひどさに半ばやけっぱちになった末の考えですが、その怒りは護憲派でない日本国民に向けられたものです。
では、わたし自身を含めて護憲派には反省すべき点はないのでしょうか。
あります。
それは、9条を有効に活かせていなかったことです。
9条は単に「わたしたちは武力行使しないから、そっちも武力は使わないでね」とかいう、そんな媚び諂いの考えに根ざしたものではありませんし、そうではあってもなりません。むしろ、武力を行使できないように、相手の行動をコントロールする。さらに、たとえば、積極的に国際紛争の解決に乗り出して行く。最低限、双方が血を流し合う事態だけは回避するように、日本人自らが行動して紛争当事者双方に働きかけをする。こういうことも必要です。
もちろん、こうしたことは容易にはいきません。日本の経済力、技術力、外交交渉力などを高めて、世界の誰もが「日本の言うことを聞いておいた方が得策だ」と思うようにすることが必要です。そのためには、エリートの養成と、国民教育の底上げを同時に行わなければなりません。国民自身も非常な努力を強いられます。エリートとされた人は、単身紛争地帯に乗り込んで当事者双方の銃火の間にその身を割りこませることも必要になるかもしれません。
しかし、日本国民は9条を自らの法としたときから、この苦行をあえて受け入れたのです。それこそが、国の平和と繁栄を真に確保するものだと。
では、わたしたちは、そういう努力を十分に今までしてきたでしょうか? 残念ながら、不十分と言わざるを得ません。
今までの政府は、9条を継子扱いしてきたのですから、国にそういうことを期待できなかったのは当然とも言えます。もちろん、良いことではありませんが。
民間も同様です。9条を守り、活かすための努力は決して十分とは言えなかった。
これからも9条を維持し、それを平和と繁栄の法とするのであれば、わたしたちは積極的に9条を活用する方途を模索しなければならないのではないかと考えます。
スローガン的に言えば、「『守りの9条』から『攻めの9条』へ」です。
護憲勢力には、今までこうした視点が希薄だったと思います。これからはそうはいきません。改憲(壊憲)勢力は隙あらば日本国憲法を、もちろん9条も、攻撃してきます。しかも、世論を楯に取って。わたしたちは、その動きに断固抗しなければなりません。
もうちょっと具体例を挙げて話を進めたかったのですが、衆院選が公示されましたので、政党名やら政治家の名前を出すことは公選法に触れる虞れがあります。抽象的・観念的になってしまったこと、ご容赦を。
仮に徴兵制が敷かれたとして
Sha Wujing さんありがとうございます。とても勉強になります。私もよく思います「こいつら自分たちの家族が死なない限り、反省しないのでは」と。あるいはまわりの空気に流されて「改憲する必要がある」「中国をどうにかしないと」とか言う人に対して。
「日本は民主主義的で平和な国なんだから、こういった国が韓国や中国に指導してあげなきゃ」みたいな意見を聞いたこともあります。正直、失笑物でしたが。
しかし、仮に徴兵制が敷かれたとして、徴兵された男たちは、はたして最前線に出されるのだろうか? こういう疑問があります。もちろん、第二次世界大戦のような「一億玉砕!」な局面にまで行けば、話も変わるでしょうが、局地的な紛争、平時であれば、徴兵された軍はいわば、予備軍に回され、もともと自衛隊(改憲されたら国防軍になるのかな)にいた精鋭達が最前線に行くなんてことになるのではないでしょうか。記事にもありました通り、徴兵された素人が前線に行くのは、今ではかなり効率の悪いことだと僕は思います。
で、私が一番危惧しているのは、この予備軍が「特高警察」ナチスでいう「突撃隊」のような存在になるのではないか? ということです。国民が戦争反対を唱えるデモを行っていれば、真っ先に駆けつけて、鎮圧する。そんな仕事をさせられるのではないか……と。今、在特会がやっているようなことを国ぐるみでやれるのではないか。
こうなると身内は息子が死ぬという心配はしなくなるのではないでしょうか。
攻めの9条という言葉。確かにそうだと思います。今までひたすら受け身受け身で、右の人間の攻撃を流してきたように思えます。9条を生かすならば、「9条が変えられたときのこと」を考えるべきなのでしょうか。9条をいかにして生かすかを考えるべきと思います。
文が乱れてしまってすみません……。
でもお気持ちよくわかります。「ならば、ぞんぶんに殺しあうがいい。それが望みならば!」というとあるSFアニメの悪役の言葉が浮かびました……。
「日本は民主主義的で平和な国なんだから、こういった国が韓国や中国に指導してあげなきゃ」みたいな意見を聞いたこともあります。正直、失笑物でしたが。
しかし、仮に徴兵制が敷かれたとして、徴兵された男たちは、はたして最前線に出されるのだろうか? こういう疑問があります。もちろん、第二次世界大戦のような「一億玉砕!」な局面にまで行けば、話も変わるでしょうが、局地的な紛争、平時であれば、徴兵された軍はいわば、予備軍に回され、もともと自衛隊(改憲されたら国防軍になるのかな)にいた精鋭達が最前線に行くなんてことになるのではないでしょうか。記事にもありました通り、徴兵された素人が前線に行くのは、今ではかなり効率の悪いことだと僕は思います。
で、私が一番危惧しているのは、この予備軍が「特高警察」ナチスでいう「突撃隊」のような存在になるのではないか? ということです。国民が戦争反対を唱えるデモを行っていれば、真っ先に駆けつけて、鎮圧する。そんな仕事をさせられるのではないか……と。今、在特会がやっているようなことを国ぐるみでやれるのではないか。
こうなると身内は息子が死ぬという心配はしなくなるのではないでしょうか。
攻めの9条という言葉。確かにそうだと思います。今までひたすら受け身受け身で、右の人間の攻撃を流してきたように思えます。9条を生かすならば、「9条が変えられたときのこと」を考えるべきなのでしょうか。9条をいかにして生かすかを考えるべきと思います。
文が乱れてしまってすみません……。
でもお気持ちよくわかります。「ならば、ぞんぶんに殺しあうがいい。それが望みならば!」というとあるSFアニメの悪役の言葉が浮かびました……。
自分がいけば
Sha Wujing
若者に押し付けないで自分がいけばいい。
腕がなくなり体の一部がなくなること。考えたことあるか?
実際地獄みたら人に行けなんていえなくなるから。
若者に押し付けないで自分がいけばいい。
腕がなくなり体の一部がなくなること。考えたことあるか?
実際地獄みたら人に行けなんていえなくなるから。
からてさんとやらへ
人の話を聞かない者と議論をするつもりはない。時間の無駄だし、わたしもそこまで暇ではないので。
わたしからあなたに言うことはそれだけです。
わたしからあなたに言うことはそれだけです。