コメント
選手は国の代表です
選手が自分のためのにみ競い、国は何の関係もないのだとするなら、日本人がメダルを取ったからといって、
その選手と個人的な関係のない人達が、それを喜び、祝う理由はどこにもないということになります。
しかしほとんどの日本人は、あれは私とは関係ないと言うかといえば、全くそんなことはないでしょう。
それが何を意味するのかといえば、人は国に対して忠誠心や帰属の感覚を持ち、それ故に日本人がメダルを
とると、他の国の選手がメダルを取るのとは違う感覚を持つということです。
世界市民という言葉がありますが、もし全ての人が自らを世界市民だと思うようになれば、
我が国の選手がメダルを取ったなどとは、もう誰も言わなくなるはずです。
しかし私達は我が国の選手がメダルを取ることを喜び、祝うのです。
それは国民には国に対する忠誠心があり、国家は人のアイデンティティの一つだからです。
またしてもGoldbugくんへ
私もお粗末ながら批判に加わらせてもらいましたがキミのお粗末さに呆れています。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-990.html
また性懲りもなくヘイトコメントをしたいのですかな。君に私はブックオフで社会に関する本を読んでからコメントしなさいと言いましたが、君はそれすらできないようですな。日本語の通じないお粗末な人だと哀れみすら覚えますよ。
野々村直道なる男、こんなお粗末な暴言をしていますよ。
http://tetsuono123.seesaa.net/article/241973829.html
私は被害者であるとも考えていますが、この男の別名が「ヤクザ監督」というほど品がないことが明らかになっています。君はあまりにもネットに閉じこもって現実を知らないだけですな。
秋原さんは君のような輩など公開することで晒し者にすればいいと思っているのです。君はそんなことを知らないでのんきに秋原さんの手のひらで踊っていて、孫悟空も呆れる始末です。
血の神秘的迷信なんかくだらないものです。君は愛国心を強調していますが私に言わせると愛国心を叫ぶ段階で愛国心がないことを自分から証明しているにすぎません。
私自身、全くオリンピック・スポーツに興味がありません。
でもスポーツ選手、特にオリンピック選手の、努力や厳しさに打ち勝って、この一回の試合に全力を魂を注ぐのを見て、他人は勇気づけられたり元気になるのだろう。だからオリンピック(スポーツ)に人は惹かれ、無くならないと。美しい平和の祭典であると。私自身、納得しております。
オリンピック憲章なんて初めて読みましたけど、こんな感じの事かいてましたよね。
だから私は国に殉ずる覚悟など、オリンピックに必要ないと思っております。
そういえばフセインの息子が、試合に負けたサッカー選手を殺害してましたっけ?
なんで、ちゃんと文意をくみとれないの?
・・・別にそんなこと言うてはれへんと思うけど。
もう一回はしからはしまでちゃんと読み直して、何を伝えたいのか理解してからコメント書けば?って思うのだけど・・・
興味深いブログ
国家間の競争ではない。byオリンピック憲章
「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない。」
便乗かもしれませんが…
http://d.hatena.ne.jp/suterakuso/20120421/1334979119
私の中では、すごく関係があることなんですけどね。コメント回答なんかとくに…。まあ、共産党とかが得意な3S政策批判ね、って言えば、そういうところがあって、ありきたりなんですけど…。教師経験者さんたちに、実感として、うんうん、とか、全然ちがう、とか、聞いてみたい気がします。
人呼んで「山陰のピカソ」とか
悪ガキたちを矯正したといわれているため、この人を持ち上げる人は結構いるみたいですし、悪い意味での体育会・運動部的ものに好意を示す人はかなりいますね。
※余談ですが、開星高校と同じ島根県にある立正大淞南高校では、いまだに教育勅語を必ず覚えなければならないそうです。校名が松江日大高校時代に在学していた元サッカー日本代表の「野人」こと岡野雅行も、教育勅語を覚えたとある雑誌のインタビューで語っていました。
スポーツ選手とは「個人として夢を見せてくれる」憧憬の対象
各種「審判問題」や選手の談話に対する、ヤフコメや某掲示板のコメントをみると目を覆いたくなります。
でも、今回が特別なんじゃないと思います。ネットが普及する前、各々の中に潜在的にくすぶっていた情念がソーシャルメディアを通して、白日の下に晒されたのでしょう。
いくら、オリンピック憲章で国家間の競争でなないと謳っても、オリンピックほど国粋主義と親和性の高い国際イベントはないわけで、ナチス時代のベルリン・オリンピックや、冷戦時代のロスやモスクワのように、したたかな権力者によって、プロパガンダに散々利用されてきたわけで、だからこそ、観戦する際は国家というバイアスを外さないと、本当に競技を楽しめない気がします。
ですので、私は、正直、今のオリンピックのあり方だと楽しめない、むしろ、嫌いといってもいいくらいです。
プロのクラブ対抗や、個人同志の戦いなら楽しめるのですが、例えば、北島選手にしても、オリンピック以外の国際大会では「北島康介」個人の戦いがクローズアップされるのに対し、オリンピックになったとたん、一方的「国家」を背負わされている所に、ある種の「鬱陶しさ」を感じていしまいます。
多分、私としては、国家の代表としてではなく、個人として「北島康介」に共感し、応援する事で、一体感を得て、彼の勝利のカタルシスに酔いたいのだと思います。
そういう前提で観戦するなら、敗戦したところで例え悔しくても「裏切られた」という気持ちにはならないし、ましてや「国に殉ずる覚悟で闘ってない」といった非難などとてもではないが、できないです。
私にとってスポーツ選手とは「個人として卓越した技能と、それらによって夢を見せてくれる」憧憬の対象であって、観戦者の国粋主義・民族主義的な情念を充足させるための存在ではありません。
政治オリンピック
国民幸福度レース
民主政治度レース
貧富格差度レース
雇用安定度レース
休暇取得度レース
政府棄民度レース
男女平等度レース
頑張れニッポン。たとえば最後にあげた競技、男女平等度レース、せめて最下位近くから順位を一つくらいあげてほしいと思います。
...ちょっとすぐには無理っぽい...
村野瀬玲奈さま
少なくても
貧富格差度レース
雇用安定度レース
休暇取得度レース
政府棄民度レース
この4レースはすごい勢いで逆走してますから反転するのに100年はかかりますって(苦笑)
>村野瀬玲奈さん
>こっぱなお役人(北方在住)さん、秋原葉月さん
チャレンジしがいがあると言いましょう。笑
ちょっと努力すれば順位がものすごく上がるはずです。...現在かなり下位にいるのですから...。...そして、正しい方向の努力なら...。
>全力で参加をボイコットしないと非国民って言われそう
日本で非国民と言われても、国際社会からほめられてうらやましがられればそれでいいのです。(キリッ
海外に行くと団結したくなる気持ちならわかる
しかし、産経の記事にあるのは、そういうことともまた別なんでしょうね。全く。生まれるなら戦時中のお偉いさんに生まれた方がこの人は幸せだったかもね。上からなんかめちゃくちゃな事だけ言ってれば飯を食えた連中の間に生まれていれば。