コメント
読みやすさに感動しました
秋原さんの書かれた部分、こういうことを、誰かが上手に書かなければ…と、思っていたのですが、主張、理由づけ、何より、それをとても読みやすく書いていることに、さすがだなあと感じました。
この問題、橋下氏は、彼の家族に対する被害を引っ張り出してきます。で、それが日本的?な問題点だなあと感じます。日本の近現代史もそうではないかと…。政治家や特高や軍による国民の人権侵害や戦争犯罪の問題、やはり、今生きている家族に対する配慮として、腫れものに触るようにされてきた部分もあるのではないかと…。戦後の公害などの問題もそうかもしれません。確かに、責任を取り、深く反省し、新たな生を歩もうとしている人の行く手を阻むようなことはあってはなりませんし、まして、その子どもたちを傷つけるようなことがあってはなりません。ただ、逆に言うと、それをしてしまうのが日本人?なのでしょうね。だから、日本的?な水に流すとかやさしさ?とかが求められるのでしょうね。
歴史修正主義者がまかり通るのも、同じところに原因があるように感じます。
この問題、橋下氏は、彼の家族に対する被害を引っ張り出してきます。で、それが日本的?な問題点だなあと感じます。日本の近現代史もそうではないかと…。政治家や特高や軍による国民の人権侵害や戦争犯罪の問題、やはり、今生きている家族に対する配慮として、腫れものに触るようにされてきた部分もあるのではないかと…。戦後の公害などの問題もそうかもしれません。確かに、責任を取り、深く反省し、新たな生を歩もうとしている人の行く手を阻むようなことはあってはなりませんし、まして、その子どもたちを傷つけるようなことがあってはなりません。ただ、逆に言うと、それをしてしまうのが日本人?なのでしょうね。だから、日本的?な水に流すとかやさしさ?とかが求められるのでしょうね。
歴史修正主義者がまかり通るのも、同じところに原因があるように感じます。
(元記事からハズレますが)軽くお笑いを
お久し振りです。未だ記事を読めずにいますが、『DNA』を誰が使ったのか、気になっていました…『週刊朝日』編集部のようですが…
では …… 『反原連のテーマ』(夢の中、「反核反原理」のヘルメットで忌野清志郎が唄っていました)
いきます!!
♪にぽんの原発世界一
ヒノマル掲げて原子力
行儀の良い子は原子力
御国のためです原子力
曲はタイマーズ『原発(大賛成)音頭』
http://m.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&client=mv-google&v=K2baSCycSWk&fulldescription=1
では …… 『反原連のテーマ』(夢の中、「反核反原理」のヘルメットで忌野清志郎が唄っていました)
いきます!!
♪にぽんの原発世界一
ヒノマル掲げて原子力
行儀の良い子は原子力
御国のためです原子力
曲はタイマーズ『原発(大賛成)音頭』
http://m.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&client=mv-google&v=K2baSCycSWk&fulldescription=1
全身ノンフィクション作家
週刊朝日関連ブログ記事http://s.webry.info/sp/u-yosihiro.at.webry.info/201210/article_10.html
作家 星野智幸(元産經新聞記者、小説の主人公の名前が「ノリコ」だったりする=皇室タブーに関わる)
『憎悪と復讐の政治学』http://hoshinot.k.asablo.jp/blog/2012/07/29/6525340
@hoshinotツィート
http://twtr.jp/user/hoshinot/
先の投稿「軽いお笑い」としましたが、福岡電気ホールで盛上っていた人の中にも大震災の犠牲者や福島原発事故の被害者もおられるだろうと思うと、笑えない。それでも変わらないこの国にぽんを考えると憂鬱になるのみ
作家 星野智幸(元産經新聞記者、小説の主人公の名前が「ノリコ」だったりする=皇室タブーに関わる)
『憎悪と復讐の政治学』http://hoshinot.k.asablo.jp/blog/2012/07/29/6525340
@hoshinotツィート
http://twtr.jp/user/hoshinot/
先の投稿「軽いお笑い」としましたが、福岡電気ホールで盛上っていた人の中にも大震災の犠牲者や福島原発事故の被害者もおられるだろうと思うと、笑えない。それでも変わらないこの国にぽんを考えると憂鬱になるのみ
玄関のドアを開けたら
ばらの花束が置かれていたような,そんな嬉しい気分です。
お帰りなさい。お待ちしておりました。週末にかけてたくさん投稿したのに,続いてしまってすいません。
W選前の新潮45?だったかでも,彼の出自は取り上げられ,地区の近くに住んでいた,お父さんが暴力団だった等の事実は,既に明らかになっていました。
その時,彼は「結構毛だらけ」と歯牙にもかけず,むしろ生まれを持ち出す相手の卑劣さを印象づけ,選挙に勝ちました。なのに今回は笑い飛ばさず糾弾しています。
なぜ?相手が朝日系という理由もあるかもしれません。前回は同和地区より暴力団の方に力点が置かれて書かれていたからかもしれません。でも,やはり,週刊朝日の今回の見出し文は酷かったんじゃないですか?
私はその点は,週刊朝日(の編集)に大きな問題があると思います。
事実を書いただけ(新潮45)でなく,それをある方向に持って行こうとする悪意が見出しに感じられた(週朝)という点。
佐野さんはルポでノンフィクション作品を書かれる方で,東電OL殺人事件でも,彼の関連書物を読むだけでゴビンダさんの無実がわかると言われたくらい優秀な作品を書かれているし,その優秀さが,彼の『(取材対象の)パーソナルヒストリーを解明する』という手法が,真相究明において的を外れたアプローチではないことを表していますが,対象がたまたま同和地区出身者で,あのような見出しが付いたことで,大方の読者が「あれはひどい」と思うようなことになってしまった(新潮45の時は事実だけだったので,問題にならなかった)。
教育現場にいた者としては,マスコミの一員である週朝があの見出しをつけたことで,傷つき悩む子もいるだろうし,またぞろ結婚差別などの問題が起こって来ないか,「学校で教えてることなんて,きれいごと」と思う子が出て来ないかも,とても心配です。過去に,担任として人権ロングで狭山事件を扱った時に,授業で当時の新聞の報道の酷さ(同和地区,同和地区出身者への偏見丸出しの見出し)を皆で読んで,その感覚の異常さに気づいてもらうという授業をしたことがあるのですが,その当時のその見出しと似ています。
また,教員のときの元同僚(複数)はたいへん怒っていて,組合や校長会が抗議してしかるべき事例だと言っています。
私は記事を実際には読んでないので,「記事の内容には,偏見に満ちたネガティブな決めつけはない」ことを確認したわけではありません。また佐野さんの同和地区への思想も知りませんので,記事内容ではなく,報道されている「見出し」に関する私見を言うことしか出来ませんが,見出し(ひいては週朝の編集)に問題はあったのは,確実すぎるくらい確実だと考えます。むしろ「あれはあかんやろー」という声が大きいので,ああ,そういう感覚がメジャーでよかったとも思ってしまいました。
ただ,秋原さんのエントリーの中の,元官僚さんの書かれた文は大変示唆に富む文章で…すごく考えさせられます。
でも今日はここまで。貴重な文献を紹介して下さり,ありがとうございました。
思いがけぬ花束の御陰で,週の始まりの仕事が楽しく始められそうです。お帰りなさ〜い。そして行ってきま〜す。
お帰りなさい。お待ちしておりました。週末にかけてたくさん投稿したのに,続いてしまってすいません。
W選前の新潮45?だったかでも,彼の出自は取り上げられ,地区の近くに住んでいた,お父さんが暴力団だった等の事実は,既に明らかになっていました。
その時,彼は「結構毛だらけ」と歯牙にもかけず,むしろ生まれを持ち出す相手の卑劣さを印象づけ,選挙に勝ちました。なのに今回は笑い飛ばさず糾弾しています。
なぜ?相手が朝日系という理由もあるかもしれません。前回は同和地区より暴力団の方に力点が置かれて書かれていたからかもしれません。でも,やはり,週刊朝日の今回の見出し文は酷かったんじゃないですか?
私はその点は,週刊朝日(の編集)に大きな問題があると思います。
事実を書いただけ(新潮45)でなく,それをある方向に持って行こうとする悪意が見出しに感じられた(週朝)という点。
佐野さんはルポでノンフィクション作品を書かれる方で,東電OL殺人事件でも,彼の関連書物を読むだけでゴビンダさんの無実がわかると言われたくらい優秀な作品を書かれているし,その優秀さが,彼の『(取材対象の)パーソナルヒストリーを解明する』という手法が,真相究明において的を外れたアプローチではないことを表していますが,対象がたまたま同和地区出身者で,あのような見出しが付いたことで,大方の読者が「あれはひどい」と思うようなことになってしまった(新潮45の時は事実だけだったので,問題にならなかった)。
教育現場にいた者としては,マスコミの一員である週朝があの見出しをつけたことで,傷つき悩む子もいるだろうし,またぞろ結婚差別などの問題が起こって来ないか,「学校で教えてることなんて,きれいごと」と思う子が出て来ないかも,とても心配です。過去に,担任として人権ロングで狭山事件を扱った時に,授業で当時の新聞の報道の酷さ(同和地区,同和地区出身者への偏見丸出しの見出し)を皆で読んで,その感覚の異常さに気づいてもらうという授業をしたことがあるのですが,その当時のその見出しと似ています。
また,教員のときの元同僚(複数)はたいへん怒っていて,組合や校長会が抗議してしかるべき事例だと言っています。
私は記事を実際には読んでないので,「記事の内容には,偏見に満ちたネガティブな決めつけはない」ことを確認したわけではありません。また佐野さんの同和地区への思想も知りませんので,記事内容ではなく,報道されている「見出し」に関する私見を言うことしか出来ませんが,見出し(ひいては週朝の編集)に問題はあったのは,確実すぎるくらい確実だと考えます。むしろ「あれはあかんやろー」という声が大きいので,ああ,そういう感覚がメジャーでよかったとも思ってしまいました。
ただ,秋原さんのエントリーの中の,元官僚さんの書かれた文は大変示唆に富む文章で…すごく考えさせられます。
でも今日はここまで。貴重な文献を紹介して下さり,ありがとうございました。
思いがけぬ花束の御陰で,週の始まりの仕事が楽しく始められそうです。お帰りなさ〜い。そして行ってきま〜す。
エントリー先読んでみましたが・・・
違和感ありますね。
この方中部関西地区に被差別部落差別はないと考えているんでしょうね。まだありますよ表に出ないだけ。逆差別を含めて。地名まで出す必要があるのかだろうか。
≪「ハシシタ」という表現も被差別部落を暗示していますが、橋下氏の家はもともと「はしした」さんだったのを読み方を変更したのです。≫
これって部落差別でしょう。
以前は在日朝鮮人の名前は日本語読みでした。今は朝鮮語読みです。在日が抗議したからですよね。朝日は中国人も、併記しているようです。http://blog.livedoor.jp/shimbunwatch/archives/20208101.html
今マスコミが在日を日本語読みしても問題視しないんかな?
相手が嫌がる読み方はやめたほうがよい。
それなら、石原知事のシナの呼び方も批判するのも変ですね。
この方中部関西地区に被差別部落差別はないと考えているんでしょうね。まだありますよ表に出ないだけ。逆差別を含めて。地名まで出す必要があるのかだろうか。
≪「ハシシタ」という表現も被差別部落を暗示していますが、橋下氏の家はもともと「はしした」さんだったのを読み方を変更したのです。≫
これって部落差別でしょう。
以前は在日朝鮮人の名前は日本語読みでした。今は朝鮮語読みです。在日が抗議したからですよね。朝日は中国人も、併記しているようです。http://blog.livedoor.jp/shimbunwatch/archives/20208101.html
今マスコミが在日を日本語読みしても問題視しないんかな?
相手が嫌がる読み方はやめたほうがよい。
それなら、石原知事のシナの呼び方も批判するのも変ですね。
はじめまして
秋原さん、はじめまして。
このサイトにたどり着いたのが数ヶ月前で、以来「内なるハシズム」の記事は何度も読み返しています。最近休息されていたので心配していましたが、活動再開されたようで安心しています。
今回の件で私は秋原さんの意見に同意します。
リンクにある「気まぐれな日々」の記事にある記述にこうあります。
「被差別部落出身であるとの出自を理由に不当な記事を書かれたと橋下が主張するのは単なる方便であって、自らを批判する言説を封殺するための絶好の機会と見てこれを使用したのではないかと私は推測している」
私も今回の騒動の肝はここではないかと思っています。
「週刊朝日の記事は良くない」という意見がネット上で多く見られるようになったのは橋下氏のテレビ会見以後です。見事に扇動されたなあという印象を持っています。確かに週刊朝日の記事は他の方が指摘するように差別につなげる見方にもっていくこともできます。今回そこを橋下氏はうまく使って、人権を尊重するような人々をも味方につけたと私は見ます。
一方、秋原さんや気まぐれな日々の方は、事の本質を見失っていないので(橋下氏の狙いに気づいているので)今回のような意見を表明するわけですが、扇動されてしまった多くの人たちから非難される事態になってしまいます。
私は秋原さんたちの勇気ある行為を支持しますし、秋原さんたちと同じく、事の本質を見失わないようにしたいと思っています。
週間朝日は、秋原さんたちのような人に対してハシゴをはずしたわけですから、むしろそのことについてこそ謝罪するべきだと思います。
このサイトにたどり着いたのが数ヶ月前で、以来「内なるハシズム」の記事は何度も読み返しています。最近休息されていたので心配していましたが、活動再開されたようで安心しています。
今回の件で私は秋原さんの意見に同意します。
リンクにある「気まぐれな日々」の記事にある記述にこうあります。
「被差別部落出身であるとの出自を理由に不当な記事を書かれたと橋下が主張するのは単なる方便であって、自らを批判する言説を封殺するための絶好の機会と見てこれを使用したのではないかと私は推測している」
私も今回の騒動の肝はここではないかと思っています。
「週刊朝日の記事は良くない」という意見がネット上で多く見られるようになったのは橋下氏のテレビ会見以後です。見事に扇動されたなあという印象を持っています。確かに週刊朝日の記事は他の方が指摘するように差別につなげる見方にもっていくこともできます。今回そこを橋下氏はうまく使って、人権を尊重するような人々をも味方につけたと私は見ます。
一方、秋原さんや気まぐれな日々の方は、事の本質を見失っていないので(橋下氏の狙いに気づいているので)今回のような意見を表明するわけですが、扇動されてしまった多くの人たちから非難される事態になってしまいます。
私は秋原さんたちの勇気ある行為を支持しますし、秋原さんたちと同じく、事の本質を見失わないようにしたいと思っています。
週間朝日は、秋原さんたちのような人に対してハシゴをはずしたわけですから、むしろそのことについてこそ謝罪するべきだと思います。
おかえりなさい!
秋原さんおかえりなさい!
復帰直後ですしリハビリ期間が必要・・・・・・なんだこの簡潔で濃密な文章は。
むしろ以前より切れが増してるじゃないですか!
この無駄の無さはtwitterのお蔭でしょうか。
従来通り公正な情報の発信に期待しています。
今回に限っては私も朝日を擁護しますが、何故橋下の圧力に屈服したんだ、大手が情けない・・・。
いつもなら朝日が逆に厚顔無恥な態度で、偏執記事を絶対に訂正なんかしないのに。
今朝も橋下は逆境に立ち向かう正義の如くテレビ映りが良くて、ホント演出の上手さだけは一流。
復帰直後ですしリハビリ期間が必要・・・・・・なんだこの簡潔で濃密な文章は。
むしろ以前より切れが増してるじゃないですか!
この無駄の無さはtwitterのお蔭でしょうか。
従来通り公正な情報の発信に期待しています。
今回に限っては私も朝日を擁護しますが、何故橋下の圧力に屈服したんだ、大手が情けない・・・。
いつもなら朝日が逆に厚顔無恥な態度で、偏執記事を絶対に訂正なんかしないのに。
今朝も橋下は逆境に立ち向かう正義の如くテレビ映りが良くて、ホント演出の上手さだけは一流。
禁忌はあってはならない…
朝日系列は、部落解放同盟による暴力的糾弾を恐れて、“社会の木鐸”という最も大切な矜持をかなぐり棄てたものと、わたしは見ています。
>ウォルフレンは、その著作の中で「同和」も日本の権力構造の権力側の一部であるとし、緻密な分析を行った。ところが、その著作の日本語版が出版されるやいなや、同和団体は出版社と著者ウォルフレンに対して「説明会」という事実上の公開謝罪を要求した
“言論の自由”、“人権や尊厳”を守りぬく為には禁忌が在ってはならないことです。
>出自や育った環境も人格態度の検証のためには外せない材料だし、その検証は差別でも何でもありません。
>メディアの表現の自由に対する許されない恫喝です。
>週刊朝日は、この記事は部落差別とは思われないのに自粛するのは表現の自由の萎縮に繋がる自殺行為だと言うべきでした。
>そしてそれは同和問題に触れないよう、寝た子を起こさないようにして、差別を見えないところに押しやり結果的に温存することにも繋がります。
秋原葉月さんの論評は、どれも的を射ており、大変に勉強になりました。感謝します。
>ウォルフレンは、その著作の中で「同和」も日本の権力構造の権力側の一部であるとし、緻密な分析を行った。ところが、その著作の日本語版が出版されるやいなや、同和団体は出版社と著者ウォルフレンに対して「説明会」という事実上の公開謝罪を要求した
“言論の自由”、“人権や尊厳”を守りぬく為には禁忌が在ってはならないことです。
>出自や育った環境も人格態度の検証のためには外せない材料だし、その検証は差別でも何でもありません。
>メディアの表現の自由に対する許されない恫喝です。
>週刊朝日は、この記事は部落差別とは思われないのに自粛するのは表現の自由の萎縮に繋がる自殺行為だと言うべきでした。
>そしてそれは同和問題に触れないよう、寝た子を起こさないようにして、差別を見えないところに押しやり結果的に温存することにも繋がります。
秋原葉月さんの論評は、どれも的を射ており、大変に勉強になりました。感謝します。
Re: 玄関のドアを開けたら>mimosaさん
お休み中も暖かいコメントをたくさん頂きありがとうございます。まだ以前のように毎日更新は出来ませんが少しずつ書いていきたいです
さて、見出し文の件ですが、いろいろと意見はありましょう。
記事本文も併せてみればあの見出しは特に問題ないと評価する人もいれば、本文は別に問題ないがあの見出しはよくないと言う人、様々です。「ハシシタ」という呼び名がいけないと言う人もいますね。
記事本文についても評価は分かれます(私は問題ないと思います)
でも考えて見て欲しいのです。
そのように評価が分かれる記事を載せた言論機関に対し、権力者が取材拒否などという恫喝で圧力をかけて良いはずがないのです。
言論の自由は基本的人権の中で最も強く尊重されねばなりません。
ところでバカ殿はツイで人権擁護法案が必要だと抜かしました。自分の気にくわない朝日を「自分の人権が侵害された」と言いがかりをつけ、取材拒否という恫喝で言論の自由を脅かし、今度は人権を擁護するためと称して悪名高き人権擁護法案推し。自分の思うように言論統制したいだけという本音が垣間見えます
さて、見出し文の件ですが、いろいろと意見はありましょう。
記事本文も併せてみればあの見出しは特に問題ないと評価する人もいれば、本文は別に問題ないがあの見出しはよくないと言う人、様々です。「ハシシタ」という呼び名がいけないと言う人もいますね。
記事本文についても評価は分かれます(私は問題ないと思います)
でも考えて見て欲しいのです。
そのように評価が分かれる記事を載せた言論機関に対し、権力者が取材拒否などという恫喝で圧力をかけて良いはずがないのです。
言論の自由は基本的人権の中で最も強く尊重されねばなりません。
ところでバカ殿はツイで人権擁護法案が必要だと抜かしました。自分の気にくわない朝日を「自分の人権が侵害された」と言いがかりをつけ、取材拒否という恫喝で言論の自由を脅かし、今度は人権を擁護するためと称して悪名高き人権擁護法案推し。自分の思うように言論統制したいだけという本音が垣間見えます
連投、ごめんなさい…
つんぼ‐さじき【聾桟敷】、こ‐じき【乞食】などなど…、
現在では“差別用語”“放送禁止用語”として皆が用いることを避けている「言の葉」は、古くは鎌倉時代から、《やまとことば》として、雅やかなものとして重用されてきたんだそうです。 ウワベの「差別用語を用いてはダメだ。」とか、重箱のはしをつつくような揚げ足とりは、なんの糞の蓋にもなりゃしませんよ。ことほど左様に、センシティブな面に気をとられすぎ、事の本質を見誤るのは、本末転倒なのではないでしょうか?。 どうしたら差別をなくせるか、人権・尊厳を守れるか、社会の公正を保つことが可能か? などを科学的に思索し解決をはかることが、社会に課せられた責務であると考えます。 秋原葉月さんのご指摘の通りで、公人たる権力者を批判する矛を弱体化させてしまえば、主権者が為政者にひざまつくしか方策がなくなってしまうと、わたしは考えます。
現在では“差別用語”“放送禁止用語”として皆が用いることを避けている「言の葉」は、古くは鎌倉時代から、《やまとことば》として、雅やかなものとして重用されてきたんだそうです。 ウワベの「差別用語を用いてはダメだ。」とか、重箱のはしをつつくような揚げ足とりは、なんの糞の蓋にもなりゃしませんよ。ことほど左様に、センシティブな面に気をとられすぎ、事の本質を見誤るのは、本末転倒なのではないでしょうか?。 どうしたら差別をなくせるか、人権・尊厳を守れるか、社会の公正を保つことが可能か? などを科学的に思索し解決をはかることが、社会に課せられた責務であると考えます。 秋原葉月さんのご指摘の通りで、公人たる権力者を批判する矛を弱体化させてしまえば、主権者が為政者にひざまつくしか方策がなくなってしまうと、わたしは考えます。
ハシゲは私財を大阪市・大阪府に寄付してから福島第一原発の後片付けでもしていろ
政治家としてマイナスの実績しかないのにその正体を暴かれるのが嫌だから朝日新聞を恐喝したのでしょう。
しかも問題点はBBCや韓国の中央日報が報道していたことを今までの日本のメディアが全く報道しなかったことです。これは同和問題の健全的な解決と逆行しており、『寝た子は起こすな』ですよ。問題は全く解決できないというしかないという青い鳥さんの指摘はその通りです。
さらに問題なのは朝日新聞の対処です。逃げたとしか思えないのです。そしてこの企画を潰された記者たちの反発があっていいのにないのですからおかしいじゃないですか。私は週刊金曜日に一刻も早くネット新聞へ参入して欲しいと思っています。そうじゃないと建設的な競争にはなりませんよ。
それが嫌なら新聞法を改正してニューヨーク・タイムズやワシントン・ポスト、BBCの日本参入を認めればいいのです(そうした意味ではやや新自由主義の要素もありますので困ったものですが(^O^))。
しかも問題点はBBCや韓国の中央日報が報道していたことを今までの日本のメディアが全く報道しなかったことです。これは同和問題の健全的な解決と逆行しており、『寝た子は起こすな』ですよ。問題は全く解決できないというしかないという青い鳥さんの指摘はその通りです。
さらに問題なのは朝日新聞の対処です。逃げたとしか思えないのです。そしてこの企画を潰された記者たちの反発があっていいのにないのですからおかしいじゃないですか。私は週刊金曜日に一刻も早くネット新聞へ参入して欲しいと思っています。そうじゃないと建設的な競争にはなりませんよ。
それが嫌なら新聞法を改正してニューヨーク・タイムズやワシントン・ポスト、BBCの日本参入を認めればいいのです(そうした意味ではやや新自由主義の要素もありますので困ったものですが(^O^))。
朝日は終わるのか
おひさしぶりです。
葉月さんの怒りの度合いがよくわかります。
僕は記事を読んでいないので、謝罪するべきなんかどうなんかわかりませんが、朝日系列の行動は滑稽です。
まさか朝日新聞社まで橋下氏に頭を下げるとは思いませんでした。
ウヨ族と朝日は激しくやりあっています。
したたかな橋下氏はウヨ族有利と見て、それを利用したのだと思います。
橋下氏は「ノーサイド」と声高らかに勝利宣言をしました。
ここで朝日が反撃しないと、僕たち保守派との「仁義なき戦い」も終わりです。
葉月さんの怒りの度合いがよくわかります。
僕は記事を読んでいないので、謝罪するべきなんかどうなんかわかりませんが、朝日系列の行動は滑稽です。
まさか朝日新聞社まで橋下氏に頭を下げるとは思いませんでした。
ウヨ族と朝日は激しくやりあっています。
したたかな橋下氏はウヨ族有利と見て、それを利用したのだと思います。
橋下氏は「ノーサイド」と声高らかに勝利宣言をしました。
ここで朝日が反撃しないと、僕たち保守派との「仁義なき戦い」も終わりです。
『週刊朝日』の記事の読解が不十分に感じました
「橋下氏の歪な性格の原因を、同和出身だからだ、とか橋下の父親があんなだからだ、などと決めつけて書いていたら、それは差別にあたるでしょう。 /しかし佐野氏の記事を読んでも、そのような記述はありませんでしたし、そういう印象操作をしている部分も見あたりません」→私が読んだ限りでは、秋月さんのこの見解はダメ見解ですね。部落出身者とは関係なく、ヤクザな性格の人はいますし、殺人事件も起こります。中上健次さんの著作と絡めたかったのでしょうが、『週刊朝日』の記事からは、部落差別を助長しかねないと思います。
エントリーの「佐野氏自身も記事本文中で、今回の連載は橋下徹の人間そのものを解明したいと言っています。まさに恐怖政治を行う権力者の人格分析を行おうとしていたのです。 /そのために橋下氏の出自や父親について検証するのは差別ではありません。/著名な政治家について出自や家系について記されるのよくあることです」と、「今後彼の出自について触れることをタブー視し、自粛することは、政治家を批判する言論の自由を萎縮させる自殺行為だし、且つ、部落差別を見えないところに追いやり温存させる行為だ」は、正しいんですけどね。
エントリーの「佐野氏自身も記事本文中で、今回の連載は橋下徹の人間そのものを解明したいと言っています。まさに恐怖政治を行う権力者の人格分析を行おうとしていたのです。 /そのために橋下氏の出自や父親について検証するのは差別ではありません。/著名な政治家について出自や家系について記されるのよくあることです」と、「今後彼の出自について触れることをタブー視し、自粛することは、政治家を批判する言論の自由を萎縮させる自殺行為だし、且つ、部落差別を見えないところに追いやり温存させる行為だ」は、正しいんですけどね。
またまた転載させてください
よろしくご検討のほどお願いします。
>金魚さんへ
わたしは朝日の軟弱化に危機感を持っています。わたしが若かりし頃は、朝日にも気骨の文屋がゴロゴロしていましたよ。 右の輩たちとも激しくやり合いました。 ウОコ垂れ流し症候群で政権をかなぐり棄てた雑魚みたいな政治屋なんかは、相手になぞしなかったもんですよ。 朝日に限らず、マスコミも“草食系”になってしまい右翼の輩からもなめられてますよ…。 橋下徹こと悪徳弁護士兼青二才に謝罪するなんか、あってはならないことですね。久野 収さん、加藤周一さんなどの“知の巨人”や“反骨の市民運動家”小田実さんたちは、草場の陰で、さぞかしお嘆きのことでせう…。
(笑)
(笑)
Re: エントリー先読んでみましたが・・・>シジミさん
mimosaさんへの返事をお読みください。
ひとつだけ。
> 違和感ありますね。
> この方中部関西地区に被差別部落差別はないと考えているんでしょうね。まだありますよ表に出ないだけ。逆差別を含めて。地名まで出す必要があるのかだろうか。
こんな情報があります。
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1350900941/
第18回「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」
大賞
「最も危険な政治家」橋下徹研究 孤独なポピュリストの原点
(『新潮45』11月号)筆者・上原善広氏
http://zasshi-journalismsyo.jp/
PDFで全文読める
http://zasshi-journalismsyo.jp/pdf/12_taisho_hashimoto.pdf
「みなさん!私は安中地区に住んでいました!」
「同和でなかったから補助金を貰えなかった」
「自分は同和地区で育ったと自慢げに話していたから、」
橋下本人が安中=同和と吹聴して回ってるやん
地名が問題になるならなんでこれはいいんだよ!
ひとつだけ。
> 違和感ありますね。
> この方中部関西地区に被差別部落差別はないと考えているんでしょうね。まだありますよ表に出ないだけ。逆差別を含めて。地名まで出す必要があるのかだろうか。
こんな情報があります。
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1350900941/
第18回「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」
大賞
「最も危険な政治家」橋下徹研究 孤独なポピュリストの原点
(『新潮45』11月号)筆者・上原善広氏
http://zasshi-journalismsyo.jp/
PDFで全文読める
http://zasshi-journalismsyo.jp/pdf/12_taisho_hashimoto.pdf
「みなさん!私は安中地区に住んでいました!」
「同和でなかったから補助金を貰えなかった」
「自分は同和地区で育ったと自慢げに話していたから、」
橋下本人が安中=同和と吹聴して回ってるやん
地名が問題になるならなんでこれはいいんだよ!
Re: またまた転載させてください>堺からのアピール事務局・前田純一さん
もちろんです。ありがとうございます
青い鳥さん
コメントありがとうございます。
アハハ・・う○こ垂れ流しですか。
その件について、僕も安倍さんにはガックリきました。(涙)
しかし自民党総裁に帰りざいた以上、支持者として応援しなくてはいけないし、厳しく注文もしていきます。
(当然保守系ブログでです)
朝日についてなんですが、最近ちょっとおかしいですね。
ツイッターで謝罪し、週刊誌で謝罪し、なにやってんのかなと思います。
>橋下徹こと悪徳弁護士兼青二才に謝罪するなんか、あってはならないことですね。
その通りです。記事でまずいとこがあったのなら、その部分についてのみ謝罪すればいいのです。
ウヨ族は頭は良くないけど、数だけは多い武闘派の集団です。(僕もその一身ですが)
橋下氏は支持率が下がってきて、ウヨ族の天敵である朝日を叩いて、その数を利用しようとしているのです。
それにまんまと乗せられ、橋下氏に謝罪までした朝日は、ウヨ族の敵ではなくなりつつあります。
アハハ・・う○こ垂れ流しですか。
その件について、僕も安倍さんにはガックリきました。(涙)
しかし自民党総裁に帰りざいた以上、支持者として応援しなくてはいけないし、厳しく注文もしていきます。
(当然保守系ブログでです)
朝日についてなんですが、最近ちょっとおかしいですね。
ツイッターで謝罪し、週刊誌で謝罪し、なにやってんのかなと思います。
>橋下徹こと悪徳弁護士兼青二才に謝罪するなんか、あってはならないことですね。
その通りです。記事でまずいとこがあったのなら、その部分についてのみ謝罪すればいいのです。
ウヨ族は頭は良くないけど、数だけは多い武闘派の集団です。(僕もその一身ですが)
橋下氏は支持率が下がってきて、ウヨ族の天敵である朝日を叩いて、その数を利用しようとしているのです。
それにまんまと乗せられ、橋下氏に謝罪までした朝日は、ウヨ族の敵ではなくなりつつあります。
橋下市長と同じ土俵にのっちゃったんですね。
朝日の醜態ですよ。橋下氏の下品な言動に乗って一線を越えてしまった。そしてお詫び、連載中止。お粗末の限りです。
今、テレビでやってましたが、橋下氏、生意気ですね。石原氏に似てきた(笑)
秋原さん
見ましたが、だからと言って同和地域をマスコミが記事にしていいって事にはならないと思いますけど。
大阪府部落差別事象に係る調査等の規制等に関する条例もあることですし。
北大山口教授
〈(前略〉政治家の批判としていう点で、佐野氏のルポは全く的外れである。橋下市長の家族や親族にどんな人がいようが、またそれらの人が何をしようが、政治家としての橋下氏の評価には何の関係もない。橋下家のルーツを調べ上げることで、橋下政治の本質が説明できるのか。まして被差別部落との関係をあげつらうなど、言語道断である。
大阪維新の会の主張のいい加減さが見えてきて、ようやくこの政党に対する冷静な議論が始まろうとしたところに、差別的ルポの出現である。〈中略〉「週刊朝日」は傾きかけた大阪維新の会を再び勢いづけるために、この記事を載せたのかと憶測したくなるくらいである。
およそ品格のない橋下市長を批判する場合でも、批判する側は一定の 品格を保たなければならない。〈後略〉〉
朝日の失態の影響は大きいですよ。橋下批判の矛先が鈍るのが心配です。
秋月さん
ハシシタ、ハシゲは容認ですか?
大阪では隠語だっと聞きました。
私は石原知事のシナ発言は止めるべきだと思っています。
あえて記者会見で使う言葉とは思っていません。
(東シナ海は問題ないのかな?)
今、テレビでやってましたが、橋下氏、生意気ですね。石原氏に似てきた(笑)
秋原さん
見ましたが、だからと言って同和地域をマスコミが記事にしていいって事にはならないと思いますけど。
大阪府部落差別事象に係る調査等の規制等に関する条例もあることですし。
北大山口教授
〈(前略〉政治家の批判としていう点で、佐野氏のルポは全く的外れである。橋下市長の家族や親族にどんな人がいようが、またそれらの人が何をしようが、政治家としての橋下氏の評価には何の関係もない。橋下家のルーツを調べ上げることで、橋下政治の本質が説明できるのか。まして被差別部落との関係をあげつらうなど、言語道断である。
大阪維新の会の主張のいい加減さが見えてきて、ようやくこの政党に対する冷静な議論が始まろうとしたところに、差別的ルポの出現である。〈中略〉「週刊朝日」は傾きかけた大阪維新の会を再び勢いづけるために、この記事を載せたのかと憶測したくなるくらいである。
およそ品格のない橋下市長を批判する場合でも、批判する側は一定の 品格を保たなければならない。〈後略〉〉
朝日の失態の影響は大きいですよ。橋下批判の矛先が鈍るのが心配です。
秋月さん
ハシシタ、ハシゲは容認ですか?
大阪では隠語だっと聞きました。
私は石原知事のシナ発言は止めるべきだと思っています。
あえて記者会見で使う言葉とは思っていません。
(東シナ海は問題ないのかな?)
追伸
今橋下氏の九州遊説の演説見ました。
生意気ですなあ(呆)勘違いしてる。
こんな演説西のほうでは受けるんですかね。
東の方では反発起きますよ。
維新はそんなに議席は取れないですよ。
自民党の政権復帰かな。
生意気ですなあ(呆)勘違いしてる。
こんな演説西のほうでは受けるんですかね。
東の方では反発起きますよ。
維新はそんなに議席は取れないですよ。
自民党の政権復帰かな。
金魚さんへ
安倍晋三に対してもっと厳しい言葉を投げかける姿勢を鮮明にしたほうがいいですよ。
彼の叔父の西村正雄氏もそのことを強く望んでいました。脱ハシゲ、脱極右(反極左)、脱媚米、脱ネオコン・脱ネオリベを強く打ち出した場合、それなりに勝利の機会はあるかもしれませんが今は厳しいと見ていいでしょう。
また、石橋湛山氏の理念に自民党は立ち返るべきでしょう。今回の朝日新聞の失態に関しては私も失望しています。すでにブログツールを排除する制裁を実施しましたが、この暴挙でハシゲも悪質な部落解放同盟過激派と同じ穴の狢になったことを表明しました。
護憲保守の立場からハシゲを許さないと私は明言します。
彼の叔父の西村正雄氏もそのことを強く望んでいました。脱ハシゲ、脱極右(反極左)、脱媚米、脱ネオコン・脱ネオリベを強く打ち出した場合、それなりに勝利の機会はあるかもしれませんが今は厳しいと見ていいでしょう。
また、石橋湛山氏の理念に自民党は立ち返るべきでしょう。今回の朝日新聞の失態に関しては私も失望しています。すでにブログツールを排除する制裁を実施しましたが、この暴挙でハシゲも悪質な部落解放同盟過激派と同じ穴の狢になったことを表明しました。
護憲保守の立場からハシゲを許さないと私は明言します。
金魚さん、彼の思う通りにいきますかね?
>橋下氏は支持率が下がってきて、ウヨ族の天敵である朝日を叩いて、その数を利用しようとしているのです。
週刊朝日謝罪後の橋本氏の会見での面罵やツイッターでの言動の数々を見ていると、
そううまくいくとは思えないですけど。
週刊朝日謝罪後の橋本氏の会見での面罵やツイッターでの言動の数々を見ていると、
そううまくいくとは思えないですけど。
スレちですが、確認
自民党は結成時に、綱領に自主憲法制定を掲げたのですよ。とりあえず、安直なソースですが…
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E4%B8%BB%E6%86%B2%E6%B3%95%E8%AB%96
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E4%B8%BB%E6%86%B2%E6%B3%95%E8%AB%96
「今回の朝日の記事は日本国憲法第14条の明白な違反です」
と、護憲な方々は言わなきゃダメでしょう
「橋下自身がこれまでさんざん刺青チェックや君が代の口元チェックなどさんざん憲法違反をしてきたではないか」
という声も聴かれそうですが、では憲法違反をする者を叩くためだったら、憲法違反に目を瞑っていいのかという話になりますね
もっとも私自身はことさら憲法を持ち出すつもちはありませんけど、普段から憲法が憲法が言ってる人が今件ではそれを無視するのではダブスタもいいところだなと感じます
出自に関しては既に新潮や文春が報じてますが、それに比べて今件の問題の大きさは別格としか思えません
公共性の名の下に許される公人のプライバシー報道の範囲を逸脱してます
人格を叩くことありきで、その根拠として生育環境ではなく、先祖や実父の血を暴くという手法をとると明言してるわけですから
DNA差別以外の何者でもありません
ブログ主様とここで熱心にコメされてる方に問いたい
仮に対象が橋下じゃなかった場合、朝日の記事を擁護してましたか?
多分、仇敵である橋下を叩く者を叩いてしまっては利敵行為になるからそうしない
そういう政治的判断が働いてしまっているような気がするんですけどね
橋下を叩くにしてもそれとは別に差別記事のようなダメなものに対してはダメと言えるようじゃないと、ダブスタの誹りは避けられず、左翼の地位がますます落ちるばかりですよ
敵に対する攻撃であればこそフェアで、正攻法でなければならない
すくなくとも朝日の手法、あれは許されない
現に最新のアンケートで維新の支持率は益々下がってきているそうですし、橋下のDNAを差別する記事を世に出さなくても国民は彼がどういう存在なのか感づいてきていると思いますよ
と、護憲な方々は言わなきゃダメでしょう
「橋下自身がこれまでさんざん刺青チェックや君が代の口元チェックなどさんざん憲法違反をしてきたではないか」
という声も聴かれそうですが、では憲法違反をする者を叩くためだったら、憲法違反に目を瞑っていいのかという話になりますね
もっとも私自身はことさら憲法を持ち出すつもちはありませんけど、普段から憲法が憲法が言ってる人が今件ではそれを無視するのではダブスタもいいところだなと感じます
出自に関しては既に新潮や文春が報じてますが、それに比べて今件の問題の大きさは別格としか思えません
公共性の名の下に許される公人のプライバシー報道の範囲を逸脱してます
人格を叩くことありきで、その根拠として生育環境ではなく、先祖や実父の血を暴くという手法をとると明言してるわけですから
DNA差別以外の何者でもありません
ブログ主様とここで熱心にコメされてる方に問いたい
仮に対象が橋下じゃなかった場合、朝日の記事を擁護してましたか?
多分、仇敵である橋下を叩く者を叩いてしまっては利敵行為になるからそうしない
そういう政治的判断が働いてしまっているような気がするんですけどね
橋下を叩くにしてもそれとは別に差別記事のようなダメなものに対してはダメと言えるようじゃないと、ダブスタの誹りは避けられず、左翼の地位がますます落ちるばかりですよ
敵に対する攻撃であればこそフェアで、正攻法でなければならない
すくなくとも朝日の手法、あれは許されない
現に最新のアンケートで維新の支持率は益々下がってきているそうですし、橋下のDNAを差別する記事を世に出さなくても国民は彼がどういう存在なのか感づいてきていると思いますよ
>小野 哲さん
>この暴挙でハシゲも悪質な部落解放同盟過激派と同じ穴の狢になったことを表明しました。
同感です。部落解放同盟過激派の常套手段である暴力的糾弾の凄まじさは、常軌を逸しています。逆差別の典型ですね。わたし自身、20数年前に勤務先で実際に糾弾の現場に立ち会いました。橋下徹の言質をみると、“解同”の糾弾の手法・ロジックに酷似している様に、わたしの目には映ります。 東日本大震災直後、被災地で無礼極まる暴言を放った松本龍元復興大臣は、部落解放同盟の副委員長に就いています。 同和利権を貪る過激な一派なんですよ。 ただ、誤解なき様につけ加えますが、この様な許されざる行為をやらかす輩は、ほんの一部の人間で、大多数の方々は、部落差別解消や人権に関する啓蒙運動に努めておられることを理解しなければなりません。一部の不届きな輩の暴力行為が、正当な部落解放運動の足を引っ張って来たという歴史的事象も、理解してセンシティブな問題も絡みますが、正しく理解する様に努めなければいけないと、わたしは思います。暴力や恫喝による糾弾や利権あさりは逆差別であり犯罪なので法に則り、適切に対応することは、法治国家として当然のことだと思います。
同感です。部落解放同盟過激派の常套手段である暴力的糾弾の凄まじさは、常軌を逸しています。逆差別の典型ですね。わたし自身、20数年前に勤務先で実際に糾弾の現場に立ち会いました。橋下徹の言質をみると、“解同”の糾弾の手法・ロジックに酷似している様に、わたしの目には映ります。 東日本大震災直後、被災地で無礼極まる暴言を放った松本龍元復興大臣は、部落解放同盟の副委員長に就いています。 同和利権を貪る過激な一派なんですよ。 ただ、誤解なき様につけ加えますが、この様な許されざる行為をやらかす輩は、ほんの一部の人間で、大多数の方々は、部落差別解消や人権に関する啓蒙運動に努めておられることを理解しなければなりません。一部の不届きな輩の暴力行為が、正当な部落解放運動の足を引っ張って来たという歴史的事象も、理解してセンシティブな問題も絡みますが、正しく理解する様に努めなければいけないと、わたしは思います。暴力や恫喝による糾弾や利権あさりは逆差別であり犯罪なので法に則り、適切に対応することは、法治国家として当然のことだと思います。
Re: 橋下市長と同じ土俵にのっちゃったんですね。>シジミさん
> ハシシタ、ハシゲは容認ですか?
> 大阪では隠語だっと聞きました。
もともとは「ハシシタ」でしたし、ハシモトと打っても橋下に変換されないので私も打つときはハシシタと打って変換しています。それをそのまま流用したのかと。「野ダメ」「バ菅」という揶揄の類かと思ってましたが、隠語なら話は別かも知れませんね。
佐野氏の記事に対する私の感想をもう少し書いておきましょう、20日に某SNSで書いたのを転載します。
「佐野氏の記事を読んだ。佐野氏の連載の目的は「その厄介な性格の根にある橋下の本性」の分析だ。今回はまだほんの出だしにしか過ぎない、分析の材料としての事実の摘示にしか過ぎないという印象。今後の展開で差別にもなれば、橋下という公人の人間性の鋭い分析にもなろう。そんな感じ」
「私個人としては性格分析をするなら、橋下への嫌悪感をむき出しにした文章はあまり好きではない。なぜなら性格分析とは心理学を駆使した学問的な作業だから感情を先走らせると説得力が薄れると思うからだ」
「連載で性格分析をするなら第一回目はどうしたって出自に触れざるをえないだろう。でもそこで中止させられてしまっては、毒気のある文章も相まって、同和出身だからいびつな性格なんだ、という文章だと思われがちだ。」
「私的には同和出身だからダメなんだ、という差別的な意図は感じられなかった。だから私個人的にはあまり好みではないけれど、謝罪、中止に値するとは思わない」
父親や叔父があんなだから橋下氏もその血を引いてああいう性格になったのだという誘導の意図は、あの段階では私は感じませんでした(ここの評価が分かれるのでしょう).
すくなくとも即断できない、続きを読まねば何とも言えない
、と。
なのでなおのこと連載を中止すべきではなかったと思います。
>およそ品格のない橋下市長を批判する場合でも、批判する側は一定の品格を保たなければならない。
これはその通りでしょう
ただ、
『佐野氏の記事の品格と橋下がやったことは切り離して考えるべき。どんなに下品なエログロだってその言論の自由は最大限に守られねばならない。あからさまな差別記事ならともかく、品格ある批判記事でなければ掲載を認めないというのであれば、非実在の児童ポルノを処罰対象にするのと同じ』(自身のツイより)
だと思います。
彼がタレント弁護士のままならどれだけ罵詈雑言を吐こうが取材拒否だと喚こうが彼の自由です。
しかしかれは政治家です。
政治家は言論の自由に対しては細心の注意を払わなくてはいけません。
抗議声明を出すくらいならまだしも、関係のない朝日新聞や朝日放送(これはすぐに撤回しましたが)にまで取材拒否というのは圧力でしょう。
あの記事がたとえ品格のないモノだとしても、それに対しこのような圧力をかけるのは、言論の萎縮に繋がる、私はそれを危惧します。
> 大阪では隠語だっと聞きました。
もともとは「ハシシタ」でしたし、ハシモトと打っても橋下に変換されないので私も打つときはハシシタと打って変換しています。それをそのまま流用したのかと。「野ダメ」「バ菅」という揶揄の類かと思ってましたが、隠語なら話は別かも知れませんね。
佐野氏の記事に対する私の感想をもう少し書いておきましょう、20日に某SNSで書いたのを転載します。
「佐野氏の記事を読んだ。佐野氏の連載の目的は「その厄介な性格の根にある橋下の本性」の分析だ。今回はまだほんの出だしにしか過ぎない、分析の材料としての事実の摘示にしか過ぎないという印象。今後の展開で差別にもなれば、橋下という公人の人間性の鋭い分析にもなろう。そんな感じ」
「私個人としては性格分析をするなら、橋下への嫌悪感をむき出しにした文章はあまり好きではない。なぜなら性格分析とは心理学を駆使した学問的な作業だから感情を先走らせると説得力が薄れると思うからだ」
「連載で性格分析をするなら第一回目はどうしたって出自に触れざるをえないだろう。でもそこで中止させられてしまっては、毒気のある文章も相まって、同和出身だからいびつな性格なんだ、という文章だと思われがちだ。」
「私的には同和出身だからダメなんだ、という差別的な意図は感じられなかった。だから私個人的にはあまり好みではないけれど、謝罪、中止に値するとは思わない」
父親や叔父があんなだから橋下氏もその血を引いてああいう性格になったのだという誘導の意図は、あの段階では私は感じませんでした(ここの評価が分かれるのでしょう).
すくなくとも即断できない、続きを読まねば何とも言えない
、と。
なのでなおのこと連載を中止すべきではなかったと思います。
>およそ品格のない橋下市長を批判する場合でも、批判する側は一定の品格を保たなければならない。
これはその通りでしょう
ただ、
『佐野氏の記事の品格と橋下がやったことは切り離して考えるべき。どんなに下品なエログロだってその言論の自由は最大限に守られねばならない。あからさまな差別記事ならともかく、品格ある批判記事でなければ掲載を認めないというのであれば、非実在の児童ポルノを処罰対象にするのと同じ』(自身のツイより)
だと思います。
彼がタレント弁護士のままならどれだけ罵詈雑言を吐こうが取材拒否だと喚こうが彼の自由です。
しかしかれは政治家です。
政治家は言論の自由に対しては細心の注意を払わなくてはいけません。
抗議声明を出すくらいならまだしも、関係のない朝日新聞や朝日放送(これはすぐに撤回しましたが)にまで取材拒否というのは圧力でしょう。
あの記事がたとえ品格のないモノだとしても、それに対しこのような圧力をかけるのは、言論の萎縮に繋がる、私はそれを危惧します。
週刊朝日 評
差別主義者、橋下徹の本質の一端が…
dmpxさんが、先程ご提供くださいました資料を読ませて頂きました。dmpxさん…、ありがとうございます。そのなかに、次の様な一文があり、ひっかかりましたので転載させて頂きます。
>朝日新聞が白旗を掲げた後、橋下徹はツイッターに次のように書き込んでいた。
共産党は、弁護士会同様、僕のこと大嫌いですしね。嫌いな奴の人権なんて守りませんよ。生身の人間なんてそんなもんですよ。
この書き込みの意味を間違って捉えてはなるまい。橋下のことを大嫌いな共産党は橋下の人権を守らないと橋下は述べているのである。橋下の立場から言えば『週刊朝日』の件で、橋下は自分の人権は自分で守ったということになるのだろう。…
これは、何の根拠もない、橋下徹の偏見に基づく公党に対する、名誉毀損に当たるのではないでしょうか?…。 知事時代から橋下徹と日本共産党との激しい論戦は、しばしばマスコミで取り上げられています。極右の橋下徹にとって日本共産党は、政敵であることは間違いのないところでしょうが、この表現は、市長という立場の公人が発っしてはならない暴言・妄言ではないでしょうか?。 これは明らかに“日本共産党差別”であり、橋下徹という人物こそが、差別主義者であることを如実に表した好事例でしょう。dmpxさん…感謝します。
>朝日新聞が白旗を掲げた後、橋下徹はツイッターに次のように書き込んでいた。
共産党は、弁護士会同様、僕のこと大嫌いですしね。嫌いな奴の人権なんて守りませんよ。生身の人間なんてそんなもんですよ。
この書き込みの意味を間違って捉えてはなるまい。橋下のことを大嫌いな共産党は橋下の人権を守らないと橋下は述べているのである。橋下の立場から言えば『週刊朝日』の件で、橋下は自分の人権は自分で守ったということになるのだろう。…
これは、何の根拠もない、橋下徹の偏見に基づく公党に対する、名誉毀損に当たるのではないでしょうか?…。 知事時代から橋下徹と日本共産党との激しい論戦は、しばしばマスコミで取り上げられています。極右の橋下徹にとって日本共産党は、政敵であることは間違いのないところでしょうが、この表現は、市長という立場の公人が発っしてはならない暴言・妄言ではないでしょうか?。 これは明らかに“日本共産党差別”であり、橋下徹という人物こそが、差別主義者であることを如実に表した好事例でしょう。dmpxさん…感謝します。
> 鷹宮さん
> ここで熱心にコメされてる方に問いたい
との事ですので、よくこちらに寄らせていただいている身としてお答えします。
いささか長くなりましたが、それだけこの問題は難しい、語るべきことが多い問題のように思います。
ただ、わたしはまだ当該の記事を読めていませんし、読んでいない段階で週刊朝日に対してはどちらかといえば批判的な立場にあると思いますが、その上での応答となります(要するに記事を読んで変わるかもしれません)。またこれはわたし個人の考えで、ここによくいらしている方々の総意ではないことを踏まえていただきたく思います。
> 「今回の朝日の記事は日本国憲法第14条の明白な違反です」 と、護憲な方々は言わなきゃダメでしょう
まず誤解があると思うのですが、憲法が縛るのは国、国家権力であって、新聞社という一私企業を直接的に縛るものではありません。ですので、週刊朝日の記事を「憲法違反」として告発する事は法理上できませんし、しても意味がありません。
橋下市長は地方自治体の首長で国や国家権力とは厳密には異なりますが、日本国憲法第九十九条の「公務員の憲法遵守義務」の規定から、その行動を憲法で縛ることは妥当と考えられます。公務員は憲法に反する行為をしてはいけないのです。特別公務員である橋下市長が思想調査や国旗国家強制で「憲法違反」と批判されるのはそのためです。
ですから社会的立場がそもそも異なる橋下市長と週刊朝日を同列に語ることはできないのです。
これはダブルスタンダードではありません。公人であり、政治権力を有し、実際に市長職という特別公務員であり、政治家である橋下市長と、報道機関ではあっても一私企業である朝日新聞出版および朝日新聞社を、社会的にまったく同列に扱うことはできない以上、異なる基準で判断がされるのは当然のことなのです。
極端な話、総理大臣と生まれたての赤ちゃんをまったく同じ基準で扱うことができませんよね(もちろん基本的人権などは同様に尊重されますが、その上で社会的には異なる対応がされるのです。たとえば総理大臣は赤ちゃんよりも遥かに大きな権力を有しますし、赤ちゃんは総理大臣よりも日常的に手厚く保護されるでしょう)。それと同じ事で、社会における立ち位置の違いから、異なる基準が当てはめられる事は決して珍しい事ではありません。
逆にダブルスタンダードとは、同じ基準が当てはめられるべきであるにもかかわらず、法律等の公的な規定によらずに、個人的な価値観とか恣意的な判断などによって異なる基準が用いられる事を言います。たとえばふたりの人が同じように犯罪をおかしたにもかかわらず、一方は一般人だから逮捕され、一方は警察関係者だから逮捕を免れたというように、同じ罪を犯したら同じように処罰されなければいけない=両者に同じ対応がされなければおかしい事に対してそれがなされない事を二重基準、ダブルスタンダードといいます(この場合二重基準を用いたのは、両方を逮捕する義務があったのに、一方しか逮捕しないという判断をした警察、という事になります)。
もちろん「憲法違反」と言えないからといって、週刊朝日は何をしても良いというわけではありませんし、わたし自身も現時点では、週刊朝日は批判されるべき事をした(記事内容は未見なので保留しますが、連載中止に至る経緯や理由が不明瞭なのは、言論・表現の自由を却って傷つけるものだと思います)と考えています。
> 仮に対象が橋下じゃなかった場合、朝日の記事を擁護してましたか?
記事内容によりますが、政治家は政治手法や政策、成果によって批判すべきで、出自や家族、あるいは趣味嗜好などを理由に批判する手法は用いるべきではない、とわたしは基本的にはそう考えています。そういう意味でわたしは今回の週刊朝日の企画意図には批判的ですし、対象が橋下市長でなかったとしてもやはり批判はすると思います。
ただ、橋下市長特有の事情として、彼の政治手法が他に類を見ないほど攻撃的である、という事があります。つまるところその攻撃的政治手法を問題とする時、その源泉をたどれば、彼の内面、性格に起因するものではないかという推測は妥当ですし、その内面や性格がどのように形成されていったのかにも言及されることがありえます。わたしは差別を助長しないよう慎重を期すならば、そうした「橋下研究」は行われても良いと考えます。おそらく記事を書いた佐野氏の動機もそういったところにあったのではないかと推察します。違うかもしれませんが。ちなみに政治家個人を題材にしたドキュメンタリーやルポルタージュでは、対象の出自に言及したり、掘り下げたりすることは手法としてむしろありふれています。
要するに、今回の記事は橋下市長という、他に類を見ないエキセントリックでユニークなキャラクターがあればこそ成立したのであって、対象が彼でなかった場合を考慮するのはあまり意味がないと思いますし、もし彼ほどの特色がない政治家に対して出自をたどるような記事があれば、そこまでするほどの事かとは考えます。ですが、政治家とは公人であり、その政治思想や行動理念が何に根ざしているのかは、有権者の判断材料にもなりえます。
もちろん政治家といえど表ざたにしたくない背景を抱えている場合、それを公にされたくないという権利は可能な限り守られねばならないと思います(橋下市長はこれを公言してしまっていますけど)が、一方でその背景が不正な利権につながっていた場合、その不正な利権だけを公にするという事はやはり難しい事です。たとえば政治家と企業家が姻戚関係を伴った利権を共有していた場合、それに触れない事には報道も告発もできません。
要は、この問題は非常に難しい、グレーな領域の問題です。一律公開OKとするのも、一律非公開で触れてはならないとするのも、問題が起こります。結局ケースバイケースで考えていかざるを得ません。その意味でも「橋下市長でなかったら」という仮定は無意味です。こうした事態が起こるたびに、それが適切だったかをこうして議論して、その都度暫定的な線引きをしていくほかありません。そのために言論も報道も可能な限り自由であるべきです。
もちろん自由な報道や言論によって傷つく人はいるでしょう。ですが誰かを傷つけるから、という理由で言論や報道が規制されれば、無能な政治家であっても批判は彼を傷つけるからしてはいけない、という事にもなりかねません。
そもそも言論や報道、あらゆる表現行為は誰かを傷つけうるものです。ギャグマンガを読んで傷つく人もいます。他愛もない食べ歩き番組で傷つく人もいます。感動的な報道に接して傷つく人もいます。スポーツ選手の頑張りを見て傷つく人もいます。そのくらいに人は多様です。
ドキュメンタリー作家の森達也さんは、カメラを回す作業を「鬼畜の所業」と表現したことがあります。悲劇に見舞われ泣き叫ぶ人たちを、横からカメラで撮影することが、その人たちを傷つけないという事があるでしょうか。でもカメラを回さない限り、その悲劇は誰に知られることもなく世界の片隅で忘れ去られていってしまいます。
たとえ誰かを傷つけても撮る価値がある、作る価値がある、言わねばならないと感じて、無数の報道や言論や表現が生まれます。わたしたちはそれに触れることで、世界を知り、他者を知ることができています。傷つけることを恐れてそれを封じてしまっていいのでしょうか。
必要なのは自由に発せられるそれらを、可能な限り、自由に議論の俎上にのせることです。そして批判すべきと感じたら批判する、それに反論する、自由な表現や言論の中で差別が行われ、誰かが傷ついたなら、その名誉と尊厳の回復するためにすべきなのは議論を封じる事ではなくて、差別を差別として批判し、糾弾してそれが間違ったものである事を論証することです。
その点で今回の問題は、橋下市長の取材拒否という自由への圧殺と、週刊朝日の連載中止という自由の放棄が同時に起きた、大変残念な結果に終わったと思います。
ちなみに「ハシシタ」が被差別部落の隠語ではないかというコメントがありましたが、当方は大阪在住ですが、そのような隠語として耳にしたことはなかったと思います。わたしの地元では直截的に「部落」と言っていたと記憶しています。もちろん大阪といっても広く、私も直接被差別部落の問題に関わった事があるわけではありませんので、確言はできないのですが。ただ、私見ですが、「ハシシタ」=「橋の下(河原、川原)」は古来、被差別民が居住を強制されることが多かった場所と思われていることから、そうした隠語として用いられていた可能性も考えられますが、これも確たる根拠があるわけではなく、そうした解釈=こじつけもできるというレベルでしかありませんので、その点ご了承ください。
> ここで熱心にコメされてる方に問いたい
との事ですので、よくこちらに寄らせていただいている身としてお答えします。
いささか長くなりましたが、それだけこの問題は難しい、語るべきことが多い問題のように思います。
ただ、わたしはまだ当該の記事を読めていませんし、読んでいない段階で週刊朝日に対してはどちらかといえば批判的な立場にあると思いますが、その上での応答となります(要するに記事を読んで変わるかもしれません)。またこれはわたし個人の考えで、ここによくいらしている方々の総意ではないことを踏まえていただきたく思います。
> 「今回の朝日の記事は日本国憲法第14条の明白な違反です」 と、護憲な方々は言わなきゃダメでしょう
まず誤解があると思うのですが、憲法が縛るのは国、国家権力であって、新聞社という一私企業を直接的に縛るものではありません。ですので、週刊朝日の記事を「憲法違反」として告発する事は法理上できませんし、しても意味がありません。
橋下市長は地方自治体の首長で国や国家権力とは厳密には異なりますが、日本国憲法第九十九条の「公務員の憲法遵守義務」の規定から、その行動を憲法で縛ることは妥当と考えられます。公務員は憲法に反する行為をしてはいけないのです。特別公務員である橋下市長が思想調査や国旗国家強制で「憲法違反」と批判されるのはそのためです。
ですから社会的立場がそもそも異なる橋下市長と週刊朝日を同列に語ることはできないのです。
これはダブルスタンダードではありません。公人であり、政治権力を有し、実際に市長職という特別公務員であり、政治家である橋下市長と、報道機関ではあっても一私企業である朝日新聞出版および朝日新聞社を、社会的にまったく同列に扱うことはできない以上、異なる基準で判断がされるのは当然のことなのです。
極端な話、総理大臣と生まれたての赤ちゃんをまったく同じ基準で扱うことができませんよね(もちろん基本的人権などは同様に尊重されますが、その上で社会的には異なる対応がされるのです。たとえば総理大臣は赤ちゃんよりも遥かに大きな権力を有しますし、赤ちゃんは総理大臣よりも日常的に手厚く保護されるでしょう)。それと同じ事で、社会における立ち位置の違いから、異なる基準が当てはめられる事は決して珍しい事ではありません。
逆にダブルスタンダードとは、同じ基準が当てはめられるべきであるにもかかわらず、法律等の公的な規定によらずに、個人的な価値観とか恣意的な判断などによって異なる基準が用いられる事を言います。たとえばふたりの人が同じように犯罪をおかしたにもかかわらず、一方は一般人だから逮捕され、一方は警察関係者だから逮捕を免れたというように、同じ罪を犯したら同じように処罰されなければいけない=両者に同じ対応がされなければおかしい事に対してそれがなされない事を二重基準、ダブルスタンダードといいます(この場合二重基準を用いたのは、両方を逮捕する義務があったのに、一方しか逮捕しないという判断をした警察、という事になります)。
もちろん「憲法違反」と言えないからといって、週刊朝日は何をしても良いというわけではありませんし、わたし自身も現時点では、週刊朝日は批判されるべき事をした(記事内容は未見なので保留しますが、連載中止に至る経緯や理由が不明瞭なのは、言論・表現の自由を却って傷つけるものだと思います)と考えています。
> 仮に対象が橋下じゃなかった場合、朝日の記事を擁護してましたか?
記事内容によりますが、政治家は政治手法や政策、成果によって批判すべきで、出自や家族、あるいは趣味嗜好などを理由に批判する手法は用いるべきではない、とわたしは基本的にはそう考えています。そういう意味でわたしは今回の週刊朝日の企画意図には批判的ですし、対象が橋下市長でなかったとしてもやはり批判はすると思います。
ただ、橋下市長特有の事情として、彼の政治手法が他に類を見ないほど攻撃的である、という事があります。つまるところその攻撃的政治手法を問題とする時、その源泉をたどれば、彼の内面、性格に起因するものではないかという推測は妥当ですし、その内面や性格がどのように形成されていったのかにも言及されることがありえます。わたしは差別を助長しないよう慎重を期すならば、そうした「橋下研究」は行われても良いと考えます。おそらく記事を書いた佐野氏の動機もそういったところにあったのではないかと推察します。違うかもしれませんが。ちなみに政治家個人を題材にしたドキュメンタリーやルポルタージュでは、対象の出自に言及したり、掘り下げたりすることは手法としてむしろありふれています。
要するに、今回の記事は橋下市長という、他に類を見ないエキセントリックでユニークなキャラクターがあればこそ成立したのであって、対象が彼でなかった場合を考慮するのはあまり意味がないと思いますし、もし彼ほどの特色がない政治家に対して出自をたどるような記事があれば、そこまでするほどの事かとは考えます。ですが、政治家とは公人であり、その政治思想や行動理念が何に根ざしているのかは、有権者の判断材料にもなりえます。
もちろん政治家といえど表ざたにしたくない背景を抱えている場合、それを公にされたくないという権利は可能な限り守られねばならないと思います(橋下市長はこれを公言してしまっていますけど)が、一方でその背景が不正な利権につながっていた場合、その不正な利権だけを公にするという事はやはり難しい事です。たとえば政治家と企業家が姻戚関係を伴った利権を共有していた場合、それに触れない事には報道も告発もできません。
要は、この問題は非常に難しい、グレーな領域の問題です。一律公開OKとするのも、一律非公開で触れてはならないとするのも、問題が起こります。結局ケースバイケースで考えていかざるを得ません。その意味でも「橋下市長でなかったら」という仮定は無意味です。こうした事態が起こるたびに、それが適切だったかをこうして議論して、その都度暫定的な線引きをしていくほかありません。そのために言論も報道も可能な限り自由であるべきです。
もちろん自由な報道や言論によって傷つく人はいるでしょう。ですが誰かを傷つけるから、という理由で言論や報道が規制されれば、無能な政治家であっても批判は彼を傷つけるからしてはいけない、という事にもなりかねません。
そもそも言論や報道、あらゆる表現行為は誰かを傷つけうるものです。ギャグマンガを読んで傷つく人もいます。他愛もない食べ歩き番組で傷つく人もいます。感動的な報道に接して傷つく人もいます。スポーツ選手の頑張りを見て傷つく人もいます。そのくらいに人は多様です。
ドキュメンタリー作家の森達也さんは、カメラを回す作業を「鬼畜の所業」と表現したことがあります。悲劇に見舞われ泣き叫ぶ人たちを、横からカメラで撮影することが、その人たちを傷つけないという事があるでしょうか。でもカメラを回さない限り、その悲劇は誰に知られることもなく世界の片隅で忘れ去られていってしまいます。
たとえ誰かを傷つけても撮る価値がある、作る価値がある、言わねばならないと感じて、無数の報道や言論や表現が生まれます。わたしたちはそれに触れることで、世界を知り、他者を知ることができています。傷つけることを恐れてそれを封じてしまっていいのでしょうか。
必要なのは自由に発せられるそれらを、可能な限り、自由に議論の俎上にのせることです。そして批判すべきと感じたら批判する、それに反論する、自由な表現や言論の中で差別が行われ、誰かが傷ついたなら、その名誉と尊厳の回復するためにすべきなのは議論を封じる事ではなくて、差別を差別として批判し、糾弾してそれが間違ったものである事を論証することです。
その点で今回の問題は、橋下市長の取材拒否という自由への圧殺と、週刊朝日の連載中止という自由の放棄が同時に起きた、大変残念な結果に終わったと思います。
ちなみに「ハシシタ」が被差別部落の隠語ではないかというコメントがありましたが、当方は大阪在住ですが、そのような隠語として耳にしたことはなかったと思います。わたしの地元では直截的に「部落」と言っていたと記憶しています。もちろん大阪といっても広く、私も直接被差別部落の問題に関わった事があるわけではありませんので、確言はできないのですが。ただ、私見ですが、「ハシシタ」=「橋の下(河原、川原)」は古来、被差別民が居住を強制されることが多かった場所と思われていることから、そうした隠語として用いられていた可能性も考えられますが、これも確たる根拠があるわけではなく、そうした解釈=こじつけもできるというレベルでしかありませんので、その点ご了承ください。
主権者を苦しめる為政者は、政界から駆逐すべき…
週刊朝日についての一連の件に於ける憲法解釈については、観測霊さんの論説を支持します。
佐野眞一さんの緻密な取材手法については、mimosaさんが以前触れられてみえまして、それを読ませて頂きました限り、佐野眞一さんは、そんな的はずれなデマを記すとは思われません。
この一連の件は、わたしたちに様々な大切なことを示唆していると思います。 最も大切なことは、部落差別は前近代的な許されざる非科学的・非人間的野蛮な行為で著しい人権蹂躙の極みであることを、わたしたち主権者が再認識することだと考えます。 更に、秋原葉月さんも触れられてみえますが、寝た子を起こすからタブーに触れてはならないという土壌や風潮を打破しなければならないということが、要諦ではないでしょうか。実際にわたしの知人で被差別部落とされる地域の出身者がいますが、彼女は結婚も破談になり、自殺まで考えるほど悩みましたが、フィアンセがしっかりした男性で周囲の反対をものともせず、駆け落ちし、今は幸せな家庭を築いています。 結婚のほかにも、就職に関わる差別も解消しなければなりません。
しかし乍らさりとて、観測霊さんのご指摘通り、憲法を遵守する義務を負う特別公務員たる橋下徹のやっている悪辣の極みともいえる日本国憲法無視の悪行の数々は、看過してはならない犯罪的行為だと考えます。 これは政治闘争なんですよ。 主権者国民を護る楯である日本国憲法の改悪を企てる、極右独裁者橋下徹を政界から追放しなければならないとの切迫した危機感から発露された“正義のペン”を折ってはなりません。わたしが想像するに、佐野眞一さんのルポは、橋下徹の出自に関する事実を記したものであり、被差別部落問題について言及したものではないものと想像するところですが如何でしょうか?。権力を持つ公人についての真っ当な批判や言論は弾圧してはならないと、わたしは強く信ずるところです。
近いうちに、当該記事を読んでから、またあらためて色々と思索に耽りたいと思います。
佐野眞一さんの緻密な取材手法については、mimosaさんが以前触れられてみえまして、それを読ませて頂きました限り、佐野眞一さんは、そんな的はずれなデマを記すとは思われません。
この一連の件は、わたしたちに様々な大切なことを示唆していると思います。 最も大切なことは、部落差別は前近代的な許されざる非科学的・非人間的野蛮な行為で著しい人権蹂躙の極みであることを、わたしたち主権者が再認識することだと考えます。 更に、秋原葉月さんも触れられてみえますが、寝た子を起こすからタブーに触れてはならないという土壌や風潮を打破しなければならないということが、要諦ではないでしょうか。実際にわたしの知人で被差別部落とされる地域の出身者がいますが、彼女は結婚も破談になり、自殺まで考えるほど悩みましたが、フィアンセがしっかりした男性で周囲の反対をものともせず、駆け落ちし、今は幸せな家庭を築いています。 結婚のほかにも、就職に関わる差別も解消しなければなりません。
しかし乍らさりとて、観測霊さんのご指摘通り、憲法を遵守する義務を負う特別公務員たる橋下徹のやっている悪辣の極みともいえる日本国憲法無視の悪行の数々は、看過してはならない犯罪的行為だと考えます。 これは政治闘争なんですよ。 主権者国民を護る楯である日本国憲法の改悪を企てる、極右独裁者橋下徹を政界から追放しなければならないとの切迫した危機感から発露された“正義のペン”を折ってはなりません。わたしが想像するに、佐野眞一さんのルポは、橋下徹の出自に関する事実を記したものであり、被差別部落問題について言及したものではないものと想像するところですが如何でしょうか?。権力を持つ公人についての真っ当な批判や言論は弾圧してはならないと、わたしは強く信ずるところです。
近いうちに、当該記事を読んでから、またあらためて色々と思索に耽りたいと思います。
私の書き込みについてありましたので・・
観測霊 様
私は大阪本社の会社に長く勤めていましたが、夏に大阪の元同僚数人から聞いた話です。また市の関係者に聞いたところわかる人にはわかるらしいと聞きました。それで村野瀬さんのところに書き込んだ次第です。
名前と言えば今朝日を含めマスコミは在日韓国人、朝鮮人は日本語読みしませんよね。これ批判されたからですよ。本人が嫌がってんならわざわざ使うことはないでしょう。
石原都知事のシナもそう思います。
意識的に使う必要ないと思います。
でも東シナ海、シナの夜はだめなのかな?
(これも確たる根拠があるわけではなく)
そうですね。ですから隠語なんでしょう。
ハシシタ暗喩で検索すると出てきます。
いやな思いをする人もいるといううなら使わない方が良いと
思いますけど。
私は大阪本社の会社に長く勤めていましたが、夏に大阪の元同僚数人から聞いた話です。また市の関係者に聞いたところわかる人にはわかるらしいと聞きました。それで村野瀬さんのところに書き込んだ次第です。
名前と言えば今朝日を含めマスコミは在日韓国人、朝鮮人は日本語読みしませんよね。これ批判されたからですよ。本人が嫌がってんならわざわざ使うことはないでしょう。
石原都知事のシナもそう思います。
意識的に使う必要ないと思います。
でも東シナ海、シナの夜はだめなのかな?
(これも確たる根拠があるわけではなく)
そうですね。ですから隠語なんでしょう。
ハシシタ暗喩で検索すると出てきます。
いやな思いをする人もいるといううなら使わない方が良いと
思いますけど。
週刊朝日 11/2号
週刊朝日 11/2 より、転載 (P18~P19)
……転載開始……
おわびします
編集長 河畠大四
本誌10月26日号の緊急連載「ハシシタ奴の本性」で、同和地区を特定するなど極めて不適切な記述を複数掲載してしまいました。 タイトルも適切ではありませんでした。このため、18日におわびのコメントを発表し、19日に連載の中止を決めました。橋下徹・大阪市長をはじめ、多くのみなさまにご不快な思いをさせ、ご迷惑をおかけしたことを心よりおわびします。 編集部にも電話やメール、ファクスなどで、「差別を助長するのか」「チェック態勢はどうなっているのか」といったご批判の声が多く寄せられました。ご意見を重く受け止めています。
この連載は、編集部がノンフィクション作家・佐野眞一氏に執筆を依頼しました。今年9月に「日本維新の会」を結成してその代表になり、次の衆議院選では、第三極として台風の目になるとも言われる政治家・橋下氏の人物像に迫ることが狙いでした。 差別を是認したり助長したりする意図はありませんでしたが、不適切な表現があり、ジャーナリズムにとって最も重視すべき人権に著しく配慮を欠くものになりました。
この記事を掲載した全責任は編集部にあります。記事の作成にあたっては、表現方法や内容などについて、編集部での検討だけではなく、社内の関係部署のチェック、指摘も受けながら進めました。しかし、最終的に、私の判断で第1回の記事を決定しました。 多くの関係者を傷つける事態をまねいたことについて、深く反省しています。読者のみなさまにもご迷惑をおかけしたことをおわびします。
今回の反省を踏まえ、編集部として、記事チェックのあり方を見直します。さらに、社として、今回の企画立案や記事作成の経緯などについて、徹底的に検証を進めます。
……転載終了……
◆ 秋原葉月様…、著作権等の法律に抵触する恐れがある等の場合、非承認で構いません。 貴女様のご判断で処理してくださいませ。
……転載開始……
おわびします
編集長 河畠大四
本誌10月26日号の緊急連載「ハシシタ奴の本性」で、同和地区を特定するなど極めて不適切な記述を複数掲載してしまいました。 タイトルも適切ではありませんでした。このため、18日におわびのコメントを発表し、19日に連載の中止を決めました。橋下徹・大阪市長をはじめ、多くのみなさまにご不快な思いをさせ、ご迷惑をおかけしたことを心よりおわびします。 編集部にも電話やメール、ファクスなどで、「差別を助長するのか」「チェック態勢はどうなっているのか」といったご批判の声が多く寄せられました。ご意見を重く受け止めています。
この連載は、編集部がノンフィクション作家・佐野眞一氏に執筆を依頼しました。今年9月に「日本維新の会」を結成してその代表になり、次の衆議院選では、第三極として台風の目になるとも言われる政治家・橋下氏の人物像に迫ることが狙いでした。 差別を是認したり助長したりする意図はありませんでしたが、不適切な表現があり、ジャーナリズムにとって最も重視すべき人権に著しく配慮を欠くものになりました。
この記事を掲載した全責任は編集部にあります。記事の作成にあたっては、表現方法や内容などについて、編集部での検討だけではなく、社内の関係部署のチェック、指摘も受けながら進めました。しかし、最終的に、私の判断で第1回の記事を決定しました。 多くの関係者を傷つける事態をまねいたことについて、深く反省しています。読者のみなさまにもご迷惑をおかけしたことをおわびします。
今回の反省を踏まえ、編集部として、記事チェックのあり方を見直します。さらに、社として、今回の企画立案や記事作成の経緯などについて、徹底的に検証を進めます。
……転載終了……
◆ 秋原葉月様…、著作権等の法律に抵触する恐れがある等の場合、非承認で構いません。 貴女様のご判断で処理してくださいませ。
見出しだけでアウト
あの見出しを読むのは誰でしょう?
あの見出しを読んで,地区の方は嫌な思いをしませんか?
あの見出しを見て「差別される地区の存在を知り,理不尽に地区(の人)を蔑むようになる」人が,新しく出て来る危険性はゼロと断言できますか?
そんな憂慮が伴う見出しをメディアが用いることに,問題がないと思われますか?
あの見出しは,『DNA』『遡る』の表現を用いて「橋下の暴君たる(粗暴で排他的で他虐的な性格などの)所以は,橋下という彼の家系自体(=血)にあるのかも」と読者に思わせます。それは,「どんな家に育ったらあんな人間になるのだろうか」という人々の素朴な疑問に対する答を(部分的にせよ)暗示し,「多くの人にそう思わせて,雑誌を買ってもらう」という目的を達するには有効と考えられるでしょう。だから,表紙での使用がセッティングされたのだと思います。
繰り返しますが,これらは,まるで脈々と受け継がれる「変えることができない悪い本質」が,出自に,地区にあるかのような暗示を,読者(世間)に与える表現ではないですか?
そして,姓の,本人が嫌がる別の読み方『ハシシタ』を表記。
これはシジミさんも言われています(↑)が,石原が中国をシナと言い続けて中国から嫌悪されるのと同じで,誰が相手であれ,相手に非礼です。
そして「この姓は,地区を連想させる隠語である」とか「ハシシタの直後の『奴(やっこ)』には,地域により暴力団という意味がある」等の説を知ると,わかる人にわかる狙いがあるのかも,との解釈の余地もあります。
もし野中さんにその類のあだ名をメディアが付けて表記したら,大問題になりますよね。
ですから私は,秋原さんに,そして反橋下の皆様にも,この見出しの表現の解釈までも「意見が分かれるもの」と考えて頂きたくないです。
例え『奴』『ハシシタ』を外して『DNA』『遡る』だけが記事の小道具(=見出し)であっても,批判対象になり得ます。
この小道具があるから,人物評伝の“手法”としては普通でも,橋下さんに「身分制度の根幹をなす血脈主義という危険思想」と突かれてしまう。
本人がある意味問題をすり替えた感はあるものの,社会構造上,そう受け取ってしまう,(差別の継続を実感する)人達がいる以上,その人達を傷つける表現を使ったことは,言い訳がきかないレベルで悪い。してやられたのです。
結局, “センセーショナルな見出しを「誰」が読んで,「誰」がどんな嫌な思いをするか”への配慮が,週朝編集部に足りなかったことは明白です。
橋下憎しで彼しか見えてなかったというのか…,売上しか頭になかったのか…
記事本文には差別表現はないとのことですが,もしなくても,この見出しのせいでその内容が差別的に読めてしまうなら,その見出しはやっぱり問題でしょう?
先の投稿でも書きましたが,同じく彼の出自を扱った新潮45の記事が問題にならなかったのは,この類いの見出しがなく,事実だけが述べられていたからです。
あの見出しはつけるべきではなかった。致命的なNGです。
つけたから,記事内容の詳細以前に「問題アリ」とわかってしまった(本来,見出しは内容を表すから)。
これらの小道具がなければ,その「見出し+記事」は「事実の平坦な記述」になり,今回のような騒ぎにはならなかったでしょう。それは,先の新潮45が証明しているではないですか。
そして,新潮45のその形でも「部落問題をタブー視して温存すること」にはなりません(二番煎じにはなるが)。
この見出しのせいで佐野さんの記事を完結まで読めなくなり,残念です(ただし記事自体に偏見や差別意識がないものとの前提で。私は,記事本体は未読なので,内容の詳細についての言及は致しません)。
私は,部活で面倒をみた生徒に該当する子がいたので,(こんなことが世間で起こらなかった当時でも)出自が彼女の心に影を落としていたことを覚えています。
該当者が皆そうとは限らないと思いますが,彼女が今あの週朝の表紙を読んだらどんなに傷つくかと思うと,やりきれません。
彼女は私の勤務高に入学した時,既に一家で地区から転居して数年経っていて,それでも3年生の時,(優秀だからこそ応募できるのに)指定校推薦枠で大学に出願することに,ためらいがありました(調べられて入学を断られないかとふと考えるなど,心に揺ぎがありました)。
当事者が「謂れない根拠で自尊を脅かされる現実」が根深く存在することを思い知らされ,とてもショックでした。
あの見出しが気にならないのは,部外者だからです。
…って私も部外者なのでえらそうに言えませんが,職業柄このことについて知り,考え,一緒に悩んだ量が多いからか?,気になりました(それだけのことでえらくエラそうに聞こえたら,ごめんなさい)。
長くなりましたが,そういうわけで,秋原さんの言われる
>謝罪し連載中止するにあたるような記事だとは思えませんでした
の文中の,『記事』に見出しが含まれるとの前提で,私は↑この部分↑には同意できません。
一言で言うと,見出しだけで,週朝の記事は完全にアウトです。
誤解しないでいただきたいのですが,私は,秋原さんの他の主張のほとんど(全部)を支持しています(ひき続き,レジュメを投稿します)。
レジュメは,秋原さんのこのエントリーの主張をポイント別にまとめたものです(→1.佐野さんの取材の手法について,2.橋下の,記事への反応について批判されるべきこと,3. 朝日の事後の対処について)。
特に,2.は忘れないように,強調して記録させて下さい(キリッ)。
事の本質(ナーマさんが,コメント欄でkojitakenさんの言葉を紹介されていますが「彼が今回の(週朝の)記事を,自分を批判する言論を封殺するという目的を達するために方便的に利用したこと」を見失わないために。
*追記ですが,
あのようなセンセーショナルな見出しを使わなくても,「橋下の本性」だけであの号は売れたと思います。
橋下がなぜあのように横暴なのか,知りたい国民が増えているから。そう思われませんか?
以上,秋原さんの復帰の日の夜から書き始めたのに,なかなか時間がなく,投稿が遅くなりました。
タイミング的には遅いかもしれませんが,皆様にも読んで頂けるとありがたいです。
前回の投稿も同じ意図を持っていたのですが,婉曲的に持って行き過ぎて泣,うまく本意が伝わらない文になってしまったようです。
ですので,今回ははっきり書きました。わかって下さいという気持ちで書いただけですので,非難等の気持ちはありません。
あの見出しを読んで,地区の方は嫌な思いをしませんか?
あの見出しを見て「差別される地区の存在を知り,理不尽に地区(の人)を蔑むようになる」人が,新しく出て来る危険性はゼロと断言できますか?
そんな憂慮が伴う見出しをメディアが用いることに,問題がないと思われますか?
あの見出しは,『DNA』『遡る』の表現を用いて「橋下の暴君たる(粗暴で排他的で他虐的な性格などの)所以は,橋下という彼の家系自体(=血)にあるのかも」と読者に思わせます。それは,「どんな家に育ったらあんな人間になるのだろうか」という人々の素朴な疑問に対する答を(部分的にせよ)暗示し,「多くの人にそう思わせて,雑誌を買ってもらう」という目的を達するには有効と考えられるでしょう。だから,表紙での使用がセッティングされたのだと思います。
繰り返しますが,これらは,まるで脈々と受け継がれる「変えることができない悪い本質」が,出自に,地区にあるかのような暗示を,読者(世間)に与える表現ではないですか?
そして,姓の,本人が嫌がる別の読み方『ハシシタ』を表記。
これはシジミさんも言われています(↑)が,石原が中国をシナと言い続けて中国から嫌悪されるのと同じで,誰が相手であれ,相手に非礼です。
そして「この姓は,地区を連想させる隠語である」とか「ハシシタの直後の『奴(やっこ)』には,地域により暴力団という意味がある」等の説を知ると,わかる人にわかる狙いがあるのかも,との解釈の余地もあります。
もし野中さんにその類のあだ名をメディアが付けて表記したら,大問題になりますよね。
ですから私は,秋原さんに,そして反橋下の皆様にも,この見出しの表現の解釈までも「意見が分かれるもの」と考えて頂きたくないです。
例え『奴』『ハシシタ』を外して『DNA』『遡る』だけが記事の小道具(=見出し)であっても,批判対象になり得ます。
この小道具があるから,人物評伝の“手法”としては普通でも,橋下さんに「身分制度の根幹をなす血脈主義という危険思想」と突かれてしまう。
本人がある意味問題をすり替えた感はあるものの,社会構造上,そう受け取ってしまう,(差別の継続を実感する)人達がいる以上,その人達を傷つける表現を使ったことは,言い訳がきかないレベルで悪い。してやられたのです。
結局, “センセーショナルな見出しを「誰」が読んで,「誰」がどんな嫌な思いをするか”への配慮が,週朝編集部に足りなかったことは明白です。
橋下憎しで彼しか見えてなかったというのか…,売上しか頭になかったのか…
記事本文には差別表現はないとのことですが,もしなくても,この見出しのせいでその内容が差別的に読めてしまうなら,その見出しはやっぱり問題でしょう?
先の投稿でも書きましたが,同じく彼の出自を扱った新潮45の記事が問題にならなかったのは,この類いの見出しがなく,事実だけが述べられていたからです。
あの見出しはつけるべきではなかった。致命的なNGです。
つけたから,記事内容の詳細以前に「問題アリ」とわかってしまった(本来,見出しは内容を表すから)。
これらの小道具がなければ,その「見出し+記事」は「事実の平坦な記述」になり,今回のような騒ぎにはならなかったでしょう。それは,先の新潮45が証明しているではないですか。
そして,新潮45のその形でも「部落問題をタブー視して温存すること」にはなりません(二番煎じにはなるが)。
この見出しのせいで佐野さんの記事を完結まで読めなくなり,残念です(ただし記事自体に偏見や差別意識がないものとの前提で。私は,記事本体は未読なので,内容の詳細についての言及は致しません)。
私は,部活で面倒をみた生徒に該当する子がいたので,(こんなことが世間で起こらなかった当時でも)出自が彼女の心に影を落としていたことを覚えています。
該当者が皆そうとは限らないと思いますが,彼女が今あの週朝の表紙を読んだらどんなに傷つくかと思うと,やりきれません。
彼女は私の勤務高に入学した時,既に一家で地区から転居して数年経っていて,それでも3年生の時,(優秀だからこそ応募できるのに)指定校推薦枠で大学に出願することに,ためらいがありました(調べられて入学を断られないかとふと考えるなど,心に揺ぎがありました)。
当事者が「謂れない根拠で自尊を脅かされる現実」が根深く存在することを思い知らされ,とてもショックでした。
あの見出しが気にならないのは,部外者だからです。
…って私も部外者なのでえらそうに言えませんが,職業柄このことについて知り,考え,一緒に悩んだ量が多いからか?,気になりました(それだけのことでえらくエラそうに聞こえたら,ごめんなさい)。
長くなりましたが,そういうわけで,秋原さんの言われる
>謝罪し連載中止するにあたるような記事だとは思えませんでした
の文中の,『記事』に見出しが含まれるとの前提で,私は↑この部分↑には同意できません。
一言で言うと,見出しだけで,週朝の記事は完全にアウトです。
誤解しないでいただきたいのですが,私は,秋原さんの他の主張のほとんど(全部)を支持しています(ひき続き,レジュメを投稿します)。
レジュメは,秋原さんのこのエントリーの主張をポイント別にまとめたものです(→1.佐野さんの取材の手法について,2.橋下の,記事への反応について批判されるべきこと,3. 朝日の事後の対処について)。
特に,2.は忘れないように,強調して記録させて下さい(キリッ)。
事の本質(ナーマさんが,コメント欄でkojitakenさんの言葉を紹介されていますが「彼が今回の(週朝の)記事を,自分を批判する言論を封殺するという目的を達するために方便的に利用したこと」を見失わないために。
*追記ですが,
あのようなセンセーショナルな見出しを使わなくても,「橋下の本性」だけであの号は売れたと思います。
橋下がなぜあのように横暴なのか,知りたい国民が増えているから。そう思われませんか?
以上,秋原さんの復帰の日の夜から書き始めたのに,なかなか時間がなく,投稿が遅くなりました。
タイミング的には遅いかもしれませんが,皆様にも読んで頂けるとありがたいです。
前回の投稿も同じ意図を持っていたのですが,婉曲的に持って行き過ぎて泣,うまく本意が伝わらない文になってしまったようです。
ですので,今回ははっきり書きました。わかって下さいという気持ちで書いただけですので,非難等の気持ちはありません。
上の続き(レジュメ)
誤解されないで下さいね。
私は,基本的に秋原さんがこのエントリーで言われることの大半には賛成です。
(以下に,このエントリーでの秋原さんの主張を1.取材テーマ,2.橋下の対応,3.週朝と朝日新聞の対応,に分けてまとめてみました。特に2についてはいつもながら(橋下は)横暴過ぎるので,忘れないように◎させていただきました。敬礼!
なお,下の1-3の文中の( )は,私の補足です。
-------------------------------------------------------------------------------------------
1. 佐野さんの取材の手法について:
○ 人格分析に,出自の話になるのは当然
○ 出自は今回初めて行われた取材内容ではない(過去に新潮45など)
○ 公人なので,政治的言動がいかなる人格態度に基づくものかの観点で,出自や生育環境が検証材料になっても差別ではない
○ 橋下の出自に触れること自体を封印する風潮になってはいけない
2. 橋下の,記事への反応について批判されるべきこと:
◎ 週朝と直接関係ない朝日放送や朝日新聞まで声高に取材拒否すると言い(= 恫喝))批判勢力の口を封じた(ことは,あってはならないこと)
◎ さんざん人権侵害してきた人間が,今回は差別問題、人権問題を権力者とし
て自分の都合に良いように利用した(という視点を忘れてはいけない)
◎ 評価が分かれる記事を載せた言論機関に対し、権力者が取材拒否などという恫喝で圧力をかけて良いはずがない
3. 朝日の事後の対処について:
○ 言論の担い手の朝日というメディアはこんな弾圧に対し厳然と抗議すべきだった(のにしなかったのは×)
○ 朝日新聞、朝日放送も、橋下のとんでもない八つ当たりに抗議すべきで,それが言論の自由を担うメディアのあるべき姿だった
○ 週刊朝日は最初から予定していたかのように(橋下の抗議に)あっさり謝罪、八つ当たりされただけの無関係な朝日新聞まで謝罪。(???)
-------------------------------------------------------------------------------------------
私は,基本的に秋原さんがこのエントリーで言われることの大半には賛成です。
(以下に,このエントリーでの秋原さんの主張を1.取材テーマ,2.橋下の対応,3.週朝と朝日新聞の対応,に分けてまとめてみました。特に2についてはいつもながら(橋下は)横暴過ぎるので,忘れないように◎させていただきました。敬礼!
なお,下の1-3の文中の( )は,私の補足です。
-------------------------------------------------------------------------------------------
1. 佐野さんの取材の手法について:
○ 人格分析に,出自の話になるのは当然
○ 出自は今回初めて行われた取材内容ではない(過去に新潮45など)
○ 公人なので,政治的言動がいかなる人格態度に基づくものかの観点で,出自や生育環境が検証材料になっても差別ではない
○ 橋下の出自に触れること自体を封印する風潮になってはいけない
2. 橋下の,記事への反応について批判されるべきこと:
◎ 週朝と直接関係ない朝日放送や朝日新聞まで声高に取材拒否すると言い(= 恫喝))批判勢力の口を封じた(ことは,あってはならないこと)
◎ さんざん人権侵害してきた人間が,今回は差別問題、人権問題を権力者とし
て自分の都合に良いように利用した(という視点を忘れてはいけない)
◎ 評価が分かれる記事を載せた言論機関に対し、権力者が取材拒否などという恫喝で圧力をかけて良いはずがない
3. 朝日の事後の対処について:
○ 言論の担い手の朝日というメディアはこんな弾圧に対し厳然と抗議すべきだった(のにしなかったのは×)
○ 朝日新聞、朝日放送も、橋下のとんでもない八つ当たりに抗議すべきで,それが言論の自由を担うメディアのあるべき姿だった
○ 週刊朝日は最初から予定していたかのように(橋下の抗議に)あっさり謝罪、八つ当たりされただけの無関係な朝日新聞まで謝罪。(???)
-------------------------------------------------------------------------------------------
>mimosaさん…
>タイトルも適切ではありませんでした。
> 私は,部活で面倒をみた生徒に該当する子がいたので,(こんなことが世間で起こらなかった当時でも)出自が彼女の心に影を落としていたことを覚えています。
該当者が皆そうとは限らないと思いますが,彼女が今あの週朝の表紙を読んだらどんなに傷つくかと思うと,やりきれません。
彼女は私の勤務高に入学した時,既に一家で地区から転居して数年経っていて,それでも3年生の時,(優秀だからこそ応募できるのに)指定校推薦枠で大学に出願することに,ためらいがありました(調べられて入学を断られないかとふと考えるなど,心に揺ぎがありました)。
mimosaさんの、このコメントを拝読し、公人でない受けとる側の気持ちを深く斟酌しなければ、ならないのだとあらためて痛感しました。 mimosaさんの学校教育の現場での実体験であるだけに、重く受け止め、且つ、わたし自身、省みまして深く反省しなければならない点が多々あるなぁ、と思います。特に、思春期にある学生などは、感受性が鋭敏なだけに、ややもすると“トラウマ”になり、一生の傷にならないとも限りませんものね…、やはり、不特定多数の目に触れる“見出し”などは、メディア側は、深く配慮に配慮を重ねることが、確かに必要でしょうね、
mimosaさん、大切な視座をご提起頂き感謝します。
やはり、公人の批判、追求は厳しく断行するべきであるとの思いはありますが、それと同じく、そのほかのひとたちのことにも配慮が要る…、なるほど、非常に難しい問題ですね…。
理想は、被差別部落問題が無い日本社会の一日も早い実現を目指すべくの、人権教育の充実と啓蒙活動が必要ですね…。
mimosaさん、またまた勉強させて頂きました、感謝します。
> 私は,部活で面倒をみた生徒に該当する子がいたので,(こんなことが世間で起こらなかった当時でも)出自が彼女の心に影を落としていたことを覚えています。
該当者が皆そうとは限らないと思いますが,彼女が今あの週朝の表紙を読んだらどんなに傷つくかと思うと,やりきれません。
彼女は私の勤務高に入学した時,既に一家で地区から転居して数年経っていて,それでも3年生の時,(優秀だからこそ応募できるのに)指定校推薦枠で大学に出願することに,ためらいがありました(調べられて入学を断られないかとふと考えるなど,心に揺ぎがありました)。
mimosaさんの、このコメントを拝読し、公人でない受けとる側の気持ちを深く斟酌しなければ、ならないのだとあらためて痛感しました。 mimosaさんの学校教育の現場での実体験であるだけに、重く受け止め、且つ、わたし自身、省みまして深く反省しなければならない点が多々あるなぁ、と思います。特に、思春期にある学生などは、感受性が鋭敏なだけに、ややもすると“トラウマ”になり、一生の傷にならないとも限りませんものね…、やはり、不特定多数の目に触れる“見出し”などは、メディア側は、深く配慮に配慮を重ねることが、確かに必要でしょうね、
mimosaさん、大切な視座をご提起頂き感謝します。
やはり、公人の批判、追求は厳しく断行するべきであるとの思いはありますが、それと同じく、そのほかのひとたちのことにも配慮が要る…、なるほど、非常に難しい問題ですね…。
理想は、被差別部落問題が無い日本社会の一日も早い実現を目指すべくの、人権教育の充実と啓蒙活動が必要ですね…。
mimosaさん、またまた勉強させて頂きました、感謝します。
見出し『DNA』は、誰が付けたのか?
最初にこの問題に関する記事を読んだ時に疑問に思ったのが、『DNA』を最初に使ったのは、誰か? という点(別のスレッドにてコメント)
橋下なのか『週刊朝日』編集部なのか筆者佐野なのか?
筆者は週刊誌記事の何処まで、責任を負っているのだろうか?
橋下なのか『週刊朝日』編集部なのか筆者佐野なのか?
筆者は週刊誌記事の何処まで、責任を負っているのだろうか?
dmpxさん
そうですね。そう思います。
以前,お母様が亡くなった時期に発売する真央ちゃんの本に,編集部が「亡くなったお母様」を絡めた宣伝文句を書いたポスターを作ったことがわかり,真央ちゃんが「おかあさんを利用するのは嫌」と,発売予定日直前に,本の出版を拒んだということがありました。
普通は「コピーは内容に合わせ,著者も了解の上で」決める,というのが本筋かと思いますが,そういう事例もありますから,わからないですよね。真央ちゃんの件も,内容は彼女が見直して校正もし,最終okを出したはずですが,コピー文は編集部が任されていたから,ああいうことになったのでしょう。売らんかな路線に走って,著者の怒りを買ったということです。
今回はどうなんでしょうね。
私も,編集部だけが悪い(著者に相談せずに勝手につけた)可能性もあるとは思いますが,見出しを*佐野さんが考えたにせよ,*内容と合わせて編集部がつけたにせよ,*内容と関係なく編集部が思いついた(最初からそういう路線に持って行きたかったから)にせよ,どれにせよ,見出しを含めた原稿の『最後のチェック』は編集部がするはずなので,編集部がこの見出しで世に出すことを了解していなかったはずはなく,著者はともかく,編集部は責任を回避できないと思います。
以前,お母様が亡くなった時期に発売する真央ちゃんの本に,編集部が「亡くなったお母様」を絡めた宣伝文句を書いたポスターを作ったことがわかり,真央ちゃんが「おかあさんを利用するのは嫌」と,発売予定日直前に,本の出版を拒んだということがありました。
普通は「コピーは内容に合わせ,著者も了解の上で」決める,というのが本筋かと思いますが,そういう事例もありますから,わからないですよね。真央ちゃんの件も,内容は彼女が見直して校正もし,最終okを出したはずですが,コピー文は編集部が任されていたから,ああいうことになったのでしょう。売らんかな路線に走って,著者の怒りを買ったということです。
今回はどうなんでしょうね。
私も,編集部だけが悪い(著者に相談せずに勝手につけた)可能性もあるとは思いますが,見出しを*佐野さんが考えたにせよ,*内容と合わせて編集部がつけたにせよ,*内容と関係なく編集部が思いついた(最初からそういう路線に持って行きたかったから)にせよ,どれにせよ,見出しを含めた原稿の『最後のチェック』は編集部がするはずなので,編集部がこの見出しで世に出すことを了解していなかったはずはなく,著者はともかく,編集部は責任を回避できないと思います。
>mimosa さんへ
こんにちわ & 秋原さんウェルカムバック、お体に気をつけて。
見出しだけでアウト、と言われるmimosaさんのご意見に100% 同意です。
付け加えるなら、「雑誌記事の見出し」だけなら、記事全体を見て評価すべきだとも言えるのですが、週刊朝日は、「見出し」を新聞広告、吊るし広告に使用した、それも更に強調する形で。 「広告」は、雑誌を買わずとも、記事を読まずとも、強いられるように「目に入る」、いわば画像で、それ自体完成した、不特定多数を対象とした表現だと考えます。
記事の内容や、橋下氏の対応などは、それとは別に語られるべき問題ではないでしょうか。
この広告を見た時、僕は生まれて初めて、橋下氏の支持率が落ちることにならなければいい、と、本気で思いました。
見出しだけでアウト、と言われるmimosaさんのご意見に100% 同意です。
付け加えるなら、「雑誌記事の見出し」だけなら、記事全体を見て評価すべきだとも言えるのですが、週刊朝日は、「見出し」を新聞広告、吊るし広告に使用した、それも更に強調する形で。 「広告」は、雑誌を買わずとも、記事を読まずとも、強いられるように「目に入る」、いわば画像で、それ自体完成した、不特定多数を対象とした表現だと考えます。
記事の内容や、橋下氏の対応などは、それとは別に語られるべき問題ではないでしょうか。
この広告を見た時、僕は生まれて初めて、橋下氏の支持率が落ちることにならなければいい、と、本気で思いました。
まだ、件の記事が読めていません…。いくつか紙面がネットに上がっているようですが、やはり現物を読みたいのでこの土日に地元図書館へ行って閲覧する予定です。
> シジミさん
レスをいただきありがとうございます。
まず謝っておかないといけないのですが、わたしは本人が嫌がってる呼称をことさらに使う事には、基本的に賛成していません。相手の名前は相手が望むように呼ぶのが一番よいと考えています。また、シジミさんのお話を嘘だと決めてかかっていたわけではないです。
ただ、”「ハシシタ」は大阪では被差別部落の隠語”というシジミさんのコメントに、うまれてこの方ずっと大阪在住のわたし個人にまるでおぼえがなかったので純粋に疑問を呈させていただいただけだたのですが、今わたし自身のコメントを読み返すと言葉がまるで足りていなくて、シジミさんに喧嘩を売っているようにも読めます。
言葉が足りずシジミさんを不快にさせてしまったかもしれず、大変申し訳なく思っています。どうもすみませんでした。
で、改めて今日、わたしの周囲の友人知人(5~6人)に尋ねてみたのですがやはり「ハシシタ」が被差別部落やそこの住人、出身の隠語であるという人はいませんでした。ちなみに地域としては大阪府南部です。被差別部落やそこの住人、出身を指す言葉としては「部落」「同和」「皮多」があがりました。「ハシシタ」=被差別部落の隠語というのは、あるとしても大阪全域で通用するわけではないのかもしれません。もともと部落差別は土地に根ざした差別ですから、地域ごとにはもちろん、年代ごとに様相やディティールが異なっているのではないかと思います。
あと、「ハシシタ」「暗喩」でググってみましたが、たとえばアゴラ(http://agora-web.jp/archives/1494858.html)で石井孝明氏が書かれているように「被差別部落を暗喩していると、問題を知る人にはすぐに推定できる」「『橋の下の河原』を示唆したのだろう」と、「そういう解釈ができる」と書かれているブログや記事はいくつか発見できたのですが、これらは全て件の記事を読んだ人の個人的な推測や印象、解釈に留まっており、被差別部落出身を公言しているノンフィクション作家の上原善広氏や、週刊朝日の記事に憤り公開質問状をFacebookに上げている浦本誉至史氏などもこの件を俎上にのせるにあたって「”ハシシタ”は大阪では被差別部落の隠語として使われている」という主旨の事は言っておられません。
わたしの観測範囲や方法の問題かもしれませんが「”ハシシタ”は大阪では被差別部落の隠語として使われている」という確固とした根拠(文献等)はやはり発見できませんでした。これは「隠語の根拠(元ネタ)」ではなく、「”隠語として使われてきた”という事の根拠」の事です。もしシジミさんが調査文献とかそういったものをご存知なら、単純に興味があるので、ぜひ教えていただきたいと思います。
>でも東シナ海、シナの夜はだめなのかな?
「東シナ海」は国内で流通している言葉なので、あまり問題にならないだけではないでしょうか。一方で「シナ」という言葉が発せられるときは、往々にして中国人や中国という国に(悪意を伴って)向けられるので、中国の人の目に付いて問題にされやすいのではないかと思います。
> いやな思いをする人もいるといううなら使わない方が良いと
思いますけど。
そうですね。わたしも基本的にはおっしゃる事に賛成です。他に呼び方がないならともかく、本人が嫌がっている呼び名をことさらに呼ぶのは、相手の神経を逆撫でする挑発的な行為であることは間違いないと思います。
ただ、ここが難しいところなのですが、秋原さんも少し触れておられますけども、では権力者を揶揄する事は禁じられるべきなのか、という事です。橋下市長に対しては「ハシゲ」という言い方がしばしばされますし(ちなみに市長の高校生時代のあだ名がハシゲだったそうです)、野田首相には「野ダメ」という言い方がされることがあります。
揶揄、社会風刺は権力者、権力を笑い者にすることで、その権威を相対化する、汚く言い換えれば権威を貶める手法として古くから用いられてきました。
たとえば江戸時代、天保の改革の実行役のひとりだった幕臣の鳥居耀蔵は「マムシ」とか、「妖怪(彼が甲斐守だったため、”耀蔵”と”甲斐”をかけて”妖怪”というわけです)」とか呼ばれていました。彼の取締りが非常に厳しかったために、彼を嫌った江戸市中の人々が次第にそう呼ぶようになったのだとか。それ以前からも落書(らくしょ)などの社会風刺や権力批判はありましたし、伝統芸能である狂言も社会風刺を題材にしたコミカルな演目が多くあります。近代以降では新聞各紙に独自の「風刺画」が載るようになりました。ユーモアを用いて権力者や権力の支配を否定し、批判につなげていたわけです。そういう事情は現代でも特に変わらないように思います。
しかし、やはり野田首相にとって「野ダメ」なる呼び方は不快でしょう。ではたとえば野田首相が「不快だ」といえば、わたしたちは彼を「野ダメ」と読んで風刺することができなくなる、あるいはするべきではないのでしょうか。もちろんそうした揶揄はお行儀のよいものではないでしょうが、一律に否定されてよいともわたしには思えません。
ただ「ハシシタ」はたしかに「被差別部落」を連想する人もいて、隠語としても使われていた可能性があるようなので、由来がはっきりするまでは使うのを避けたほうが無難だとは思います。彼を揶揄して呼ぶならば「ハシゲ」「機長」「バカ殿」あたりでいいんじゃないかと、個人的には思います。
ここでわたしが線引きしたのは、その由来が差別的な構造や歴史によるか否か、というところです。中国を「シナ」あるいは、朝鮮を「チョン」と呼ぶのをわたしが批判するのは、それが1945年以前、あるいはそれ以降も、日本の帝国主義によって被害を受けたかの国の人々に対する侮蔑的な呼称として用いられてきたという、差別の構造、歴史があるからです。その上で「シナ」「チョン」という言葉を敢えて使うという事は、その帝国主義的な支配と差別を反省せず、再度繰り返すという意図に他なりません。
揶揄的な呼称については、その意味や由来を個別に精査していく必要があると思います。
> シジミさん
レスをいただきありがとうございます。
まず謝っておかないといけないのですが、わたしは本人が嫌がってる呼称をことさらに使う事には、基本的に賛成していません。相手の名前は相手が望むように呼ぶのが一番よいと考えています。また、シジミさんのお話を嘘だと決めてかかっていたわけではないです。
ただ、”「ハシシタ」は大阪では被差別部落の隠語”というシジミさんのコメントに、うまれてこの方ずっと大阪在住のわたし個人にまるでおぼえがなかったので純粋に疑問を呈させていただいただけだたのですが、今わたし自身のコメントを読み返すと言葉がまるで足りていなくて、シジミさんに喧嘩を売っているようにも読めます。
言葉が足りずシジミさんを不快にさせてしまったかもしれず、大変申し訳なく思っています。どうもすみませんでした。
で、改めて今日、わたしの周囲の友人知人(5~6人)に尋ねてみたのですがやはり「ハシシタ」が被差別部落やそこの住人、出身の隠語であるという人はいませんでした。ちなみに地域としては大阪府南部です。被差別部落やそこの住人、出身を指す言葉としては「部落」「同和」「皮多」があがりました。「ハシシタ」=被差別部落の隠語というのは、あるとしても大阪全域で通用するわけではないのかもしれません。もともと部落差別は土地に根ざした差別ですから、地域ごとにはもちろん、年代ごとに様相やディティールが異なっているのではないかと思います。
あと、「ハシシタ」「暗喩」でググってみましたが、たとえばアゴラ(http://agora-web.jp/archives/1494858.html)で石井孝明氏が書かれているように「被差別部落を暗喩していると、問題を知る人にはすぐに推定できる」「『橋の下の河原』を示唆したのだろう」と、「そういう解釈ができる」と書かれているブログや記事はいくつか発見できたのですが、これらは全て件の記事を読んだ人の個人的な推測や印象、解釈に留まっており、被差別部落出身を公言しているノンフィクション作家の上原善広氏や、週刊朝日の記事に憤り公開質問状をFacebookに上げている浦本誉至史氏などもこの件を俎上にのせるにあたって「”ハシシタ”は大阪では被差別部落の隠語として使われている」という主旨の事は言っておられません。
わたしの観測範囲や方法の問題かもしれませんが「”ハシシタ”は大阪では被差別部落の隠語として使われている」という確固とした根拠(文献等)はやはり発見できませんでした。これは「隠語の根拠(元ネタ)」ではなく、「”隠語として使われてきた”という事の根拠」の事です。もしシジミさんが調査文献とかそういったものをご存知なら、単純に興味があるので、ぜひ教えていただきたいと思います。
>でも東シナ海、シナの夜はだめなのかな?
「東シナ海」は国内で流通している言葉なので、あまり問題にならないだけではないでしょうか。一方で「シナ」という言葉が発せられるときは、往々にして中国人や中国という国に(悪意を伴って)向けられるので、中国の人の目に付いて問題にされやすいのではないかと思います。
> いやな思いをする人もいるといううなら使わない方が良いと
思いますけど。
そうですね。わたしも基本的にはおっしゃる事に賛成です。他に呼び方がないならともかく、本人が嫌がっている呼び名をことさらに呼ぶのは、相手の神経を逆撫でする挑発的な行為であることは間違いないと思います。
ただ、ここが難しいところなのですが、秋原さんも少し触れておられますけども、では権力者を揶揄する事は禁じられるべきなのか、という事です。橋下市長に対しては「ハシゲ」という言い方がしばしばされますし(ちなみに市長の高校生時代のあだ名がハシゲだったそうです)、野田首相には「野ダメ」という言い方がされることがあります。
揶揄、社会風刺は権力者、権力を笑い者にすることで、その権威を相対化する、汚く言い換えれば権威を貶める手法として古くから用いられてきました。
たとえば江戸時代、天保の改革の実行役のひとりだった幕臣の鳥居耀蔵は「マムシ」とか、「妖怪(彼が甲斐守だったため、”耀蔵”と”甲斐”をかけて”妖怪”というわけです)」とか呼ばれていました。彼の取締りが非常に厳しかったために、彼を嫌った江戸市中の人々が次第にそう呼ぶようになったのだとか。それ以前からも落書(らくしょ)などの社会風刺や権力批判はありましたし、伝統芸能である狂言も社会風刺を題材にしたコミカルな演目が多くあります。近代以降では新聞各紙に独自の「風刺画」が載るようになりました。ユーモアを用いて権力者や権力の支配を否定し、批判につなげていたわけです。そういう事情は現代でも特に変わらないように思います。
しかし、やはり野田首相にとって「野ダメ」なる呼び方は不快でしょう。ではたとえば野田首相が「不快だ」といえば、わたしたちは彼を「野ダメ」と読んで風刺することができなくなる、あるいはするべきではないのでしょうか。もちろんそうした揶揄はお行儀のよいものではないでしょうが、一律に否定されてよいともわたしには思えません。
ただ「ハシシタ」はたしかに「被差別部落」を連想する人もいて、隠語としても使われていた可能性があるようなので、由来がはっきりするまでは使うのを避けたほうが無難だとは思います。彼を揶揄して呼ぶならば「ハシゲ」「機長」「バカ殿」あたりでいいんじゃないかと、個人的には思います。
ここでわたしが線引きしたのは、その由来が差別的な構造や歴史によるか否か、というところです。中国を「シナ」あるいは、朝鮮を「チョン」と呼ぶのをわたしが批判するのは、それが1945年以前、あるいはそれ以降も、日本の帝国主義によって被害を受けたかの国の人々に対する侮蔑的な呼称として用いられてきたという、差別の構造、歴史があるからです。その上で「シナ」「チョン」という言葉を敢えて使うという事は、その帝国主義的な支配と差別を反省せず、再度繰り返すという意図に他なりません。
揶揄的な呼称については、その意味や由来を個別に精査していく必要があると思います。
見出しについてですが
件の記事はなんと、大阪市立図書館で閲覧禁止になったという話ですが・・・もしほんとうだとしたらとんでもないことです。「検閲」にあたるでしょう
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20121024-1036981.html
以前私は市長選の時の週刊文春、週刊新潮の見出しについてこう書いています
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-784.html
今回の週刊朝日の見出しは
「ハシシタ 衆愚の王か救世主か 橋下徹のDNAをさかのぼり血脈をあぶりだす」
週刊新潮や週刊文春に比べるとおとなしめですがきわどいと言えばきわどいです。
ではこうしたらどうでしょう?
「アベシンゾウ 衆愚の王か救世主か アベシンゾウのDNAをさかのぼり血脈をあぶりだす」
こう書かれたら安倍氏に対する人権侵害や差別になるでしょうか?
これは安倍氏の人格がいかに形成されたか生い立ちにさかのぼって分析したことをいかにも週刊誌らしく表現した見出しなんだと読み手は受け取るのではないでしょうか?
朝日の見出しは橋下氏の人格形成を生い立ちにさかのぼって分析することを、週刊誌らしい扇情的な言葉で表現したグレーゾーンだと私は感じます。
そして既述したように、記事内で連載の目的を橋下氏の人格形成の分析であることを明示しています
橋下氏の恫喝や圧力はともかく朝日の記事は中止当然と言う声も多くありました。
しかしあきらかに賞賛できる見出しや記事しか掲載を許さないような潔癖さはなんと窮屈なことでしょうか。
見出しはたしかにきわどいです。
同和地区の地名を記述したのにも賛否両論あるでしょう、
見出しや記事内容を批判するのはもちろんアリですが、だからといってこの程度の瑕疵で言論の場から排除して良いのでしょうか。(瑕疵という表現が適当かどうかわかりませんが。徳岡弁護士は「不穏当」と表現されていて、それがぴったり来るでしょうね)
少々瑕疵あるもの、不穏当なもの、三流で価値のないと感じるもの、グレーゾーンなものを批判したり低評価をつけたりすることはあっても、直ちに言論の場から排除してはならないし、過度に自粛すべきものでもないでしょう、それが「表現の自由」だと思います。
グレーのものを排除して白しか認めないようになっては「言葉狩り」に近いモノを感じます。
私はヨーロッパ同様人種差別禁止法を制定して、名誉毀損と同様差別発言を禁じるべきだと思っています。しかし、それは、特に日本のように人権感覚がいまいちな国では「言葉狩り」になってしまう危険と隣り合わせであることも十分留意しなくてはなりません。
橋下氏の恫喝はともかく朝日の記事は中止当然、という声に関しては私はそのような感想を抱きました。
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20121024-1036981.html
以前私は市長選の時の週刊文春、週刊新潮の見出しについてこう書いています
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-784.html
今回の週刊朝日の見出しは
「ハシシタ 衆愚の王か救世主か 橋下徹のDNAをさかのぼり血脈をあぶりだす」
週刊新潮や週刊文春に比べるとおとなしめですがきわどいと言えばきわどいです。
ではこうしたらどうでしょう?
「アベシンゾウ 衆愚の王か救世主か アベシンゾウのDNAをさかのぼり血脈をあぶりだす」
こう書かれたら安倍氏に対する人権侵害や差別になるでしょうか?
これは安倍氏の人格がいかに形成されたか生い立ちにさかのぼって分析したことをいかにも週刊誌らしく表現した見出しなんだと読み手は受け取るのではないでしょうか?
朝日の見出しは橋下氏の人格形成を生い立ちにさかのぼって分析することを、週刊誌らしい扇情的な言葉で表現したグレーゾーンだと私は感じます。
そして既述したように、記事内で連載の目的を橋下氏の人格形成の分析であることを明示しています
橋下氏の恫喝や圧力はともかく朝日の記事は中止当然と言う声も多くありました。
しかしあきらかに賞賛できる見出しや記事しか掲載を許さないような潔癖さはなんと窮屈なことでしょうか。
見出しはたしかにきわどいです。
同和地区の地名を記述したのにも賛否両論あるでしょう、
見出しや記事内容を批判するのはもちろんアリですが、だからといってこの程度の瑕疵で言論の場から排除して良いのでしょうか。(瑕疵という表現が適当かどうかわかりませんが。徳岡弁護士は「不穏当」と表現されていて、それがぴったり来るでしょうね)
少々瑕疵あるもの、不穏当なもの、三流で価値のないと感じるもの、グレーゾーンなものを批判したり低評価をつけたりすることはあっても、直ちに言論の場から排除してはならないし、過度に自粛すべきものでもないでしょう、それが「表現の自由」だと思います。
グレーのものを排除して白しか認めないようになっては「言葉狩り」に近いモノを感じます。
私はヨーロッパ同様人種差別禁止法を制定して、名誉毀損と同様差別発言を禁じるべきだと思っています。しかし、それは、特に日本のように人権感覚がいまいちな国では「言葉狩り」になってしまう危険と隣り合わせであることも十分留意しなくてはなりません。
橋下氏の恫喝はともかく朝日の記事は中止当然、という声に関しては私はそのような感想を抱きました。
観測霊様
丁重なレスありがとうございます。
(言葉が足りずシジミさんを不快にさせてしまったかもしれず、大変申し訳なく思っています。どうもすみませんでした。)
全然不快な思いなどしていません。謝罪される必要もありません。こちらが恐縮してしまします。
私の現在住んでいる愛知県の市に同和地域があります。
愛知県に移住して20数年なりますが、当初は差別は感じなかった。不思議なことに、親しくなると、差別発言が出ます。本人は悪気はないでしょう。それだけ根が深いと感じます。
(調査文献とかそういったものをご存知なら)
知りません。あれがすべてです。
今回の週刊朝日の記事は掲載後すぐ、お詫び。
明らかに朝日の失態です。
朝日新聞の市長会見での朝日の記者の態度。
記者がサラリーマン化していたのには驚きました。
たとえ公人でも揶揄した呼称はどうかな?
仲間内ならともかく第3者が見ることがあるのなら
不快に思う人もいるでっしょう。
追伸
橋下氏はほっといても自爆します。もう始まっています。
(言葉が足りずシジミさんを不快にさせてしまったかもしれず、大変申し訳なく思っています。どうもすみませんでした。)
全然不快な思いなどしていません。謝罪される必要もありません。こちらが恐縮してしまします。
私の現在住んでいる愛知県の市に同和地域があります。
愛知県に移住して20数年なりますが、当初は差別は感じなかった。不思議なことに、親しくなると、差別発言が出ます。本人は悪気はないでしょう。それだけ根が深いと感じます。
(調査文献とかそういったものをご存知なら)
知りません。あれがすべてです。
今回の週刊朝日の記事は掲載後すぐ、お詫び。
明らかに朝日の失態です。
朝日新聞の市長会見での朝日の記者の態度。
記者がサラリーマン化していたのには驚きました。
たとえ公人でも揶揄した呼称はどうかな?
仲間内ならともかく第3者が見ることがあるのなら
不快に思う人もいるでっしょう。
追伸
橋下氏はほっといても自爆します。もう始まっています。
『週刊朝日』はゴロツキ雑誌だから、あの見出しは許される
私の評価では『週刊朝日』はゴロツキ雑誌である。ただ、『週刊文春』『週刊新潮』ほどではないだけである。ちなみに連載を持っている人物を列挙して見ると――田原総一郎・辛坊治郎・藤巻健史・内館牧子・堀江貴文・弘兼憲史などであり、彼女ら彼らの文章を読めば確実馬鹿になれる布陣である。内館牧子など、大相撲の女人禁制問題で「女のケガレ」を擁護した極めつけの馬鹿女でもある。この大前提にたてば、『週刊朝日』の例の表紙や見出しの「DNA」や「血脈」は許容範囲である。さて言うまでもなく、ある基準は普遍的に適用されなければならないから、身内で人殺しごっこをやっていた王族とか天皇を偉いと仰ぎ見る『週刊朝日』のようなゴロツキ雑誌は、一般庶民でさえ身内に殺人者がいても敬うべき相手には敬うのは当たり前である(笑)。この明確な論理によれば、『週刊朝日』は橋下徹を敬うべき相手として見ていると強弁さえできるのである。
さて性格形成は環境か遺伝かの科学的判断はなされていないが、兄弟姉妹でも性格はかなり違い、たとえ5分5分ぐらいと判断されたとしても、それさえも眉唾ものである。ただし、その判断も人それぞれであり、佐野真一が橋下徹の父と橋下徹の性格の一致点を探ろうとしても間違いでもないだろう。私にはどうでもいい問題でも、そう考えて行動する人の行動を批判もできない。例えば広瀬隆は血脈をたどる旅で、エライサンの系譜を扱う書籍をかなり出しているが、その種の知識もないと社会変革のための敵を見間違う可能性があるのも事実なのである。
エライサンにも色々あり、確かに「俺らに富裕税をかけろ」という殊勝なことを言う人間も少数ながらいる。ただし、日本の経団連を見れば明らかなように、原発再稼働を必至にたくらみ、それはただの強欲拝金主義者の群れでしかない。
要するに、すべては一筋縄ではいかないし、DNAをたどる旅が有益なことも多々あるのである。ただし、身内に殺人犯がでれば、王族や皇族とは違って一般庶民は身を縮めて生きるしかない現実もある。してみると橋下徹の振る舞いは皇族王族並みの振る舞いと判断してもよいかもしれない。その振る舞いを庶民がまねれば一つの解決策にもなるが、権力を持っている人間の振る舞いは庶民にはできないというのもまた現実なのである。
さて性格形成は環境か遺伝かの科学的判断はなされていないが、兄弟姉妹でも性格はかなり違い、たとえ5分5分ぐらいと判断されたとしても、それさえも眉唾ものである。ただし、その判断も人それぞれであり、佐野真一が橋下徹の父と橋下徹の性格の一致点を探ろうとしても間違いでもないだろう。私にはどうでもいい問題でも、そう考えて行動する人の行動を批判もできない。例えば広瀬隆は血脈をたどる旅で、エライサンの系譜を扱う書籍をかなり出しているが、その種の知識もないと社会変革のための敵を見間違う可能性があるのも事実なのである。
エライサンにも色々あり、確かに「俺らに富裕税をかけろ」という殊勝なことを言う人間も少数ながらいる。ただし、日本の経団連を見れば明らかなように、原発再稼働を必至にたくらみ、それはただの強欲拝金主義者の群れでしかない。
要するに、すべては一筋縄ではいかないし、DNAをたどる旅が有益なことも多々あるのである。ただし、身内に殺人犯がでれば、王族や皇族とは違って一般庶民は身を縮めて生きるしかない現実もある。してみると橋下徹の振る舞いは皇族王族並みの振る舞いと判断してもよいかもしれない。その振る舞いを庶民がまねれば一つの解決策にもなるが、権力を持っている人間の振る舞いは庶民にはできないというのもまた現実なのである。
>秋原葉月さんへ…
わたしが、こちらのブログへ最初にお邪魔させて頂いたのは、昨年の秋頃であったと思います。最初に拝読させて頂いたのは、在特会に関するもので、恥ずかしながらそこではじめて、差別禁止法(?)なるものの存在を教えて頂きまして感謝しているところです。今後、日本においても、ヘイト・差別をなくすべくの諸法令の制定を急ぐべきと思います。しかし、今回の週間朝日の一連の件の様なことが、生じた場合、言論の自由をどう担保するのか?…。という疑問が頭を過りました。 主権者の自由や人権を弾圧する様な石原慎太郎や橋下徹などの輩は、言論やペンの力で暴走を押さえなければならないことは、非常に大切であることは、論を待たないところですが、しかしさりとて、一方で、mimosaさんご指摘の様な非常にセンシティブな問題がある…、ほんとうに難しい問題ですね…、これを機に皆で被差別部落問題、言葉狩りなどについて、禁忌(タブー)とせずに議論をしたら良いと思います。
佐野さんの様な良心的なジャーナリストは、この今の右傾化甚だしい日本社会では稀有で貴重な存在であり、氏を言論界から排除してはならないと信じるところです。
佐野さんの様な良心的なジャーナリストは、この今の右傾化甚だしい日本社会では稀有で貴重な存在であり、氏を言論界から排除してはならないと信じるところです。
『週刊朝日』での連載中止は当然の事だ
理由1
「DNA」で語るものは石原だろうと日本共産党幹部であろう(仮にあったとして)と差別主義者として糾弾されるのが当然 差別主義者の編集部や出版社に連載を続ける必要はない
理由2
橋下を追究してゆけば、その金脈の追究に至るだろうが、『週刊朝日』編集部/朝日新聞社に金脈の追究は出来ない事は確実だ
見出しだけでアウト2 -- (『橋下徹 孤独なポピュリストの原点』と週朝の見出しを比較して)
秋原さんが提示して下さった↑「(橋下さんを)安倍さんに置き換えた見出しの例」は,わかりやすいです。
取材対象者が被差別地区(の人)の場合に,その記事が差別かどうかの(解釈が分かれて)問題は,起こるのですね。
ですから困ったことに,著者が取材対象者(または対象地区)を「差別する意図」や「偏見」を持たずに調べて記述しても,または,調べた結果ネガティブなことがわかってそれを記述しただけであっても,著者や著作が差別的だ!と糾弾されるかもしれない。(佐野さんの場合,その可能性もある)
この場合,その著者は(痛くない腹を探られた挙げ句,受ける排斥を受けるわけですから),お気の毒です。
そして,こういう展開になることがあるから,同和問題に関する取材や言及は,敬遠されることが多いのかもしれません(所謂「腫れ物に触る」パターンから,そのうち「触れなくなる」)。
すると,そのまま差別が温存されることになったり,例えば差別を埋めるべく始まった対策等が(逆差別として)継続されたままになったり等の問題が起こる可能性もある。その点を考慮すると,なおさら,秋原さんの言われるように,確かにそういう抑圧というか言葉狩りは,”表現の自由”の制限以外の観点からもよくなく,私たちは,言葉狩りが行なわれないように注視する必要がありますよね。
ところで,秋原さんがせっかく上で「新潮45」の(橋下さんの)出自に関する記事を読めるようにして下さったので,(過去W選時に目を通したのですが)もう一度読み直しました。佐野さんの今回の記事と違うところは,大きく3点あると思いました。
1. 見出しの違い:(週朝の記事については前述の通り)
→新潮45の橋下さんの出自を扱った,著者(上原さん)の記事のタイトルは『孤独なポピュリストの原点』=橋下さん個人に焦点を当てている
2. 言及が及んでいる家族の範囲:
→新潮45では,橋下さんの父母とおじと従兄。週朝はさらにその前を『遡る』路線らしい
(相変わらず現物を未読なので,見出しやネットの他所で拾われている,佐野さんの記事内容の概要=記事執筆に際するご本人の心づもりの部分,を読んで,判断するしかなかったのですが)。
3. 著者の経歴:
→上原氏は,自身が被差別部落出身であることを公言したライター。
新潮45では,『路地裏』の事情として出身地区の事実を結構詳細に(でも平坦に)書いておられます。
この3つめが,とても大きい違いだと思います。
当事者(被差別部落出身者)が,同和地区に関する記事を書いた場合,その当事者に向かって「お前は差別的な偏見を持っているから,差別的な記事を書いた」「差別意識に基づいて取材をした」「差別されている人達のことを考えたことがあるのか」などという批判,非難が向けられることは,ないでしょう。
上原さんの記事にも,実際にそのように取れる表現はなく,それでいて地区のことがわかるような背景と事実--地区の暦的背景や仕事内容の話,地区の人の経済的な話,入れ墨の話,極道にならざるをえない人も少なくない環境があったことなど--が,自然な流れで具体的に,でも「平坦に」書かれているのですが,でも,もしかすると地区出身者でない人が同じ内容を書いた場合,(その同じレベルの記述であっても,地区を)「差別している」と言われて,著者著作が批判,排斥されてしまう可能性は,ゼロではないかもしれないと思うのです。
そういう意味(当事者が書いているから,事実を事実として受け入れられる作品を世に出せた)で,今回『出身者と自ら公言されているライター』が,地区の事実を新潮45で書かれたことは,意義深いと思います。
同時に,それに続いて『当事者ではないライター』が書かれる場合(=佐野さんの今回分),誤解を避けるためには,やはり,記述にはことさら慎重を期すべきだったのではないかと思うのです。例えば,週朝の記事内容には新潮45のそれと同じ(=二番煎じ)と言われるものが含まれるようですが,読者にその部分が『先行記事(=上原さんの)で明らかになった事実』からの引用とわかるように明示するとか,そもそも見出しの中の,後で「問題になった表現」は予め避けるなど--です。週朝を未読ゆえ,これ以上の細かいレベルでの言及は避けます。ご容赦下さい(肝腎なところで逃げるようで申し訳ないですが,図書館でも読めませんでした)。
私が学校教育で関わった「人権LHR」の中の同和教育でも「当事者が声をあげられるようになることが大切」という人権教育上のアドバイスを,地区の若者(大学生)にいただいたことがありました。これは同和教育に限ったことではなく,例えば全国で大問題になっているイジメの問題でも同じで,いじめられている本人(被害者)が声を上げられたらベスト。でもイジメの場合,性格的に声を上げられないからイジメの対象になっている可能性が大きいことを考えると,「加害者と被害者の周囲の子が『傍観者(という名の加害者)』にならずに,声を上げることの方が大切」だと思うので,学校での人権教育も,まず,そこに力を入れるべきだと個人的には思います。
それから,(これも関連事項ですが)被害者側については,これはまだ日本の教育現場に普及していない概念かと思うのですが,人種差別など差別にまつわる問題が多いアメリカで発達している,『エンパワメント』という概念をリンクさせていくことが大切ではないか,と個人的は考えています。
(エンパワメント:「(基本的人権が侵害された時にどうしたらよいかを知り) 個々人が自分自身の力で問題や課題を解決していくことができる『社会的技術や能力』を獲得すること」)
そういう意味で,今回の上原さんの貢献は,とても大きいと考えました。
追伸:だめおさんへ
コメントありがとうございました。
私の方こそ,いつもray先生のところで,だめおさんの興味深いコメントを拝読させていただいております(最近では元研究生さんへのお返事,拍手でした)。今回「宙づり広告がいわば画像であり,週刊誌の記事の見出しよりも,強制的に不特定多数の目に入る」というご指摘,とても興味深く,納得できました。でも
>この広告を見た時、僕は生まれて初めて、橋下氏の支持率が落ちることにならなければいい、と、本気で思いました。
は,ん??
私自身はこの広告を見た時,
>>橋下さんの(落ちつつある)支持率がこれでまた「上がることにならなければいいけど」
と思ったのですが,だめおさんは,そうではないんですよね?
「(地区出身だからという理由で,世間での)支持率が落ちることにならなければいい」という意味ですか?
*タイトル,誤解を避ける為に加筆しました。すみません。
取材対象者が被差別地区(の人)の場合に,その記事が差別かどうかの(解釈が分かれて)問題は,起こるのですね。
ですから困ったことに,著者が取材対象者(または対象地区)を「差別する意図」や「偏見」を持たずに調べて記述しても,または,調べた結果ネガティブなことがわかってそれを記述しただけであっても,著者や著作が差別的だ!と糾弾されるかもしれない。(佐野さんの場合,その可能性もある)
この場合,その著者は(痛くない腹を探られた挙げ句,受ける排斥を受けるわけですから),お気の毒です。
そして,こういう展開になることがあるから,同和問題に関する取材や言及は,敬遠されることが多いのかもしれません(所謂「腫れ物に触る」パターンから,そのうち「触れなくなる」)。
すると,そのまま差別が温存されることになったり,例えば差別を埋めるべく始まった対策等が(逆差別として)継続されたままになったり等の問題が起こる可能性もある。その点を考慮すると,なおさら,秋原さんの言われるように,確かにそういう抑圧というか言葉狩りは,”表現の自由”の制限以外の観点からもよくなく,私たちは,言葉狩りが行なわれないように注視する必要がありますよね。
ところで,秋原さんがせっかく上で「新潮45」の(橋下さんの)出自に関する記事を読めるようにして下さったので,(過去W選時に目を通したのですが)もう一度読み直しました。佐野さんの今回の記事と違うところは,大きく3点あると思いました。
1. 見出しの違い:(週朝の記事については前述の通り)
→新潮45の橋下さんの出自を扱った,著者(上原さん)の記事のタイトルは『孤独なポピュリストの原点』=橋下さん個人に焦点を当てている
2. 言及が及んでいる家族の範囲:
→新潮45では,橋下さんの父母とおじと従兄。週朝はさらにその前を『遡る』路線らしい
(相変わらず現物を未読なので,見出しやネットの他所で拾われている,佐野さんの記事内容の概要=記事執筆に際するご本人の心づもりの部分,を読んで,判断するしかなかったのですが)。
3. 著者の経歴:
→上原氏は,自身が被差別部落出身であることを公言したライター。
新潮45では,『路地裏』の事情として出身地区の事実を結構詳細に(でも平坦に)書いておられます。
この3つめが,とても大きい違いだと思います。
当事者(被差別部落出身者)が,同和地区に関する記事を書いた場合,その当事者に向かって「お前は差別的な偏見を持っているから,差別的な記事を書いた」「差別意識に基づいて取材をした」「差別されている人達のことを考えたことがあるのか」などという批判,非難が向けられることは,ないでしょう。
上原さんの記事にも,実際にそのように取れる表現はなく,それでいて地区のことがわかるような背景と事実--地区の暦的背景や仕事内容の話,地区の人の経済的な話,入れ墨の話,極道にならざるをえない人も少なくない環境があったことなど--が,自然な流れで具体的に,でも「平坦に」書かれているのですが,でも,もしかすると地区出身者でない人が同じ内容を書いた場合,(その同じレベルの記述であっても,地区を)「差別している」と言われて,著者著作が批判,排斥されてしまう可能性は,ゼロではないかもしれないと思うのです。
そういう意味(当事者が書いているから,事実を事実として受け入れられる作品を世に出せた)で,今回『出身者と自ら公言されているライター』が,地区の事実を新潮45で書かれたことは,意義深いと思います。
同時に,それに続いて『当事者ではないライター』が書かれる場合(=佐野さんの今回分),誤解を避けるためには,やはり,記述にはことさら慎重を期すべきだったのではないかと思うのです。例えば,週朝の記事内容には新潮45のそれと同じ(=二番煎じ)と言われるものが含まれるようですが,読者にその部分が『先行記事(=上原さんの)で明らかになった事実』からの引用とわかるように明示するとか,そもそも見出しの中の,後で「問題になった表現」は予め避けるなど--です。週朝を未読ゆえ,これ以上の細かいレベルでの言及は避けます。ご容赦下さい(肝腎なところで逃げるようで申し訳ないですが,図書館でも読めませんでした)。
私が学校教育で関わった「人権LHR」の中の同和教育でも「当事者が声をあげられるようになることが大切」という人権教育上のアドバイスを,地区の若者(大学生)にいただいたことがありました。これは同和教育に限ったことではなく,例えば全国で大問題になっているイジメの問題でも同じで,いじめられている本人(被害者)が声を上げられたらベスト。でもイジメの場合,性格的に声を上げられないからイジメの対象になっている可能性が大きいことを考えると,「加害者と被害者の周囲の子が『傍観者(という名の加害者)』にならずに,声を上げることの方が大切」だと思うので,学校での人権教育も,まず,そこに力を入れるべきだと個人的には思います。
それから,(これも関連事項ですが)被害者側については,これはまだ日本の教育現場に普及していない概念かと思うのですが,人種差別など差別にまつわる問題が多いアメリカで発達している,『エンパワメント』という概念をリンクさせていくことが大切ではないか,と個人的は考えています。
(エンパワメント:「(基本的人権が侵害された時にどうしたらよいかを知り) 個々人が自分自身の力で問題や課題を解決していくことができる『社会的技術や能力』を獲得すること」)
そういう意味で,今回の上原さんの貢献は,とても大きいと考えました。
追伸:だめおさんへ
コメントありがとうございました。
私の方こそ,いつもray先生のところで,だめおさんの興味深いコメントを拝読させていただいております(最近では元研究生さんへのお返事,拍手でした)。今回「宙づり広告がいわば画像であり,週刊誌の記事の見出しよりも,強制的に不特定多数の目に入る」というご指摘,とても興味深く,納得できました。でも
>この広告を見た時、僕は生まれて初めて、橋下氏の支持率が落ちることにならなければいい、と、本気で思いました。
は,ん??
私自身はこの広告を見た時,
>>橋下さんの(落ちつつある)支持率がこれでまた「上がることにならなければいいけど」
と思ったのですが,だめおさんは,そうではないんですよね?
「(地区出身だからという理由で,世間での)支持率が落ちることにならなければいい」という意味ですか?
*タイトル,誤解を避ける為に加筆しました。すみません。
世の中的には、朝日新聞+朝日新聞出版の全面降伏でもう終わりつつある話題(無関係な朝日出版に飛び火もしているようですが)なのかもしれませんが(^_^;)、やっと件の記事を読むことができました。地元の図書館ではまだ閲覧禁止になっていませんでしたので。
一読して、正直な感想を言えば、二重の意味で肩透かしな内容だったな、という感じです。橋下市長が激怒しツイッターで何度も言及していたので、こちらもちょっと身構えていたのは事実ですが、内容的には特に目新しい記述もなく、週刊文春や週刊新潮、あるいは新潮45などで言及された事のあるものばかりでした(例外は父親の刺青の柄くらい?被差別部落の地名が特定されている、という批判もありましたが、mimosaさんがレジュメで書かれているとおり、ノンフィクション作家の上原善広氏による『新潮45』2011年11月号の記事「孤独なポピュリストの原点(記事としては、こちらの方が読み応えがあります)」にすでに記述があります。このときは橋下市長は特に何も言っていなかったように思います)し、連載第一回目という事もあって内容も中途半端で、「なんでもかんでも相談所所長」の話や、「大阪出身総理を期待する拍手」など、現段階では意図がよく解らなかったり、ちょっと的外れではないかと思える記述も目立ちます。
一方で雑誌表紙の「煽り」と比較するとやはり抑制されていて、少なくとも記事単体で見れば差別的といえるかは微妙なところで「まだなんともいえない」以上のことが言えない感じです。
わたしとしては「好きにはなれないけど、連載中止にするほどの内容だったかというとそうも言えない」という感想です。ただ雑誌表紙の煽り文はやはり問題があると感じましたが、それは後述。
佐野氏の記事を読んだのは、わたしは多分初めてだと思うのですが、わりと主観が前面に押し出されていて(それ自体はなんの問題も有りません)「政治手法の検証はしない」と言明もしているので、一部の「橋下市長が嫌いだから書かれた記事」という評は現時点ではやむをえないかと思います。この作風と、表紙の「橋下徹のDNAをさかのぼり本性をあぶりだす」という「DNA(多分、編集部的には”系譜”の意味で使ったのだと思いますが。そもそも”遺伝子”と”系譜”は違うものです)」と「本性」(人間性)を結びつけてしまっている煽りが「(記事本体の内容は比較的抑制されていたにも関わらず)非論理的な感情に基づいた差別記事」という印象を与えてしまったのではないかと思いました。
逆に「ハシシタ 衆愚の王か救世主か」これだけだったら、特に問題とは思わないのですが。
秋原さんのおっしゃるように、この煽り文は相当にきわどいものと思います。名前をカタカナ表記にしたこと自体にわたしは問題を感じません(同じ名前の人がどう思うか、なんて言うのなら政治報道もできなくなりますし、それを言うなら事件報道は実名報道をやめるべきです)。それよりも「DNAをさかのぼり本性をあぶりだす」という煽りこそ、「DNA(遺伝子)が人間性を既定する」という”誤読”を週刊朝日編集部がある程度「期待」しているのではないかという問題を感じました。つまりそんな意図はないにもかかわらず、それを匂わせる記述をあえて選択して注目を集めようという販売戦略上の選択だったのではないかと。「誤読」を誘っておいて、実際に「誤読」でもって批判されるのは自業自得でしょうし、あるいは「誤読」されないと思っていたのなら、それもまたお粗末な話です。なによりそれは社会にある差別的な認識の上に販売戦略を構築したという事であって、それだけで批判に値するでしょう。
この際、週刊新潮や、週刊文春の記事や見出しほうがひどかった(みんなそれくらいやってる)というのは言い訳としては通用しないと思います。いずれもひどい事にはかわりがないのですし。少なくともわたしは好きではありませんし(ていうか企画意図自体があまり好みではありません。でもだからといって中止したのが適切だったとも思いません)、記事本体とは別にこの「煽り」が”アウト”とされるのは、積極的に賛成はしませんが、やむを得ないと思います。
平たく言うと「やっぱこれ、ちょっとまずくね?」という感じです。「DNA(遺伝子)が人間性を既定する」という”誤読”が、”誤読”としてではなく、ガチで受け取られてしまったらそれは差別を助長する事になりますから。
この煽りの印象(「DNA(遺伝子)が人間性を既定する」という”誤読”)を持って本文を読むと、あちこちの記述から「差別的な意図」を読み取ることができます。この記事に対する評価の分かれ目は、案外そんなところ(「煽り文」の印象を持って本文を読むかどうか)にあるのかもしれないと思いました。どちらが正しいという事はありません。何をどのように読むのかは読む人の自由ですし。
わたしが妥当と考えるこの件の落とし所としては「煽り文」については「週刊朝日」は謝罪して(朝日新聞社は「編集権は別」を貫くべきでした)、しかし連載は続ける、「記事内容が差別的かどうかは記事を全て読んでから判断して欲しい」というべきだった、その上で批判なり、賛同なりそれぞれの立場で議論できればよかったのに、と思います。
以下、mimosaさんがレジュメを作ってくださっているので(敬礼!)、それに添った形で、個別の感想を。ただ、これ記事の感想というより、それを巡る関係者の対応への感想ですが(^_^;)
1. 佐野さんの取材の手法について:
特定の政治家の思考や論理を追うとき、それがどのように形成されてきたかを検証するのに、出自や生育暦を取材して記事にするのは、わたしも有りだと思います。結論が「○○の出身だから即こうなった」のように短絡的で非科学的な結論に至れば、それは差別ですから批判しますけども、それは記事の内容によります。少なくとも記事本体が発表されないうちは批判のしようがないし、一般論として個別具体的な経験の掘り起しから、人格形成をトレースすること自体は差別とは思いません。そしてそのように成長してきたこと責任は本人に全面的に帰せられる(成人であれば)ものであって、ご家族のせいにするような記述は控えるべきです(控えても気にはなさるでしょうが)。
2. 橋下の,記事への反応について批判されるべきこと:
これはもう橋下市長が悪いです。気に入らない事、あるいは差別的なことを書かれたからといっても、権力の座にある人が報道や表現に圧力をかけることなどあってはいけないことです。怒りを感じること、それを表明することは自由ですが、それでも政治権力を行使するのではなく、民事訴訟などの『対等な個人間での争い』に徹するべきです。
3. 朝日の事後の対処について:
これもまた「朝日」側がよくないです。橋下市長の対応は当然予測すべき事(というか記事本体にも佐野氏がそれを予測して書いていました)でしたし、予測した上でこの対応になったのなら、情けないにもほどがあるという話にしかなりません。また周辺のメディア(読売、毎日など)の対応も日和見的で、批判に値すると思います。
一読して、正直な感想を言えば、二重の意味で肩透かしな内容だったな、という感じです。橋下市長が激怒しツイッターで何度も言及していたので、こちらもちょっと身構えていたのは事実ですが、内容的には特に目新しい記述もなく、週刊文春や週刊新潮、あるいは新潮45などで言及された事のあるものばかりでした(例外は父親の刺青の柄くらい?被差別部落の地名が特定されている、という批判もありましたが、mimosaさんがレジュメで書かれているとおり、ノンフィクション作家の上原善広氏による『新潮45』2011年11月号の記事「孤独なポピュリストの原点(記事としては、こちらの方が読み応えがあります)」にすでに記述があります。このときは橋下市長は特に何も言っていなかったように思います)し、連載第一回目という事もあって内容も中途半端で、「なんでもかんでも相談所所長」の話や、「大阪出身総理を期待する拍手」など、現段階では意図がよく解らなかったり、ちょっと的外れではないかと思える記述も目立ちます。
一方で雑誌表紙の「煽り」と比較するとやはり抑制されていて、少なくとも記事単体で見れば差別的といえるかは微妙なところで「まだなんともいえない」以上のことが言えない感じです。
わたしとしては「好きにはなれないけど、連載中止にするほどの内容だったかというとそうも言えない」という感想です。ただ雑誌表紙の煽り文はやはり問題があると感じましたが、それは後述。
佐野氏の記事を読んだのは、わたしは多分初めてだと思うのですが、わりと主観が前面に押し出されていて(それ自体はなんの問題も有りません)「政治手法の検証はしない」と言明もしているので、一部の「橋下市長が嫌いだから書かれた記事」という評は現時点ではやむをえないかと思います。この作風と、表紙の「橋下徹のDNAをさかのぼり本性をあぶりだす」という「DNA(多分、編集部的には”系譜”の意味で使ったのだと思いますが。そもそも”遺伝子”と”系譜”は違うものです)」と「本性」(人間性)を結びつけてしまっている煽りが「(記事本体の内容は比較的抑制されていたにも関わらず)非論理的な感情に基づいた差別記事」という印象を与えてしまったのではないかと思いました。
逆に「ハシシタ 衆愚の王か救世主か」これだけだったら、特に問題とは思わないのですが。
秋原さんのおっしゃるように、この煽り文は相当にきわどいものと思います。名前をカタカナ表記にしたこと自体にわたしは問題を感じません(同じ名前の人がどう思うか、なんて言うのなら政治報道もできなくなりますし、それを言うなら事件報道は実名報道をやめるべきです)。それよりも「DNAをさかのぼり本性をあぶりだす」という煽りこそ、「DNA(遺伝子)が人間性を既定する」という”誤読”を週刊朝日編集部がある程度「期待」しているのではないかという問題を感じました。つまりそんな意図はないにもかかわらず、それを匂わせる記述をあえて選択して注目を集めようという販売戦略上の選択だったのではないかと。「誤読」を誘っておいて、実際に「誤読」でもって批判されるのは自業自得でしょうし、あるいは「誤読」されないと思っていたのなら、それもまたお粗末な話です。なによりそれは社会にある差別的な認識の上に販売戦略を構築したという事であって、それだけで批判に値するでしょう。
この際、週刊新潮や、週刊文春の記事や見出しほうがひどかった(みんなそれくらいやってる)というのは言い訳としては通用しないと思います。いずれもひどい事にはかわりがないのですし。少なくともわたしは好きではありませんし(ていうか企画意図自体があまり好みではありません。でもだからといって中止したのが適切だったとも思いません)、記事本体とは別にこの「煽り」が”アウト”とされるのは、積極的に賛成はしませんが、やむを得ないと思います。
平たく言うと「やっぱこれ、ちょっとまずくね?」という感じです。「DNA(遺伝子)が人間性を既定する」という”誤読”が、”誤読”としてではなく、ガチで受け取られてしまったらそれは差別を助長する事になりますから。
この煽りの印象(「DNA(遺伝子)が人間性を既定する」という”誤読”)を持って本文を読むと、あちこちの記述から「差別的な意図」を読み取ることができます。この記事に対する評価の分かれ目は、案外そんなところ(「煽り文」の印象を持って本文を読むかどうか)にあるのかもしれないと思いました。どちらが正しいという事はありません。何をどのように読むのかは読む人の自由ですし。
わたしが妥当と考えるこの件の落とし所としては「煽り文」については「週刊朝日」は謝罪して(朝日新聞社は「編集権は別」を貫くべきでした)、しかし連載は続ける、「記事内容が差別的かどうかは記事を全て読んでから判断して欲しい」というべきだった、その上で批判なり、賛同なりそれぞれの立場で議論できればよかったのに、と思います。
以下、mimosaさんがレジュメを作ってくださっているので(敬礼!)、それに添った形で、個別の感想を。ただ、これ記事の感想というより、それを巡る関係者の対応への感想ですが(^_^;)
1. 佐野さんの取材の手法について:
特定の政治家の思考や論理を追うとき、それがどのように形成されてきたかを検証するのに、出自や生育暦を取材して記事にするのは、わたしも有りだと思います。結論が「○○の出身だから即こうなった」のように短絡的で非科学的な結論に至れば、それは差別ですから批判しますけども、それは記事の内容によります。少なくとも記事本体が発表されないうちは批判のしようがないし、一般論として個別具体的な経験の掘り起しから、人格形成をトレースすること自体は差別とは思いません。そしてそのように成長してきたこと責任は本人に全面的に帰せられる(成人であれば)ものであって、ご家族のせいにするような記述は控えるべきです(控えても気にはなさるでしょうが)。
2. 橋下の,記事への反応について批判されるべきこと:
これはもう橋下市長が悪いです。気に入らない事、あるいは差別的なことを書かれたからといっても、権力の座にある人が報道や表現に圧力をかけることなどあってはいけないことです。怒りを感じること、それを表明することは自由ですが、それでも政治権力を行使するのではなく、民事訴訟などの『対等な個人間での争い』に徹するべきです。
3. 朝日の事後の対処について:
これもまた「朝日」側がよくないです。橋下市長の対応は当然予測すべき事(というか記事本体にも佐野氏がそれを予測して書いていました)でしたし、予測した上でこの対応になったのなら、情けないにもほどがあるという話にしかなりません。また周辺のメディア(読売、毎日など)の対応も日和見的で、批判に値すると思います。
連投失礼します。
> シジミさん
お気にさわってはいなかったとの事、安心しました。ありがとうございます。
> 仲間内ならともかく第3者が見ることがあるのなら不快に思う人もいるでしょう。
そうですね。揶揄は仲間内で使う事で認識の共有を確認するものでもあります。それを外から見たとき、不快に感じることがあるのもそのとおりです。
ただ、秋原さんもおっしゃったように、「誰かが不快である」ことを理由に揶揄を慎むのは、やはり窮屈な事だと感じます。そこから「不快だから黙れ」というところまで、もう半歩ほどの距離しかないようにも思います。そこでは「誰かが不快である」から人気のある政治家を批判できなかったり、「誰かが不快である」から不公正な制度を告発できなかったりという事が起こりえます。
またわたし自身、鷹宮さんへのコメント(2012.10.25 ( Thu ) 02:13:06)で以下のように述べました。
そもそも言論や報道、あらゆる表現行為は誰かを傷つけうるものです。ギャグマンガを読んで傷つく人もいます。他愛もない食べ歩き番組で傷つく人もいます。感動的な報道に接して傷つく人もいます。スポーツ選手の頑張りを見て傷つく人もいます。そのくらいに人は多様です。
ドキュメンタリー作家の森達也さんは、カメラを回す作業を「鬼畜の所業」と表現したことがあります。悲劇に見舞われ泣き叫ぶ人たちを、横からカメラで撮影することが、その人たちを傷つけないという事があるでしょうか。でもカメラを回さない限り、その悲劇は誰に知られることもなく世界の片隅で忘れ去られていってしまいます。
たとえ誰かを傷つけても撮る価値がある、作る価値がある、言わねばならないと感じて、無数の報道や言論や表現が生まれます。わたしたちはそれに触れることで、世界を知り、他者を知ることができています。傷つけることを恐れてそれを封じてしまっていいのでしょうか。
もちろん節度は必要で、無根拠だったり、非科学的だったり、差別的な言辞や行動を無制限に振りまいていいという事ではありません。中でも差別的な言動はそもそも控えるべきだし、差別的であると見なしたものへの批判は自由ですし、また批判すべきと、わたしも思います。ただ、差別的な言動は「不快」だからという「だけ」で戒められているのではなくて、それが人の尊厳を、その人自身がどうにもできない事情に基づいて貶める反社会的な行為だからだと思うのです。つまり民主社会の基本的な合意であるところの「平等」を侵害する行為なわけです。
対して「節度」とは道徳、モラルのレベルの問題です。価値判断の要素としては重要だとは思いますが、「節度」はそれこそ「多様」な人々がそれぞれ「多様」に自身に課しているものです(そして同じ人でも、日によって、気分によって、問題によってあるいは考え方の変化によって異なる「節度」を用いることがあるでしょう。それをダブスタと批判する事もできますし、例外として認めることもできます)。それらは「だいたいこのへん」と大雑把に合意(決めることはできません。そんなことを一人ひとりの人間に確認して回るのは不可能なので)はしていても、何かの拍子にその合意が変化したり、あるいは合意からはみ出していても許容されるという事があります。
要するに、表現の自由や知る権利とそれによって生じる(不快であるという印象も含めた)「被害(実害が生じる事もありますよね)」に社会全体でどのように折り合いをつけていくのか、という問題で、やはりなにが「不穏当」である=規制、ありは自粛に値するのかは、ケースバイケースで、それこそ今回のこの件のように、その都度議論するしかないのかなとも思います。
> 橋下氏はほっといても自爆します。もう始まっています。
うーん、どうでしょう。橋下市長はもう終わり、という見方もあることは承知しているのですが、わたしはそれに対してやや懐疑的です。
実際に橋下市長はこれまで何度も「他の政治家だったら辞職や失脚レベルの失言や失敗」を繰り返していますが、いまだに政界では健在です。言い換えればいくら市長が「自爆」しようとも、それを支えるメディア、あるいは「民意」や政治の世界が変わらないかぎり市長が政治的に失脚する事はありません(メディアや「民意」は市長から離れつつあるのかもしれませんが、なにかのきっかけで復権することがないとはいえませんし、政治の世界はまだ彼を必要としているようにも思えます)し、市長個人が失脚してもまた別の人物が「橋下的なるもの」でもってのし上がってくるのではないでしょうか。
> シジミさん
お気にさわってはいなかったとの事、安心しました。ありがとうございます。
> 仲間内ならともかく第3者が見ることがあるのなら不快に思う人もいるでしょう。
そうですね。揶揄は仲間内で使う事で認識の共有を確認するものでもあります。それを外から見たとき、不快に感じることがあるのもそのとおりです。
ただ、秋原さんもおっしゃったように、「誰かが不快である」ことを理由に揶揄を慎むのは、やはり窮屈な事だと感じます。そこから「不快だから黙れ」というところまで、もう半歩ほどの距離しかないようにも思います。そこでは「誰かが不快である」から人気のある政治家を批判できなかったり、「誰かが不快である」から不公正な制度を告発できなかったりという事が起こりえます。
またわたし自身、鷹宮さんへのコメント(2012.10.25 ( Thu ) 02:13:06)で以下のように述べました。
そもそも言論や報道、あらゆる表現行為は誰かを傷つけうるものです。ギャグマンガを読んで傷つく人もいます。他愛もない食べ歩き番組で傷つく人もいます。感動的な報道に接して傷つく人もいます。スポーツ選手の頑張りを見て傷つく人もいます。そのくらいに人は多様です。
ドキュメンタリー作家の森達也さんは、カメラを回す作業を「鬼畜の所業」と表現したことがあります。悲劇に見舞われ泣き叫ぶ人たちを、横からカメラで撮影することが、その人たちを傷つけないという事があるでしょうか。でもカメラを回さない限り、その悲劇は誰に知られることもなく世界の片隅で忘れ去られていってしまいます。
たとえ誰かを傷つけても撮る価値がある、作る価値がある、言わねばならないと感じて、無数の報道や言論や表現が生まれます。わたしたちはそれに触れることで、世界を知り、他者を知ることができています。傷つけることを恐れてそれを封じてしまっていいのでしょうか。
もちろん節度は必要で、無根拠だったり、非科学的だったり、差別的な言辞や行動を無制限に振りまいていいという事ではありません。中でも差別的な言動はそもそも控えるべきだし、差別的であると見なしたものへの批判は自由ですし、また批判すべきと、わたしも思います。ただ、差別的な言動は「不快」だからという「だけ」で戒められているのではなくて、それが人の尊厳を、その人自身がどうにもできない事情に基づいて貶める反社会的な行為だからだと思うのです。つまり民主社会の基本的な合意であるところの「平等」を侵害する行為なわけです。
対して「節度」とは道徳、モラルのレベルの問題です。価値判断の要素としては重要だとは思いますが、「節度」はそれこそ「多様」な人々がそれぞれ「多様」に自身に課しているものです(そして同じ人でも、日によって、気分によって、問題によってあるいは考え方の変化によって異なる「節度」を用いることがあるでしょう。それをダブスタと批判する事もできますし、例外として認めることもできます)。それらは「だいたいこのへん」と大雑把に合意(決めることはできません。そんなことを一人ひとりの人間に確認して回るのは不可能なので)はしていても、何かの拍子にその合意が変化したり、あるいは合意からはみ出していても許容されるという事があります。
要するに、表現の自由や知る権利とそれによって生じる(不快であるという印象も含めた)「被害(実害が生じる事もありますよね)」に社会全体でどのように折り合いをつけていくのか、という問題で、やはりなにが「不穏当」である=規制、ありは自粛に値するのかは、ケースバイケースで、それこそ今回のこの件のように、その都度議論するしかないのかなとも思います。
> 橋下氏はほっといても自爆します。もう始まっています。
うーん、どうでしょう。橋下市長はもう終わり、という見方もあることは承知しているのですが、わたしはそれに対してやや懐疑的です。
実際に橋下市長はこれまで何度も「他の政治家だったら辞職や失脚レベルの失言や失敗」を繰り返していますが、いまだに政界では健在です。言い換えればいくら市長が「自爆」しようとも、それを支えるメディア、あるいは「民意」や政治の世界が変わらないかぎり市長が政治的に失脚する事はありません(メディアや「民意」は市長から離れつつあるのかもしれませんが、なにかのきっかけで復権することがないとはいえませんし、政治の世界はまだ彼を必要としているようにも思えます)し、市長個人が失脚してもまた別の人物が「橋下的なるもの」でもってのし上がってくるのではないでしょうか。
橋下も支持層も本質的にはリベラル
今回の一件をとおして、橋下という人は本質的にリベラルな人なんだと私は確信しました。
彼の支持層も自覚しているかどうかはわかりませんが、多くはそうでしょう。
こういうときに即座に人権を持ち出し、それなりに理論武装できるんですから。
但し、本人もその支持層も、
「仲間うち以外には保守性を要求する」
人種であるという特異性を持っていますがね。
「リベラルでいることが許されるのは自分たちだけ」
と考えているんでしょう。
権利意識が強く、慣習に縛られることを嫌い、なおかつ規範意識が低いタイプにはありがちなことかと。
そういう観点から彼らの言動を探っていくと、色々なことが見えてくるのではないでしょうかね。
まあ彼らに「リベラル」などというと、例の如く顔を真っ赤にして食ってかかって来られそうですが。
彼の支持層も自覚しているかどうかはわかりませんが、多くはそうでしょう。
こういうときに即座に人権を持ち出し、それなりに理論武装できるんですから。
但し、本人もその支持層も、
「仲間うち以外には保守性を要求する」
人種であるという特異性を持っていますがね。
「リベラルでいることが許されるのは自分たちだけ」
と考えているんでしょう。
権利意識が強く、慣習に縛られることを嫌い、なおかつ規範意識が低いタイプにはありがちなことかと。
そういう観点から彼らの言動を探っていくと、色々なことが見えてくるのではないでしょうかね。
まあ彼らに「リベラル」などというと、例の如く顔を真っ赤にして食ってかかって来られそうですが。
禁忌(タブー)に挑む必要性…
一連の週刊朝日の件で見えて来たもの…、秋原葉月さん、mimosaさん、観測霊さん…その他の論客の皆さんの精緻な分析により、大切なことが、浮かび上がってきた様に思われます。
>そもそも言論や報道、あらゆる表現行為は誰かを傷つけうるものです。ギャグマンガを読んで傷つく人もいます。他愛もない食べ歩き番組で傷つく人もいます。感動的な報道に接して傷つく人もいます。スポーツ選手の頑張りを見て傷つく人もいます。そのくらいに人は多様です。
観測霊さんのご指摘ですが、この点(視座)は、非常に大切ですね。
あと、mimosaさんの、次の様なご指摘…、
>こういう展開になることがあるから,同和問題に関する取材や言及は,敬遠されることが多いのかもしれません(所謂「腫れ物に触る」パターンから,そのうち「触れなくなる」)。
禁忌(タブー)を恐れては、権力の横暴や、差別・暴力、社会的不条理をなくすことが不可能になってしまうことです。
例えば、“解同”による同和利権漁りを追求した、日本共産党大阪府議団に対する、暴行事件や、羽曳野市市役所ホール占拠、市長監禁糾弾事件、八鹿高校教職員暴行事件など枚挙に暇なしです。日本共産党以外の政党や政府、赤旗以外のマスコミは、“解同”の糾弾を恐れ見て見ぬ振りを決め込む始末…、 社会が暴力を恐れては、差別あるいは、逆差別は永久的になくならないと確信します。 在特会によるヘイト活動なども看過してはならないと考えます。やはり、秋原葉月さんが以前より、ご主張なさっておられる、“差別禁止”等に関する諸々の法律の制定は、待ったなしですね。
言論の自由は、何があろうと死守しなければならないことは、論を待たないところでしょう。
>そもそも言論や報道、あらゆる表現行為は誰かを傷つけうるものです。ギャグマンガを読んで傷つく人もいます。他愛もない食べ歩き番組で傷つく人もいます。感動的な報道に接して傷つく人もいます。スポーツ選手の頑張りを見て傷つく人もいます。そのくらいに人は多様です。
観測霊さんのご指摘ですが、この点(視座)は、非常に大切ですね。
あと、mimosaさんの、次の様なご指摘…、
>こういう展開になることがあるから,同和問題に関する取材や言及は,敬遠されることが多いのかもしれません(所謂「腫れ物に触る」パターンから,そのうち「触れなくなる」)。
禁忌(タブー)を恐れては、権力の横暴や、差別・暴力、社会的不条理をなくすことが不可能になってしまうことです。
例えば、“解同”による同和利権漁りを追求した、日本共産党大阪府議団に対する、暴行事件や、羽曳野市市役所ホール占拠、市長監禁糾弾事件、八鹿高校教職員暴行事件など枚挙に暇なしです。日本共産党以外の政党や政府、赤旗以外のマスコミは、“解同”の糾弾を恐れ見て見ぬ振りを決め込む始末…、 社会が暴力を恐れては、差別あるいは、逆差別は永久的になくならないと確信します。 在特会によるヘイト活動なども看過してはならないと考えます。やはり、秋原葉月さんが以前より、ご主張なさっておられる、“差別禁止”等に関する諸々の法律の制定は、待ったなしですね。
言論の自由は、何があろうと死守しなければならないことは、論を待たないところでしょう。
やはり
私は本当に傍観者の立場でこの問題見てたんですが、yはりというか何というかリベラルの人たちは在日外国人の問題にはガーガー言うが部落の問題には無頓着というか差別を肯定し出すようですね。これは日本だけのことではなくてイギリスなんてアムネスティは自分らの国の部落の問題は完全にタブーだしね。
朝日と橋下市長の件は完全に人権侵害救済法案制定に向けてのデモンストレーションだと思いますのでこの件で同和の問題をあれこれ語るのは不毛な気がします。
一応これは書いておいた方がいいと思いますが日教組員の私の知り合いは「被差別部落民の差別は話し合っても解決しないので教育の力でできるだけ自由な就学、就職の機会を減らし生活基盤を壊して最終的に滅亡させる方向を目指している」と申しておりました。
これは(実効されてるとすればですが)アメリカのKKKよりもはるかに強烈な人権侵害の例であり、これを容認すべきだと管理人さんはお考えでしょうか?
朝日と橋下市長の件は完全に人権侵害救済法案制定に向けてのデモンストレーションだと思いますのでこの件で同和の問題をあれこれ語るのは不毛な気がします。
一応これは書いておいた方がいいと思いますが日教組員の私の知り合いは「被差別部落民の差別は話し合っても解決しないので教育の力でできるだけ自由な就学、就職の機会を減らし生活基盤を壊して最終的に滅亡させる方向を目指している」と申しておりました。
これは(実効されてるとすればですが)アメリカのKKKよりもはるかに強烈な人権侵害の例であり、これを容認すべきだと管理人さんはお考えでしょうか?
ついでに
私がこちらにあまり好感を持たれないはずのコメントをしてる件ですが、こちらの管理人さんの主張からどうも以前私が勤めていてかつての同僚を部落出身を理由に不当な(実質上の)解雇を宣言した会社の社員であると思えてしようがなかったからです。思い当たるふしがあるので。まぁ、知ったからといってどうなるもんではないですが。
なお、その会社ですが一応は株は国内の親会社が持ってるようですが経営権は完全に外資の手先になってる人たちに取られてしまったようです。現在中東でガザ地区の罪もない一般市民を殺しまくってるイスラエルに協賛してるんで問題になってる企業なんですが間違いなく橋下市長にも協賛しております。彼の政策がTPP参加とか原発再開とかこの会社が喜ぶことしか言ってませんのでね。何しろ自分たちがスポンサーしてるオリンピックが開幕してる間は「節 電」という言葉をマスコミが言わないように圧力かけたくらいの連中ですから。
なお、その会社ですが一応は株は国内の親会社が持ってるようですが経営権は完全に外資の手先になってる人たちに取られてしまったようです。現在中東でガザ地区の罪もない一般市民を殺しまくってるイスラエルに協賛してるんで問題になってる企業なんですが間違いなく橋下市長にも協賛しております。彼の政策がTPP参加とか原発再開とかこの会社が喜ぶことしか言ってませんのでね。何しろ自分たちがスポンサーしてるオリンピックが開幕してる間は「節 電」という言葉をマスコミが言わないように圧力かけたくらいの連中ですから。
fabrice さん
あなたの意見、かなり疑問点がある上に、いったいどういう立場を取っているのかも判然としないので、ひとつ。まず矛盾点。
>私は本当に傍観者の立場でこの問題見てたんですが、yはりというか何というかリベラルの人たちは在日外国人の問題にはガーガー言うが部落の問題には無頓着というか差別を肯定し出すようですね。これは日本だけのことではなくてイギリスなんてアムネスティは自分らの国の部落の問題は完全にタブーだしね。
例えば、今問題になっているいじめや、キレやすい小学生の問題点について、その家庭や学校での出来事を検証するのは差別に当たるのでしょうか? その問題の原因となったことを探るのは? 検証はタブーだから、この問題は放っておこうなどとなりますか?
秋原さんは「もしも橋下氏の歪な性格の原因を、同和出身だからだ、とか橋下の父親があんなだからだ、などと決めつけて書いていたら、それは差別にあたるでしょう。」ときちんと書かれています。そこ読みましたか?
もうひとつ。
>朝日と橋下市長の件は完全に人権侵害救済法案制定に向けてのデモンストレーションだと思いますのでこの件で同和の問題をあれこれ語るのは不毛な気がします。
一応これは書いておいた方がいいと思いますが日教組員の私の知り合いは「被差別部落民の差別は話し合っても解決しないので教育の力でできるだけ自由な就学、就職の機会を減らし生活基盤を壊して最終的に滅亡させる方向を目指している」と申しておりました。
これは(実効されてるとすればですが)アメリカのKKKよりもはるかに強烈な人権侵害の例であり、これを容認すべきだと管理人さんはお考えでしょうか?
何かと批判の材料に日教組の名が持ち出されているような気がします。私は実際にネットで言われているような事実が、あるのか等知りません。
が、少なくとも今の日本の小学校でも中学校でも、「部落差別の問題」は道徳ないし、社会科、公民の授業で習い、人権の問題として勉強する筈です。(小林よしのりのような、右派知識人[笑]はそんなもの廃止して、天皇の尊さを教えるべきなどと言っておりますが)
嘘だとお思いなら、道徳 指導案 部落差別で検索掛けて見てください。
もしも、fabriceさんのおっしゃるようなことを実際に、その教師が言っているとしたら、それは大問題です。批判された挙句首にされたとしても文句はないでしょう。
しかし、ここで疑問に思うのは、あなた本当に日教組の知り合いなんているのですか? あなたの口ぶりだと日教組は人権的に問題のある集団なのですよね? あなたのように部落差別について本気で考えている方が、果たしてそういった人達とつきあいを持とうと思うのか……まぁ、今は付き合ってないのかもしれませんが。
さらにもうひとつ。
>私がこちらにあまり好感を持たれないはずのコメントをしてる件ですが、こちらの管理人さんの主張からどうも以前私が勤めていてかつての同僚を部落出身を理由に不当な(実質上の)解雇を宣言した会社の社員であると思えてしようがなかったからです。思い当たるふしがあるので。まぁ、知ったからといってどうなるもんではないですが。
最大の矛盾点がここにあります。先ほども述べましたが、秋原さんは部落差別を肯定しているわけではありません。なのに、もう、差別者認定なのですか? あなた、ここのほかの記事読みました? タグに差別問題、貧困の問題などとあるのに。それら全部読んで言っています?
あと、これ個人情報に関することにも踏み込んでますよ?
さらっとどこの誰とも知らない人の情報を本人ではないあなたが、流していいのでしょうか? 問題視する場所をはき違えていませんか? 本当にもしも、あなたがその部落差別で解雇された人の為を思っているなら、ネットに等ではなく、然るべき場所に訴え出るべきではないでしょうか?
>なお、その会社ですが一応は株は国内の親会社が持ってるようですが経営権は完全に外資の手先になってる人たちに取られてしまったようです。現在中東でガザ地区の罪もない一般市民を殺しまくってるイスラエルに協賛してるんで問題になってる企業なんですが間違いなく橋下市長にも協賛しております。彼の政策がTPP参加とか原発再開とかこの会社が喜ぶことしか言ってませんのでね。何しろ自分たちがスポンサーしてるオリンピックが開幕してる間は「節 電」という言葉をマスコミが言わないように圧力かけたくらいの連中ですから。
もう、部落差別から離れてしまってますね。いったいどういうこったい。話が飛びすぎ。
あなたの主張は、差別されている人の味方をする振りにすぎません。憎き敵を叩く為に、差別問題を持ってきているにすぎません。
そうじゃないと言うならば、あなた自身は部落差別の問題について一体どのようなお考えがあるのか。明確な考えをお願いします。
>私は本当に傍観者の立場でこの問題見てたんですが、yはりというか何というかリベラルの人たちは在日外国人の問題にはガーガー言うが部落の問題には無頓着というか差別を肯定し出すようですね。これは日本だけのことではなくてイギリスなんてアムネスティは自分らの国の部落の問題は完全にタブーだしね。
例えば、今問題になっているいじめや、キレやすい小学生の問題点について、その家庭や学校での出来事を検証するのは差別に当たるのでしょうか? その問題の原因となったことを探るのは? 検証はタブーだから、この問題は放っておこうなどとなりますか?
秋原さんは「もしも橋下氏の歪な性格の原因を、同和出身だからだ、とか橋下の父親があんなだからだ、などと決めつけて書いていたら、それは差別にあたるでしょう。」ときちんと書かれています。そこ読みましたか?
もうひとつ。
>朝日と橋下市長の件は完全に人権侵害救済法案制定に向けてのデモンストレーションだと思いますのでこの件で同和の問題をあれこれ語るのは不毛な気がします。
一応これは書いておいた方がいいと思いますが日教組員の私の知り合いは「被差別部落民の差別は話し合っても解決しないので教育の力でできるだけ自由な就学、就職の機会を減らし生活基盤を壊して最終的に滅亡させる方向を目指している」と申しておりました。
これは(実効されてるとすればですが)アメリカのKKKよりもはるかに強烈な人権侵害の例であり、これを容認すべきだと管理人さんはお考えでしょうか?
何かと批判の材料に日教組の名が持ち出されているような気がします。私は実際にネットで言われているような事実が、あるのか等知りません。
が、少なくとも今の日本の小学校でも中学校でも、「部落差別の問題」は道徳ないし、社会科、公民の授業で習い、人権の問題として勉強する筈です。(小林よしのりのような、右派知識人[笑]はそんなもの廃止して、天皇の尊さを教えるべきなどと言っておりますが)
嘘だとお思いなら、道徳 指導案 部落差別で検索掛けて見てください。
もしも、fabriceさんのおっしゃるようなことを実際に、その教師が言っているとしたら、それは大問題です。批判された挙句首にされたとしても文句はないでしょう。
しかし、ここで疑問に思うのは、あなた本当に日教組の知り合いなんているのですか? あなたの口ぶりだと日教組は人権的に問題のある集団なのですよね? あなたのように部落差別について本気で考えている方が、果たしてそういった人達とつきあいを持とうと思うのか……まぁ、今は付き合ってないのかもしれませんが。
さらにもうひとつ。
>私がこちらにあまり好感を持たれないはずのコメントをしてる件ですが、こちらの管理人さんの主張からどうも以前私が勤めていてかつての同僚を部落出身を理由に不当な(実質上の)解雇を宣言した会社の社員であると思えてしようがなかったからです。思い当たるふしがあるので。まぁ、知ったからといってどうなるもんではないですが。
最大の矛盾点がここにあります。先ほども述べましたが、秋原さんは部落差別を肯定しているわけではありません。なのに、もう、差別者認定なのですか? あなた、ここのほかの記事読みました? タグに差別問題、貧困の問題などとあるのに。それら全部読んで言っています?
あと、これ個人情報に関することにも踏み込んでますよ?
さらっとどこの誰とも知らない人の情報を本人ではないあなたが、流していいのでしょうか? 問題視する場所をはき違えていませんか? 本当にもしも、あなたがその部落差別で解雇された人の為を思っているなら、ネットに等ではなく、然るべき場所に訴え出るべきではないでしょうか?
>なお、その会社ですが一応は株は国内の親会社が持ってるようですが経営権は完全に外資の手先になってる人たちに取られてしまったようです。現在中東でガザ地区の罪もない一般市民を殺しまくってるイスラエルに協賛してるんで問題になってる企業なんですが間違いなく橋下市長にも協賛しております。彼の政策がTPP参加とか原発再開とかこの会社が喜ぶことしか言ってませんのでね。何しろ自分たちがスポンサーしてるオリンピックが開幕してる間は「節 電」という言葉をマスコミが言わないように圧力かけたくらいの連中ですから。
もう、部落差別から離れてしまってますね。いったいどういうこったい。話が飛びすぎ。
あなたの主張は、差別されている人の味方をする振りにすぎません。憎き敵を叩く為に、差別問題を持ってきているにすぎません。
そうじゃないと言うならば、あなた自身は部落差別の問題について一体どのようなお考えがあるのか。明確な考えをお願いします。
>fabriceさん
(上でAGENさんが書いて下さったことと重なるところもあるのですが,書くのに時間がかかって投稿遅れました)
私は元教員で,田舎のとある県で,日教組系の教職員組合に入っていました。
それで,横槍で申し訳ないと思いつつ,自分の経験に基づいて,以下を申し上げさせて下さい。
まず,ご自分のお知り合いの日教組の一組合員が問題発言をされたからと言って,それが「日教組系の組合で,組織的に全国一斉に行なわれていること」,と即,思い込まれないで下さい。
また,その方の話は確かに問題ですが,あなたの上の記述をよく考えてみると,現実にはありえないおかしな話です。あなたはそれに,全く気づかれなかったのですか?
具体的に,誰がどんな範囲でどういうことをしてそれが実行に移されているのか,きちんと裏が取れる(=説明できる)のであれば,それを提示して下さい。
例えば,教育の力で(=学校や教師が関わって)どうやって,誰の『就学の自由や就職の機会を減らしている』というのですか?
『(部落の)生活基盤を壊して(部落差別を?部落を?)滅亡させる』とは,「地区の人の教育と職業を奪い,彼らを経済的に困窮させる」ということ?
それを,教育(教育委員会,教師,学校)が,どうやって実行していると?
また,地区(の人)を経済的に困窮させることが,なぜ部落(差別)の滅亡に繋がるのかも,よくわからない(理が繋がらない)。
困窮した結果,そこに人がいなくなって地区自体が滅ぶから,差別もなくなるということですか?
こう突き詰めて考えて行くと,あまりにも非現実的すぎて,具体的なことは何も想像できませんが,あなたはその話を(信じて)人に広めるに足る,どんな根拠がどこにあると思ったのですか?
根拠に関する具体的な説明があれば,ある程度,信憑性も出て来る可能性はありますが,そうでないなら,このような曖昧かつ恐ろしい情報を提供して「ゆゆしきこと」を日教組と絡めて書くこと自体,別の意味で大問題です。
何より,あなたの投稿文を読まれた方々に,日教組へのヘンな誤解や偏見を生む可能性がありますよね(それが目的?)。
あまりに抽象的で不明部分が多い記述は,文脈によってはそれだけで誹謗中傷や攻撃に等しいので,根拠のない情報の文字化は止めて下さい。
それから
『あることを個人的に思っている・考えている人が,(たまたま)日教組の組合員である』というのと,
『日教組の組合員だから,あることを思っている・考えている』というのは,まったく別ものです。
ですから,因果の繋がりがはっきりしている事実については,それとわかるよう,納得できるように教えて下さい。
私は元教員で,田舎のとある県で,日教組系の教職員組合に入っていました。
それで,横槍で申し訳ないと思いつつ,自分の経験に基づいて,以下を申し上げさせて下さい。
まず,ご自分のお知り合いの日教組の一組合員が問題発言をされたからと言って,それが「日教組系の組合で,組織的に全国一斉に行なわれていること」,と即,思い込まれないで下さい。
また,その方の話は確かに問題ですが,あなたの上の記述をよく考えてみると,現実にはありえないおかしな話です。あなたはそれに,全く気づかれなかったのですか?
具体的に,誰がどんな範囲でどういうことをしてそれが実行に移されているのか,きちんと裏が取れる(=説明できる)のであれば,それを提示して下さい。
例えば,教育の力で(=学校や教師が関わって)どうやって,誰の『就学の自由や就職の機会を減らしている』というのですか?
『(部落の)生活基盤を壊して(部落差別を?部落を?)滅亡させる』とは,「地区の人の教育と職業を奪い,彼らを経済的に困窮させる」ということ?
それを,教育(教育委員会,教師,学校)が,どうやって実行していると?
また,地区(の人)を経済的に困窮させることが,なぜ部落(差別)の滅亡に繋がるのかも,よくわからない(理が繋がらない)。
困窮した結果,そこに人がいなくなって地区自体が滅ぶから,差別もなくなるということですか?
こう突き詰めて考えて行くと,あまりにも非現実的すぎて,具体的なことは何も想像できませんが,あなたはその話を(信じて)人に広めるに足る,どんな根拠がどこにあると思ったのですか?
根拠に関する具体的な説明があれば,ある程度,信憑性も出て来る可能性はありますが,そうでないなら,このような曖昧かつ恐ろしい情報を提供して「ゆゆしきこと」を日教組と絡めて書くこと自体,別の意味で大問題です。
何より,あなたの投稿文を読まれた方々に,日教組へのヘンな誤解や偏見を生む可能性がありますよね(それが目的?)。
あまりに抽象的で不明部分が多い記述は,文脈によってはそれだけで誹謗中傷や攻撃に等しいので,根拠のない情報の文字化は止めて下さい。
それから
『あることを個人的に思っている・考えている人が,(たまたま)日教組の組合員である』というのと,
『日教組の組合員だから,あることを思っている・考えている』というのは,まったく別ものです。
ですから,因果の繋がりがはっきりしている事実については,それとわかるよう,納得できるように教えて下さい。
fabriceさん、意味不明です
あなたのコメントを読ませていただいて、私も、AGENさんと同様に、あなたは自分が敵と見なしている人を叩くために部落差別問題を利用しているだけなんだろうなと感じました。
とにかく話があちこちに飛ぶし、論旨も、ただネガティブな言葉を並べているだけなので、何故そのような結論になるのかも良くわかりません。
一例として、あなたは、日教組員の言葉を引用して、
>日教組員の私の知り合いは「被差別部落民の差別は話し合っても解決しないので教育の力でできるだけ自由な就学、就職の機会を減らし生活基盤を壊して最終的に滅亡させる方向を目指している」と申しておりました。
>これは(実効されてるとすればですが)アメリカのKKKよりもはるかに強烈な人権侵害の例であり、これを容認すべきだと管理人さんはお考えでしょうか?
といった内容を書いておられますね。これも私にはさっぱり意味不明でした。
ご自分で書いていておかしいと思われませんでしたか?
一体全体どうやって「教育の力でできるだけ自由な就学、就職の機会を減らし」なんてことができるのです? 教師がどうやって「自由な就学、就職の機会」を減らすのか、そしてそれが「教育の力」でできるものなのか、そこがさっぱりわかりません。
普通に考えれば、「教育の力でできるだけ自由な就学、就職の機会を与え」ですよね。
で、この「減らし」があなたの誤認だったとしたら?
加えて、「生活基盤」云々も、部落という地域的な枠組みがこの問題にはあるのですから、そういう枠組みを「壊して」という意図だったとしたら?
『被差別部落民の差別は話し合っても解決しないので教育の力でできるだけ自由な就学、就職の機会を与え、部落の枠組みを壊して最終的に滅亡させる方向を目指している』
これならそんなにおかしなことを言ってるわけではありませんよね。
そもそもこの発言は「被差別部落民の差別は」と始まっているのですから、「滅亡」させるのは「被差別部落民」ではなく「被差別部落民の差別」でないと、日本語としても変ですし。
私は、本当にこの「日教組員の私の知り合い」が実在したなら、その方は、私が推測したような内容の発言をされ、それをあなたが、先入観に囚われてなのかはわかりませんが、「被差別部落民」を滅亡させると言ったと誤認したのではないかと思っています。
というか、私は最初にあなたのコメントを読んだ時には「減らし」という単語が挟まっているなんて想像もつかなかったために、一体全体「差別を滅亡させる」ことの何が「アメリカのKKKよりもはるかに強烈な人権侵害の例」なのか、さっぱり理解できなかったんですけどね(苦笑)。
何でもかんでも裏があるかのように疑ってかかるのではなく、もう少し素直に人の話を聞き、書いたものを読み、そして、冷静に、論拠と結論が対応するような文章を書かれることを心がけてはいかがでしょうか。
では。
とにかく話があちこちに飛ぶし、論旨も、ただネガティブな言葉を並べているだけなので、何故そのような結論になるのかも良くわかりません。
一例として、あなたは、日教組員の言葉を引用して、
>日教組員の私の知り合いは「被差別部落民の差別は話し合っても解決しないので教育の力でできるだけ自由な就学、就職の機会を減らし生活基盤を壊して最終的に滅亡させる方向を目指している」と申しておりました。
>これは(実効されてるとすればですが)アメリカのKKKよりもはるかに強烈な人権侵害の例であり、これを容認すべきだと管理人さんはお考えでしょうか?
といった内容を書いておられますね。これも私にはさっぱり意味不明でした。
ご自分で書いていておかしいと思われませんでしたか?
一体全体どうやって「教育の力でできるだけ自由な就学、就職の機会を減らし」なんてことができるのです? 教師がどうやって「自由な就学、就職の機会」を減らすのか、そしてそれが「教育の力」でできるものなのか、そこがさっぱりわかりません。
普通に考えれば、「教育の力でできるだけ自由な就学、就職の機会を与え」ですよね。
で、この「減らし」があなたの誤認だったとしたら?
加えて、「生活基盤」云々も、部落という地域的な枠組みがこの問題にはあるのですから、そういう枠組みを「壊して」という意図だったとしたら?
『被差別部落民の差別は話し合っても解決しないので教育の力でできるだけ自由な就学、就職の機会を与え、部落の枠組みを壊して最終的に滅亡させる方向を目指している』
これならそんなにおかしなことを言ってるわけではありませんよね。
そもそもこの発言は「被差別部落民の差別は」と始まっているのですから、「滅亡」させるのは「被差別部落民」ではなく「被差別部落民の差別」でないと、日本語としても変ですし。
私は、本当にこの「日教組員の私の知り合い」が実在したなら、その方は、私が推測したような内容の発言をされ、それをあなたが、先入観に囚われてなのかはわかりませんが、「被差別部落民」を滅亡させると言ったと誤認したのではないかと思っています。
というか、私は最初にあなたのコメントを読んだ時には「減らし」という単語が挟まっているなんて想像もつかなかったために、一体全体「差別を滅亡させる」ことの何が「アメリカのKKKよりもはるかに強烈な人権侵害の例」なのか、さっぱり理解できなかったんですけどね(苦笑)。
何でもかんでも裏があるかのように疑ってかかるのではなく、もう少し素直に人の話を聞き、書いたものを読み、そして、冷静に、論拠と結論が対応するような文章を書かれることを心がけてはいかがでしょうか。
では。
>mimosa様、白砂青松0715様、どうもです。書いていて次から次へと疑問が浮かんだのですが、お二方の意見で、晴れたような気がします。
>『被差別部落民の差別は話し合っても解決しないので教育の力でできるだけ自由な就学、就職の機会を与え、部落の枠組みを壊して最終的に滅亡させる方向を目指している』
これならそんなにおかしなことを言ってるわけではありませんよね。
そもそもこの発言は「被差別部落民の差別は」と始まっているのですから、「滅亡」させるのは「被差別部落民」ではなく「被差別部落民の差別」でないと、日本語としても変ですし。
私は、本当にこの「日教組員の私の知り合い」が実在したなら、その方は、私が推測したような内容の発言をされ、それをあなたが、先入観に囚われてなのかはわかりませんが、「被差別部落民」を滅亡させると言ったと誤認したのではないかと思っています。
まさしくそうですね。この文ならしっくり来ますね。すべての文に違和感があるせいか、意味不明な文と思いつつも、一体どこが、変なのか……と思っていました。流石です。
>『被差別部落民の差別は話し合っても解決しないので教育の力でできるだけ自由な就学、就職の機会を与え、部落の枠組みを壊して最終的に滅亡させる方向を目指している』
これならそんなにおかしなことを言ってるわけではありませんよね。
そもそもこの発言は「被差別部落民の差別は」と始まっているのですから、「滅亡」させるのは「被差別部落民」ではなく「被差別部落民の差別」でないと、日本語としても変ですし。
私は、本当にこの「日教組員の私の知り合い」が実在したなら、その方は、私が推測したような内容の発言をされ、それをあなたが、先入観に囚われてなのかはわかりませんが、「被差別部落民」を滅亡させると言ったと誤認したのではないかと思っています。
まさしくそうですね。この文ならしっくり来ますね。すべての文に違和感があるせいか、意味不明な文と思いつつも、一体どこが、変なのか……と思っていました。流石です。