コメント
右と左が手を組む国
マスコミは政府の命令で国民を煽っているだから「増税に反対するな」です
最近では「医療制度を減らせ」とあの頃とは真逆の報道
社会保障があまりに少なすぎて国連に叱られても報道しない
掲示板でネトウヨに「受給者は在日」と煽っているのも記者でしょうね
こんなことを指摘すると右翼から「チョン」左翼から「マスコミを疑うな陰謀論者」と罵られますが
そもそも日本軍やナチスの虐殺を煽っていたのはマスコミだったということを揃って無視していますね
「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング
中国の新聞の「記事書き換え」を報道する日本のマスコミの鈍感ぶり
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-4032.html
(引用開始)
日本のマスコミは自民党や英語名日本王政復古党(自称日本維新の会)から出てくる反民主的な動きを宣伝するかのようにそのまま報道し、批判的な視点で報道することが非常に少なく、自民党の改憲の企てのように政治の民主化に逆行する動きを批判する動きも鈍いです。日本の新聞記者たちの少なくない者たちは、政治の民主化を求めるどころか自分と取り巻きの利益のために政治の民主化縮小を求めるかのような報道をしています。つまり、日本では国家当局が報道の中の民主化希求の動きを妨害する必要すらないのではないでしょうか。
さらに言えば、日本の報道機関の多くは、消費税のことにせよTPPのことにせよ何にせよ、政府の政策を事実にもとづいて批判する力が弱いです。政府、広告代理店、報道機関などが「報道ムラ」を形成していて、「村の掟」には逆らえないのだと考えられます。
さらに、日本では、政府が報道に介入しようとする時に、報道人たちが一丸となってストなり抗議なりすることはほとんどと言っていいほどありません。
(引用ここまで)
●外国人ジャーナリストが驚いた日本メディアの惨状
http://archive.is/LJfI
(引用開始)
日本の大メディアは、エリートが支配している階級の中に入っているということです。東大、慶応、早稲田出身でみんなが同じバックグラウンドと価値観を持っている。みんな官僚に同情的で、彼らの側に立ってしまうのです。
3.11の時、この面をはっきり見たと思います。本当に監視役になっていたのなら、「フクシマは大丈夫だ」「メルトダウンはない」という記事は書かなかったのではないでしょうか。もっと厳しい記事が書けたと思います。それができなかったのは、彼らが政府と距離を保っていないからです。
大メディアは、政府と対峙することなく、国民に対峙する報道をした。私はこの点を痛烈に批判しました。大メディアが報道していたことが間違いだとわかったのは、何カ月も経ってからです。監視役としてみるなら、日本の大メディアは落第だったと思います。でも、メディアを監視役ではなく、システムの一部としてみるなら、起こるべくして起こったことだと言えるでしょう
(中略)
日本のメディアはダブルスタンダードに陥っています。人種偏見に基づく事件が、海外で起きた場合は報じるのに、自国で起きた場合は報じません。海外で起きた出来事にも、日本国内で起きた事件にも、同じ尺度を当てはめるべきです。日本のメディアは、ひょっとしたら、みずからがダブルスタンダードであることを意識していないのかもしれません。本来は日本社会の暗い面も報道するべきですが、それを隠す傾向にあります。
もっと自分の足で取材して、調査報道をやってほしいと思います。貧困問題も同じです。日本の貧困問題は深刻です。こういう面をきちんと報道しないのはジャーナリズムの機能不全です。
――日本のメディアについて、特に変わってほしいと思うのはどの面ですか。
ファクラー:メディアのスタンスですね。大メディアは、本当の意味で監視役の役割を果たすべき時が来ています。日本にいる人は、もっと正確な情報を知る必要があります。今メディアがやっていることは明治時代から変わっていません。日本社会全体にチャレンジするような、代替メディアも生まれていません。能力はあるのに、とても残念なことです。
(引用ここまで)
http://kobajun.chips.jp/?p=6770
【『福島の50人のサムライに会いたい?! 残念ながら、それは…』】
「心ある人々」に背を向け、権力におもねる日本のマスコミ
自分も権力の側にいるつもり?! だから正しい現実認識の役には立たない、日本の大手各社の報道
エコノミスト 10月8日
かつて『フクシマの50人(のサムライ)』として、制御を失い暴走を続ける原子力発電所を相手に、命を危険にさらしながら事故に立ち向かった福島第一原発の緊急作業要員に対し、日本政府が感謝の意を表明するまで、18ヶ月という時間がかかりました。
しかし10月7日、野田首相が遅ればせながら改めて正式に感謝の意を伝えたとき、一方では何か奇妙な空気があたりを支配していました。
その場にいた8人の緊急要員のうち、6人までが取材のためその場にいたテレビカメラに背を向け、写真に撮られることを拒否しました。
そして誰に対しても、野田首相に対してすら、一切自分たちの名を明かすことをしませんでした。
これら緊急時に働いた人々は、福島第一原発の事故に関わり合ったことで、その子供たちや孫たちなどがいじめの対象になることを恐れ、自分たちの名を明かしたくなかったのだという事を、政府側も東京電力側も暗に認めました。
しかし、別の推察も成り立ちます。
国有化されたばかりの東京電力が、これ以上評判を落とすことを恐れて、彼らの口を封じている可能性があります。
私が自分の名刺を差し出しながら作業要員の人たちの口から直接、彼らなりの見方について話が聞けるかどうか尋ねたところ、明らかにいらだった様子の東京電力の社員が強い口調でこう答えました。
「できません!」
福島第一原発の事故について様々に検証を受けることにより、これ以上不都合な事実が次々に明らかになったのでは、日本政府も、東京電力もたまったものではありません。
まず挙げなければならないのは、事故発生後、第一線で事故処理に取り組んだ作業員の献身的姿勢と、経営を担当していた役員層の偽善的姿勢との、あまりに明らかな違いです。
当時東京電力の会長だった勝俣恒久氏のことを(日本にとって幸いなことに、今は退任していますが)思い出してください。
今年始め、勝俣会長は国会の証言の場で、自分は悪くない、悪いのは自分以外の全員であると、誰かまわず冷然と批判しました。
勝俣会長が経営する会社に忠誠を誓い、命がけで事故と戦った人々は、事故を起こし、その収束が進まないことを恥じて、その身を隠そうとしているのに、です。
日本政府の一部の人間が、現場で命がけで敢然と働いた人々と、後方にあって私利私欲のことばかりを考えていた、臆病な人間とをきちんと区別して扱わなかったことで、現場で戦った人々は著しく不利な位置に追いやられてしまいました。
公平な市民目線において、この2者を混同すべきではありません。
2010年にチリで起きた、33人の鉱山労働者が行動に閉じ込められた事件では、両者の違いははっきりしていました。
すなわち、仲間同士支え合いながら闘った英雄と、安全対策を怠っていた避難されるべき経営層。
しかし、日本では両者を切り離して評価することはありませんでした。
この点について、日本政府のある職員がこう語りました。
「これがアメリカだったら、『フクシマの50人』は大統領によって直接、ローズガーデン(ホワイトハウスにある庭園)に招待されたことだろう。」
しかし日本の現実は違います。
野田首相の訪問の後ですら、命がけで働いた男たちがふさわしい扱いを受けることはありませんでした。
日本の共同通信社は彼らが語ったあらゆる話を、汚染の除去に関するありきたりな、どうでもいいような退屈な話にしてしまったのです。
しかし日本ではたった一紙、英字新聞のジャパン・タイムスが、8人のうち2人にしか話を聴くことが出来なかったことについて言及はしませんでしたが、当時の恐怖に満ちた彼らの体験の一部を今日に伝えています。
野田首相に話したときと同様、彼らは決して自分たちを英雄扱いはしませんでした。
語るところは、とにかく恐怖に苛まれていたことだけのようにも受け取れます。
一人は2011年3月11日、津波によって全電源喪失に陥った際、
「これでもう、すべてが終わりだ…」と思ったと語りました。
もう一人は、メルトダウン寸前の原子炉一基の電源を何とか回復させるため、高圧電量の感電の危険を押して、真っ暗な現場にスタッフを送り込んだ際のことについて話してくれました。
彼は部下の一人に、作業向かう人間が生きて戻れると思っているのか、と尋ねられたと言います。
そのような状況の下、彼らは作業に向かったのです。
この会見について伝えた日本の報道において、見出しに現れたのは『フクシマの50人』ではなく、野田首相だけでした。
こうした報道のおかげで、野田首相は現場で戦った人々について通り一遍の認識しか持っていなかったにもかかわらず、国民の側からある程度の評価を得ることになりました。
「あなた方の献身的取り組みに感謝します。おかげで『私たちは』日本を危機から救い出すことが出来ました。」
これこそ現代日本の、悲劇的側面の一つです。
日本の報道は常に権力の側に立ってものを考え、ほとんどの場合、正しい現実認識の役には立ちません。
フクシマの最前線で懸命に働いた男たちは、頭を垂れさせられたまま、事件の片隅に追いやられようとしています。
彼らの懸命の作業については、そこに誰がいたのかも明らかにされる事が無いまま「その他大勢」として扱われ、最後には忘れ去られる運命にあります。
http://www.economist.com/blogs/banyan/2012/10/japans-nuclear-disaster
『わが意を得たり!』というのが、この記事を読み終えた、いや、翻訳し終えた後の感想です。
世界標準の『報道』とは、権力からも、市民感情からも一定の距離を置き、『知』を代表する立場で冷静な、しかし良心的な情報伝達をすることです。
しかし日本国内の報道、特に一部の大手テレビ局や新聞社の報道は、『権力者の腰巾着との謗り』を免れないと、英国の『知』を代表する良心的報道機関が批判しています。
今回の総選挙に関する、上記マスコミの報道には、良心どころか『大衆扇動』の臭いすら感じられます。
軍備の増強、憲法の改編、原発の是非、これらの問題は国民の生活の根幹にかかわる重要なことです。
それがまるで政党間ののレース予想の判断材料程度の扱いであり、これでは本当に『正しい現実認識の役には立たない』、まったくその通りです。
『猛省を求める』、そんな表現がありました。
しかし、彼らは反省するつもりなど無いでしょう。
本当の政治はどこにあるのか?!
それと同時に私たちは、
本当の報道はどこにあるのか?!
見極める必要があると思います。
Author:秋原葉月
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