もうすぐ衆院選、そして東京都知事選です。
東西バカ殿に突っ込みたいことは山ほどありますがそれは垂れ込み部屋に譲ることとして、意外に取り上げられていない大事な報道をメモしておきます。
2008年に死刑執行された飯塚事件が冤罪であったことがまた一つ強く疑われる新たな事実が判明しました。
これ、大変なことだと思います。
飯塚事件と言えば足利事件とほぼ同時期に起こった事件で、足利事件で用いられたと同様のDNA鑑定方法で有罪とされ、死刑を言い渡された事件です。
この頃DNA鑑定はまだ始まったばかりで精度も低く、足利事件のDNA鑑定結果は間違っていたことが証明されたため、菅谷さんは再審無罪を勝ち取りました
飯塚事件で用いられたDNA鑑定も足利事件と同じMCT118鑑定であり、この鑑定は足利と同時期に、科警研のほぼ同メンバーで、同技術を使って行われました。しかも飯塚事件の鑑定は、足利事件以上に精度が落ちるものだったそうです。
ですから飯塚事件のDNA鑑定結果の信憑性にも疑問が持たれるのが普通でしょう。
ところが足利事件のDNA再鑑定が報道された一週間後、森英介法相死刑執行を命じ、久間さんは死刑執行されてしまいました。判決から二年という異例の早さです。しかも久間三千年さんは逮捕から一貫して無実を訴え続け、再審準備中であったのに。
これは死刑執行することによってこの問題ある事件を闇に葬ろうとしたのではないかと疑われています。
(
http://www.nichibenren.or.jp/activity/criminal/deathpenalty/q12/enzaiiizuka.html参考)
こちらもとても参考になります。
◆Because It's There
「飯塚事件」再審請求へ~旧鑑定に依拠した死刑判決であったのに、なぜ死刑執行したのか?(東京新聞平成21年6月5日付「こちら特報部」より) そして最近、冤罪の疑いがますます強くなる新たな事実がわかりました。
中日新聞(2012/11/14 朝刊)から記録しておきます。
特報
決めて写真に不自然な加工
既に死刑執行「飯塚事件」
再審弁護団指摘 別人?DNA型プリントせず
1992年に福岡県で起きた「飯塚事件」で、冤罪解明につながるかもしかもしれない新たな疑惑が明らかになった。死刑が確定、執行された久間三千年(くまみちとし)・元死刑囚の再審請求弁護団が、有罪の決め手となったDNA鑑定の写真に不自然な加工があることを発見したのだ。東京電力女性社員殺害事件など再審無罪が相次ぐ中、「死刑は間違いだったのでは」との声が高まっている。
「まさかこんなふうに手が加えられているとは思わなかった。科学どころか、改ざんとしかいいようがない」。一審の途中から久間三千年死刑囚の弁護人となり、現在は再審弁護団の岩田努弁護士(67)は憤る。
事件は92年2月に起きた。福岡県飯塚市で七歳の小学一年女児二人が登校途中に行方不明となり、翌日、遺体となって山中で見つかった。福岡県警は二年半後、久間三千年死刑囚を逮捕した。しかし、久間死刑囚は一貫して無罪を主張し、一度も自白しなかった。犯人直接結びつく証拠が乏しい中、DNA鑑定が有罪の決め手となった。
この鑑定には大きな疑問符がついている。警視庁科学警察研究所(科警研)が実施したが、ほぼ同じ時期に同様の手法でDNA鑑定した足利事件は、再鑑定で誤りが判明した。
足利事件が再審に向けて動き出した2008年、久間死刑囚の死刑が10月に執行された。70歳だった。東京高検が当時の鑑定の不正確さを認め、足利事件で再鑑定を前提とした意見書を出した、わずか二週間後のことだった。
「飯塚事件の当時はDNA型鑑定を導入したばかりで、精度が低かった。それに加えて、検察側が出した科警研の鑑定書の写真が改ざんされていたことがわかった」と岩田弁護士は指摘する。
問題となったのは、犯人のものとされる血液のDNA型を示す証拠写真。この写真のネガフィルムを、岩田弁護士は法廷で見たことがあった。だが、「ネガを照明にかざしてちらっと見せられる程度で、写真との比較は無理だった」。
弁護団は再審請求で、照会のためネガの取り寄せを福岡地裁に求めた。今年九月、弁護団がネガを複写し専門家に分析を依頼。すると、写真は、ネガの全体ではなく一部だけを焼き付けたものだとわかった。
科警研の鑑定が正しければ、被害者と元死刑囚のDNA型しか出てこないはず。ところが、ネガの、写真には写っていない部分に、第三者の可能性が高いDNA型が写っていた。
もうひとつ不自然なのは、科警研が、ネガでは確認できるDNA型を、写真では見えなくなるように暗く焼き付けていたことだ。ネガの、写真にははっきり写っていない部分を分析すると、被害者のDNA型が写っている部分から、なぜか元死刑囚のDNA型が見つかった。「科警研が不都合な画像を隠そうとしたのだろう。鑑定そのものの精度に疑いが生じた」(岩田弁護士)
証拠保全意識低く
福岡地検は「書面のサイズの問題で、一部を切り取っただけ。ネガも証拠提出しており。改ざんではない」と反論する。しかし九州大法科大学院の田淵浩二教授(刑訴法)は「鑑定書を正確に作成しないこと自体、ゆるされることではない」と批判する。
そもそも、この事件ではDNA型鑑定以外に犯人と結びつく物証がなかった。目撃証言の不自然さや、血液鑑定の信憑性など、弁護側は裁判で数々の疑問点を指摘していた。
一審の死刑判決も、間接証拠について「どれを検討しても、単独では被告人を犯人と断定できない」と認めていた。「だからこそ、DNA鑑定が、裁判所の心証形成に大きく影響したのは間違いない」(田淵教授)
死刑執行後の再審請求はこれまで例がなく、再審開始への壁は高い。
「今回ネガで見つかった別人の可能性があるDNA型について、今後、別の専門家が検証した結果によっては事態が動くかもしれない」
最近の再審無罪の事件では、DNA鑑定がカギになっている。足利事件では、無期懲役で服役した菅谷利和氏のDNA型が、
犯人の型と一致しないことが再鑑定でわかった。再鑑定できたのは、被害女児の下着に体液が残されていたからだった。東電女性社員殺害事件では、検察側が新たに証拠開示した被害者の爪にあった皮膚片を鑑定し別人の型が出てきた。
しかし飯塚事件では、犯人の遺留物の試料は捜査時に「使い切った」ことになっている。岩田弁護士は「残っている可能性はある。科警研の実験では試料をどのように消費したのか、経過がはっきりしない」と話す。弁護団は実験ノートや他の写真、ネガなどの証拠開示を求めている。福岡地裁も検察側に「他の試料や実験ノートが残っていないか調査するように」と勧告した。
龍谷大法科大学院の石塚伸一教授(刑事法)は「再鑑定できるシステムを整備しなければ、科学鑑定とは言えない」と指摘する。日本では二年前にようやく「再鑑定に備え、DNA型鑑定に使った証拠の一部を冷凍保存せよ」と警視庁が指示した。法的義務はない。
海外はどうか。例えば米国では、もともと「再現できない鑑定には証拠能力を認めない」という裁判所の慣行があった。ロースクール(法律家養成専門学校)などの学生や教授が無償で事件の調査や弁護をする冤罪救済活動「イノセンス(無実)・プロジェクト」が92年から開始。00年以降はDNA鑑定で有罪が覆るケースが続き、約三百人の無実が証明された。
04年には、捜査機関から物証提供を受けてDNA鑑定を求める受刑者の権利が連邦法に明記された。複数の州で、事件と関係のある「生物学的物質」を保存するよう法で義務づけているという。
日本で主に事件の科学鑑定を実施するのは、警察庁の付属機関である科警研と、各都道府県警に設置されている科学捜査研究所(科捜研)。石塚教授は「科学者と言うより捜査機関の一員で、警察に不利なデータは出さない可能性もある。第三者機関を設立して鑑定をすべきだ」と話した。
戦後、死刑確定後に再審無罪となったのは免田事件など4件だけ。最近続く再審無罪事件は有期刑や無期懲役のケースばかりだ。飯塚事件が冤罪だったとしたら、死刑制度の存否にもかかわる取り返しのつかない問題となる。執行直前の08年9月、弁護士らが面会した久間元死刑囚は、「いよいよ無実が証明できる」と再審に向けて意気軒昂だったという。
DNA鑑定が唯一と言って良い有罪の証拠だったのですから、もう確定判決に合理的な疑いが生じたと言っていいのではないでしょうか。
白鳥決定に従えば再審を開始していい段階だと思います。
どうか裁判所は一刻も早く再審開始決定して真実を明らかにしてほしいと切に願いますが・・・もしかしたら裁判所は意地でも開始決定を出さないかも、と悲観的になったりもします。
無辜の民を死刑に処してしまったとなれば、これまでの再審無罪のケースとは異なり、自分たちの威信に遙かに大きいダメージを受けるでしょうし、何より、国が死守しようとしている死刑制度が揺らぎかねないからです。
(
イギリスでは、冤罪で無実の人間を死刑にしてしまったことがきっかけで死刑が廃止されました)
近年、足利、布川、東電OLと、たて続けに大きな冤罪が再審無罪となりました。そして今、既に死刑執行された飯塚事件も冤罪であった可能性が非常に高くなってきました。ですから今度の衆院選挙でも、冤罪防止のために取り調べや裁判手続きを定めた刑事訴訟法改正や、死刑の是非が争点の一つになってもいいと思うのです。
憲法改正だか憲法破棄だか、大日本帝国への憧れを実現するために壊憲ごっこを争点に持ってくるより、遙かに現実に即した問題提起だと思うのですが、決してそうはなりません。
これは冤罪や無実の人が死刑になったかもしれないことに国民的な関心が高くないせいもあるのでしょう。
私はそれを悲しく思います。
先にご紹介したブログ「Because It's There」で、春霞さんはこう述べていらっしゃいます。私も同感です。
国連は、「死刑廃止は世界のすう勢」「執行停止こそ廃止への一歩」と位置づけているにも関わらず、死刑相当事件ではなぜだか冤罪に無頓着で、死刑執行に対して熱狂して歓迎する多数の日本市民がいます。
(死刑を肯定し、被害者感情をことさらに感情的に伝える報道機関の後押しがあるとはいえ、)こうした日本の市民の姿勢こそが、冤罪の可能性も残る中で、執行してしまう法務省を許してしまったように思えるのです。
私たちは、冤罪を他人事にしてはいけないと思います。
そして、無実の罪で人が死刑になるかもしれないし、現実になったかもしれないことに無関心であってはいけないと思います。
それは、飯塚事件だけではなく他の冤罪事件の再審の扉も閉ざすこと、これまで同様冤罪を生み続けることにも繋がるでしょう。
もし無実の久間さんが処刑されたことが明らかになっても「死刑についての国民的議論」が巻き起こらないなら、一体何があったら「死刑についての国民的議論」が巻き起こるというのでしょう?
この国では国民的関心が巻き起こるのは公務員バッシングや生活保護バッシングだけなのでしょうか?
日本は国連人権理事会の理事国に選ばれたそうですが、私も村野瀬玲奈さん同様
「日本国はまず日本の人権状況の改善から始めなさい」と強く思います。
冤罪防止のため、国連人権理事会や人権諸団体から勧告されている取り調べ可視化や代用監獄の廃止に早急に取りかからなければ、
無辜の民が死刑になったかも知れないことの真実を一刻も早く明らかにしようとしなければ、
そして無辜の民が死刑になったかも知れないことから、死刑の是非を国民的に議論しなければ、
一体日本のどこか「国連人権理事会の理事国」なのか、ちゃんちゃらおかしいと乾いた笑いしか出ません。
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