一月ほど前になりますが、裁判員裁判の弊害を再認識した裁判を記録しておきます。
苦悩した裁判員 重責から解放され一様に安堵の表情
2012年12月05日
http://www.nnn.co.jp/news/121205/20121205010.html
「人一人の運命を決定しないといけないのは、本当に重い」-。裁判員の在任期間が75日間と過去2番目の長さだった鳥取連続不審死事件の裁判員裁判が4日、全日程を終え、裁判員と補充裁判員の任を解かれた経験者10人全員が記者会見に臨んだ。重責から解放され、一様に安堵(あんど)の表情を浮かべた一方で、重い刑を下したという負担をうかがわせた。
2件の強盗殺人について、検察側が死刑求刑、弁護側は無罪主張と対立。殺害を直接結び付ける証拠はなく、加えて被告は検察側の被告人質問に黙秘を貫いた。
「黙秘にはびっくりしたが、そのことでみんながいろいろな意見を交わすことができた」と補充裁判員を務めた女性。公判全日程で誰一人欠けることもなく、米子市の男性は「10人で力を合わせてやってきた。判決も自信を持っている」と胸を張った。
一方で、被告の人生を決定付ける判断に「つらかった」とも語った。会見中、言葉を詰まらせ、涙ぐむ姿もあり、「全員が葛藤してきた」と胸の内を語る補充裁判員だった会社員の女性。同じく補充裁判員だった20代の女性は「その判断を決めた責任を今後も持たないといけない」とかみしめた。
被告が肉声を発したのは、初公判の罪状認否と最終意見陳述での「私はやっていません」のみ。40代の男性は「自分がやっていないというなら、その根拠を言ってほしかった」と振り返り、米子市の男性は「無実なら黙秘は駄目だ」と話した。
長文ですがこちらの報道もリンク先でご一読ください。
●20代女性裁判員は「泣きながら帰った」 鳥取不審死・死刑判決でhttp://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121209/waf12120907000000-n1.htmⅠ.いくつか感じた事はありますが、私が最も絶句してしまったのは
裁判員が被告人の黙秘権を否定したことです。
黙秘権は憲法38条1項で保障された被告人の権利です
黙秘権を行使したことによって被告人に不利な心証形成をすることは許されません。それでは黙秘権が保障されたことにならないからです。
公判廷での黙秘権行使について判例も次のように述べています。ブログ『ム4ネタ[ム4]』さんから拝借しましょう。
2012-12-05 黙秘権
http://d.hatena.ne.jp/mu4neta/20121205
■[判例]黙秘を不利に扱えば被告人は弁解し根拠づける必要が生じ、国家権力対個人の不平等是正の理念を揺るがす。黙秘権は黙秘への社会的感覚を排した冷静な判断を求める。黙秘するのは真実だからという経験則があるならそれに基づく心証形成は禁止される(和歌山地判平成14年12月11日) #黙秘
■[判例]「被告人が(盗品の)入手経緯を説明しないという事情をもって被告人が犯人である方向に推認することは、被告人の黙秘を事実認定上被告人に不利に扱うことになり、これが許されないことは黙秘権の当然の理」として、有罪とした一審判決を破棄した事案(高松高判平成24年6月19日) #黙秘
しかるに裁判員は「自分がやっていないというなら、その根拠を言ってほしかった」「無実なら黙秘は駄目だ」と述べています。これは黙秘権の否定に他なりません。被告人の憲法上の権利を侵害した裁判なのではないですか?
黙秘権という言葉は知っていても、その意味を理解していないのが「市民感覚」です。こんな市民感覚で裁かれたらたまったものではありません。法を無視した人民裁判だと思います。
以前、もしどうしても裁判員裁判をしたかったら、刑事司法の理念や被告人の様々な権利に関する法教育は不可欠だと
書いたことがありますが、その思いを新たにしました。
「市民感覚」が危険であることをこちらの記事も示唆していますのでご一読ください。
●【焦点・FOCUS】精神鑑定の扱い迷走 裁判員裁判 質のばらつき一因 “素人感覚”議論の的ずれ(西日本新聞)http://www.nishinippon.co.jp/nnp/feature/2009/saibanin/kiji/kyushu/20090609/20090609_0001.shtml#Ⅱ.また、この裁判は情況証拠だけで有罪と判断されていますが、情況証拠のみで有罪認定する場合について注目すべき最高裁判例があります。
最高裁第三小法廷 2010年4月27日
「情況証拠によって認められる間接事実中に、被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていることを要するものというべきである」
「被告人が犯人であることを前提とすれば全ての事実が矛盾なく説明できる」だけでは足りず、
「被告人が犯人でないとすれば、合理的に説明することができない事実があること」が必要である、という最高裁のこの指針は「疑わしきは被告人の利益に」の鉄則により忠実に沿ったものです。
この最高裁の指針に沿った事実認定を行うのは、ある程度専門的な訓練を積まないと難しいと思います。
木嶋佳苗被告の事件も情況証拠だけで死刑判決を出した裁判員裁判でしたが、事実認定の専門的な訓練を積んでいない裁判員がちょっとやそっとで果たして出来るものなのでしょうか。
黙秘権も「疑わしき派被告人の利益に」も裁判員になってから初めて裁判官に教えてもらう付け焼き刃の知識しかない裁判員にできるものなのでしょうか。
私は非常に疑問に思います。
この裁判で、果たして裁判員は最高裁の指針に沿った事実認定が実際出来たのかどうかは、詳しい記録を見ていない私には判断できません。次の報道も参考にしてください。
●4日判決、鳥取連続不審死事件 「死刑」か「無罪」か悩む裁判員http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121202/waf12120212000001-n1.htmⅢ.このような慣れない認定作業を行わねばならないというのは裁判員にとって非常に大きな負担となります。ましてや被告人の命を奪う刑罰を科そうかどうしようかという事例です。本職の裁判官だって非常に苦しむ事案です。本件でも裁判員がどれほど辛い思いをしたかは先にご紹介した報道記事を読めば分かっていただけるかと思います。
そもそも何のために素人が情況証拠だけで裁くという高度に専門的な判断を行わせる必要性があるのか、という根本的な疑問があります。私には莫大な費用と精神的負担をかけてまでこんなことをする必要性が未だに全くわかりません。
ですが、ここで指摘しておきたいことは、人間は、共通の辛い体験をやり抜いたという達成感、連帯感が生まれた体験は、肯定的に捉えるようになりがちだということです。
そうすると裁判員経験者は、制度が始まる前抱いていた「こんな辛い思いを国家が一般市民に強いること自体がおかしいのではないか」という疑念を忘れ、裁判員制度が抱える様々な問題を不問に付したままこの制度を肯定するようになっていくのではないでしょうか。
●裁判員制度:経験者と意見交換 制度に肯定的−−地裁小田原支部 /神奈川http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20121024ddlk14040260000c.html●裁判員制度の運用等に関する有識者懇談会(第7回)議事概要http://www.courts.go.jp/saikosai/vcms_lf/808008.pdfこうして徐々に「統治主体意識」に絡め取られていくのです。
(「統治主体意識」について過去記事『
現代思想10月号より、裁判員制度を考えるー「司法はポピュリズムの暴風にさらされている』(1)に始まるシリーズを参考にしてください)
このツイートを再掲しておきましょう。
ヒソカ@hisokanakeiko
現代刑法は、罪人を、その罪以上に裁いてはならないというもの。しかし、最近は裁判員裁判で、ワイドショーのように、いや、魔女裁判のように裁きが行われている。死刑判決を出した裁判員が「達成感がありました」なんて言う。スポーツじゃないんだ。裁判は裁判員を満足させるためにあるんじゃない!
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